捜査file.1 鬼の去に居と筋肉狐
東京下町の裏路地。
古書店の奥に隠された地下も含む巨大な施設。その地下フロアで、山田迅(コードネームJ)はこめかみを抑えながら、心の中で深いため息をついていた。
その目の前では、見上げるような体躯の男__九尾の狐(コードネームQ)が、地価の支柱代わりに据えられている巨大な木彫りの黒壇テーブルを片手でひょいひょいと持ち上げて上腕二頭筋を追いこんでいる。Qの着ている仕立てのいい高級スーツの肩口がミシミシと不穏な音を立てていた。
「……Q。俺は『やるな』と言ってるんじゃない。『その服を着て、ここではやるな』と言っているんだ。」
「細かいことは気にするなよJ。筋肉ってのは思い立ったその瞬間に刺激を与えてやらなきゃ、喜ばないんだ。」
「…俺の胃は、その高級スーツのように悲鳴を上げているがな。」
「失礼な。俺のトレーニングはお前の精神鍛錬にも一役買っているはずだぞ。」
Qは穏やかな笑顔で言い放ち、さらに可動域を広げようと腕を引いた。その瞬間、ブツッ!とジャケットの縫い糸が弾け飛ぶ音が地下室にむなしく響く。
…はい、破れた。今月三着目だぞ…。経理の書類に「筋肉による破損」はなんて書けはいいんだ?
Jが頭痛を堪えるように目を閉じたその時、壁一面のモニター群が青く明滅した。モニターに映し出されたのは、ヘッドセットを付けた青年__神条蓮司(コードネームE)はキーボードのブラインドタッチを止めずに振り返る。
『J、Q。楽しんでいる所悪いんだけど、Bossからお呼び出し。神鳴村の件、動きがあったよ。』
「遊んでいたんじゃない、ワークアウトだ。」
「…俺は…胃痛に耐える訓練。」
Qがテーブルを静かに下ろす。その隣のデスクでは、芦屋陰陽師の末裔である芦屋詩織(コードネームN)が、モニターの横に浮かべた数枚の式札を指先で弾いていた。
「ただの地上げトラブルじゃありませんね。現地から送られてきた映像、画素の裏に嫌な妖気がこびりついています。…多分、達の悪い『野良』を飼ってますねあの業者。」
野良、か。人命を軽視して妖の力に頼る連中か…。ろくな最後じゃないだろうな…。
Jはマグカップを置き、ジャケットのボタンを留めた。
「Q、行くぞ。」
「今日は俺のか?それともJの?」
「前回は俺が車を出したんだから、今日はお前が出せよ。」
「チッ…了解。途中に飯の美味い道の駅があるんだよ。名物の豚汁うどん驕ってくれよ。」
「今日の活躍次第だな…。ただし、お前がその無駄な筋肉で、これ以上スーツを破壊しなかったらだ。」
二人が出口に通じる地上行きのエレベーターのドアに向かうと、特別に設えられた小上がりの和室から、カタリと茶たくが鳴る音がした。
着物をきた小柄な老婆__室長であり、Bossのお初が、湯気が立つ湯呑を手に二人を見送っている。
「J、無茶はするんじゃないよ。Q…お前さんはそれ以上服を破いて帰ってきたら、修繕代は給料天引きだからね。」
「…マジかよ、Boss!それだけは堪忍してくれ。」
数千年を生きる九尾の狐が本気で嫌そうな顔をしてのを見てJはほんの少しだけ口角を上げた。
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「……だから言ったんだ。この生地は横の引っ張りに弱いとあれほど。」
黒塗りのセダンが高速道路を滑るように走る車内。J(山田)は助手席でこめかみを指で押さえながら、ため息をついていた。
「細かいことを気にするなよ、J。要はこれ以上…破かなければいいんだからな。」
「俺の胃は悲鳴を上げてるがな。お前、今月に入ってもう何着スーツを破いてると思ってるんだ?」
運転席のQ(九尾)は、爽やかな笑顔でハンドルを握っている。筋骨隆々の体躯には、仕立ての良い高級スーツがやけに窮屈そうだ。
その時、ダッシュボードのモニターが青く明滅し、車内にE(神条)とN(芦屋)の声が響いた。
『J、Q、聞こえる? 現場の「神鳴村」についてのブリーフィングを始めるよ』
画面に、悪徳開発会社「マジェスティ・ホールディングス」の社長の顔写真と、建設予定地のマップが映し出される。
『標的はマジェスティ社の悪徳社長。重田和也。表向きはカジノリゾート開発だけど、裏でタチの悪い「野良あやかし」を雇ってる。神社を強引に撤去しようとして、反対する村人たちを次々と原因不明の昏睡状態に陥らせてるんだ。』
続いて、Nの澄んだ声が割り込む。
『現地から届いた映像を解析しましたが、村人たちの生命力が「何か」に吸い上げられていますね。神社にある古びた祠は、土地の荒ぶる霊気を押さえつける「蓋」の役割を果たしています。社長の狙いは、祠を破壊して解き放たれた邪気をあやかしに喰わせ、一気に力を増幅させることです。』
Jは腕を組み、冷ややかな目でマップの配置を頭に叩き込んだ。
「なるほど。ただの地上げじゃなく、村人の命を対価にしたあやかしの育成か。」
「どう動く?」
「正面から潜入して、社長とその用心棒どもを叩く。お前が目立つ動きをして敵の注意を引きつけろ。その間に俺が祠の陣を解除し、村人たちの生命力を連動させている『術の根っこ』を絶つ。」
「了解だ。派手に暴れればいいんだな?」
「スーツをこれ以上破かない程度にな。……E、N、現場の監視カメラと通信網のハッキングを頼む。」
『任せて! バックドアはすでに確保済み。現場の映像はリアルタイムで追えるよ』
『ご武運を。現場には一般の警察官も1名、単独で潜入しているようです。巻き込まないようご注意ください』
「一般の警察官……? 了解した。」
Jは通信を切り、静かに拳銃の弾倉を確認した。
千葉と茨城の県境に位置する過疎村、神鳴村。
その村はずれにある山道で、地元の交番勤務・佐々木康太巡査は、草むらに身を潜めながら絶望的な顔で双眼鏡を覗き込んでいた。
「事故なわけねえだろ、こんなの……。」
建設大手「マジェスティ・ホールディングス」が進めるカジノリゾートの開発現場。
そこでは重機が打ち捨てられ、巨大な鳥居と古い祠を囲むように、黒い作業服を着た男たちが立っていた。
だが、動きがおかしい。男たちの関節はまるで壊れた人形のようにぎこちなく、何より——その背後に漂う「黒いモヤ」のようなものが、真昼の太陽の下でユラユラと蠢いている。
本庁に『現場の状況がおかしい』って報告しても『疲れだろ』の一点張りだし……ちくしょう、なんで誰も信じてくれねぇんだよ!
佐々木が心の中で愚痴をこぼした、その瞬間。
「双眼鏡のレンズ、光って目立ってるぞ。」
「うわあっ!?」
耳元で急に声をかけられ、佐々木は狂ったように跳ね上がった。地面に尻餅をつき、慌てて拳銃のホルダーに手をかける。
「だ、誰だ! 不審者か! 俺は警察——」
「知ってる。胸の階級章を見ればわかる。」
見下ろしていたのは、すっきりとした仕立てのスーツを着た、冷ややかな目つきの男(J)だった。
そしてその隣には——
……でっっっか!? なんだこの男、壁か!? 人間か!?
見上げるほどの長身に、スーツの上からでもわかる異常な肉体美。サングラスを少しずらして爽やかに手を振ってくる男(Q)。
「どうも、お巡りさん。怪しい者じゃありませんよ。ただの観光客です。」
「嘘つけ! こんな廃神社にどんな観光要素があるんだよ! 景色しかねえだろ!」
佐々木の悲鳴のようなツッコミに、Jは顔色一つ変えず、静かに現場の方へ目を向けた。
「……あちらさんもただの仕事じゃなさそうだ。……さて、俺たちは観光の時間だ。」
現場では、マジェスティ・ホールディングスの社長・重田和也が、祠に向かって指示を出していた。
「叩き壊せ! そんな古い祠があるから、カジノの工事が進まんのだ!」
バカが。あの祠は土地の地脈を抑える『蓋』だぞ……!
無線越しにEとNの声がJのイヤホンに届く。
『J! ダメだ、あの社長、裏で契約したあやかしに祠の結界を破らせようとしてる!』
『地脈の霊気が暴走したら、村全体が飲み込まれますよ!』
「了解だ。」
Jが短く答えた直後、祠がメリメリと音を立てて崩壊した。中から噴出させたど黒い靄が、巨大な影の化け物——「悪鬼」となって姿を現す。
「ヒ、ヒギャアアアア!? 何だあの化け物!!夢!? 俺、疲れてんのか!?」
混乱で現場に飛び出した佐々木が腰を抜かして叫んだ。それを目印にしたかのように悪鬼めがけて振り下ろされる。
ああ終わった、俺の人生26年、こんな意味不明な化け物に踏み潰されて終わるのか——!
佐々木が目を瞑った瞬間。
ズドォン!!
重厚な打撃音が山にこだました。
佐々木が恐る恐る目を開けると、目の前に広がっていたのは信じられない光景だった。
Qが破けたスーツの袖から丸太のような腕を剥き出しにし、悪鬼の巨爪を素手でガッチリと受け止めていたのだ。Qの足元の地面が同心円状に激しく砕け散る。
「おい巡査、口を閉じろ。虫が入るぞ。」
「えええええ!? 爪を!? 素手で受け止めの!?? 腕力どうなってんのこの人!?」
「J! こいつ案外いい筋をしてやがる! …だが長時間は骨が折れるぞ!」
「少し耐えろ、Q。」
Jは乱闘の喧騒の中、一人冷静に周囲の地形と「気の流れ」をスキャンしていた。
妖の本体は祠ではない。四方の鳥居に刻まれた『風水の逆陣』から村人の生命力を吸い上げ、再生のエネルギーに変換している。……だからQがいくら殴っても切りがない。
「カラクリさえ分かれば『詰み』だ。」
Jは胸ポケットから四枚の特殊な陰陽符を取り出し、いまだ腰を抜かしている佐々木の襟首を掴み上げた。
「おい、 死にたくなければ走れ! 東西南北の四つの鳥居の柱に、この符を貼ってくるんだ!」
「えっ、俺!? 警察の仕事に『お札貼り』なんて聞いてないよ!?」
「今すぐやらないと、お前も村人も全員あの化け物の胃袋行きだ。……走れ!」
Jに力任せに尻を蹴り飛ばされ、佐々木は「チクショウ!」と泣き叫びながら死に物狂いでダッシュした。
「来んな化け物! 俺にはまだやり残したことが山ほどあるんだよ!」
迫り来る悪鬼の触手を絶妙な紙一重のドタバタでかわし、一番目の鳥居へスライディング気味に符をペタッと貼り付ける!
『E! N! 符の同期はどうだ!?』
『バッチリ! 佐々木巡査が貼った符からバックドアを仕掛けたよ! 地脈の回路、乗っ取り完了!』
『陣の流れを反転させます!』
Jが不敵に口角を上げた。
「Q、離れろ。」
Qがバックステップで悪鬼から跳んで距離を取った瞬間、Jが手元で印を結んだ。
地脈の流れが急速に逆流し、悪鬼が吸い上げていた邪気が一気に四方の鳥居へと吐き出されていく。
「な、なに!? 鬼の力が……消えていくだと!?」
悪徳社長が悲鳴を上げた。悪鬼は自らの溜め込んだ過剰な霊気に内部から蝕まれ、風船のように膨らんだ末、虚しく爆発して黒い煙となって霧散した。
「ば、バカな……! 俺の完璧な計画が……!」
ガタガタと震える社長の前に、Jが静かに歩み寄る。
「お前の計画は、あまりにも人間を傷つけすぎた。ロジックも霊力も足りなかったな。——詰みだ。」
逃げ出そうと背を向けた社長の首筋を、Qが指先ひとつでデコピンすると、社長は白目を剥いてそのまま地味に崩れ落ちた。
◼️◼️◼️
事件解決後。
東京・下町の古民家。その地下に広がる極秘本部。
佐々木康太は、重厚な革張りのソファに深く腰掛け、出された高級そうな煎餅をボリボリと無心で噛み砕いていた。
直前まで「あのくらいやつって何!?」「あの筋肉怪物は何者!?」と金切り声を上げてパニックになっていた男とは、まるで別人だった。極度の混乱と恐怖がキャパシティを超えた結果、脳のスイッチがカチリと切り替わり、一周回って恐ろしいほど冷静になっていたのだ。
……待てよ。冷静に整理しよう。巨大な化け物、素手で爪を受け止める筋肉スーツ男、冷徹に札を貼らせる男、そして遠隔で指示を出していた謎の声……。
佐々木は温かいお茶を静かにすすり、目の前に座る着物姿の老婆——お初(BOSS)をじっと見つめた。
「……で、おばあさん。俺をここに連れてきたってことは、消される…系とか?」
お初は湯呑みから立ち上る湯気を楽しむように目を細め、静かに茶たくを置いた。
「消すなんてとんでもないよ、佐々木巡査。今日からお前さんは、コードネームS。私たち対異界極秘潜入捜査班——通称『S.I.C.S』のメンバーだ。」
「S.I.C.S……?」
佐々木が眉をひそめると、後ろでアームチェアに深く腰掛けていたJが、コーヒーカップを手に補足した。
「正式名称は『Special Ikai Crime Service』。警視庁・異界犯罪特別捜査班だ。」
お初がゆっくりと頷き、その小さな瞳に底知れない光を宿らせる。
「現代社会が複雑化するにつれて、人間の欲望に引き寄せられた『悪質なあやかし』や、それらを利用して私腹を肥やす悪徳人間が増えてね。表の警察機構では扱えない、裏の怪異犯罪を専門に追い詰め、社会の影で処理するのが我が『S.I.C.S』の発足理由であり、唯一の任務さ。」
「表に出せない警察の裏稼業、ってわけか……。」
佐々木は手の中の煎餅を見つめ、少しだけ思案した。
交番勤務の巡査長。日々の雑務に追われ、本庁の上層部からは現場の報告を突っぱねられる毎日。そんな中で、自分はずっと何を望んでいたのか。
佐々木はお茶を飲み干し、お初をまっすぐに見据えた。
「……なぁ、おばあさん。一つ聞いてもいいか?」
「なんだい?」
「俺は元々、刑事になりたかったんだ。事件を追って、悪党を捕まえるデカに。……この『S.I.C.S』に入れば、俺は刑事になれるのか?」
その問いに、お初は一瞬だけ意外そうに目を丸くし、やがて満足そうに口元を破顔させた。
「ハハッ、いい眼をするねぇ! 刑事どころじゃないさ。お前さんが追うのは、表の警察じゃ手も足も出ない本物の悪党どもだ。事件を解決し、人を護る——その意味じゃ、ここ以上に『デカ』らしい現場もないよ。」
「……決まりだ。やってやるよ。始末書書かされるよりは、100倍マシだ。」
佐々木が妙に腹の括れた顔で笑うと、お初は楽しそうに頷いた。
「頼もしいねぇ。……それじゃあ、お前さんの相棒を紹介しておこうかね。」
部屋の天井の影から、不意に黒い羽根が舞い落ちた。
吸い込まれるような漆黒の翼を持つ、冷眼な黒マスク姿の美女のあやかし——K(鴉天狗)が、音もなく足元へ着地する。
「BOSSの命令だ、K。今日からこの妙に腹の据わった警察官がお前のバディだ。」
QがKに説明すると、Kは冷たい視線で佐々木を見下ろし、ハッと鼻を鳴らした。
「…最悪。何このバカっぽいやつ。…足手まといになるなら、上空三千メートルから叩き落とすから。」
それまで冷静を保っていた佐々木の顔が、一瞬で引きつった。
「……撤回していいか? やっぱり羽が生えてるヤツと組むなんて聞いてないんだけど!? Jさん! Qさん! 助けてくれ!!」
Jは淹れたてのコーヒーに口をつけ、冷ややかだがどこか楽しげな目を佐々木に向けた。
「歓迎するよ、コードネームS。ここは退屈しない職場だ。」
「ハハッ!ようこそS!今日は歓迎会も兼ねて飲みに開こうぜ?」
やっぱり絶対に後悔する……! 俺の警察人生、これからどうなっちまうんだ……!?
顔面蒼白になるSに一つ頷いたお初はゆっくりとQに視線を向けた。
「そういえばQ。あんた、また服を破いたらしいね…。」
静かに告げられた冷たい声に、現場の空気が一瞬で静止する。次の瞬間、弾かれた様にメンバーがその場から撤退し出した。
「じゃ、僕はまだ仕事があるから。」
「あ、私も手伝います。」
そそくさとモニター室に行くEとN。それを横目に音もなく飛び立つK。
「S、建物の中を案内してやろう。」
「え?ちょっ…なんだよ急に?」
Sの襟を掴んで引きずる様に足早に場室へ向かうJ。そして、Qは怯えを隠すことなくダラダラと冷や汗を流してお初の前に立っていた。
「頼む…、今回は見逃してくれ!後生だからッ!!」
Qの悲鳴が地下室に響き渡る中、新生『S.I.C.S.』のチームがここに完成したのだった。
(第1話・完)




