第5話
――翌朝。
もう、朝か……。
呼び鈴を鳴らそうとして手を伸ばしたが、すぐに思い直した。
「今日は、いいや……」
私はベッドから降りると、自分で水差しから洗面器へ水を注いだ。顔を洗い、冷たい水に触れているうちに、昨夜の出来事が少しずつ現実のものとして頭に戻ってくる。
――みんな、熱心に話していた。
地方の領地を任されている人もいれば、商会の若手責任者や、王都と取引のある家で実務を動かしている人もいた。でも、肩書きの話をする人は誰もいなかった。
……勉強になったな。
そう思いながら、階段を降りる。
「また、参加したいな……」
リビングに入ると、兄と姉がすでに席についていた。
「おはようございます」
声をかけるが、兄はこちらを見ない。返事もなかった。
姉は一瞬だけ視線を動かし、目を合わせないまま口を開く。
「……おはよう」
私は何も言わずに席についた。いつも通りの冷めたパンを手に取り、固くなりつつある端を割る。
もぐもぐ……。
慣れた味なのに、今日はやけにパサつく。
何か言った方がいいのか。
そう思って口を開きかけた、そのとき。
「昨日の件は、もういい」
兄の声が先に落ちた。
私は言葉を飲み込む。兄は皿から視線を上げないまま、続ける。
「家として、あの会に参加する必要はない」
姉はすぐには頷かなかった。一拍置いてから、「……そうね」と答える。
私は手に持っていたパンを見つめ、小さく声を出した。
「……でも、勉強に――」
「その話は、やめろ」
ここで初めて、兄が顔を上げた。
「ああいう場で聞いた話を、うちに持ち込むな。規模も前提も違う。考え方まで借りる必要はない。うちは、うちだ」
思わず、瞬きをする。そんなふうに言われるとは思っていなかった。
姉の方を見るが、姉は私を見ず、カップに手を伸ばして何事もなかったように口をつける。
……お姉様も、同じ考えなの……?
しばらく、食器の触れ合う音だけが続いた。
「あ、そうだ。郵便の返事だけ、書いといてくれ」
兄は用件だけを残すように言った。
◆
部屋に戻り、机に向かう。
とりあえず、郵便の返事を書く。
「この間の返事か……」
前回の水路協議を踏まえ、隣領で内部の調整を行ってくれたらしい。当初の予定より前倒しとなるものの、この時期しか日程を押さえられないため、
『この日で確定したいが、いかがか』
という内容だった。
歩み寄ってくれている。
――ありがたい。
手帳を開いて予定を確かめる。
「うん、大丈夫ね」
さらさらと返事を書いていく。
「……」
ふと、机の端に置いてある、招待状の入っていた便箋に目が止まった。
お兄様は、ああ言っていたけれど――
「……私は、ためになったと思うけどなぁ……」
アーネストの言葉を思い出す。
なんで、あの人。
私を呼んだんだろう。
次に会ったら、教えてくれるかな……。
そんなことを考えながら、私は書き終えた手紙を畳んだ。
◆
――昨夜。
会が一段落した頃、アーネストは壁際で杯を置いた。
「お疲れでしたら、お部屋へお戻りになりますか」
背後から執事が声をかける。
「いや、もう少しだけ」
そう言って広間を一瞥すると、執事もその視線を追った。
「……リュークハルト家の方々ですね」
「兄の方は、前に出たがる」
アーネストは淡々と言う。
「場の性質を勘違いしている。代表として振る舞おうとしていたが、話を動かすつもりはない」
「現場に立つ方ではありませんね」
「立っていない」
即答だった。
「姉の方は?」
「引く判断が早い。合わないと分かった時点で、余計なことをしない」
アーネストは腕を組み、少し考えるように広間へ視線を戻した。
「深入りしない、という意味では合理的だ」
執事は何も言わず、聞いている。
――家の内情は、だいたい見えた。その隙間を埋めているのが、彼女だ。
「……エリナ・フォン・リュークハルト嬢ですね」
「そうだ」
ようやく、その名を口にする。
「場慣れはしていない。だが、話は机上ではなかった」
「ご評価は?」
「まだだ」
アーネストは腕を解き、グラスを再び手に取った。
「材料が足りない。判断するには、話が必要だ」
「では、次は――」
「本人と話す場を用意する」
執事の言葉を遮るように言った。
「それだけだ」




