聖女、後始末の前にがなる
リビングデッドがいなくなった。
たったそれだけのことで、あれだけおそろしかった白亜の都がどよめき、歓声に包まれ、その中でアンナリーザは称えられていた。
昨日のあのアンナリーザの言葉はなんだったんだろうか。
彼女の皆を安心させるための、聖女然とした表情を見ていると、カルミネが聞いた、なにかに憤った彼女の言葉が気のせいのようにも思える。
ひとまずは、神殿騎士たちがそれぞれ聖都を見回り、リビングデッドが完全に浄化しきったことを確認してから、都民を帰らせることにした。
「あのう、我々はいつになったら、神殿を出られますか……?」
避難民の内の過半数は、巡礼者や旅行者、旅の途中で立ち寄った旅団の人々だ。神殿はそんな彼らの対応に追われている中、カルミネは「あなた」と呼び止められ、振り返った。
ラビアだった。昨日もアンナリーザの詠唱が終わるまで歌い続けていたのだろう。明らかにげっそりとした顔をしていたものの、金色の瞳だけは爛々としていた。
彼女も彼女なりに、リビングデッドとの戦いに一応の決着がついたことを喜んでいるんだろう。
「やあ、ラビアちゃん。昨日もお疲れ様。そろそろ休んだほうが……」
「いえ。その。あなたに対して、ずいぶん無礼な発言をしたから、謝ろうと思って……アンナリーザ様を守ってくれて、ありがとうございます」
そう言って、ラビアはペコリと頭を下げた。カルミネの瞳が丸まる。
「いや、別に大丈夫。それに聖女様はちっとも、守らせてなんてくれなかったから。むしろあの人をどうやったら守れるのか不思議なくらいで」
「当たり前でしょう!? あなたごときがあの方を守ろうだなんて百万年早いですから!?」
「じゃあなんで言ったの!? まさかの逆ギレ!?」
「……まあ、冗談はさておいて」
「冗談だったんだ」
「そういう言葉は控えていただけますか? あの方は、私たちに遠慮して、なかなか本音を語ってくださりませんから。私たちだってあの方にずっとおんぶに抱っこという訳には参りませんのに、あの方はすぐに荷物を背負おうとなさるから……だから、あなたがいてくれたことで、少しでもアンナリーザ様の荷物が軽くなったのなら、私はそれが一番嬉しいです」
そうボソボソと伝えるラビアに、カルミネは口元に手を当てた。
「うーん、ラビアちゃんが考えているようなことは、特にないと思う」
「えっ?」
「あの人、なんでもかんでも物理で解決しようとするし、平気で自分のせいにしろとか言うし、根っからのお人好しなんだと思う。ただ、しんどそうだなあとは思っても、あの人はそういう生き方しか選べないんじゃと思うんだよねえ」
ラビアは押し黙る。
カルミネは、たった二日しか一緒にいず、今も神官長に呼ばれて出かけていったアンナリーザのことを思う。
綺麗なのは見た目だけではなく、性根もだ。それでいて、彼女はただの理想主義者でもなく、だからと言って悲観主義でなんでもかんでも切り捨てようとするのとは訳が違うと思った。
あの生き方は、正直しんどいだろうなあと、普段から酒場で歌を歌っているカルミネは思うが。あの生き方でなければ彼女ではないのだろう。
でもラビアのように本気で聖女ではなくアンナリーザ本人を心配するような者もいるし、カルミネのように彼女の言う綺麗事を愛してしまった者だっている。
皆で少しずつ彼女が無茶できるよう、支えるしかないのだろう。
……さすがにもう、戦車でリビングデッドの群れに特攻なんて真似は、心から遠慮願いたいが。
カルミネは赤毛を引っ掻いて言う。たった二日で、自慢の髪も埃にまみれて軋んでしまった。でも今はそれが誇らしい。
「皆で見守るしかできないんじゃないの? 自分も含めてさあ」
「……アンナリーザ様をそういう目で見ないでくださる?」
「僕、君に本当にどう答えればいいの!?」
気難しいラビアとの問答に、カルミネはリアクション芸をしている。
あれだけ息が詰まりそうだった神殿の地下も、今はすっかりと気が抜けている。それをたるんでいると揶揄することだってできるだろうが。
今はその平和を充分に謳歌させて欲しい。この数ヶ月、ずっと地下で震えていた人々に、笑顔が戻ったのだから。
****
アンナリーザは神官長と一緒に、話をしていた。
「……これで、報告は以上です」
「なんということだ……」
アンナリーザが聖都から王都に向かって出てきて、王都で見聞きしたもの、宮廷魔術師たちや王国騎士団の動向、そして謎の進化を遂げていたリビングデッドの話をまとめて報告して、神官長は天井を見た。
「……あの国王を止める他あるまい。しかし宮廷魔術師は基本的に王の味方か」
「ですが、話をしましたので聖都側に味方する者もおられるかと」
「問題は騎士団がどちらかにつくかでしょうね」
「あちらはむしろ中立だと思います。あちらは王国の守護が大義名分ですから」
「そうですか……本当に、あなたには苦労をかけますね」
神官長は深々と彼女に頭を下げた。
アンナリーザは首を振る。
「いいえ、神官長様。私は、許せないだけです」
アンナリーザはそう言いながら、錫杖を握った。
殴って解決すれば、詠唱して浄化できれば、どれだけ楽だろうか。それよりもなお、膿んでしまったものがあるのだから。
「……死霊使いはともかく、他の方々は死ぬことも、リビングデッドになってさまよう必要もなかったんです。あんなに死者を愚弄して、弄んで……許せないんです」
それを神官長は黙って聞いていた。
状況証拠から考えても、死霊使いの遺体……とフェイクした代物……を聖都に投げ込んできたのは、王都であろう。
そしてリビングデッドになった人々が、次々と人とは異なる得体の知れないなにかになっていったのも、実験のひとつだったのだろう。
それを他国の戦場に放り込む気だったのか、ただ聖都を滅ぼして王都を監視する機関を消すことが目的だったのかは、もう全てを浄化しきった今となってはわからない。
ただわかっていることがあるとすれば。次に行わなければならないのは、王都との政治闘争だ。
アンナリーザは言う。
「……絶対に、あの国王を王座から引きずり降ろします」
「この戦いは、誰が勝っても負けても、下手を打てば国民を巻き込みますよ」
「ええ、ええ。わかっています」
どのみち、アンナリーザは一度は王都に出なければいけない。
重宝は返却しなくてはいけないし、国王と話をしなければならないのだから。
まだ、なにも終わってはいない。
ただ。
アンナリーザは神官長と話を済ませ、束の間の休憩へと出向いたときだった。
ようやく王都から張られた結界が解かれ、騎士たちに護衛される形で、少しずつ巡礼者や
旅団の人々が聖都を離れようとしているのが目に入った。
その中で、この二日間で覚えた赤毛が目に入った。
「あっ、聖女様。お疲れ様です」
「あら。あなたもそろそろ帰るの?」
「いやあ……そろそろこの辺りも復興が終わりそうですし」
「まだなんにも終わっちゃいないけどね」
「えっ?」
「ここは安全だ、もうリビングデッドが出ないって言わないと、巡礼者も旅行者も来ないでしょ。ましてや国が動いて封鎖していたんだから、もう封鎖が解かれたことを知らせなくっちゃ」
「ああ、なら自分が酒場で歌いますよ?」
「そうね、あなたが吟遊詩人でよかったと、今初めて思ったわ」
アンナリーザはニコッと笑うと、カルミネは明後日の方向を向いた。
「……もう、誰も死にませんよね?」
「リビングデッドではね。先のことはわからないわ」
「終わったんですよね?」
「むしろはじまったばかりよ」
しゃべっている内に、「次、王都に向かう皆さんはー!!」と騎士たちが大型の馬車を用意して叫ぶ。それに「あっ、自分も!」とカルミネは手を挙げた。
「……聖女様、あまり無茶しないでくださいよ。ラビアちゃん無茶苦茶心配してましたから」
「あら、悪かったわね」
「……自分も同感ですよ。お元気で」
最後に軽く挨拶を済ませると、カルミネは巡礼者たちと一緒に馬車に乗り込んでいった。それを見送るアンナリーザ。
本当にまだ、なにも終わっちゃいない。
国王とはやり合わなければいけないし、聖都の人々の暮らしだって支えなければいけない。やらなければいけないことが多過ぎる。
でも。ひとつひとつやるしかないのだ。
「全部殴って解決するんだったら、いくらでも殴るのにーっ」
馬車が去って行ったあと、アンナリーザはぽつんと呟いた。
<了>




