表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/49

序章(8/12)アウグストゥスとの出会い(3/3)

次は英雄ハンニバル

「落ち着いたようだな」

 泣きつかれて涙が枯れるとアウグストゥスさんは落ち着く声色で僕の頭を撫でるのを止める。

「ありがひっく! とうございひっく! まひっく! 落ち着けひっく! ました」

 まだしゃっくりが止まらないが、もう涙も出ない。アウグストゥスさんの意のままだ。それが心地よい安心感を齎すのだから、脱帽するばかりだ。

「ワインを開ける。今度は、しっかり注げ」

 アウグストゥスさんは優しく微笑むと再び棚からワインボトルを取り出し、コルク栓を抜いて僕にワインボトルを渡す。僕は何も言わず、注いだ。

 その高揚感は筆舌に尽くしがたい。この人のためにワインを注げる。その心境は、まさに奴隷であり、何より僕が望んだ世界だった。だって前の世界では、こんな高揚感も与えられずに奴隷に、家畜になった。だからこの人のやることは恥辱でも何でもない。だって、僕は嫌な気持ちなど一滴も感じなかった。

「あの、この世界の情勢はどうなっているんでしょうか?」

 言うとアウグストゥスさんに頭を撫でられる。言ってよかったと思えるのだから、凄い人だ。

「この世界は一言でいうとカオスだ」

「カオス? 何でですか?」

「この世界には私やジャンヌダルク、ハンニバルに沖田総司以外にも英雄が居る。大量に。それも約五十年以上前から」

「五十年! えっ? それよりもアウグストゥスさんたちと同じように英雄が居る?」

「正確には、私たちが居た世界から来た転生者たちだ。すべてが名のある英雄ではなく、それこそお前のような凡人や犯罪者も居るだろう。そいつらは私と同じように神からチートしてもらい、黒き者どもと戦っている」

「な、何だか頭がこんがらかって? えっと、つまりこの世界にはとにかくたくさんの転生者が居るんですね? 英雄とかそんなの関係なく、僕みたいな奴も?」

「そうだ。そして私やハンニバル、ジャンヌダルク、沖田総司と同じように黒き者どもと戦っている」

「そこまでは分かりました。でもカオスって何でですか?」

「チートしてもらった転生者が山ほど居る。それはどういうことか? 一言で表すのは難しいから、世界の情勢を教えよう。まずこの国は絶対君主制。絶対的な王が居て、そいつが国を統治する」

「分かります。この世界に来た最初の印象は、中世ヨーロッパに何となく似ている、でしたですから絶対君主制でも納得できます」

「ところがお隣のお国はナチズムだ」

「ナチズム! ヒトラーの思想だ!」

「約50年以上前に、まさしくヒトラーが転生し、新生ドイツ帝国を作り上げた。さらに驚くべきことがある。新生ドイツ帝国のお隣にはなんと、新生ソビエト連邦がある。政治体制はもちろん共産主義」

「新生ソビエト連邦! 共産主義! スターリンがここに転生した!」

「二人ともすでに死んでいる。だがドイツ帝国とソビエト連邦がお隣同士だとどうなるか? もちろん戦争だ。結果、二人が死んだ今でも新生ドイツ帝国と新生ソビエト連邦は、黒き者どもそっちのけで戦争している」

「えっ? 何で? 黒き者どもを倒すのが先でしょ? というか戦争? 何でここでも戦争するの?」

「過去の恨みは忘れられない。過去に酷い目にあったから信用できない。だから黒き者どもより先に殺す。切っ掛けはそんなものだろう。そして実際に始めると、戦争は泥沼。それから約五十年、そこから抜け出せず恨み合っている」

「な、なにがなんだか分からないよ? 何で転生してまで憎み合うの?」

「戦争の恐怖を知っているから、さらなる戦争へ。まあ、本質ではないから、隣国らの政治に関してはもう止めよう」

 アウグストゥスさんがワイングラスの口を向けたので、間髪入れずにワインを注ぐ。


「政治制度の次は、文明の発展ぐあいの落差を教えよう」

「どういうことです?」

 アウグストゥスさんが軽く笑うと頭を撫でられる。

「な、何で?」

「分からないことは質問する。先ほどに比べるとずっと成長したな」

 褒められると途端に顔が熱くなる。

 アウグストゥスさんは素知らぬ顔でワインを傾けるとまた窓の外を見る。

「この国の文明は中世ヨーロッパ程度だ。だから馬車や牛馬が居るし、コメなどを脱穀するときも風車や水車を使う。ジャンヌダルクが運営するブドウ園だってワインやパンを作るのに中世ヨーロッパと同じく風車や水車、人手を使っている」

「そうだと思います。というか機械とかあったら頭がこんがらがってしまいます」

「ところがお隣の新生ドイツ帝国とさらにそのお隣の新生ソビエト連邦には、自動車がある。おまけに脱穀機もある。戦車すらもある!」

「戦車! 自動車! 何で? えっ? まさか神様に願った!」

「あの二人の願いは容易に想像できる。ドイツ帝国をこの世界に、ソビエト連邦をこの世界に、持ってこい。だから、ドイツ帝国にもソビエト連邦にもあった自動車や戦車、脱穀機といった様々な機械がある」

「ソビエト? ドイツ? えっ? じゃあこの世界は、転生者たちの思想、そして願いによって滅茶苦茶になった! 地域によって考えも科学力も何もかも違う! だから差が出る! それも数世紀の差が!」

「その通りだ。この世界はこちらは古代ローマでお隣は君の知る東京ということも自然だ」

「自然? 自然って何でしたっけ?」

「人為の加わっていない場所だ。勉強し直せ」

「嫌でも、人為加わりまくってますよ?」

「神がそうしたんだ。なら自然だ」

「自然……ですか。僕の考える自然とは全く違いますね」

「だろうな。そしてそれはこの世界の住人達も同じだ」

「えっ?」

「お前はこの異世界に来て住民たちや憲兵たちの態度が気にならなかったか?」

「……そう言えば、異世界人と呼称して転生者であるジャンヌさんやハンニバルさんに沖田さんを毛嫌いしているように思えました」

「その通り。この世界の住人たちは腹の中で私たちを嫌っている。なぜか? 推測を語る前に、神へ願った結果を言おう。ジャンヌは良質なブドウ園と小麦畑を願った。するとどうなったか? 何と荒れ地が小麦畑に、裸山に森が生い茂りブドウがなるようになった! たった一日で! しかもその土地の所有者はジャンヌダルクとなっていた。それまで価値の無い土地だったから誰も所有権を欲しなかったが、ジャンヌが来た瞬間から、所有権がジャンヌダルクとなっていた」

「ご、ごめんなさい! もう訳が分からなくて!」

 アウグストゥスさんはぐっとワインを飲み干してワイングラスの口を向ける。

「そのごめんなさいは良いごめんなさいだ。本当にすまないと思っているから言う言葉だ。その場しのぎのためでない。その気持ちを忘れるな」

 頭を撫でられながらワインを注ぐと変な気持ちになる。

「言っておくが、私は男色もするが、抱かれたければもう少し利用価値のある男になれ。それか女の様に化粧をしろ。衣装も女の様にしろ。そうすればギャップで楽しめる」

「突然なんですか! ぼ、僕はホモじゃありません!」

「私の居た時代はホモもレズビアンもバイもノンケも大歓迎だ。だから恥ずかしがるな」

「僕は普通です! 普通に女の子が好きです!」

「童貞なのに?」

「ど、童貞とホモは関係ないでしょ!」

 アウグストゥスさんは大笑いする。

「可愛い奴だ! その反応が見たかった!」

 アウグストゥスさんは僕からワインボトルを引っ手繰るとラッパ飲みする。

「良いな! 実に良い! お前を呼んで良かった!」

「な、何がです!」

「退屈しのぎ! 世論で聞きつけ、ちょいとちょっかいかけたが、予想以上の掘り出し物だ!」

「何がですか!」

「お前の存在だ! お前は確かに何の力も持たずここへ来た! だがそれでいい! 何せそこら中の転生者が何らかの力を授かってここに来た! だからお前は無個性なようで個性に満ち溢れている! 私の様に能力に頼らず、己の資質で世界を救う英雄だ!」

「な、何を言っているんですか! 僕は英雄じゃない! アウグストゥスさんの方がずっと凄い! だってこの世界を救うために、凄い能力をあの神様に願ったんでしょ! それって凄いことだ! だって、世界を救うシナリオを描いてないと、そんなことできない! アウグストゥスさん! 僕は何も描けなかった! だから何も願わなかった! それだけです!」

 アウグストゥスさんは悲し気な表情で言葉を止める。

 そして必死に、心の奥から絞り出したような声で涙を流す。

「私は君の世代にあるマンションを願った。その結果が、この薄汚い建物だ。それを見た上で、そんなこと言えるのか?」

 僕は、何も言えないと思い、口を噤む。でも恐怖は無かった。アウグストゥスさんが言いたそうだったから。

「私が言いたかったのは、転生者が願う文明の差、思想の差、何よりチートによって、この世界の住人は困惑していることだ」

「困惑? 確かに一夜にしてマンションが出来たりブドウが出来たりしたら戸惑うでしょう。でもたくさん美味しいものが食べられるのは悪いことじゃない。突然ソ連とかできて、自動車や銃が現れたら驚くでしょう。でもそれは黒き者どもを倒すための道具、住民たちを生き残らせるための道具だ。黒き者どもから身を守るのが最優先でしょ? なら喜ぶべきでは?」

「戦車はある。銃もある。だが整備する方法は知らない。弾丸も火薬の作り方も燃料の作り方も。だから実のところ、新生ドイツ帝国と新生ソビエト連邦には車も戦車も走っていない。銃も打っていない。あるだけだ。私の例でいうなら、蛇口があっても水が無い、ガスコンロがあってもガスが無い、電球は有っても電気が無い」

 アウグストゥスさんはグッとワインを飲むと眠そうにソファーに寝転ぶ。

「結果、新生ドイツ帝国と新生ソビエト連邦が持つ万能と言えるほどの文明も十年もしないで衰退した。今は結局、馬や牛馬が街を闊歩している。結果住民たちの落胆は凄まじいものだろう。英雄たちをこけおどしと非難しただろう。あの二人が死んだのはそれか? 自殺したのだろう。結局、チートを得ても勝てないと理解した。この世界の住民たちに、この世界の文明に」

 アウグストゥスさんがワイングラスを手渡してきたので黙って受け取り、テーブルに置く。

「銃やパソコンや車やマンションに飛行機を持ち込んでも、この世界の住人には理解もできないし作り方も知らない。そしてこの世界へ転生したすべての者がそれを罵れない。なぜなら、転生した者もそれを詳しくは知らない。たとえ使い方を知っていても、作り方、作り方を知っていても今度はそれを動かす燃料の作り方、燃料の作り方を知っていても今度はその材料の在りか。材料があっても今度は製造の仕方。万が一それらがクリアできても今度はこの世界の住人たちを納得させる政治力。それを広ませる経済力。パソコンがあったところで私たちが居た世界のサーバーに繋がらないからwikipediaも見れない。それらを考えると、無敵の軍隊を持っていても勝てない。歴史上最高の戦術家であり、最高の軍師であるハンニバルが居ても。そして転生者に好き勝手にされるこの世界の人々の気持ち、恨みにも、結局勝てない」

 そこでアウグストゥスさんは口を噤んだ。

「アウグストゥスさん?」

 すうすうと寝息が聞こえてきた。

「アウグストゥスさん? アウグストゥスさん? 寝ちゃったの?」

「う……るさい奴だ……眠いのだ……寝かせろ」

「ああ、その、ごめんなさい」

「そ……思うなら……口を閉じろ」

 僕はアウグストゥスさんの頭をそっと撫でる。

「おやすみなさい。ご主人様」

 アウグストゥスさんは目を瞑り、今度こそ大いびきをかく。

 その姿は、だらしなくも美しかった。まるで百獣の王が無防備に、お腹を見せて寝ているような気持ち。僕は信頼されている。それが何よりも嬉しかった。

「何だ? アウグストゥスは寝ちまってんのか? この時間に来ると言ったのに、やはり信用ならない男だ」


「誰だ!」

 僕は何時の間にか部屋に押し入っていた不審者に尋ねる。不審者は不敵に笑う。

「俺はハンニバル・バルカ。知ってるだろ? 異世界人? お前と同じ、転生者だ」

 その姿には見覚えがあった。確かに、この国に来た時初めて見た英雄の一人、ハンニバルであった。

「ハンニバル! カルタゴの英雄にして世界の軍隊が教科書に載せるほどの戦術を生み出した!」

「俺はその時すべきことをしただけだが、それを参考書にしないとならない未来の軍隊は、やはり信用ならねえな。俺が何とかしねえとな」

 つかつかとハンニバルさんはアウグストゥスさんの近くによると、ソファーを蹴飛ばす。

「起きろローマ人。殺されたいか?」

「ちょっとハンニバルさん!」

「黙れ。俺はこの時間に来ると約束した。約束を守らぬ奴は大嫌いだ。何より約束も守らぬ政治家! つまりこいつだ!」

「で、でもいくら何でも寝ているところをソファーを蹴飛ばして起こすなんて!」

「黙れと言わなかったか?」

 鋭い目で睨まれると何も言えなくなる。やっぱり僕は弱虫だ。

「ハンニバル……お前は本当にうるさい奴だ。望みの金はあの引き出しにある」

 アウグストゥスさんはソファーが蹴飛ばされた振動で起きたのか、眠気たっぷりにかすれた声でワインが入っていた一番上の戸棚を指す。

「良かろう。それが分かれば、あとは寝ていろ」

 ハンニバルさんは無作法に大きな袋を担ぐと何も言わずに出て行った。

「ナツメ、ハンニバルについて行け」

「えっ?」

「この国の軍事的な面は全く説明できなかった。それに政治に注力する私よりも、軍事に力を入れる奴の方がこの世界の有様を良く知っている。だから奴について行け。そして学べ。奴の力を」

 すうすうと寝息が聞こえる。

 僕は訳も分からず、部屋を飛び出て、ハンニバルさんの元へ走った。

「やはり来たか」

 ハンニバルさんはマンションの外に待機させておいた馬車の前で、僕を待っていた。

「乗れ。俺の家に案内する」

 ハンニバルさんは僕の返事も待たずに馬車に乗り込み、手綱を握ったので急いで乗り込む。

「俺の隣に座れ」

「い、良いんですか?」

「馬車の中は荷物置きだ」

 ハンニバルさんが手綱で馬に命じると、馬車はゆっくりと進み出す。

「アウグストゥスを信用するな。奴は危険だ」

 馬車が進み出すと同時にハンニバルさんは唐突に言う。

「この国は絶対君主制だが、補佐官として大臣といった官僚も居る。アウグストゥスはその一人だ」

「あの、それの何が問題なんですか?」

 ハンニバルさんの眉間にしわが寄る。

「君主は愚かだが、それにすり寄る官僚も同じく愚かだ。この国は腐敗している。そんな国の官僚の一人となった奴の話など信じるな。信じれば、いずれ裏切られる」

「あの、でもアウグストゥスさんは初代ローマ帝国の皇帝です。ちょっとくらいは信用しても?」

「奴はすでに何人もの貴族や官僚を暗殺している。それによってこの国の君主に必然的に気に入られている」

 ハンニバルさんが握る手綱が千切れそうなほどに震える。

「ど、どうしてです!」

「奴が暗殺した貴族や官僚は、少なからずこの国を少しでも良くしようと君主に歯向かっていた。それを率先して殺したのだから、必然的に仲間と思われている。結果、この国の腐敗は止まることを知らぬどぶ川と化している。光のごとく! 愚かな君主と官僚と貴族を押さえる聖者が、奴、アウグストゥスに殺されたがために!」

 僕は何も言えなかった。彼の怒りの形相に。何より、あのアウグストゥスさんがそんなことをしたなんて、信じられなくて、信じたくなくて、首を掻きむしりたくなる。掻きむしって死にたくなる。

「もっとも、そんな屑から金を無心する私は、同じく屑だろう。もはや英雄ハンニバルの姿など無い」

 ハンニバルさんは空を見上げて一筋の涙を流す。

「スキピオが今の私を見たら、殴ってくれるだろうか?」

 その姿は英雄ハンニバルでは無かった。ただの美青年だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ