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【完結】都合のいい私を、辞めることにしました【番外編あり】  作者: 福嶋莉佳@集英社WEB小説大賞金賞
四章

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第8話

馬車は、いつもより長く揺れた。


王都寄りの屋敷街へ入ると、石畳を踏む車輪の音が高く響く。窓の外を眺めながら、膝の上で指を絡めた。


やがて馬車が門をくぐり、石と木を基調にした端正な屋敷が見えてくる。大きな窓が並び、その前には手入れの行き届いた庭が広がっていた。


玄関で招待状を差し出すと、係の者がさっと目を通し、名簿を確かめる。


「どうぞ、お入りください」


使用人が扉を開けた。


大広間は、やはり男性が多い。低い話し声が幾重にも重なり、書類をめくる音や銀器の触れ合う音が混じっている。


中央の卓には、小さな肉入りパイや焼き菓子、香りの強くない葡萄酒、それに柑橘を浮かべた水が並べられていた。


いくつもの輪の向こうに、見覚えのある姿を見つける。


私はそちらへ歩み寄った。


「ごきげんよう」


華やかな装いの夫人が振り向き、表情をやわらげる。


「ごきげんよう。またお会いしましたね」


「先日は、ありがとうございました」


小さく頭を下げる。


「ハンカチをお借りしたままで……」


夫人が目を細めた。


「まあ、ご丁寧に」


「それから……ささやかですが、干し無花果です。よろしければ、お受け取りいただけますか」


ハンカチの包みと小箱を差し出すと、夫人は一瞬だけ目を見開いた。


「干し無花果……?」


「はい。領地で作っているものです。お口に合えばよいのですが……」


夫人は笑みを浮かべ、包みを受け取った。


「お気遣いありがとう。嬉しいわ。律儀な方なのね」


「いえ……」


目を伏せる。


「あの時、声をかけてくださって……嬉しかったので」


夫人は少し微笑むと、包みを指先で軽く持ち上げた。


「干し果物は、うちのパン工房でも使っているの」


私は顔を上げる。


「甘みがしっかりしているものなら、砂糖を控えられるから重宝しているのよ」


夫人の視線が、こちらへ戻った。


「領地では、どのくらい作っていらっしゃるの?」


「……多くはありません。家用が中心で……」


言いかけて、はっとする。


「乾燥小屋を増やせば、量は出せますが……」


絡めた指先に、わずかに力が入る。


「川風で干しますので、甘みが抜けにくいのです。昼と夜の寒暖差もございますから、糖がよく凝縮します」


「……あら、それは嬉しいわ。うちの職人が喜びそう」


その言葉に、指先がわずかに震えた。


これまで考えていたのは、減らすことばかりだった。


でも――収益を増やすという考え方もある。


口元に手を当て、頭の中で順に考える。


乾燥小屋は簡素な造りで済む。木材は領地内で賄えるし、農閑期なら人足も動かせる。


乾燥工程は安定している。甘みの違いも、きちんと説明できる。


問題は、継続して買ってくれる相手と輸送枠。


そこが結べなければ、意味はない。


それでも、ただの副産物で終わらせる必要はないのではないか。


胸の奥に、小さな期待が生まれた。


「――何か、面白いことでも?」


低い声が、すぐ隣から落ちた。


はっとして顔を上げる。


いつの間にか、アーネストが立っていた。


夫人が微笑む。


「ちょうど、領地のお話をしていたところですの」


アーネストの視線が、こちらへ向く。


「乾燥小屋を増やせば、と言ったな」


「……はい」


「思いつきか」


一瞬だけ息を吸う。


「いいえ。できると思ったからです」


彼はわずかに口元を動かした。


「そうか」


夫人が楽しげに包みを持ち上げる。


「甘みが良ければ、うちの職人が試すわ」


アーネストは夫人へ視線を戻した。


「試すなら、俺の分も回してくれ」


「ええ、そうしますわ」


それ以上は何も言わず、アーネストが再びこちらを見る。


「少し来い」


「えっ……」


私は小さく息を吸い、夫人に一礼した。


「失礼いたします」


廊下へ出ると、大広間のざわめきが一段遠くなる。石床を踏む靴音だけが響いた。


数歩進んだところで、アーネストが足を止める。


振り向かないまま、口を開いた。


「どうして増やそうと思った」


胸の奥が、ひやりと冷える。


お金が必要だからとは、言いたくない。


「……新たな商いとして、可能だと思いました」


「なぜだ」


喉が詰まりかける。


「川沿いで果樹も作っています」


私は視線を逸らさず、続けた。


「無花果は傷みやすく、収穫量も年によってぶれます。生のまま出すには安定しません。でも、乾燥させれば保存が利きますし、甘みも凝縮します」


指先をそっと握る。


「……もともと安定しないものなら、用途を変えた方が良いと思いました」


「それは、一度きりの策か」


「……いえ」


「ならば、お前の名でやれ」


「え……」


彼はようやく振り向いた。


「家を立て直すつもりなら、成果を自分のものにできる立場に立て」


息が止まる。


「兄の名でも、父の名でもない。お前の名でだ」


鼓動が強くなる。


「できるか」


その問いが、廊下に響いた。

四章はここまでです。

お読みくださりありがとうございました。 


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浮気現場に向かったら人生が変わった。

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