第3話
翌朝、ぼんやりと目が覚めた。
天井を見上げたまま、しばらく動けない。
……朝だ。
瞼の裏に、昨夜の政務室が浮かぶ。
机の灯り。外した眼鏡。
「保証に名を貸した」という、低い声。
「……知らなければ、よかったかも……」
小さく呟き、ゆっくりと上体を起こす。
呼び鈴に手を伸ばす。
一瞬だけ迷い――それでも、鳴らした。
ほどなくして侍女が入ってくる。
「おはようございます、エリナ様」
「おはよう。お水をお願い」
盥が運ばれ、布が差し出される。
冷たい水で顔を洗うと、ようやく思考がはっきりしてきた。
着替えを手伝われながら、考える。
……お兄様は、知っているのだろうか。
昨夜の様子からすると、
少なくとも契約の未納は知らなかったように見えた。
姉は――知らなさそうだ。
コルセットが締まる。
息が、少し詰まる。
鏡の中の自分と目が合う。
「……今日の報告書を持ってきて」
侍女が頷き、部屋を出る。
待っているあいだ、窓の外を眺める。
私にできることって、あるの?
ふと、あの人の顔が浮かぶ。
市を歩きながら、
迷いなく領地を口にしていた横顔。
「あの人なら……」
どうするのだろう。
侍女が報告書を手にして、戻ってくる。
「ねえ……」
顔を上げる。
「総支出一覧を持ってきてくれる?」
侍女が戸惑う。
「……そちらは、旦那様の管理書類でございます。
執事に確認いたしますが……」
「そうしてくれる?」
「かしこまりました」
侍女が下がり、
部屋に静けさが戻る。
机の上には、姉からもらったガラス細工。
淡い光が、朝日に透けている。
それを、そっと指先で動かす。
「……見なきゃ」
◆
「セバス様が直接お持ちになるとのことです」
侍女がそう告げて下がると、ほどなくして扉が叩かれた。
「お嬢様」
低く落ち着いた声。
「どうぞ」
扉が開き、セバスが入ってくる。
両腕に抱えられているのは、厚く綴じられた書類の束だった。
革表紙の年次総覧と、紐でまとめられた決算控え。
紙の縁は使い込まれ、角がわずかに擦れている。
机の上に置かれた瞬間、重みが音になった。
「旦那様はご存じでございます。
ご覧になりますか」
「ええ」
わずかに喉が鳴る。
セバスの視線が、静かに測るように向く。
「……全体をご覧になりますか。それとも、該当年のみで?」
ほんの一瞬、迷う。
けれど。
「……全体で」
静かに答える。
セバスは一礼し、綴じ紐をほどいた。
紙の擦れる音が、静かに響く。
「……ねぇ、セバス」
「なんでしょう、お嬢様」
「……この家は、危ういの?」
セバスの手が止まる。
「……判断は旦那様が」
静かに返された言葉に、私は小さく首を振った。
「……セバスから見ての意見が聞きたいの」
執事は、わずかに視線を伏せた。
「……持続は可能でございます。
発展は、難しゅうございます」
胸がずんと重くなった。
「……そう」
出してもらった収支総覧を、恐る恐る開く。
とりあえず――今年から。
ずらっと数字が並んでいる。
収入、支出、繰越……
「……どこから見よう……」
これまで、日々の帳面しか触れてこなかった。
年次の総覧を、最初から通して見るのは初めてだ。
とりあえず、出ていく金から、
指先で支出欄をなぞる。
人足費。
水路維持費。
輸送費。
屋敷維持。
ひとつずつ、確認するが、
特段、異常な膨張はない。
ページをめくる。
決算欄。
純収益。
その下に、小さな文字で続く一行に、
指が止まる。
「……穀倉地帯収益分配……?」
金額は年ごとに微妙に違う。
だが、その横に必ず記されている数字は同じだった。
十五パーセント。
「……これ、何?」
セバスは、すぐには答えない。
「……契約条項に基づくものでございます」
「契約条項って?何の?」
「穀倉地帯の収益の十五パーセントを、
あらかじめ貸主へ渡す契約でございます」
「十五パーセントも?」
思わず声が裏返る。
穀倉地帯は、うちの稼ぎ頭だ。
震える声で尋ねた。
「……この契約はいつまで続くの?」
セバスは、静かにページをめくる。
「……借入契約と同期間でございます」
「同期間……?」
「十年でございます。
現在、五年が経過しております」
「そう……」
五年。
長いけれど、
終わりがあるのなら――
指先の力が、わずかに抜ける。
そのとき。
「……満期時には、元本の一括返済がございます」
顔を上げ、セバスを見る。
「え……元本……?」
「借入元本は、領地年間純収益の約二年半分でございます」
ページに視線を落とし、
今年の純収益の額を見る。
「……五年で、二年半分を」
頭の中で、数字を並べる。
十五パーセントが抜ける。
利息も払う。
……残らない。
「……そもそも、これは何のための契約なの」
声は、自分でも驚くほど静かだった。
セバスは、ためらいなく答える。
「五年前の、連帯保証に伴うものでございます」
連帯保証。
「ああ……」
喉の奥で、小さく息が漏れた。
――家のこと、お願いね。
あのときは、ただ頷いただけだった。
意味など、考えもしなかった。
「……満期に、間に合わなければ」
顔を上げる。
「どうなりますか」
「担保条項が発動いたします」
「担保……」
「穀倉地帯の一部区画が、貸主へ移る可能性がございます」
「……そう」
目を伏せる。
窓の外は、曇っている。
机の上のガラス細工は、
光を返さない。
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