第8話
「……三年前、間違いない」
契約書の署名日を、もう一度確認する。
父の署名が書かれている。
三年前は、母が亡くなった年。
それ以外に、何があったの?
私は契約書を机に置き、
年次収支総覧の束を引き寄せた。
三年前の頁を開き、
項目をゆっくりとなぞる。
「……継続契約支出」
輸送補助契約のことだ。
その、すぐ下。
「……利息?」
金額は小さい。
けれど、毎期、欠かさず記載されている。
頁を前後にめくる。
三年前。
四年前。
五年前。
「……五年前からある……」
胸の奥が、じわりと冷える。
「利息って……確か、お金を借りたら払うものよね……?」
じゃあ、五年前、うちは何を借りたの?
それらしい項目を探すが、見当たらない。
「……そもそもこれ、収支しか書いてないし……」
これに載ってないなら――
視線を、書類棚へ向ける。
私は、今までお金の出入りを見てきただけだ。
けれど、家の“根”にあたる部分には、
触れたことがない。
ゆっくりと立ち上がり、
書類棚へ向かった。
書類棚に手をかけた、そのとき。
「お嬢様」
背後から声がした。
ぎょっとして振り向くと、執事が立っている。
「晩餐ですが、何をご用意いたしましょうか」
「……なんでもいいわ」
「承知いたしました」
軽く一礼して下がろうとする。
その背中を、思わず呼び止めた。
「ねぇ、セバス」
「はい」
「五年前のこと、覚えてる?」
セバスの動きが、一瞬止まる。
「屋敷で……大きな買い物とか、しなかった?」
彼はわずかに首を傾げた。
「五年前でございますか……
倉庫の増築を検討されておりました」
「増築?」
「はい。川沿いの穀物保管倉を、拡張する案でございます」
少し胸を撫で下ろす。
しかし――
「最終的には、見送られましたが」
「え? 見送ったの?」
「はい。旦那様が不要と判断なさいました」
確かに、あの倉庫に増築の痕跡はない。
「……あの頃は、何かとご事情がございましたので」
「あの頃……」
セバスの声は穏やかだが、どこか歯切れが悪い。
これ以上聞いても、答えてはくれなさそうだ。
小さく息を吐く。
「……わかった。ありがとう」
「かしこまりました」
踵を返しかけたセバスが、ふと思い出したように振り向く。
「それと」
「何?」
「お嬢様宛に、お手紙とお荷物が届いております」
「……え?」
思考が、一瞬止まる。
「どこから?」
「差出人は――」
言い終わる前に、胸が跳ねた。
「持ってきて」
足が自然と廊下へ向いていた。
利息も。
五年前も。
いまは、頭から消えていた。
◆
部屋に戻り、扉を閉める。
胸の高鳴りを押さえながら、封筒の差出人を見た。
――アーネストからだった。
急いで封を切り、便箋を広げる。
「まただ……」
有望若年実務者会の招待状だった。
「……日にちは、まだまだ先ね」
思っていたよりも、ずっと余裕がある。
ほっとしたような、少しだけ残念なような。
手紙を丁寧に折り、机の上に置く。
そして、視線を包みに移した。
細い紐をほどき、ゆっくりと開ける。
「わぁ……かわいい……!」
淡い色合い。
細かな花柄が一面に散っている。
柔らかく、軽やかな生地だ。
「花柄……」
ふと、クローゼットに目を向ける。
以前、アーネスト邸で着せられたワンピースも、
やはり花柄だった。
「もしかして……」
胸が、また跳ねる。
そっとドレスを広げ、体に当てる。
鏡の前に立つ。
淡い花が、黒い髪によく映える。
「……」
頬が、じわりと熱を帯びる。
――似合う、って思ってくれたの?
鏡の中の自分が、
少しだけ柔らかく見えた。
ふと、現実に戻る。
「……でも、私ばかりもらってるわよね」
ドレスをそっと畳み、椅子に掛ける。
「何かお返し、できないかな……」
と言っても、私は――あんな広い領地を持つ人へ贈り物なんて。
お金でどうにかできるものでもないし、そもそも持っていない。
じゃあ、領地から?
だからといって、うちの領地は――
宝石もない。
名産酒もない。
大きな特産品もない……。
「……あ!
そうだ! 干し無花果!」
乾燥物……。
「……地味、ね」
華やかさの欠片もない。
「で、でも……美味しいし!
隣の領主様も好きって言ってくれたもの!」
そうだ。うちの乾物は、
川風で干すから甘みが逃げず、
昼と夜の寒暖差で糖が凝縮される。
この乾燥条件は、うちの領地でしか合わない。
他所では、同じ味にならないのだ。
「それに……ワインや珈琲のアテにもなるし」
茶屋で会話した時の、珈琲を飲む彼を思い出す。
「うん……悪くないかも」
包装を上品にすれば、
贈り物としても通るはずだ。
「いい包み、あったかしら」
ドレスを椅子に掛けたまま、
私は部屋を出た。
扉が、静かに閉じた。
三章はここまでです。
四章は4日後より更新開始予定です。




