第一話 雨の残響
百年前。
世界は、一つのAIを巡る戦争によって崩壊した。
富裕層が支配する上層区。
犯罪と貧困が渦巻く下層区。
分断された巨大都市で、人々は“感情”を力へ変える異能――《ECHO》を扱う。
十歳で発現するその力は、怒りや悲しみ、執着を糧に強大化し、ときに人を壊した。
下層区で廃時計台に暮らす青年・タクトは、自身の力を隠して生きていた。
かつて統制局に所属していた父は、ある日突然“反逆者”として公開処刑される。
父は最期まで、タクトの力を守り続けていた。
「その力は、いずれ世界を救うかもしれない」
その言葉だけを残して。
ある雨の夜。
タクトは裏路地で、薄汚れた少女・チカを拾う。
彼女は統制局から逃げ出した“被検体”だった。
そしてその出会いをきっかけに、止まっていた運命が動き始める。
感情を武器に変える力。
腐敗した統制。
壊れかけた都市。
これは、感情を捨てられなかった者たちの物語。
感情を捨てた世界で、
それでも人間であろうとした者たちの物語。
第一話
雨の残響
雨は嫌いだった。
下層区に降る雨は、汚れている。
煤けた高層建築を伝い、壊れた排熱ダクトを流れ、油と血の臭いを混ぜ込んで落ちてくる。
フードを深く被ったタクトは、薄暗い路地を無言で歩いていた。
靴裏で水たまりを踏む。
遠くでサイレンが鳴る。
誰かが笑っていた。
誰かが殴られていた。
そんな音は、この街じゃ珍しくもない。
「……いたぞ」
低い声。
ふと、タクトは足を止めた。
路地裏の奥。
三人の男が、何かを囲んでいる。
「抵抗するなよ?」
「いいから大人しくしろよ。ガキ」
薄汚れた毛布。
その奥で、小さな少女が震えていた。
白い髪。
痩せ細った腕。
裸足。
そして赤く濁った瞳。
「高く売れそうだなァ?」
男が少女の髪を掴む。
「ッッ!!」
少女は声を上げない。
ただ、じっと男を見ていた。
感情のない目だった。
「……離せ」
男たちが振り返る。
「あ?」
タクトは一歩だけ前へ出た。
「その子から手を離せって言った」
「なんだテメェ。ヒーロー気取りか?」
男の一人が笑いながら鉄パイプを振り上げ
る。
次の瞬間。
空気が軋んだ。
「——っ!?」
男達の顔が歪む。
タクトの周囲に、黒いノイズのような粒子が滲んでいた。
感情粒子――《ECHO》。
「チッ……能力者か!」
「逃げろ!」
男たちは後退する。
だが遅かった。
タクトが手を振る。
瞬間、男たちの“恐怖”が形を持った。
黒い刃。
歪な感情の塊。
それが鉄パイプごと男を吹き飛ばす。
壁に叩きつけられ、鈍い音が響いた。
残る二人は悲鳴を上げて逃げていく。
タクトは追わなかった。
黒い粒子が霧のように消えていく。
少女だけが、その場に残っていた。
「……立てるか」
少女は答えない。
ただ。
「……タクト」
名前を呼ばれた。
タクトの眉がわずかに動く。
「なんで知ってる」
少女は黙る。
雨だけが降っていた。
遠くで、時計塔の鐘が鳴る。
止まったはずの時計台から。




