第50話:記憶の逆流、あるいは偽りなき鉄槌
頭の芯が沸騰するような衝撃とともに、俺の視界は真っ白な光に塗りつぶされた。
流れ込んできたのは、俺の過去じゃない。
ルカとリィナの故郷――あの完璧すぎて滅びたという、美しい硝子細工のような街の記憶だ。
システムによって世界のすべてが静止させられようとしたあの瞬間。
絶望に暮れる幼い姉弟の前に現れたのは、あの包帯を巻いた『古道具屋の店主』だった。
『私にすべてを任せなさい。お前たちの価値ある未来を、私が買い取ってあげよう』
男はそう言って、救いの手を差し伸べるふりをした。
だが、それは残酷な詐欺だった。
男は最初から、リィナの持つ卓越した観測データをシステムに高値で売り飛ばし、自分だけが『管理者』としての権限を維持するために、彼女を正史の列車の生体コアへ改造したのだ。
そして、残されたルカには嘘の希望を植え付け、他の街を消去するための便利な道具として利用していた。
「あいつ……最初から、全部仕組んでやがったのか……!」
激しい怒りが、俺の身体を内側から突き動かす。
リィナの顔面で回り続ける錆びついた歯車から、俺の鉄の棒を通じて、彼女がこれまで受けてきた絶望と痛みが伝わってくる。
だが、それに負けるわけにはいかない。
「リィナさん、聞こえるか! お前をこんな目に遭わせた奴の言いなりになるな!
ルカは生きてる! ボロボロになりながらも、俺たちの街で、必死に生きてるんだ!」
俺は叫びながら、鉄の棒に全身の体重をかけた。
ユキの白銀の光が、俺の腕を通じてリィナのシステムへと逆流していく。
それは、リィナが閉じ込められていた『正史の冷たい論理』を、俺たちの泥臭く不器用な日常の記憶で上書きする一撃だった。
「……ア、アア……ル……カ……?」
リィナの濁った瞳に、ほんの一瞬だけ、人間の温かい光が灯った。
右顔面の歯車の回転が鈍り、周囲に撒き散らされていた黒い錆の粉末が、ピタリと空間に静止する。
「今ニャッ! カイトが道をこじ開けたニャアッ!」
ミアが弾丸のように地を蹴り、静止した錆の隙間をすり抜けた。
彼女の鋭い爪が、リィナの身体を列車へと縛り付けていた無数の銀色の配線を、火花とともに一瞬で引きちぎっていく。
「リィナ殿、お預かりする!」
続いて飛び込んできたシルヴィアが、システムから切り離されて崩れ落ちるリィナの身体を、その逞しい両腕でしっかりと受け止めた。
木刀を背中に回し、大切な仲間の一肉親を抱きかかえる彼女の表情には、かつての冷徹な騎士の影はなく、ただ目の前の命を救うという強い情熱だけがあった。
「姉さん……っ!」
ルカが涙を流しながらシルヴィアの元へと駆け寄る。
リィナの顔面の歯車は、徐々にその形を失い、普通の美しい肌へと戻り始めていた。
「……お見事。だけど、安心するのはまだ早いよ」
阿良多がタブレットの画面を俺たちに向けた。その表情は、かつてないほど引き詰まっている。
「生体コアであるリィナさんを失ったことで、あの鉄の列車そのものが暴走を始めた。
システムは、この街ごと列車を『自己崩壊』させて、すべてを強制消去するつもりだ!」
阿良多の言葉通り、巨大な列車が「ギャリギャリギャリ!」と、耳を裂くような金属音を立てて激しく震え始めた。
煙突から噴き出したのは、先ほどの錆ではない。空間そのものを歪ませる、真っ黒な重力の渦だ。
駅前の地面が大きく割れ、俺たちが立っている広場ごと、列車が作り出す奈落の底へと引きずり込まれようとしていた。
「……ここまで来て、引き下がるわけにはいかないわ」
リザが、俺の隣に立って不敵に微笑んだ。
彼女のブラウスは風に激しく揺れていたが、その立ち姿には、どんな破滅の嵐をも跳ね返すような、気高く圧倒的な美しさがあった。
「カイト、あの列車の最深部に、この暴走を止めるための『緊急停止レバー』があるはずよ。
私があなたの盾になる。だから……あの狂った機械を、完全に黙らせてきて」
「ああ、頼りにしてるぜ、リザ!」
俺は鉄の棒を握り直し、崩壊を始めた列車の乗降口へと視線を出した。
だが、その漆黒の闇の奥から、再びカラン、カランと、あの不吉な古道具屋のベルの音が響いてきたのだ。
奈落の底へと沈みゆく列車の中で、あの包帯を巻いた店主が、今度は巨大な『時計の秒針』を剣のように構えて待ち構えていた。
すべての謎と因縁が絡み合う、本当の決戦の火蓋が切って落とされようとしていた。




