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夢みるように恋してる  作者: 月城 響
Dream10.Rose Gift  ーローズ・ギフトー
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3.億万長者の器

 良く分からない要求だったが、アンドルーは言われるまま銀行に入って行った。とりあえず人で混み合っている受付に向かおうとすると、ポケットの中から声がした。


「ちゃうちゃう。あっちの人の居ない方の受付や」

「でも向こうは企業の融資とかを扱う方だよ」

「それでええんや。あんなぎょーさん人が並んでる所、待ってられるか」


 でも・・・と反論しようとしたが、なんだかもうどうでもいい気分だったので、何も言わずに誰も居ない受付に行って立ち止まった。受付の女性はこの若い来訪者にふと違和感を感じながら顔を上げた。


「いらっしゃいませ。融資のご相談ですか?」


 アンドルーはなんと答えたらいいか分からず、小さな声で「え・・・と」と言いかけたが、すぐ代わりにピョンが答えた。


「ワイはアルティメデス・エ・ラ・ハザードや。ワイの預金の残高を知りたいんやけどな」


 女性は驚いた顔でアンドルーの顔を見た後、少々ムッとしたように一般客用の受付を手で示した。


「それでしたら、あちらにお並び下さい。こちらは企業様専用の窓口です」

「企業も一般も関係あらへん。ワイはアルティメデス・エ・ラ・ハザードや言うとるやろ。預金の残高を知りたいんや」

「ですから、それは・・・!」


 自分をにらみつける行員にアンドルーがオロオロしていると、行員と客のやりとりに気付いた男性行員が慌ててやって来た。


「これはお客様。何か不都合でも・・・」


 ピョンはポケットの中から目だけを出して彼の名札を見た。


「あんたが支店長か。ワイはアルティメデス・エ・ラ・ハザードやけどな。預金の残高を確認しに来たんや」

「ええ!?」


 支店長は大げさに驚いた後、慌てて別の店員に叫んだ。


「すぐに特別室をご用意しろ。そう特別室だ!」


 命令された行員が飛ぶように奥へ走って行った後、今度は副支店長と2人の男性行員が走り寄ってきて、両側に整列し頭を下げた。


「いらっしゃいませ。アルティメデス・エ・ラ・ハザード様」

「いらっしゃいませ」


 呆然と成り行きを見ていたアンドルーがふと気付くと、銀行内の行員が全員立ち上がって頭を下げている。


“一体何なんだ?アルティメデス・エ・ラ・ハザードって誰なんだ?まさかこのカエル。他人の名を騙ってるんじゃないだろうな。もしそうだとしたら完全詐欺だ。どうしよう。逃げた方がいいだろうか”


 アンドルーがオロオロと考えている間にも、支店長とピョンの会話は続いていた。


「受付の者が大変失礼いたしました。何分新人なものでして・・・」

「かまへんかまへん。ワイも直に店に来んのは初めてやからな。いつもは代理人が全部やってくれるんやが、今日は近くを通りかかったもんでな」

「左様でございますか」


 支店長とアルティメデス(アンドルー)の姿が見えなくなると、受付で固まったように立っていた女性行員が青い顔で副支店長に尋ねた。


「アルティメデス・エ・ラ・ハザード様って・・・まさかあの“誰も顔を知らない億万長者ミリオネア”ですか?」

「ああ。個人としては当行の一番の預金者で、株主でもいらっしゃる。まさかあんなお若い方だったとはな」


 何だかとんでもない事件に巻き込まれそうな予感に、アンドルーは何とかうまく誤魔化してここから逃げようと心に決めた。そうだ。用事が出来たとか何とか言えば・・・。


「しっかりせい、アンドルー。億万長者らしく背中伸ばして歩かんかい」


ー 億万長者? ー


 ポケットから低く囁く声にアンドルーが顔を上げると、支店長がドアを開け、手を差し出している部屋が見えた。ドーマー(天井飾り)の付いた天井から金色に輝くシャンデリアがつり下がっている。中央にあるソファーはダークブラウンのスウェードの革張りで、イタリア製のサイドボードの上には落ち着いた調度品が並んでいた。


 勧められたソファーを見て、アンドルーはゴードン家のリビングを思い出した。ティアナとその両親、そして時折祖父でありゴードン家で一番の権力者であるウィリアム・ゴードンがくつろぐリビングは、それは豪華な家具や調度品が並び、中でも彼ら一家が座るソファーはイギリスでも最高と噂される職人が手作りで作り上げた物だ。


 アンドルーはティアナのお供でリビングに入った事は何度もあったが、ただの一度もそのソファーに腰掛けた事はない。使用人に許されているのは自分に与えられた部屋の硬い椅子に座るだけだった。


 だが今は普通の人間が決して入る事の出来ない特別な部屋に通され、そして一番いい場所に座るよう勧められている。こんな機会はもう一生来ないだろう。だとしたら一度くらい億万長者になりきってみるのもいい。アンドルーはウィリアム・ゴードンがいつもソファーに座る時のように満足そうに微笑むとゆったりとソファーに腰掛けた。


「ただいまハザード様のご預金残高を本店を含めて調べておりますので、もうしばらくお待ち下さい」


 支店長が頭を下げて出て行った後、入れ替わりにペールブルーのスーツを着た女性が入ってきてアンドルーに紅茶を差し出した。随分容姿に自信があるのだろう、女性はお茶を差し出しながら上目使いにアンドルーを見てにっこり微笑んだ。彼女が置いて言った紅茶をぼうっと見ているアンドルーにピョンが声をかけた。


「なかなか色っぽい姉ちゃんやなぁ。今やったらちょっと声を掛けただけで食事くらいすぐに誘えるで」


 アンドルーは小さくため息をつくと首を振った。


「そんなのいらないよ。俺が欲しいのは、あの人の笑顔なんだから・・・」

「ほう、随分と惚れ込んだみたいやなあ。そやけど・・・ナギサはあかんで」


 ドキッとしてアンドルーは思わずポケットの中のピョンを見た。カエルはポケットの口に片方の肘を掛け、手で顎を支えながら大きな口をにやりと歪めている。


「考えてみればいつも小さなお嬢様の付き人ばかりやってるお前等に、年頃の女性と出会う機会なんてそうはないわなぁ。それも結婚を考えるほど相手をじっくり知る機会があったとしたら・・・あの時だけや」


 あの時とは、渚がゴードン家に家庭教師として住み込んでいた時である。アンドルーは一番隠しておきたかった相手に自分の思い人を知られてしまった事を深く後悔した。ピョンにとって渚は特別な存在なのだ。だからそんな事が知られれば、この狡猾でずる賢いカエルが絶対に邪魔をしてくるに違いなかった。


「そやけど、お前の親孝行さと、さっきの姉ちゃんに手を出そうなんて考えもしなかった誠実さに免じて、チャンスを与えたるわ。今から支店長が持ってくるワイの預金高の金額。それをお前の貯金の残高が上回ったら、ナギサにプロポーズするのを許したる。それでどうや?」

「ワイの預金高って、それはハザード氏のものだろう?」

「ピョンちゃん言うのはナギサが付けたあだ名や。ワイの本名はアルティメデス・エ・ラ・ハザード。“誰も顔を知らない億万長者ミリオネア”と呼ばれとる」


ー 嘘だろう・・・? ー


 アンドルーがそう叫びそうになった時、ドアをノックしてさっきの支店長が副支店長と共に入って来た。


「お待たせいたしました。こちらがハザード様の預金高でございます」


 テーブルの上に置かれたマホガニー製のトレイに乗った用紙を見て、アンドルーは顎が外れそうになるほど口を開いた。


“何なんだ?この数字は・・・。1、10、100、1000・・・。俺の預金の何百倍・・・いや何千・・・何億倍か・・・?”


 アンドルーが腰をかがめたままじっと預金残高の用紙を見つめているので、副支店長がおずおずと声を掛けた。


「あの・・・ハザード様。まさか全額下ろされるような事は・・・。そうなりますと、とても一日でご用意できる金額ではございませんし、それに・・・」

「いや、そんなつもりはないで。今日はほんまに残高を確認しに来ただけや。それにそんな事になったらお宅の銀行も困るやろ?」

「はあ・・・」


 支店長達が安心したように笑みを漏らした。


「ほなら、うまい紅茶も飲んだし、そろそろ帰るわ。行くで、アンドルー」


 帰るとなって気の緩んだピョンは、ついアンドルーの名を呼んでしまった。アンドルーまで驚いた顔をして支店長達と共に「え?」と声を上げた。


「ああ、いや、アンドルーいうのはワイの側近の名でな。いつも一緒やからつい名前を呼んでもうた。そしたら、帰るわ」


 その最後の言葉に、アンドルーは弾かれたように立ち上がった。帰る道すがら、全ての銀行員達が深々と頭を下げる中、アンドルーはそれが至極当たり前の様に通り過ぎた。


 銀行の入り口まで見送った支店長は、去って行くアンドルーの背に呼びかけた。


「ハザード様。何かございましたら、いつでもご相談に乗りますので」


 アンドルーが振り向いた後、ピョンが答えた。


「悪いが、ここに預けてんのはワイの小遣いや。他の資産は全てプライベートバンクに預けとる。そやから普通のバンカーに手助けを頼む事はない」


 背筋を伸ばして先ほどのベンチに戻って来たアンドルーは、ほっと一息つくと腰を下ろした。


「何だか良く分からないけど、さっきの言葉、かっこ良かったな。いかにも億万長者って感じがしたよ」

億万長者ミリオネアっちゅうのは単なるあだ名で、世界的な大富豪に比べたら、ワイなんて中級クラスの小金持ちでしかないと思うで。それより金持ちになった気分はどうやった?」


 ピョンの謙遜を本当かな・・・と思いつつ、アンドルーは答えた。


「う・・・ん。最初はドキドキしたけど、その内ゴードンの大旦那様はいつもこんな気分なんだなと思って、彼の様に振る舞ってみた。大旦那様は厳しい方だけど、必ずどこかに余裕を持っているんだ。ビジネスにおいても家族の中に居てもね」


「そうや。それが器がでかいっちゅう事や。一億ポンドの宝くじに当たった人間が2、3年で身を持ち崩して不幸になった話はよく聞くやろ?あれはそれだけの器もないのに、器以上の金を持ってしまった人間の悲劇や。反対に器さえあれば金は自然に入ってくるもんや。金ちゅうのは懐のでかい奴が大好きやからな。そやから何をどうしていいのか分からん時には、とりあえず己の器を大きくする事を考えたらええ。さっき銀行で感じた感覚を忘れん事や。常に億万長者の余裕を持っている事。金持ちを妬んで愚痴をこぼしとう奴の所に、幸運はやっていひんで」






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