2.冬の公園にて
自分の身体と同じ大きさの落ち葉が、冷たい風に吹かれて道路の上を転がっていくのを横目で見た後、ピョンは思わず身体を縮ませた。今日は渚の誕生日なので、授業が終わったあと一緒に食事に行くのだ。
いつもは渚が帰ってから一緒に出かけるので、渚の編んでくれたセーターと鞄の中に入っている充電式カイロ(ロンドンでは使い捨てカイロは少し高いので、渚は充電式を使っている)のおかげであまり寒さを感じた事はなかったが、せっかくの誕生日にいつもと同じでは面白くないからとピョンが外の公園で待ち合わせをしようと提案した。
カエルの足は当然遅いので、待ち合わせの時間の2時間前に家を出たのだが、たまたま通りがかったバスが待ち合わせをしているグロヴナー・スクエアのすぐ近くに停車するバスだったので、後ろの部分にうまく張り付いて来られた。それでたった20分で公園に到着してしまったのだった。
いくら分厚いセーターを着ているとは言え、この寒さはカエルの身には随分辛かった。どこか寒さをしのげる場所はないかと飛び跳ねていると、見覚えのある人物がこの時期には誰も座ることのない冷たい公園のベンチに座って、身体を縮ませながら何かを呟いていた。
「ダメだ。こんな貯金の額じゃ、とても家なんて買えないよ。金がないのに付き合ってくれなんて言えるか?ましてやプロポーズなんて・・・」
「よっ、アンドルーやないか!」
どこからともなく自分の名前を呼ばれてアンドルーはベンチから飛び上がらんばかりに驚いた。何度も周りを見回してから、やっとベンチの上に乗っている小さな存在に気が付いた。
「ピョン・・・」
別に彼に見られる心配は無かったが、アンドルーは手に持っていた預金残高の記された紙を思わず折り曲げた。
「久しぶりやな。ティアナはどうした。一緒ちゃうんか?」
「お嬢様は学校だよ。今日のお迎えはスティーブが行くし、俺は・・・その、何というか、散歩?みたいな・・・」
「つまり暇なんやな」
ピョンの指摘にアンドルーは困ったように眉をひそめた。
ティアナが学校に行くようになって、彼女の無謀な要求の為に走り回ったり買い物に付き合わなくてもいいようになると、アンドルーとスティーブにはほとんど何もする事がなくなってしまった。屋敷に居るたくさんの使用人達はただのお嬢様のお守り役などに仕事を頼んではくれないのだ。
それでも陽気なスティーブはシャツの袖をまくり上げて洗い場を手伝ったり、仲良しの庭師と一緒に芝刈りをやったりと忙しそうにしていたが、不器用なアンドルーはどうしていいか分からず、ぶらぶらするばかりだった。皆が忙しそうに働いている中、そうしているのも苦痛なので外に出るのだが、貯金も少ない彼には暇を潰すために遊ぶ金もなく、仕方なく寒空の中、公園のベンチに座って残り少ない貯金残高を見ながらぼやいていたのだ。
しょぼくれた顔でアンドルーが黙っているので、ピョンは彼の膝に飛び乗った。これで少しは暖が取れる。
「なんや?仕事が減ったから給料減らされたんか?」
アンドルーは苦笑いをすると、首を振った。
「元々少ないんだ。小さな女の子の護衛兼お守りなんてベビーシッターと変わりが無いだろ?大金持ちとはいえ、ゴードン家は商売人の家系だから、その辺はシビアなんだよな」
「へええ」
ピョンが大きな目を見開いて自分をじっと見上げて居るので、やっと話し相手が出来たアンドルーは寒いのも忘れて話し始めた。
「給料を減らされるより、この分じゃ首にならないか心配なんだ。ティアナ様は大分大きくなられたし、付き人なら一人で充分だろ?スティーブは伯父さんの紹介とかでゴードン家に来た奴だから、辞めさせられるとしたら間違いなく俺の方だ。それでなくても金がないのに、このままじゃ家を建てる事も出来ないから、好きな女の子にプロポーズも出来ないよ」
ピョンは預金の残高が書かれてある用紙を握りしめたまま、うつむいたアンドルーを見上げて「家ねぇ・・・」と呟いた。そういえば以前、イギリスではどんなに狭くてもお茶が飲めるガゼボ等のスペースがある庭付きの家を建てるのが一人前の男と認められる証だと聞いた事があった。
「アンドルー、お前、結婚したい女でもおるんか?」
ピョンの質問にびっくりしたアンドルーは、冷たい空気を思い切り吸い込んでしまい、思わず咳き込んだ。そうだ。このカエルは彼女と一緒に暮らしているんだ。それに気付いたアンドルーは慌てて誤魔化した。
「いや、まさか。そういう人が出来たらって話さ。それより今のこの暇な時間を生かして金儲けでも出来ないかなって考えてるんだ」
ピョンは少し不服そうな顔をすると、アンドルーの手に握られた紙をちらっと見てから再び彼を見上げた。
「一つの仕事に100パーセントの情熱をかけられへん奴が成功した試しはないで。くだらん事を考える前に、今の仕事でどうやったら自分が役に立つ人間になれるか考えた方がええんちゃうか?大体何でお前、そんなに金がないねん。真面目に働いて金をためといたら、何とか家の頭金くらいにはなったやろ?」
アンドルーは少し口をとがらせた後、小さくため息をつきながらベンチの背にもたれ、彼の母親に借金がある事を話した。それは母が作った物ではなく、彼の亡くなった父が事業に失敗して残した借金で、母親は必死に働いて借金を返しながらアンドルーを育ててくれた。だから彼は給料のほとんどを母に仕送りしているのだった。
アンドルーが意外に苦労人だった事を知ったピョンは、その手で彼の膝を叩いて微笑んだ。
「なあ、アンドルー。金なんてもんはな、そんなしけた顔をしとる奴の所には決してやって来いひんで。この不況時に職を失う。そりゃ大変やろう。そやけどそれを一つのチャンスやと思うんや。これで自分は自由になった。どんな仕事を選ぼうと、アンドルーの好きにすればええ。自分で事業を興すことだって出来る。
そやけど行動は早よ起こさなあかん。何をしようと考えてる間に、運もチャンスも逃げていく。一つの目標を決めたら、その夢を叶える時を設定するんや。5年後に店を持つ、とかな。そうすれば5年後に店を持つ為には1年後2年後3年後に、どうしていなければならないかが決まる。そうやって近場の目標を一つずつ叶えていけば5年後に店を持っている事になる。
成功者達は苦しい状況に立つ度に思うんや。これは成功する為に必要なステップ。これを乗り越えたらそこに必ず自分の夢見る世界が広がっている・・・とな」
アンドルーは小さくため息をつくと苦笑いを漏らした。
「成功なんて・・・。俺なんかが事業を興してもオヤジと同じように失敗するに決まっている。分かってるんだ。きっと彼女にプロポーズしても振られるって・・・」
「なんや。やっぱり好きな女がおるんやんか。ほんならその子の為にも気張らなあかん。そやな。成功ゆうても何をどうしたらええか分からん人間には難しいやろから・・・」
そう言うとピョンは彼の膝から飛び跳ねて、アンドルーの着ているコートのポケットに飛び込んだ。分厚い毛糸のセーターを着た大きなカエルが中に入っているのでポケットはかなり不格好に膨らんだが、ピョンはお構いなしに中でくるっと回転するとポケットから顔を出した。
「ほんならちょっと寒いし、そこの銀行で茶でも飲もか」
「え?」
ピョンが指定した先にはアンドルーがわずかな貯金を預けているウェスト・チャーチル銀行があった。
“銀行でお茶なんか出してくれる訳がないじゃないか”
そうは思いつつも、確かにここに居るより銀行の中は暖かいので、ピョンに言われるままアンドルーはウェスト・チャーチル銀行に向かって歩き出した。
銀行の入り口でピョンはアンドルーの緩んだネクタイを締め直させ、北風に乱れた髪も整えさせた。
「ええか?必要な事は全部ワイがしゃべるから、お前は口パクだけしとったらええ。ほな行こか」




