第8話
馬車は、いつもより長く揺れた。
王都寄りの屋敷街へ入ると、石畳を踏む車輪の音が高く響く。窓の外を眺めながら、膝の上で指を絡めた。
やがて馬車が門をくぐり、石と木を基調にした端正な屋敷が見えてくる。大きな窓が並び、その前には手入れの行き届いた庭が広がっていた。
玄関で招待状を差し出すと、係の者がさっと目を通し、名簿を確かめる。
「どうぞ、お入りください」
使用人が扉を開けた。
大広間は、やはり男性が多い。低い話し声が幾重にも重なり、書類をめくる音や銀器の触れ合う音が混じっている。
中央の卓には、小さな肉入りパイや焼き菓子、香りの強くない葡萄酒、それに柑橘を浮かべた水が並べられていた。
いくつもの輪の向こうに、見覚えのある姿を見つける。
私はそちらへ歩み寄った。
「ごきげんよう」
華やかな装いの夫人が振り向き、表情をやわらげる。
「ごきげんよう。またお会いしましたね」
「先日は、ありがとうございました」
小さく頭を下げる。
「ハンカチをお借りしたままで……」
夫人が目を細めた。
「まあ、ご丁寧に」
「それから……ささやかですが、干し無花果です。よろしければ、お受け取りいただけますか」
ハンカチの包みと小箱を差し出すと、夫人は一瞬だけ目を見開いた。
「干し無花果……?」
「はい。領地で作っているものです。お口に合えばよいのですが……」
夫人は笑みを浮かべ、包みを受け取った。
「お気遣いありがとう。嬉しいわ。律儀な方なのね」
「いえ……」
目を伏せる。
「あの時、声をかけてくださって……嬉しかったので」
夫人は少し微笑むと、包みを指先で軽く持ち上げた。
「干し果物は、うちのパン工房でも使っているの」
私は顔を上げる。
「甘みがしっかりしているものなら、砂糖を控えられるから重宝しているのよ」
夫人の視線が、こちらへ戻った。
「領地では、どのくらい作っていらっしゃるの?」
「……多くはありません。家用が中心で……」
言いかけて、はっとする。
「乾燥小屋を増やせば、量は出せますが……」
絡めた指先に、わずかに力が入る。
「川風で干しますので、甘みが抜けにくいのです。昼と夜の寒暖差もございますから、糖がよく凝縮します」
「……あら、それは嬉しいわ。うちの職人が喜びそう」
その言葉に、指先がわずかに震えた。
これまで考えていたのは、減らすことばかりだった。
でも――収益を増やすという考え方もある。
口元に手を当て、頭の中で順に考える。
乾燥小屋は簡素な造りで済む。木材は領地内で賄えるし、農閑期なら人足も動かせる。
乾燥工程は安定している。甘みの違いも、きちんと説明できる。
問題は、継続して買ってくれる相手と輸送枠。
そこが結べなければ、意味はない。
それでも、ただの副産物で終わらせる必要はないのではないか。
胸の奥に、小さな期待が生まれた。
「――何か、面白いことでも?」
低い声が、すぐ隣から落ちた。
はっとして顔を上げる。
いつの間にか、アーネストが立っていた。
夫人が微笑む。
「ちょうど、領地のお話をしていたところですの」
アーネストの視線が、こちらへ向く。
「乾燥小屋を増やせば、と言ったな」
「……はい」
「思いつきか」
一瞬だけ息を吸う。
「いいえ。できると思ったからです」
彼はわずかに口元を動かした。
「そうか」
夫人が楽しげに包みを持ち上げる。
「甘みが良ければ、うちの職人が試すわ」
アーネストは夫人へ視線を戻した。
「試すなら、俺の分も回してくれ」
「ええ、そうしますわ」
それ以上は何も言わず、アーネストが再びこちらを見る。
「少し来い」
「えっ……」
私は小さく息を吸い、夫人に一礼した。
「失礼いたします」
廊下へ出ると、大広間のざわめきが一段遠くなる。石床を踏む靴音だけが響いた。
数歩進んだところで、アーネストが足を止める。
振り向かないまま、口を開いた。
「どうして増やそうと思った」
胸の奥が、ひやりと冷える。
お金が必要だからとは、言いたくない。
「……新たな商いとして、可能だと思いました」
「なぜだ」
喉が詰まりかける。
「川沿いで果樹も作っています」
私は視線を逸らさず、続けた。
「無花果は傷みやすく、収穫量も年によってぶれます。生のまま出すには安定しません。でも、乾燥させれば保存が利きますし、甘みも凝縮します」
指先をそっと握る。
「……もともと安定しないものなら、用途を変えた方が良いと思いました」
「それは、一度きりの策か」
「……いえ」
「ならば、お前の名でやれ」
「え……」
彼はようやく振り向いた。
「家を立て直すつもりなら、成果を自分のものにできる立場に立て」
息が止まる。
「兄の名でも、父の名でもない。お前の名でだ」
鼓動が強くなる。
「できるか」
その問いが、廊下に響いた。
四章はここまでです。
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