序章(11/12)ハンニバルとの出会い(3/3)
次回で序章終了です。
歩兵たちが衝突する! 黒き者どもが咆哮する!
「ウゥオオオオオオオ」
まるでオオカミやライオン、熊といった肉食獣が、目の前の餌に食らいつく、そんな声だった。
「ハンニバルさん! 騎兵隊!」
騎兵隊の間を黒き首なし騎士がすり抜けていく!
「やっぱりすり抜けられちゃったよ!」
ギュッとしがみ付いて伝えたけど、ハンニバルさんは至って冷静な面持ちで口を開く。
「すり抜けた。奴らは次に何をすると思う?」
「え? 包囲殲滅されちゃうよ! あなたが良く知っているでしょ!」
「その通りだ。普通はそうする。だが奴らは違う」
黒き首なし騎士たちは歩兵たちにわき目も振らず、一直線に砦に向かっていた。
「何で?」
「奴らの目的はただ人を殺すこと、一人でも多く死なせること。私の歩兵たちは魂無き自動人形。奴らにとって何の魅力も無いのだろう。興味があるのは、私とお前の命だけだ」
「でも包囲殲滅したほうが良い! だってそうしないと逆に挟み撃ちだ! たとえ僕たちを殺せても殺されちゃう!」
「言っただろ。奴らは所詮獣。連携もくそも何も考えない。ただただ人を殺すことを目的とする死病の大群。命を狩るためだけに存在する黒き者ども。もはや己の命にすらも興味ない、人を殺すためだけに存在する害虫だ!」
ハンニバルさんが右手を黒き首なし騎士たちに向けると弓兵がギリギリと矢を絞る。
「まだ射程距離に入ってないよ! 引きつけないと!」
「心配するな。こいつらが持つ弓と弓矢は特別性だ」
弓兵の弓を良く見てみる。良く見るとそれは鉄と鋼の弦でできていた。
「バネを作る要領で、特殊に、年密に、数千回鍛えた鋼の板を5枚重ね、弦は太さ三センチの頑丈なワイヤー、弓矢は鋼鉄製。その有効射程距離は3000メートル。最大射程距離は5000メートル」
「凄い……僕の時代でも、そんな武器は無かった……ライフルだって精々2000メートルが最大だ」
「凄いだろ。ただ難点は、引くのに最低でも5トンの力が必要なことだろうな」
「5トン? 誰も使えないんじゃ?」
「人間には無理だ。ただこいつらは自動人形。それに俺はあの小娘に、自軍となった兵士たちを強化する能力を貰った。どの程度強化されるのか知らんが、まあそれもあるだろう」
「どのくらい強くなるか分からないの?」
「人間の兵士が一人でもいれば分かるんだがな。……とにかく、無駄話は後だ。今は黙って見ていろ」
ハンニバルさんが伸ばしていた右手を払うと、鋼鉄製の弓矢が一斉に放たれる。そしてそれは一直線に黒き首なし騎士たちへ飛ぶ。
矢が黒き首なし騎士たちに当たる。
黒き首なし騎士たちの体が爆発した。
「あれは!」
「矢の重さはざっと2キロある。それに矢の速度はざっと見て秒速3000だろう。となると運動エネルギーは約90億Jといったところか。NTN火薬45トンが体内で爆発したようなものだ」
その言葉通り、矢は黒き首なし騎士たちを貫くばかりか、地表すらも土煙を巻き上げてえぐっていた。もはや武器でなく火器を超えた兵器であった。
射るたびに爆薬よりも喧しいソニックブームが発生する。砦がソニックブームで揺れる。もはや過剰戦力。だがそれによって黒き首なし騎士たちは見る見ると駆逐されていく。
「こ、これなら黒き者どもを倒せるね!」
僕は思わず興奮して抱き付く。
だけどハンニバルさんは冷静に渋い顔をする。
「まあな。黒き首なし騎士たちを倒したら後は歩兵と巨人を射るだけだ。だがそれで済むなら俺はこの世界に呼ばれない!」
ハンニバルさんの目が林に向く。僕も見る。木々の上を首なし騎士たちが走っていた!
「何で!」
「奴らは黒き者どもだ。空を走らないだけありがたく思え」
ハンニバルさんが手で指揮を振ると弓兵たちは木々を走る首なし騎士たちを打ち落としていく。だがそうなると地表が手薄になる。
「ハンニバルさん! 近づいてきたよ!」
まだ遠い、だがすでに数百メートルまで迫っていた!
「引く力に5トンを要する。一分間に放てる矢は0.5本。そのうち当たるのが0.3本。当たれば必殺とはいえ、1000の弓兵で300程度の敵しか倒せない。普通なら十分すぎる戦果だが、奴らは黒き者ども! 殲滅するまで勝ちは無い!」
黒き首なし騎士たちがまじかに迫る。その瞬間、彼らのスピードに戦慄した!
「速い! もしかして自動車よりも!」
ハンニバルさんは木々の上とそれを盾に迫る黒き首なし騎士たちに視線を集中させながら答える!
「これがこの国の兵士たちが敵わなかった原因だ! 黒き首なし騎士の時速は約120キロ! 俺たちが操る馬の最高時速の2倍以上だ! しかも奴らは木々の上も、林も、森も平然と走り抜ける! さらに黒き巨人は動くカタパルト! 歩兵たちは恐怖を知らぬ屍! 来るぞ! 目を閉じるな!」
ハンニバルさんは僕を下ろすと剣を抜く!
「弓兵500! 弓を置き剣を構えろ! 黒き首なし騎士たちを切り倒せ!」
叫ぶと同時に一体の黒き首なし騎士が壁面を駆け上がり、月光を纏う死神の様に、僕たちの頭上に現れた!
「射ろ!」
弓兵の一斉射撃で黒き首なし騎士は打ち落とされる。だが第2第3の首なし騎士が迫る!
「ナツメ! お前は左辺に迫る木々の奴らを始末しろ! 前方は俺が始末する!」
「ぼ、僕が! 僕がどうやって!」
「左辺を守る250の弓兵を貸す! そいつらに指示をしろ!」
「どうして! ハンニバルさんが指揮を取れば!」
「俺は! くそっ!」
黒き首なし騎士たちが一斉に迫ってきた!
「右辺の弓兵は前方に射れ! 前方500! 敵を足止めしろ!」
黒き首なし騎士たちと砦の弓兵たちがぶつかった!
「俺は前方に集中するしかない! 大丈夫だ! こいつらは自動人形! お前の指示が無くても動く! だが万が一の時がある! その時は指揮しろ!」
「ハンニバルさん!」
ハンニバルさんがしゃがみ込んで僕を抱きしめる。
「こいつらは所詮自動人形だ。確かに兵隊としては文句なし。だが不測の事態に陥れば対処できない。例えば、後方に敵が出現したとき、奴らは立ち尽くしたままだ。それがこいつらの限界なんだ!」
ハンニバルさんは僕が何か言う前に突き離すと、駆け上がってきた黒き首なし騎士に切りかかった!
僕は無理だと言おうとした。弱虫な僕には何も出来ないと言おうとした。自殺した僕なんかには何も出来ないと言おうとした。でもハンニバルさんの必死な背中に、僕はついに何も言えなかった。
「みんな頑張って!」
僕にはそれしか言えなかった。何もできない僕にできることは、ただ励ますことだけだ。
まるで、僕が自殺する前に励ました教師やカウンセラーのように。
僕は彼らが憎かった。それなのに僕は今、彼らと同じことしか出来ない。
それが堪らなく嫌だった。
神様、どうか僕の命と引き換えに、ハンニバルさんを助けてください。
「射れ! 射ろ! 遅いぞ! 敵は高々100程度だ! 狙え! 良く狙って放て!」
僕は左辺に集中しつつも前方に横目をやる。
戦況は本来ならば僕たちに有利だ。騎兵対歩兵(剣士)ならばこちらが不利だが十分持ちこたえて居る。そしてその合間に砦から一斉射撃の連携。普通なら僕たちの勝ち戦。だけど黒き者どもの狙いはハンニバルさんと僕だ! 僕が死んでも何にも問題ないが、ハンニバルさんが死ぬとこの戦況は最悪になる! ハンニバルさんの口ぶりだと、指示が無くては、ハンニバルさんが居なければこの自動人形たちはただの人形と化す! それだけは防がないと!
「よそ見をするなナツメ! お前の敵は左辺だ!」
「ハイ!」
とにかく左辺に集中する。
問題ない。敵はこちらに射られていく。確かに素早いがこちらの狙いも射撃密度も敵の戦力を上回っている。
何だろう? 何か嫌な予感がする。
そうだ。敵は獣のはず。なのになぜあいつらはまどろっこしく木々の上を走ったり、木々に紛れて移動する?
「ナツメ! 身を屈めろ!」
咄嗟の声に僕は姿勢を低くする! 黒き槍が頭上をかすめた! 黒き首なし騎士だ! 突破された!
「この首なし野郎が!」
ハンニバルさんが剣で黒き首なし騎士の攻撃をいなす!
左辺の弓兵は! そう助けを呼ぼうと振り向くと絶望する。
左辺を守る自動人形たちは、律儀に左辺だけを見て、左辺の敵だけを射抜いていた。
「よし! お前ら! 二体! 射ろ!」
黒き首なし騎士の体が鋼鉄の弓矢で爆散した。
「ナツメ! 大丈夫か! 目を覚ませ!」
ハンニバルさんに頬を叩かれる。
「あ? ハイ」
「もう大丈夫だ! 危機は去った! もう黒き首なし騎士は居ない! 後は歩兵と巨人を片付けるだけだ! だから! 抱っこしてやるから落ち着け!」
ハンニバルさんにお姫様抱っこしてもらうと、ようやく、ハンニバルさんの臭いで落ち着けた。
「もうちょっとお風呂入ってね?」
「言ってろ! それより、これからは勝ち戦だ!」
前方を見る。黒き首なし騎士は駆逐され、残される黒き者どもは歩兵と巨人だけった。
「弓兵! まずは巨人を射殺せ! 次に歩兵だ! 歩兵隊! 少しずつ後ろに下がれ! 騎兵隊! もう下がれ! お前たちの役目はもう無い!」
歩兵隊が下がる。そして遠くに目を凝らすと騎兵隊が二体の黒き巨人から逃げていくところが見えた。
「騎兵隊があえて間隔を開けていたのは、巨人を狙っていたから?」
ハンニバルさんは頷く。
「巨人は凄まじい力と耐久力を持つ。奴の役目は歩兵を蹴散らし穴を開けること。さすがに奴の一撃に俺の歩兵は耐え切れない。耐えようとするが耐え切れない。そして蹴散らされると穴が空く。そこから黒き者どもが土石流のごとく流れ込む。そうなると左右から黒き首なし騎士と同時にいなす必要がある。さすがにそれは無理だ。こちらの弓矢は一万の軍勢を葬るほどないし、何より黒き首なし騎士たちをいなせなくなる」
「そこまで考えていたんですか」
言って安堵する間もなく突然右辺の弓兵が木々を射る! 見ると木々の上に確かに黒き首なし騎士たちが走っていた!
「性懲りもない! 右辺! 迎撃しろ! その後すぐに黒き巨人へ集中射撃だ!」
ハンニバルさんが命じると同時に、僕はなぜか後方が気になった。
黒き首なし騎士が数体、林から飛び出し、目前に迫っていた!
「左辺! 後方! 射れ!」
僕は叫んだ。黒き首なし騎士が壁面を駆け上がる前に、二百五十の鋼鉄製の弓矢が、黒き首なし騎士の胴体を貫いた! やった! 少しは役に立てた!
「良くやった! これで後は正面だけだ!」
ハンニバルさんに頭を撫でられると、耐えがたいほどに、見悶えるほどに嬉しかった。
「弓兵! もっと巨人を射ろ! 歩兵! そろそろ落とし穴だ! 黒き者どもを落とせ!」
歩兵が引く中黒き者どもは愚直に押す。そして歩兵がぽっかり空いた穴を飛び越えても突進する。黒き者どもは穴を飛び越えもせず、見え見えの落とし穴に突っ込んでいった。
「今だ! 落とし穴の油に火をつけろ! 後は殺せ殺せ! 槍で殺せ! 火で殺せ! 上がったものを優先して殺せ! 弱った奴を優先して殺せ!」
同時に数百の鋼鉄の弓矢を受けた黒き巨人2体が雄たけびと共に倒れた!
「騎兵隊全軍! 弓兵500! 巨人の息の根を止める! 後の弓兵500は落とし穴の歩兵たちを射ろ! 歩兵たち! 黒き者どもを炎から逃がすな!」
後は勝ち戦だった。脅威は去った。それほどまでに圧倒的だった。
僕は何時の間にか、眠っていた。
「目を覚ましたか?」
キョトンと目を見開いてハンニバルさんを見る。なぜか赤子のように抱っこされていた。
「何で僕抱っこされてるんですか!」
慌てて暴れると鼻から石床に落ちる。
「いててて」
ハンニバルさんが大笑いする。
「戦が終わって数時間! 揺すっても目覚めないから死んだと思ったぞ!」
「終わったの!」
「ああ、終わった! 今度ばかりは危ないと思ったが、無事に切り抜けた!」
ハンニバルさんがフラン平原へ目を向ける。そこはまさに戦場というにふさわしい惨状だった。
草原が炎と黒煙で燃え盛っている。地表は爆弾が落ちたように抉れかえっている。木々も草木もすべてが倒れている。そして何より、黒色の血液の海。まるでそれは死の大河のごとく、フラン平原を覆いつくしていた。
まさに地獄絵図だ。生き物など居ない。何も居ない。居るのはただの自動人形。それすらも動きが鈍い。その節々は傷つき、手に持つ大刀や槍、盾すらも持てぬと力なく地面を落とす。そしてマリオネットのごとく火から逃げている。彼らの惨状は見て分かる。今にも死にそう、今にも機能を停止させようとしていた。
「可愛そう」
胸からかすれ声が出るとハンニバルさんに武骨な手つきで頭を撫でられる。
「歩兵や騎兵も腕力や耐久力、そして練度なら屈強なカルタゴ軍の3倍はある。斬馬刀も大槍もお手の物。岩すらも叩き切れる猛者だ。だが相手は黒き者ども。奴らは屈強なカルタゴ、いや、最強といわれたローマ重装歩兵らも軽々蹴散らすだろう。あいつらがもしカルタゴに居たら、ローマに居たら、戦局は変わっていた。俺とスキピオが手を組み、そして、負ける。目に見えるほどの戦力差だ」
ハンニバルさんは朝焼けを睨む。
「黒き者どもの大剣の一振りは盾すらも切り裂き胴を断つ。黒き巨人の一撃は一瞬で戦線に穴を開ける。黒き首なし騎士は一瞬で兵士を皆殺す。あの小娘が俺を呼んだのも無理は無い。この世界には黒き者どもへの勝筋が無い。そして俺にも」
「えっ? ハンニバルさんも勝てないの? 何で? だって勝ったじゃない?」
ハンニバルさんは苦笑する。
「お前は本当に、可愛い奴だ。まさに女みたいな奴だ」
「何で?」
「空気の読めないところが女とそっくりだ」
ムッとしたが、ハンニバルさんが悔しそうに朝焼けを見つめていたから黙った。
「奴らを殺す決め手は弓兵だ。それも特性の鉄弓を持つ弓兵だ。それ以外ではどうしても火力不足となり、歩兵と騎兵は消耗戦。そして何より、黒き首なし騎士を止める術が無くなる。奴らは普通の弓が1,2発あたったところで怯まない。だから、負けた」
「負けた? ハンニバルさんが?」
「この世界の軍師だ。ただ、俺も悪かった」
「どういうことですか?」
「この世界に来た時、俺はこの世界の軍師、名をハヌーンって奴だが、そいつに演習で完勝してやった。ただそいつは中々に勤勉で、素直だった。敗北を素直に受け止め、俺に教えを乞うた。俺は嬉しかった。この世界に来て、初めての教え子だから。だが奴は俺を妄信した。させてしまった。結果、奴は黒き者どもに包囲殲滅を仕掛けた。だがそれは最悪の手だった。奴らの狙いは勝利でなく人の命、たとえ一体になっても暴れ狂う。そして包囲殲滅してもそれは同じだった」
ハンニバルさんの掴む力が強くなり、僕の肩に痛みが走る。
でも僕は何も言えなかった。
むしろ、これでハンニバルさんの気が収まるなら、何もできない僕の唯一の幸せだった。
「包囲殲滅網を敷いたが無駄だった! 黒き者ども一体を倒すのに5人がかりだった! しかもその間に3人薙ぎ払われた! しかも黒き首なし騎士たちの速度! 包囲殲滅をしていると思ったら、あっという間にこちらが殲滅された! 一人残らず! ハヌーンも纏めて! しかも奴らは死体を食った! 食い散らかした! 俺はそこで見ているだけだった! どうやったら勝てるのか、必死に考える事しかできなかった! 今なら自動人形と兵士たちの組み合わせで黒き者どもを殺しつくしたのに! 何が英雄ハンニバルだ! スキピオに負けた時から、カルタゴに裏切られ自殺させられた時から何も成長していない! 俺が甘かった……この世界を救うなど容易いと、暗に見下していた」
ハンニバルさんは黙って僕を抱きかかえながら砦を出る。そして馬に乗る。その間、ずっと、うわごとを口走っていた。
「奴らは強い。だが勝機はある。だがそれには金が必要だ。なぜなら、今日の戦で金貨5枚はすっ飛んだ」
「金貨5枚!」
約38億円だ! そんな金額が、たった一夜にして消えて行った!
「弓と矢が一番金がかかる。あれは特注品だから、弓一つで金貨1枚、矢1000本で金貨一枚。今回、弓が一つ壊れていた。そして弓矢は計3000射った。さらに自動人形たちの装備と馬で金貨1枚。だが何よりも痛いのは、自動人形5000が再起不能となってしまった。まだ5万体あるとはいえ、奴らはどこからともなく現れる死の軍勢。これが後⒑回も続けば負ける。とてつもなく心もとない」
「何でそんなにお金がかかるの?」
砦から朝焼けで顔が神々しく光るハンニバルさんに見とれる。その覚悟は、僕の理解を超えている。太陽に手が届かないのと同じように。
「あっちを見ろ。目を凝らすと、城が見える」
「あれ? あのなんかキラキラ光ってるお城?」
「違う。あれはエーテル国、俺や沖田、アウグストゥスが苦渋を舐め乍ら頭を垂れるくそどもの城だ」
「えっと、じゃああの鷹が描かれている旗が瞬いているお城?」
「あれは不正渦巻く胸糞悪いエーテル教の本山だ。そのもっと奥だ。山のふもと付近にチラリと見えるだろ」
「ん? ……見えた。あれが何?」
「あそこは鉄弓と鉄矢を作るうえで欠かせない鉄、そしてそれを加工するに欠かせない燃料、また軍隊を維持するに不可欠な食料、水、さらには家畜や野菜など様々な、喉から手が出るほど欲しい物資を独り占めするくそ汚い貴族の住処だ! 奴が鉄の値段をつり上げたから! 訳の分からない税を課したからこんなに金がかかる! たとえ特注品でも、本来ならば、今回の損失は銀貨50枚で済むはずなのに! 奴らは今自分たちがどんな状態か把握していない!」
ハンニバルさんはブルブルと震えると、力なくため息を吐く。
「もう朝だ。町まで送ろう」
ハンニバルさんは馬に僕を乗せると黙って後ろへ周り、僕を支えながら馬を走らせる。
僕は何も言えなかった。何か気の利いた言葉は無いか? 探しても何も出てこなかった。
「折角転生したんだ。俺が知っている範囲で、近隣の軍事を教えてやる。知っておけば、せめてどこへ逃げるかぐらいは分かる。まあ、新生フランス帝国しかねえけどな」
「新生フランス帝国?」
「ナポレオンとか、ルイ16世とかゆう奴らが牛耳っている国だ。あいつらも異世界人だ。あの小娘に未来の戦史を聞いたから、すぐに分かった」
「そっか。英雄ナポレオンもこの世界に来てたんだ」
「そうだ。奴は新生フランスライフル師団を持っている。銃ってのは初めて見たが、中々にすげえ。あいつらの元に居れば、少なくとも黒き者どもからの脅威からは逃れられる。ルイ16世とやらのおかげで治安も良いらしい。反対に、新生ドイツ帝国はダメだ。新生ソビエト連邦との争いで疲弊している。だがマルクラインという強固な要塞線のおかげで耐えている。まあ耐えているだけで、国内は疲弊しているから逃げても損するだけだ。新生ソビエト連邦はよく知らん。ただ行くとなると新生ドイツ帝国を横切る必要がある。まあ、止めておいた方が良い。そしてこの国だが」
ハンニバルさんは馬をゆっくり歩かせながら遠くを見る様に、エーテル国のお城、エーテル城を見つめる。
「この国は黒き者どもとの大戦で九割の兵士、数にすると9000の兵士が死んだ。防衛戦力は、この俺に頼っているのが実情だ。頼っているって言うより、こき使ってるの方が正しいかな?」
「ハンニバルさん1人? え? だって国家の危機でしょ? 何でエーテル国は兵隊をハンニバルさんに送らないの?」
「黒き者どもと戦えるのは俺だけだと奉った。まあ、半分は事実だし、黒き者どもと戦っても無駄に私兵や国軍を消耗させるだけだ。面倒事を異世界から来た俺に任せたくなるのも分かる」
「えっと? でも国の一大事だからそんなこと言ってられないんじゃ?」
「そうだ。俺は特別に兵士を要求していない。奴らの言い分も分かるからな。ただ、武器の製造や金の工面を願った。奴らはそれを断った」
「ひょ、ひょっとして、意地悪されてるの?」
頭をポンポンと軽く叩かれる。
「俺も悪かった」
「?」
振り向くとハンニバルさんは空を見上げていた。
「皆が頑張って黒き者どもと戦っていた。そして死んでいった。そんな中、突然よそ者の俺が黒き者どもを倒して英雄面。兵士たちは面白くないし、他の奴らも面白くない」
「でも助かったんでしょ?」
「感謝はする。だが同時に兵隊を持つことなどバカらしくなる。国を守るなどバカらしくなる。戦うなどバカらしくなる。兵士たちのプライドを傷つけちまった」
納得できなくて唸る。するとポンポンとあやす様に頭を叩かれる。
「まあ、この感覚は兵士固有のものだ。ハヌーンと演習で勝った時、ずけずけと欠点を言ってこき下ろしちまったし、兵士が殲滅された後でいきなり英雄面して現れた。信頼の無い奴からいきなり言われたらバカにされているとしか思えない。結果、力量は認めるが、お前の存在が気に食わない。あいつらに悪いことをしちまった」
ハンニバルさんが寂しそうに呟くと僕はせめてもの慰めにと、手綱を握る手を撫でる。
「ハンニバルさんは間違ってないです。ちょっと嫌われちゃったかもしれないけど、絶対に間違ってない。多分、それは兵士さんたちも分かってます。ですから、落ち込まないでください」
ハンニバルさんは、何も言わなかった。ただ泣いているような気がした。なぜか分からないけど背中でハンニバルさんがすすり泣く声を聞いた気がした。
「この国は腐ってる」
ハンニバルさんは沈黙を怒気を混じらせた声で打ち破る。
「兵士たちに嫌われるのは良い。それよりも許せないことは、この国の君主はまるで国を守る気が無い。本来ならば兵士たちに活を入れるのが君主の役目、志願者が居なくても微兵して軍を整えるのが君主の役目、だがエーテル国の君主に貴族どもは己の欲を満たすことだけを優先している! もし俺が破れ、黒き者どもが迫ったら、奴らは真っ先に民を見捨てて逃げるだろう」
今度こそハンニバルさんの声が涙声になった。
「そして俺はそれを変えられない。スキピオが見たら、あきれ果てるだろうな」
そこから僕もハンニバルさんも無言だった。ただ僕は居たたまれなくて仕方なかった。
何で僕には何も出来ないのだろう? 死にたくなる。
市場や曲芸などで雑多に賑わう城下町の大通りでハンニバルさんの馬から降りる。
「ここでお別れだ。昨夜はありがとよ」
「いえ、こちらこそお世話になりました」
本当はもっと一緒に居たかったけど、用事があるようだし、邪魔をしてもいけない。
「あの、昨日ご馳走してくれましたから、これを。少ないかもしれませんが」
銀貨10枚を差し出す。ハンニバルさんはそれを笑って押し返す。
「要らん。それより、昨夜の働きは見事だった。褒美に金貨1枚やる。受け取れ」
びっくりした。そして驚いている間に無理やり金貨を握らされていた。
「ハンニバルさん!」
すぐに返そうと呼びかけるが、ハンニバルさんはすでに馬に乗って方向転換していた。
「ナツメ! 昨夜はよくぞ俺より早く後方の敵に気付いた! もし機会があれば会おう! そして俺と共に戦ってくれ!」
ハンニバルさんは僕が駆け寄る間もなく、颯爽と走り去った。
その後ろ姿を見て、胸が切なくて、嬉しくて、涙が出た。
「もう一度、沖田さんとジャンヌさんに会おう」
あの2人ともう一度話したい。そしてどんな人か知りたい。
そう思った時、僕は一目散に沖田さんの家へ走った。




