恥ずかしがり屋と髪フェチ野郎
「あぁ、そうだったそうだった。思い出した」
姐さんの話を聞きながら、俺も途中からは記憶がかなり蘇ってきて、かなりスムーズにそれを思い出すことができた。そういえば、確かにそんなことがあったな。
きっと覚えていなかったのは、大したことがないから忘れてしまったわけではなく、あまりに鮮烈すぎる痛覚を記憶として記録しておくことを無意識に脳が拒んだに違いない。
「あれは、大丈夫だったのか? 男性は、あぁいうことをされてショック死することもあるのだろう?」
「いや…、ショック死するかどうかは知らないけど、今こうして何事もなく生きてるし、たぶんだいじょぶなんじゃないのか?」
「しかし、近代以降のおそらく全ての格闘技において金的を打つことは禁止されているわけだし、やはり男性にとってそれは危険なことなのだろうことは分かるし、弱者が強者に勝利することに主眼を置いた中国拳法でも金的は一つの絶対的な攻撃として存在していることからもそれが間違いなく一つの有効な攻撃手段だということが分かるぞ」
「そう言われると、心配になってくるな……。前に読んだ格闘マンガに、男は内臓を股間に無防備に付けている、って書いてあったっけ。普通は筋肉とか骨格とか、強靭なものに守られているはずの繊細な内臓がそんなところにあったら、そりゃ狙うだろ、ってさ」
「そうか、そう言われれば確かにそうだ。三木、今さらかもしれないが、一度医者に行っておいた方がいいのではないか?」
「い、いや、そこまでじゃないって……。ほら、今までちゃんと問題なく機能してるし、だいじょぶだって。機能障害とかもないし、な?」
何気なく俺がそういうと、しかし不意に姐さんは顔を赤くしてしまって、顔をそらしてしまった。一体どうしたのかと思うが、目を合わせてくれないのでその真意を今一つ汲み取ることができない。
「ひ、卑猥なことを言うんじゃない…、バカ者め……。堂々とそういうことを、女子に対して言うな……」
「いや、別に、普通にトイレにも行けてるぜ、っていうだけなんだけど…、そういうことって…、あっ、もしかして…、姐さん……」
「あっ、いやっ、私が言ったのも、それだ! まったく、女子に向かって、食事中に、トイレがどうなどという話をするんじゃない、三木! 決して! 私は自慰行為のことなど、考えていないぞ!」
「…、そうだね、姐さん」
姐さんが自爆しているので、俺はやさしく全てを受け入れることにした。大丈夫、俺はそんなこと気にしないさ。俺だって時折、ふいに性的な情動に襲われることがある。俺たちは健全な高校生なんだ、そういうところに思考が至ってしまうことだって、当然あるさ。
幸いにして今のところはないのだが、朝起こしに行ったところで霧子がそういうことをしていても、きっと見て見ぬふりしてやることができるだろう。大丈夫、それくらいのスルースキルはあるつもりだ。しかし、起こしに行って霧子の隣に男が寝ていたら、俺は躊躇なくそいつのことを殴り殺すだろう。
「うぅ…、やめろ…、やさしい顔でほほ笑むんじゃない……! お前が、機能障害などというからいけないんじゃないか……!」
「あぁ、俺が悪かったよ、姐さん」
「やめろ、お前に責任を転嫁して誤魔化そうとしているんじゃない! 勘違いをするな! 私のことを、そういうことをよく考えている、とか誤解した目で見るんじゃない……!」
「考えない、考えないよ、姐さん。俺の言い方が悪かったんだよ。気に病むことはないんだ」
「嘘だ…、絶対に分かっていない……! よせ、誤解したまま、すべてを受け入れるぞ、みたいな顔をするな!」
「誤解なんてしていないさ。俺は姐さんのことを勘違いなんてしてないぜ」
「うぅ…、不覚だ……」
姐さんは、つい口走ってしまったことをひどく後悔しているようだった。しかし一度口を突いて出てしまったものは、メールの本文を削除するように引っ込めることはできないのだ。
しかし大丈夫、俺は姐さんが隠れエロキャラだったなんて勘違いはしない。思春期ってそういうもの、ということなんだ、きっと。
「さぁ、そんなことよりも話を続けようぜ。一生けんめい話をしてれば、きっとすぐにそんな細かいこと忘れるって」
「頼むから…、今すぐに忘れてくれ……」
姐さんが、本気で恥ずかしいようで、顔を真っ赤にしてうつむきこちらを見ないようになってしまった。
だから俺は姐さんがこちらを見る気になってくれるまで一人で思い起こしと検証を進めていくことにした。ひとりでしゃべっていると独り言をずっと言っているみたいで気味悪く思われてしまうかもしれないが、しかしこえも姐さんが復活するまでの少しの間を我慢するだけでいいのだ。
屋上にはあまり人はいないし、別に少しくらいひとりでべらべらしゃべっていたとしても、気にされることすらないだろう。それっぽちのことならば、俺も気にせずしていくことができる。
「話を続けよう。三時前に湖で遊ぶのは止めにして、一回宿に戻って荷物をおいて服に着替え直した。そのあとはお茶を飲んだりお菓子を食べたり、霧子が疲れて寝ちゃったり姐さんが晩飯の前に温泉に行ったり志穂がベットでぼんぼん跳ねてたりしたけど、問題はなかったよな。そこは姐さんも別に突っ込んでなかったはずだと思うし、今になって突っ込むってこともないだろ?」
姐さんは、俺と目を合わせてくれないが、話は聞いてくれているようで小さく俺の問いかけにうなずいて意志表示をしてくれる。俺はそれを見て、話をさらに先へと進めていく。
「で、館内のレストランに晩飯を食いに行ったとき、飯を食った後はそれぞれの部屋に分かれるはずなんだけど俺は戻る部屋がなくて、一部屋しか取れてないってことをみんなに言った。でもまぁ、今さら言ってもしょうがないことだし、って諦めてくれたんだよな。さっき、姐さんが言ったみたいにな」
姐さんは、再び小さく頷いた。俺はそれを見てまたもう少しだけ話を先に進める。もちろん、こんな普通に通り過ぎることができるところが今回の話の肝ということはなく、この後、巨大な問題が俺たちの前に立ちふさがるのである。
「それから、またみんなで風呂に行って、俺は男湯に行くんだけどそれに志穂が素知らぬ顔で着いてきて服を脱ぎだしたから、なんとかそれを阻止して姐さんと二人がかりで女湯に押し込んだ。そのとき女湯の暖簾を二三歩超えたけど、それは姐さんも事が事だからって許してくれたんだよな」
そういえば、常々疑問なのは、どうして志穂が俺にあそこまで懐いているのか、ということだ。もちろん、それなり以上に仲良くしているつもりだし、友だちの中でも上位にランキングされるのは分からないでもないが、まるで俺につき従うようにするほど懐いているのかは、実際のところよく分からなかったりする。
しかも去年のゴールデンウィークでそこまでになっているのだから、間違いなく入学してからそれまでの一か月程度の間に何かがあったのだろうが、しかしそれが何だったか俺には思い当たる節がなかった。絶対に、何か印象に残るようなことをしたんだったら俺が覚えていると思うし、その記憶がないのだからきっと何も大したことはしていないんだと思う。
というか、志穂をここまで屈服させる方法なんて、戦って勝つくらいしか思いつかないのだが、少なくとも俺にはそんな武力はないわけで(当然、志穂の武力は俺がそれまでに滅ぼした他人に迷惑をかけるヤンキーやらなんやらとは比べ物にならないほどの大きさである。もちろんその身体能力が特に目につくが、戦闘能力の方も相当のものらしいとは、姐さんの談である)、当然それに勝つなんてこと出来るはずがない。いや、そもそも俺は志穂と、ゲームで勝負とかいうのはこの間もしているのでなくはないが、肉体言語的な意味で戦ったことは一度もないわけで、勝つも負けるもないのだが。
「そのあと、風呂から上がって髪を乾かしてから寝ることになったんだな、三木」
「姐さん、もう平気なのか?」
「今日はこの話をするためにここまで来たんだ。大丈夫とか大丈夫じゃないとか、言っている場合ではない。しかし、正直に言ってまだ大丈夫ではないから、こちらは見るな」
「あぁ、分かった。志穂は髪が短いから拭いて軽くドライヤーをかけてやったらすぐに乾いたんだよな。あいつの髪は意外と素直で柔らかいから、寝癖がついてもけっこうすぐに直るんだ。だから朝に少し櫛を通せば簡単にいつもの髪型にすることができる」
「私はまっすぐな髪質なうえに外側に跳ねてしまうくせ毛でな。皆藤と同じで櫛を通せば簡単にセットすることができるんだ。まぁ、私の場合はセットするといっても縛ったり結ったりしないで今のように伸ばしたままにしておくだけなのだがな」
「俺は別にいいと思うけどな、伸ばしたままにしてる髪型って。それって結局素の髪がキレイじゃないとできないものだしさ、すごい魅力的な要素だと思うけど」
「そ、そうか? そう言われると、意外と悪い気はしないものだな……」
「霧子も別にポニテで結わなくてもいいんだけどな、俺としては。あれだけ長い髪がさ、こう背中にふわって広がっててさ、風に吹かれてさらさら~って流れたりしてさ…、俺はすごく、いいと思うんだ……」
「三木は、女子の髪の毛が好きなのか?」
「そうだなぁ…、女の子の髪が好きっていうか、髪の毛のきれいな女の子は、好きだな。この間、メイの髪に触ったんだけど、すごい気持ちよかった」
「変態じみたことを言うんじゃない、三木。もっと女の子の姿そのものを見てやれ」
「いや、髪の毛が好きなんじゃないよ? 髪の毛も好きなんだよ?」
「どんな髪でもいいのか?」
「いやいや、個人的にはロングヘアがいい。長い髪がさらさらしているのが、特に好きだ」
「…、まさか、三木、天方が長い髪をしているのは、お前が無理を強いているのではないか?」
「別に無理強いはしないよ。確かに、前に髪は長い方が好きだって言ったことはあるけど、別に短くしたら怒ったりしてるわけじゃないし、霧子の髪は霧子の好きなようにしてるだろ」
「あれだけ長い髪は、やはり維持するのは大変なのだぞ。旅行のときも大変そうに洗っていたし、乾かすときも一生けんめいにやっていたし、もう少し天方の身になってやった方がいいのではないか?」
「いや、どうすればいいんだよ……。切ってやればいいのか……?」
「いや、特に何をしろというわけではないが……」
「あっ、でもあれだぜ。冬とかはさ、首に巻いてマフラーの代わりになるし、たまに俺も巻かせてもらうんだけどさ、意外とあったかいんだ」
「それはまた…、すごいことをやっているな……」
「姐さんもやってもらうといいよ。なんていうか、こうやさしいぜ、いろいろと」
「わ、私は、遠慮する」
「そうか? あんなに霧子のかわいさに包みこまれる瞬間はないのに、もったいないなぁ」
女の子の髪に触るときは、きちんと断ってから触るとか嫌がったらすぐにやめるとか、常識的な範囲でいろいろと気をつけなくてはいけないことが多くて、いろいろ大変なのだ。嫌がる娘は本当に嫌がるし、そうなってしまえばそれから避けられてしまうし、今後の関係を賭けているという意味で、思ったよりも危ない。
しかし霧子は、長年培ってきた関係によって、気軽に髪を触らせてくれる。頭を撫でさせてくれるし首に巻かせてくれるし抱きしめさせてくれるし。いや、髪フェチとかじゃないよ?
あと、最近は志穂も撫でさせてくれる、というか、むしろ俺に撫でさせてくる。あいつはあいつで撫でられるのがだいぶ好きだから、俺と志穂で撫でて撫でられてお互いに充足し合っているのかもしれない。
短い髪は短い髪で、長いそれとは違ってまた風情がある。短いとわしゃわしゃと思い切り撫でてやれるしキレがいいというか、さわり心地がいいし。いや、髪フェチとかじゃないよ?
何度もいうが、髪が好きなのではなく、髪も好きなのだ。霧子はいつでもいっぱいかわいがってやりたいし、志穂はよく懐いてきてくれるのがうれしいし、姐さんだって凛々しくて素敵だと思うし、メイはこれからよさをたくさん知っていきたいし、つまり、問題は髪ではないのである。
髪というのは、その魅力の一つを表すものでしかないのだ。まぁ、いいと思う娘は大抵髪がきれいな娘だけど、別に髪フェチというわけではないのだ。