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御伽学園の恋愛事情  作者: 美黒
それは、御伽話のようなもの
12/29

12 実習授業

「緊急事態発生、緊急事態発生、英雄学生徒は、至急グラウンドに集まってください。繰り返します、英雄学生徒は――」

 それは、水姫が5限の授業を受けるために再び特別教室へと向かう途中だった。

 突如として甲高いサイレンと共に、そんな放送が流れてきた。

 危機感迫ったその雰囲気に、だが道行く生徒達は素知らぬ顔で、さも当たり前のように過ごしている。

一体どういう事か。

 水姫は難しい顔をして首を傾げるも、教室に向かっていた足をくるりと方向転換すると、やや早歩きでグラウンドに向かう。

 緊急事態とはどんな事だろうか。

 どうして英雄学の生徒だけが?

 それらの疑問を早く片付けるべくして、校舎を一気に後にした。


 グラウンドにつくと、既に多くの英雄学の生徒が集まっていて、水姫もこっそりと加わる。すると、その中でどんな人よりも輝いて見える彼が爽やかに並んでいた。

「桜庭先輩っ」

 呼びかけると、尋はその穏やかな物腰を少しも曲げないで、気前よく手を振った。他の生徒達には緊張感が漂っていると言うのに、これでいいのかと少し不安になるくらいだ。

「水姫ちゃん、さっきぶり」

「はい。……あの、これって何ですか?緊急事態って」

「実習授業だよ。水姫ちゃん達は運がいいね」

 その言葉と共に、集まる生徒達の視線を引きつけるように男二人が現れる。一人は英雄学担当教師溝口先生。

 そしてもう一人はいかつい警官の服を生真面目に着込み、鷹のような目つきをした男。名札には太田と書かれていた。

 そう、溝口は先ほど言っていた。

 実習授業は警察の要請が入ると行われるため、不定期だと。

 そして、目の前に警察官がいる。つまり、これから実習授業に入るというのだろうか。

 溝口先生も、いつもの気だるげな雰囲気に少しだけ切羽詰まったものが滲み出ていた。

「よし、みんな集まったな。これから言う事を心して聞け。今から実習授業に入る。内容は犯罪者の捕獲。能力を存分に使え。前に言った通り活躍次第で通知表に大きく響くから、さぼるなよ」

 事情を知らない生徒のために説明をしたのだろうが、あまりにも簡潔な内容に水姫はぽかんと口を開けるしかなかった。というより、今大変な事をさらっと言わなかったか。

「犯罪者の捕獲って……」

「この町に犯罪者が現れた時、英雄魂を持つ人が捕まえる事になってるんだよ。その時全面的に協力するのが御伽学園の英雄学生徒。警察はその繋ぎとして来てくれるんだ」

 尋の詳しい説明を聞いても訳が分からない。犯罪者を捕まえるというのは、危険極まりない事ではないのか。それを学生にやらせて本当に大丈夫なのか。目的は一体何なのか。

 ぐるぐると回る疑問に、今にも目眩を起こしそうだ。

 水姫は頭を押さえつつ、仏頂面で佇む警官の男、太田を見やる。

 彼は溝口先生とアイコンタクトを交わすなり頷いて、今度は彼が口を開いた。

「犯人は御伽橋前で談笑していた主婦二人を刺し、現在も逃亡中。凶器はナイフ。最終確認時刻は5分前、学園を出てすぐ右に沿ったコンビニで目撃をされています」

 うわあ、立派な犯罪だ。

 周囲がざわめきだすのを耳に、水姫も冷や汗を垂らす。ナイフを持ち歩いた男を捕まえるなんて、そんな怖い事をこれからするのか。出来る訳ない。

「刺された人は無事なんですっけ」

「ええ、幸いにも軽傷で済んだようで」

「それは良かった。じゃあ、皆、さっさと捕まえるぞ。普通の犯罪者じゃないし」

 最後にぼそりと何かを呟いていたようだが、内容までは聞き取れず、更なる不安を掻き立てる。なんだなんだ、今日は不安になってばかりじゃないか。

 そして、溝口先生は生徒の心情などお構いなしに右手をあげ――、校門に向かってその体躯に似つかわしくない大声を出す。

「始めっ!」


 合図と共にわっと英雄学の生徒達が校外に走り出し、あっという間に消え去っていく。勝手知ったる様子で出て行った彼ら彼女らは、当然何度もこの授業をくぐりぬけたのだろう。

 しかし、訳も分からない水姫は、取り残されたまま、そのままぽつりぽつりと校門に向かっていた。

 他にも三人ほどおどおどと周りを見ながら移動する生徒が居てホッとしたが、それどころじゃない。今から、自分は人を傷つける犯人の元へ向かって、どうにか捕獲しなければならないのだ。

 それが、授業だから。

 そんな言い訳を作ってみるものの、ガタガタと震える足は一向に早く歩いてはくれない。だって、もしかしたら自分も怪我を、果てには殺されてしまうのかもしれないのだ。だのに他の生徒達はあんなに意気揚々と駆けて行って、どうしてそんな事が出来るのか気が知れない。

「水姫ちゃん、大丈夫?俺ついていってあげようか」

 駆けだす生徒を尻目に、水姫に合わせて残ってくれた尋は、優しい笑顔で彼女の歩幅に合わせてくれていた。

 あまつさえ、手を取って誘導さえしてくれる。こんな状況じゃなければ嬉しい事この上ないのが何より悔しい。

 水姫は首を振って、気を紛らわすように尋に話を振った。

「桜庭先輩は、行かなくていいんですか?これ、成績に大きく影響が出るみたいだし……」

「いいよ、今日ぐらい。水姫ちゃんに何か危険があった方が、余程困るでしょ?」

 そう言った彼は、心の底から水姫を心配している表情で、それがどうしようもなく申し訳なかった。真面目な彼女にとって、憧れの先輩に成績の負担をかけるというのは、かなりの痛手だ。

「ありがとうございます……」

 ようやく校門を抜けた頃には、水姫の恐怖心も幾分か和らいでいて、少しだけ足取りも軽くなった。

 ようやく落ち着いてきた心に、喝を入れて何とか町を回ってみましょう、と尋に言うと、彼は快く頷いてくれる。どうやら、今回は一緒に行動してくれるらしい。

「多分さ、水姫ちゃんにとって色々と理解が追いつかない事ばっかりだと思う。だけど、こればっかりはもう慣れて、としか言いようがないんだよね」

 周囲を警戒しながら、それでも安心させるように柔らかい声で言った彼は、眉を寄せて申し訳なさそうにしていた。

「はい。……何とか、慣れてみせます」

 強がりではあるものの、現状そうするしかない。水姫は深く頷くと、辺りを見回した。

 そして、はた、と気付いた事がある。

 そういえば、先ほど集まった中に、あの煩い3兄弟の姿が見えなかった気がする。いや、もしかしたら水姫が気付いていないだけだろうか。だがあの見慣れた人物――とくに一際煩いあの男に関してはそうそう見落とす事なんてないだろう。というか、水姫を見つけるなり一気に走って来そうなものなのに。

「あの……桜庭先輩。……涼太先輩達って、どうしたんですか?」

「ああ、それはね」

 その瞬間だった。

 遠くでドカンッと大きな衝突音がして、空気を震わした。

 思わず耳を塞いで目をつむると、尋の声が答える。

「こういう事だよ」

 いや、どういう事ですか、と聞こうとした時には、彼は音がした方向へと駆けだして、水姫を置き去りにしていた。

「ちょ、先輩ッ!?」

「水姫ちゃんは危ないからそこで待ってて!」

 そう言うなり尋は住宅街のある方向へと走り抜け、あっという間に姿を消した。

 何もかもに取り残された感覚に陥った水姫は、どうしていいか分からず呆然と突っ立っていた。まさか開始早々、一人になるとは。もしかして自分はぼっち族という奴か。

 そろそろそんな事を考え出し始めた頃、住宅街の中からいくつかの悲鳴があがり、咄嗟に駆けだしていた。

 尋が向かっていったという事は、犯人が住宅街の中に居るということ。だけど、湧き上がる恐怖と同時に、この誰か分からない悲鳴を無視できるほど、水姫の性格は残酷ではなかった。

「何も出来ないかもしれないけど……助けなきゃ!」

 大して速くもない足を必死に動かして入った住宅街の中は、先ほどの衝突音と悲鳴が嘘のように閑散としていた。人の気配すらしない。

 真っ昼間だというのに、どうしてこうも静かなのか、足を緩めた水姫は首を傾げながら探索した。

 ひとまず、衝突音があった場所を探そう、そこに尋も居るかもしれない――、と考えて更に住宅街の奥へと足を踏み入れる。

 すると、その衝突音があった場所はすぐに見つかった。

 住宅街の外れ、田んぼ道の端に車と車がぶつかり合って煙を出していたのだ。

 事故だろうか。となると、犯人が関係しているとは限らない――?

 水姫が車に近寄ると、一つの車にボコッとしたくぼみがあるのに気付く。

「事故でこんなくぼみ、出来るかしら……?」

 そのくぼみは、拳ひとつくらいの大きさで、しかもついているのは運転席側の扉。衝突したのは頭同士だろう、どう考えてもここにくぼみがあるのはおかしい。

 うんうん首を捻って考え込んでいる水姫は、犯人の事を少しだけ忘れていた。だから、今まで張っていた気も緩み、背後に迫る何者かの気配にも、気付けなかった。

「ッ……!」

 いきなり誰かに口元を押さえられて声を漏らす。腕を抑え上げられ、抵抗することが出来ない。

 突然の事に目を見開いて、口元を押さえる人物を見る。

 その人物は、歯をガタガタにして、不敵に笑い、野暮ったい目をらんらんと輝かせた男だった。

 一瞬で彼が捕まえるべき犯人だと悟り、水姫は解放されるべく抵抗するが、男の力は強く、水姫の力ではびくともしない。

「大人しくしろ」

 言葉とともに取り出されたナイフに今までにない恐怖を覚えた。喉元にナイフをあてがわれ、少しでも動かせば血飛沫が飛ぶに違いない。

 ――どうしよう!

 焦りと恐怖で混乱して、何も出来ない。ひとまず大人しくしているものの、きっとこの後殺されてしまう。

 どうしようもない未来に絶望を覚え、男が気まぐれにナイフを持つ手に力を込める――。

 そんな時だった。

「ふざっけんな!」

 口元を押さえられた手に別の手が掴みかかり、捻り上げる。男のつんざくような悲鳴を聞きながら、解放されて晒された喉に何もないかと確認するように手をあてがった水姫は、助けてくれたその声の主に視線を向けた。

 彼は、捻り上げた男を地面に放り出し、水姫に駆け寄って来る。その顔は、一番恐怖を感じた水姫よりも泣きそうな顔で、それが何だか可笑しくて、少しだけ安心した。

「涼太先輩……」

「何処も怪我してない!?特に喉とか!」

「大丈夫ですよ、先輩が助けてくれたおかげで平気です。それよりも、先輩の頬に血が……!」

 先ほど捻り上げた時にかすったのだろう。右頬に僅かに血が流れていた。

 しかし、彼はそんな事を気にする事もないと言うように大丈夫、と呟いて手の甲で拭うと、ゆらりと立ち上がった犯人らしき男に向き直る。

「俺の姫を傷つけようとするなんて、いい度胸だよね」

「……ふん」

 男はナイフをぞんざいに構えて、それでも涼太達を狙っていることは一目瞭然だった。

「姫を……竜宮水姫を傷つける奴は俺が許さない」

 両手を広げて、水姫には一歩たりとも近づけさせない、とでも言うように身体を張る涼太。

 その顔は、何処までも真剣で、地面にへたり込んだ水姫は、その姿を悔しい事に頼りがいがあるように見えた。

「先輩、私……」

「大丈夫。姫は、そこで見てて」

 未だ微かに流れる血をものともせず、水姫を安心させるように笑顔を向ける彼。

 その彼の様子に、水姫はどうしてか既視感を覚える。

 頬から流れる血。

 水姫を庇う、大きなその身体。

 安心させるように笑う、その顔。

 へたり込んだ、情けない自分。

 この光景を、何処かで見た事がある気がする。

 つい最近じゃない。

 もっと昔、そう、水姫が水姫じゃなかった頃に。

 頭痛を覚え、頭を押さえる。

 それと共に目の前にフラッシュバックする似たような光景。

 そうだ、知っている。

 私は、この景色を知っている。

「浦島……太郎」

 知っている。

 これは、乙姫の記憶。


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