第7話
応接間には、すでに客が通されていた。
立ち上がった男は、深く一礼する。
「突然の訪問、失礼いたします。
ブランデル商会の者でございます」
整った身なりだが、袖口には長旅の埃がうっすら残っている。
「本日は、旦那様にご相談があり参りました」
「父は不在です」
そう告げると、男は一瞬だけ目を伏せた。
「さようでございますか……」
その間が、やけに長く感じられる。
「……差し支えなければ、用件をお聞きしても?」
男はゆっくりと視線を上げた。
「支払いの件でございます」
胸が、わずかに強く鳴る。
「どの支払いでしょうか」
「輸送補助契約の分でございます」
「輸送補助契約……?」
聞き返すと、男は静かにうなずいた。
「川沿い共同輸送の枠を確保する契約でございます。
優先積載の権利、ならびに水位変動時の振替手配を含みます」
「……参加費のようなもの、ですか」
「そのようにお考えいただいて差し支えございません。
契約は三年前に締結されております。
以降、年四期ごとのお支払いとなっておりますが、
未納が続いておりまして……」
「……いくつ分、ですか」
「三期分でございます」
「三期分……」
「はい。いずれも確認が取れておりません」
私は、膝に置いていた手を握った。
「本来であれば、次期分までに精算いただけませんと、
輸送枠の見直しを行う可能性がございます」
「……見直し、とは?」
「優先積載の解除。
ならびに振替便の保証停止でございます」
身体がこわばる。
「……それでは、荷が後回しになるのですね」
商人は、静かにうなずいた。
「もちろん、即時停止ということではございません。
長年のお取引でございますので」
その“長年”という言葉が、逆に重い。
「旦那様には、状況をご承知いただいているものと存じますが……」
エリナは、ゆっくりと息を吸う。
「……内訳を、拝見できますか」
差し出された書面には、
四半期ごとの固定額が並んでいる。
三期分の合計は、
今すぐ捻出できない額ではない。
それなのに、
なぜ払われていないのか。
書面を握る指先が、わずかに冷えた。
◆
商人が帰ったあと、
エリナは応接間に一人残り、書面を見つめた。
『輸送補助契約』
流通を安定させ、
優先積載を確保する。
理屈は分かる。
「でも、それって余裕がないと意味がないじゃない……」
既に三期分も払えていない。
「そこまでして……?」
視線が、契約開始年に止まる。
「……三年前から」
何があったの?
三年前――母が亡くなった年。
『家のこと、お願いね』
背筋が、ぞわりと粟立つ。
「そういえば……」
数年前から――
予算が厳しい、と父は言っていた。
姉のドレス代を巡って、
父の声が少しだけ低くなったことがあった。
「あのドレス、本当にその値段なのか?」
あの時は締めていた。
けれど今は、また支出が戻っている。
あの厳しさは、一時的なものだったのか。
それとも――。
「……嫌な予感しかしない」
胸の奥が、静かに沈む。
確認しないわけにはいかない。
ゆっくりと立ち上がる。
応接間を出て、廊下を歩く。
足音が、やけに響く。
――選択肢。
アーネストの言葉が、ふと蘇る。
兄の隣で働き続けるなら、条件を持て。
「私は……知らないと……」
父の政務室の前で、立ち止まる。
扉に手をかけ、静かに開いた。
父の政務室は、
私の部屋より、ずっと広い。
整然と並ぶ書類棚。
磨かれた床。
机の上には、余計なものが何もない。
整いすぎている。
「……これだけの広さ、いるの?」
小さく零れた言葉を、すぐに飲み込む。
今は、そんなことを言っている場合じゃない。
机の引き出しに手をかける。
――鍵は、かかっていなかった。
一段目を開ける。
「月次報告……収穫一覧……支出明細……」
整然と並んだ書類の束。
どれも几帳面に綴じられている。
輸送補助契約は、ない。
二段目を引く。
封蝋付きの書簡。
取引先一覧。
納品証。
「……違う」
指先が、わずかに強く紙を押しのける。
三段目。
古い契約控えの束。
角が擦り切れた一枚が、指に引っかかった。
「……あった」




