犬
四歳になる長女の花緒には、彼杞に似たのか動物が懐き易いようだった。
或る日、子守の使用人に連れられ、広場で友達と遊んで帰ってきた花緒は、汚れた子犬を抱えていた。
お友達、とべそをかく。
皆と走り回っているうち、何処からか現れて花緒の後をよたよたついて来てしまったと言う。
ぼろ布みたいだったから、置いて帰りましょうと子守が勧めたらしい。しかしながら、お友達だと駄々をこね、連れて来たようである。
出がけは綺麗だった幼子の服が、見事に抜け毛や泥でぐちゃぐちゃになっていた。子守が平身低頭の勢いで、申し訳ありませんと繰り返した。
「子供の服なんて、身体がちょっとは汚れなきゃ儲けものって感じで着せてるようなモンでしょ」
彼杞が目を細めると、丹亜も同意してくれた。
取り敢えず、我が家には生まれたばかりの息子も居るので、子犬は清潔になってもらうことにした。
彼杞が拾い上げて庭に運んで行こうとしたら、何を勘違いしたのか花緒が号泣した。丹亜がなだめるのに苦労していた。
餌を与えてから洗ってみれば、子犬は金茶色の柔らかな毛をして、実に可愛らしかった。毛色がそっくりで、かみさん、と呼びたい気分である。
ただ、子犬はオスだった。
草原の番犬のようにはいかないだろうが、ある程度の訓練を施して家で飼おうと決まった。
花緒は大喜びした。その日は子犬の横で、一緒に丸くなって眠った。
なんて名前にしようかと、彼杞も丹亜ものんびり構えていた。
子犬はやはり、花緒と彼杞にとりわけ懐いた。
娘は、人間の友達と遊ぶ時間を減らしてまで、犬の友達と過ごす日もあるようだった。
一週間ほどして、花緒がやたらに、ジー、と発言していることに彼杞は気づいた。どうも、子犬に向けて言っている。
何の躾だろう。
座れ、待て、伏せ……その辺のことを、つたない言葉で命じているのか。
犬への指示は明確且つ統一しておいた方がいい筈で、彼杞は夕餉を囲んだ時に娘に尋ねた。
「ジー、って何」
花緒は、何を当たり前のことをと言いたげな顔をした。
「名前よ」
「えっ」
彼杞と丹亜は同時に声をあげた。
「どうしてその名前?」
丹亜が不思議そうに問を重ねた。彼杞も是非に知りたくて娘を見やる。
花緒は小さな手で掴んでいた匙を、行儀良く一度置いた。
「父様と母様、よくお話ししてる。ジーのこと。大事なお友達の名前。ハナもだから、大事だから、ジーはジーなの」
丹亜は微かに眉を寄せ、彼杞は小首を傾げた。
「もしかして、ネンじいのことかい?」
「ソレ! ジー!」
満面の笑顔で言われ、彼杞と丹亜は思わず顔を見合わせた。
子犬が、ふるふると尻尾を振って花緒の足元に駆けてきた。自分はジーだと、もはや認識してしまっているようだった。
「よりにもよって、ネンじいか……」
寝台で寝入った花緒の傍らで、彼杞は頭を掻いた。
それだけ自分達は話題に出していたのだなと、今更ながら思い知る。十六年前に旅立った、彼のことを。
「いい名前」
横に立つ丹亜が微笑した。
赤子への授乳と議会議員職をこなし、少しやつれたような横顔だったけれど、彼杞のかみさんは今日も凛としている。
「いずれ、わたし達と似た経験をするね」
「――あぁ……」
そうだ、犬の寿命は……
「いい経験になるだろうな。動物は、ひたむきに生きるし」
丹亜は静かにそう言うと、慈しみのこもった眼差しで娘の寝顔を見た。
彼杞はそんな妻の手を、そうっと包む。
ほんのり笑んで、丹亜は肩に頬を寄せてきた。
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