4.オルバインの奇行
大きな透明の瓶の中に何十匹もの何かがうごめいている。緑や茶色のその生物は、捕らわれた瓶から這い出ようともみくちゃになりながら必死に手足を動かしていた。
「カエル・・・?」
ミゲルの小さな呟きにアーノルドも頷いた。あまりの気味の悪い光景に手足が震えてくるのを感じた。
オルバインは瓶の上から取った布をその横に広げると、瓶の中から一匹の蛙をつかみ出した。逃げようともがくカエルを別の小さな瓶に移し、その布の中央に置いた。よく見ると白い布には何か図形か文字が書いてあるようだ。
彼はおもむろに立ち上がると、ゆっくりとグランドピアノの蓋を開け椅子に座った。ピアノの音色が流れると同時にしわがれた低い声でオルバインが歌を歌い始めた。
固まったようにその光景を見ていたアーノルドとミゲルは顔を見合わせた。あまりに下手で最初は良く分からなかったが、その曲は確かにさっき渚が礼拝堂で歌っていた曲だったのだ。歌い終わるとオルバインは立ち上がって布の中央に置いた小さな瓶をのぞき込んだ。
「こいつはダメだな。もう少し大きい奴で試してみよう」
ブツブツ呟きながら瓶の中のカエルを大きい方の瓶の中に戻し、入り口まで這い上がってきた大きなカエルを掴んで小さな瓶に押し込んだ。そして又同じ事を繰り返す。アーノルドにはオルバインが何をやっているのか、さっぱり分からなかった。
「あいつ、頭がおかしくなったのかな」
「分からないのか?あいつはナギサ先生のカエルと同じ物を作ろうとしているんだ」
「ナギサ先生のカエル?」
「つまり“しゃべるカエル”さ。あの布に書かれているのは悪魔を召喚する時の呪文だ。ヘブライ語で“地底に眠る魔物達よ。我に仕える小さき物を与えよ”って書いてある。きっとナギサ先生はあの歌を歌って小悪魔をカエルに召喚したんだ。それを知ったオルバインは自分も同じ事をして、悪魔の憑いたカエルを手に入れようとしているんだよ」
ー それってつまりナギサ先生が本物の魔女って事か・・・? ー
アーノルドは恐ろしさに体中の毛が逆立った。
「も、もし悪魔が召喚されたら僕達どうなるんだ?いきなり生け贄にされちゃうんじゃ・・・」
「大丈夫だよ。あんな下手くそな歌で成功するもんか。あれじゃあ悪魔だって気分を悪くするさ」
そう言いつつミゲルはコートの前ボタンを開け、服の中から何かを取り出そうとした。だがたくさん着込んでいるせいでなかなか見つからないようだ。
「何を探してるんだ?」
「スマホ・・・確かこの辺に入れたはずなんだけど・・・」
アーノルドはびっくりした。携帯電話やモバイルはミシェル・ウェールズの中に持って入ってはいけない物だ。戒律の第102条にしっかりと記されている。もしばれたらシスター・エネスがこう叫ぶだろう。
『このミシェル・ウェールズに悪魔の機械を持って入るなんて!一週間の謹慎です!その間礼拝堂の床を全て手で拭き上げなさい!!』
ミゲルがこんなチャレンジャーだとは思わなかった。アーノルドが青くなっている間にミゲルは目当ての物を見つけ出し操作し始めた。
「ど、どうするんだ?」
「写真を撮って校長に見せるんだ。悪魔を召喚している事が分かったら、間違いなく辞めさせられる」
「だ、ダメだよ。そんな事したらミゲルがスマホを持っている事もばれちゃうよ」
「構うもんか、一週間の謹慎くらい。あいつを追い出せるんなら」
「謹慎だけじゃ済まないよ。悪くしたら退学になるかも・・・」
思わずミゲルの手を掴んだ。
「放せよ。あいつを追い出してやるんだ」
「ミゲル・・・!」
「誰を追い出すんだ?」
低くしわがれた声が頭の上から響いた。少年達は恐怖で腰が抜けたように冷たい床から目の前に立っている男を見上げた。スマホは音を消していたが、操作をする時には、暗い中でもよく見える光を発するのだ。オルバインの頬に刻まれた深いしわをその光がぼうっと浮かび上がらせた時、初めて彼等はその事に気が付いた。後悔する間もなく彼等は襟首をつかまれ、音楽室の中へ引きずり込まれた。オルバインは乱暴に彼等の身体を教室の奥へ投げ込むと、入り口のドアを閉めた。
ー 何で、何で僕はこんな所に来てしまったんだ・・・? ー
じりじりと迫って来る恐怖に、アーノルドは気が遠くなりそうだった。その横で倒れていたミゲルは身体を起こすと、燭台を持って近づいてくるオルバインに果敢にも叫んだ。
「お前は悪魔だな!」
それはちょっと飛躍しすぎだろうと思ったが、目の前に居る男はそれほど恐ろしい形相をしていた。
「はて、何の事かな?」
「しらばっくれるな!そこに書いてあるのは魔法陣じゃないか。悪魔を呼び出すつもりだったんだろう!」
オルバインはニヤリと目を細めるとその布を拾い上げ、燭台の炎にかざした。途端に布は炎に包まれ、彼の足下にパラパラと燃えかすだけが落ちていった。
「さてどうするね?ミゲル・ストラット・フォード君」
「こ、校長に言いつけてやる。僕らは見たんだからな」
「証拠は何もない。写真も撮っていないのだろう?私は校長先生の許可を得てここに居る。さて。教師である私と、夜中に不法侵入していた生徒のどちらを校長は信じるかな?」
ー 絶体絶命だ・・・! ー
きっとこの先オルバインは僕達を徹底的にいじめるに違いない。いや、もしかしたらこの一件をネタに退学に追い込むつもりかも・・・。
「か、勘弁して下さい、オルバイン先生。僕達こんな所に来るつもりはなかったんです。ちょっと教室に忘れ物をして・・・」
「アーノルド!命乞いなんかするな!」
「でも・・・」
「確かに命乞いは無駄だな。アーノルド・イエーリー君」
オルバインはアーノルドの胸ぐらを掴んで締め上げると、苦しそうに歪めている顔に燭台の炎を近づけた。
「お前達にもはや助かる術はない。退学は覚悟するんだな」
「アーノルドを放せ!」
ミゲルが立ち上がってオルバインに突進したが、簡単に片手で突き飛ばされ、今度はたくさん並んだ机の中に突っ込んだ。
「ミ・・・ゲ・・ル・・・」
アーノルドは涙と鼻水の入り交じった声でうめいた。もうダメだ。きっと僕は殺されるんだ。ああ、短い人生だったな。父さんや母さんやいつも偉そうな兄さん達にも、もう会えなくなるんだ。クリスマスに食べたチキン、美味しかったな。今年のプレゼントは僕の欲しかったゲームなのに、もう家に戻ってする事も出来ないんだ・・・。
アーノルドが短い人生を儚んでいると、急に入り口のドアが開いてまばゆい光が教室の中に向けられ、力強い声が響いた。
「止めなさい!」
眩しい光に目を細めて見ると、ひどく怒った顔の渚が入り口に立っていた。
「一体何をされているんです?オルバイン先生。こんな所に子供達を連れ込んで」
「連れ込んだわけではない。夜中に不法侵入していたこいつらをわしが捕まえてやったのだ」
「だからって怪我をさせてもいいんですか?」
渚は倒れた机の側でうずくまっているミゲルに駆け寄ると、彼を助け起こした。
「アーノルドを放して下さい。今夜の夜警担当は私です。彼らの身柄は私が預かりますわ」
「フン。お優しいナギサ先生の事だ。どうせ何もなかった事にするんだろうが、わしはそんなに甘くはない。こいつらにはしかるべき処分を受けさせる。わしの大切な実験を邪魔したんだ。許しておく訳にはいかん」
渚は床の上に置かれた瓶を訝しそうに目を細めて見た後、もう一度オルバインを見据えながら立ち上がった。
「そうはいきません。アーノルドを放しなさい。彼等は私が預かります」
「このわしに命令するのか?期間講師の分際で」
「期間講師でも今はあなたと同じミシェル・ウェールズの教師です。2人を返して下さい。今すぐに!」
オルバインは憎しみの目で渚をにらんだ。この恐ろしい男を相手に一歩も引かない渚にアーノルドは驚きと感動を覚えた。だがそれと同時に渚にはやはり何か特別な力があるのかも知れないとも思った。
オルバインはしばらく渚の顔をにらみ据えていたが、ふと彼女のコートのポケットに目をやり含み笑いを漏らした。
「いいだろう。その左のポケットの中に入っている物を出して見せたらな」
思わずドキッとして渚はポケットの膨らみを押さえた。
「それとこれと何の関係があるんです?」
「関係は大いにある。わしはその為にここに居るのだからな。さあ、そのポケットの中の物を出すのか出さないのか、どちらなんだ?」
渚は困った顔でうつむいていたが、やがて諦めたようにため息をついた。
「この中の物を出したら、2人を返してくれるんですね」
「いいだろう」
「分かりました。少し恥ずかしいけど・・・」




