俺だよ俺…ゾンビだよ
ある山中に二人の若い女性が登山をしていた。
ところが二人共に登山に関しては初心者で、途中で下山する道を見失ってしまった。
それに加えて急激な天候の変化に、二人は慌てて雨宿りをできる場所を探し回った。
すると突然目の前に古びた一軒家が現れ、二人は驚きながらも安堵した。
周囲には他に建物もなく、あるのは雑木林くらいだった。
暗闇の中にポツリと明かりが灯っている。
その家の明かりだ。
彼女たちは少し警戒をしながらその家へと近づいていった。
「――大藪診療所。」
「こんな所に病院?」
「でも病院ならきっと助けてくれるはずよ。」
二人はインターホンを探したが見つからず、仕方なく木製の古い扉を大きめにノックした。
返事がないがドアノブを回してみた。
ガチャッと音を立てその扉は開いた。
中は思ったより薄暗く、どういう構造の玄関なのか目が慣れるまでの間、うまく把握できなかった。
ようやく目が慣れてきたころ、そこに誰かが立っていることに気づいた。
「あ、あの。私たち山で迷ってしまって。」
「出来れば雨宿りさせて頂けないでしょうか。」
二人はやや緊張したように訊ねた。
しかしその人物からは何も返答がなかった。
よく見てみるとナース服を着た髪の長い女性だった。
すらりと綺麗な足が膝上まで伸びていた。
身長も高いようで、それはまるでモデルの様な美しい女性だった。
「あ、あの――。」
「いやあ、すいません。手が離せなくて遅くなりました。」
突然、男の声がしたと思うと奥から白衣を着た中年の男性が頭をかきながら出てきた。
「突然すみません。私たち登山をしていて迷ってしまって。雨にも降られて困っているんです。よかったら雨宿りだけでもさせてもらえませんか。」
白衣の男は銀縁の細い眼鏡をかけていた。
髪の毛が少しボサボサに跳ねている一見すると少しだらしない感じの男だった。
その男が満面の笑みを浮かべ、「構いませんよ。」と人の良さそうな声で答えた。
「ありがとうございます。私、瑠美といいます。」
「ちょっと瑠美。そういう時はまず苗字から名乗りなさいよ。あっ!私、花梨といいます。」
「いや、それ名前でしょ。」
二人のやり取りを聞いていた男は楽しそうに笑った。
「す、すみません。」
「いや、いいんですよ。ここは私と家内の愛しかいないのでいつも寂しくしていたんです。私は大藪寛といいます。」
「あの、奥様は看護師さんなんですか?」
さっきから一言も話さない愛について、瑠美は訊ねた。
「ええ。彼女は優秀な看護師なんですが極度の照れ屋といいますか、初対面の人とは話せないのですよ。許してあげてください。」
瑠美と花梨は、愛について違和感を覚えていた。
言葉を一言も発しないのもそうだが、その看護師の制服である。
スカートが短すぎるという点である。
それはどう見ても看護師のコスプレをしている様にしか見えなかった。
だが、それは自分たちにとっては関係のないことだと、敢えて何も聞くことはしなかった。
「そうだ。ちょうど晩御飯の支度が終わったところなんですよ。お二人もご一緒にいかがですか。」
大藪の言葉は二人にとって神の救いのようだった。
実は二人とも食料をとうに切らしていて、空腹に耐えている最中だったのだ。
「いや、でも悪いし。」
「いいんですか。是非お願いします。」
「ちょっと花梨。図々しいって思われるわよ。」
「だってお腹空いて死にそうなんだもん。」
またしても大藪はニコニコと笑顔で二人を少しばかり眺めてから、「じゃあどうぞこちらへ。」と、部屋の奥へと案内した。
リビングに入ると食欲をそそるような良い臭いが立ち込めていた。
二人は促されるまま席に着きました。
二人は横に並び、向かい側に大藪夫妻が着席した。
出てきたのは温かそうな具沢山のクリームシチューだった。
「どうぞ、お上がりください。」
二人は出されたシチューを黙々と口へ運んだ。
「おかわりもありますから、遠慮なく言ってくださいね。」
あまりの美味さに二人は二杯ずつおかわりを頼んだ。
「美味しかった。」
「最高だったね。これは愛さんが作られたのですか?」
花梨の問いかけに愛は少しだけ頷いた。
その時だった。
ボトッ!と何かがテーブルに落ちた音がした。
瑠美と花梨は最初何が起きたのか理解できなかった。
疲れと満腹感から声を上げることができなかった。
目の前のことが現実かどうかも判断できないでいたのだ。
「ああ、こらこら。あんまり角度をつけて頷いたら駄目だって言っただろう。ああ、すいませんね。せっかくの食事が台無しになっちゃいましたね。」
瑠美と花梨はどう反応していいか分からなかった。
二人の目の前で起こった出来事、それは頷いた愛の首がテーブルにあったシチューの器に突如として落ちたのだ。
愛の髪の毛にシチューがべっとりとくっついている。
それを大藪が美味しそうに舐め回している。
「わ、私たちそろそろ帰ります。」
「あれ?そんなに急いで帰らなくても。外は嵐ですよ。ねえ、愛。」
これは何か悪い夢でも見ているんだと二人は信じたかったが、どちらにせよ、とにかくここから逃げなくてはならないことを悟った。
「急ごう。」
瑠美は花梨の手を引っ張って玄関に向かった。
そして玄関のドアを開けようとしたが、開かない。
鍵がかかっているのかと思って何度も試してみるがそれでもドアは開かなかった。
「ここは駄目、あっちへ行こう。」
「ねえ、瑠美。私、なんか眠くなってきちゃった。」
突然、花梨はその場に座りこんでしまった。
こんな時に何を馬鹿なことをしているんだと瑠美は思ったが、次の瞬間、自分にも猛烈な睡魔が襲ってきて、あのシチューに何か入っていたことを確信した。
「ごめん花梨、私ももう……。」
瑠美が目覚めたのは薄暗い石造りの部屋だった。
壁に打ち付けられた鉄の杭に鎖が繋がっていて、その鎖で手足は繋がれていた。
身動きもろくにとれないし、頭はまだ意識朦朧とした状態だった。
「……花梨。」
友人の名を呼んでみたが返答はない。
「お目覚めですか。」
顔を上げると、そこには大藪が立っていた。
その隣には愛もいる。
「花梨は?」
「ん?ああ、お友達か。彼女は別室にいるよ。」
「何もしてないでしょうね!」
瑠美は段々と意識がはっきりとしてきた。
「まだだよ。彼女を改良するのはこれからだ。その後は君だからね。楽しみにそこで待っていなさい。」
大藪がいったい何をしようとしているのか見当もつかない。
だが確実に殺されるだろうと、瑠美は思った。
必死にガシャガシャと鎖を外そうと試みるも、やはり無理だった。
「おとなしくしておきたまえ。逃げることなんて無理なんだから。」
大藪は愛を残したまま、どこかへ去って行った。
瑠美はどうすることもできずに涙を浮かべた。
自分ではどうすることも出来ない。
だけどこのままでは花梨や自分は殺されてしまう。
そんな瑠美の目に映ったのは愛だった。
「ねえ、あなた。愛さん、これ外して。」
しかし愛は無表情のまま、何の反応もしない。
「お願い。あなたもあの狂った男に何かされたのよね。その怨み一緒に晴らしましょう。」
すると愛は口元に笑みを浮かべた。
自分の言葉が通じた、と瑠美は思った。
「お前……死ぬ。」
愛の言葉を聞いて瑠美は絶望した。
すると、愛が突然歩きだしこちらへ近寄ってきた。
その手にはナイフらしき刃物を持っていた。
「ちょっと。お、お願いやめて。」
「お前の……目玉を……くり貫く。」
瑠美は抗うように体をじたばたと動かした。
だがどうにもならない。
すぐ目の前まで迫った愛は、これまでの美しい女性の顔ではなかった。
眼球が飛び出している。
「お前の……目玉……よこせ。」
「きゃぁぁあああ!」
瑠美は恐怖のあまり少しばかり気を失っていたようだ。
しかし、すぐに意識を取り戻し、目を開けるとそこには女が倒れていた――愛だ。
瑠美は自分の目がどうにかなってないかと手で自分の目を触って確認した。
「――あ、あれ?」
ここでようやく瑠美は気づいた。
自分を縛りつけていた鎖が外れていたのだ。
目の前に倒れている愛はピクリとも動かない。
死んだのだろうか?
いや、彼女はとうに死んでいたはずだ。
この場合何と言えばよいのか分からなかったが、とにかく花梨のことが心配だった。
「やめてぇぇえ!」
奥の部屋から花梨の叫び声が聞こえた。
瑠美は愛が持っていたナイフを愛の手から剥がし取り、声のした方へと向かった。
花梨がいる部屋は難なく見つかった。
中に入ると花梨は全裸で手術台に乗せられて拘束されていた。
「花梨!」
「瑠美、助けて。」
花梨の傍らには大藪がメスを持って立っていた。
「おや?どうして貴女がここへ?愛はどうしたのです?」
「死んだわ――というかあんたが殺したんでしょう。」
大藪は眼鏡を取り、投げ捨てると形相が一変した。
それはまるで鬼の様であった。
「死んだ?愛が死ぬ訳ないだろ!貴様が彼女をどうにかしたんだ。そうだ!そうに違いない!許さん!」
大藪の突然の変貌ぶりに瑠美は後退りした。
「――おっと失敬。取り乱してしまった。愛は後から治すのでまあよろしい。それよりも見たまえ。君の友達のこの体を。とても美しいじゃないか。改良のしがいがあるというものだ。」
「花梨に手を出したら刺すからね。」
「構わないよ。君みたいな可愛い人に刺されるなら本望だよ。」
瑠美は少しだけ足を前へと進めた。
本当はこの場から今すぐにでも逃げ出したかった。
だが友人の花梨を置いていくことなど微塵も考えてはいなかった。
「僕はね画期的な人体の改良を発見したんだ。」
「な、なにを言っているの。」
「死してなお生き続け、人間よりもたくましく。不死の生物だよ。まあ、ただ感情を失くしてしまうのが欠点といえば欠点だが。」
瑠美には大藪の言葉など、なに一つ届いていなかった。
彼女が見ているのは花梨だけ。
だが無謀に突っ込んでも勝算はない。
大藪はただの人間だ。
隙さえ出来ればナイフで刺すことだって可能なはずだ。
瑠美は大藪が花梨に手を出させないように何とか自分の方に注意を向けさせたかった。
「大藪さん。あなたには家族はいないの?」
「家族?ああ、そんなのも昔いたなあ。その頃の僕はまだ改良するのが下手くそでね、皆死んじゃったよ――だけど、今は新たな家族がいる。その一人が愛だよ。」
瑠美はここであることに気づいた。
今、大藪は愛のことを『その一人』だと言った。
つまり他にも愛のようなものがいるということだ。
瑠美は辺りを警戒するように見回した。
「ふふ。そんなに必死になって探さなくても君のすぐ後ろにいるじゃないか――海流君が。」
瑠美が振り返ろうとした時、突然背後から羽交い締めにされた。
その腕を触ると、ヌルッたした嫌な触り心地がして、瑠美は悲鳴を上げた。
「よくやった海流君。そのまま、そのお嬢さんをこちらへ連れてきなさい。」
海流は凄い力で瑠美を掴みナイフを取り上げた。
そして花梨の隣にある手術台に放り投げるように瑠美を乗せた。
「いいですよ。痛くはしないからね。さて、君はどんな体をしているのかな――!?」
その時でした。
大藪の動きと口がピタリと止まり、突然苦しみ始めたのだった。
「あれ?なんで僕のお腹から血が出ているんだ?いったい誰がこんなことを――。」
すると海流が大藪の耳元にそっと寄り、
「俺だよ俺……ゾンビだよ。」と、囁いた。
そして力一杯に海流は大藪の頭部を殴りつけた。
すると大藪の頭は吹っ飛び、脳ミソが辺りに撒き散らされた。
花梨は眠ったように意識を失っている。
瑠美は恐る恐る海流をじっと見つめていた。
すると海流は瑠美を素通りし、花梨の拘束具を引きちぎったのでした。
そして何も言わず奥の部屋へと歩きだしていった。
「あ、あの……助けてくれるの?」
海流は一度止まったが、振り返ることもなく再び歩き出した。
「――ありがとう。」
この後、瑠美と花梨は無事に下山することが出来た。
海流の消息や大藪の診療所のことはどうなったのか、二人が知ることはもうなかった。
〈完〉
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