3話 残滓に微睡む
「お兄様、あのね⎯⎯⎯」
懐かしい声が聞こえる。
最後にあの声を聞いたのは、もうずっと前だ。
ずっと、ずっと、もう長い間あの声を聞いていない。
もう2度と、僕は聞く事が出来ない。
無くしてしまった。
この手に、確かにあった筈なのに⎯⎯
もしもあの時、僕があの子の手を離さなければ⎯⎯
今もまだあの頃のまま、居られたであろうか?
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「お兄様、ご本を読んで」
昼下がり、昼寝から目覚めたのか妹が僕の元へとその体にみ合わない大きいサイズの本を持って、よたよたと近付いてきた。
「僕が持つよ、●◇×◌◇」
僕は妹の本をてに持って、そのままソファへと移動する。
妹も僕にならって、横に腰掛けた。
「お兄様、早く早く」
妹が持ってきた本は、魔法使いが世界中を旅しながら様々な困難に立ち向かって行くという在り来たりな童話であった。
僕は妹に本が見やすいように高さを調整しながら、1ページ目を開く。
「あぁ、今読むから。昔々、まだ人々が魔法を信じていた頃⎯⎯⎯」
僕の横で本を覗き込むようにみいって、目を輝かせている妹。
こうしていると、普通の少女のようだ。
端から見れば、僕達は普通の仲睦まじい兄妹であっただろう。
僕と妹は、常人と異なる魔法使いの家系に生まれた。
しかも、名門中の名門。
僕はその血を良く受け継ぎ、まだ幼いながら将来は優秀な魔法使いとして期待されている。
けれど、妹は⎯⎯⎯⎯
「……ねぇ、●◇×◌◇は、外に出たい?」
「お外? ……んーん、●◇×◌◇にはお兄様がいるからそれでいいの」
何気無く問い掛けた僕の言葉が、妹にとって何れだけ残酷な事かは理解していた。
妹は、この屋敷の外へ出た事はない。
妹はなんの因果か、魔法使いとして力が強く出過ぎてしまった。
強すぎる力は、皆から恐れられる。
妹は世間に公表されることなく、この家に閉じ込められるように育った。
皆が妹を恐れ両親さえ忌避する存在、僕以外に妹に喋りかける者もいない。
正しく、僕は妹にとって世界そのもの。
こんな家を出て外で生きた方が、妹は幸せになれるだろう。
けれど、それでも僕はことある毎に妹へ問い掛ける。
何度も繰り返す事で、その心を僕へと繋ぎ止めるように。
“自由を捨てて、僕を選ぶのか”と。
そして、妹の何時もと同じ答えに安堵する。
僕は妹に何度も自分とその他を天秤にかけさせ、妹の世界からその他を取り除いている。
愛してるよ、●◇×◌◇。
誰よりも、ずっとずっと。
哀れな、●◇×◌◇。
この家に生まれてしまった君は、きっと普通の幸福を手にする事は出来ない。
可愛い、●◇×◌◇。
君が僕を選ぶなら、僕は何からも君を守ろう。
「ずっと一緒にいてね、お兄様⎯⎯」
あぁ、僕達はずっと一緒だ。
⎯⎯これは過去の幻だ。
僕達がまだ幼かった頃の、幸福な時間。
何も知らず、永遠を信じていた頃の。
けれど、この狭い箱庭は長くは続かない。
⎯⎯だって、僕は●◇×◌◇を守れなかったのだから。




