その後の娘 4
助けて。
恐怖で虚ろになったヨミの眼にはソレは遥か遠くにしか感じられない。
・・・弦を弾く音。
・・重く重く何重にも。空間がわんわんと鳴く。
耳が痛くなるほどの音は、雄牛の魔獣が頭を振っても消えず、少女を振り払って耳を塞いでも鳴りやまなかった。
軽い音を立ててヨミが草地に転がると、その頭上には幾つもの金色の光の輪が現れた。
魔獣が目を眇めて見れば、それらは複雑に現れ消えてを繰り返し、複雑な文様を描いて大きくなっていった。
最後にピンッっと軽快な音を響かせ全ての雑音が消える。
ヨミの真上に深紅と黄金で出来た豪奢な華紋が浮かび上がっていた。
魔獣は不穏な空気を感じてじり、と下がろうと肩を引いた。
途端、文様の中央が裂け、黒い閃光が魔獣に向う。魔獣は避けることも敵わずその閃光は魔獣の顔の前で広がり頭を覆う。
びしゃと水風船が弾けるが如く魔獣の頭は無くなった。黒い物体は人の手の形をしていた。
ビクビクと痙攣する身体。
文様から伸びる手は動きを止め、つつ、とその指を獣の胸元まで下す。ぴんと身体の方を弾く。
びゅうっと、体は木の幹を巻き込みながら遠くに飛ばされた。
森には静けさが戻った。
ただ、文様はまだ輝き続けそこから覗く手はもう一つ。
ぱりぱりと殻を破るように金の破片をまき散らしながらヨミの上にぬっともう一方の腕を出す。
黒いとろりとした長い髪がヨミの頬に落ちかかる。
ヨミの眼はそれをとらえていたが、さっきの恐怖と、今の『召喚陣』の構築とで頭も身体も動けずにいた。彼女の中にある魔力と呼ばれるモノだってごっそり身体から抜けている気がする。指一本動かせない。
ヨミの眼に、やたら白い顔が降りてきた。弧を描く唇は薄く赤い。黒い手が両頬を包んで撫でた。ソレの眼は黒だった。人ではない漆黒の瞳。だから何を考えているのか全く分からない。ただ笑みの形の口だけが印象的な怜悧な顔立ち。
「おと・・・さ」
助けてくれるのはいつもお父さんだった。
お母さんの所にいってしまった。もう、ヨミの事も連れて行ってくれないだろうか。
“名を違えてはならぬ”
誰。
“我が主”
近づく顔にぺろりと頬をなめられた。
食べられちゃうのかな。やだな。
“名を”
コツンと額と額がくっ付く。
“契約を”
真っ黒な目に覗き込まれてくらくらする。
何かを言ったような気がするけど。あまりよくは覚えていない。
大切な事を聞いたような気がする。
呼んではいけないその名は『ニオ』ヨミの召喚に応えた者。
魔獣に襲われ、生きて帰って来たヨミは、村で迫害され更に孤独に生きる事になった。
『ニオ』の名前は本当はもっと長いです。ヨミは知ってるけど覚えて無いので。