第47話:五つ星の監査官、あるいは抗うための歴史
「正史の世界……だと?」
俺は、石畳を軋ませて停止した巨大な鉄の列車の前で、鉄の棒を構え直した。
蒸気とも煙ともつかない灰色の霧を吐き出しながら、列車の重厚な扉が完全に開ききる。
中から整然と降りてきたのは、仕立ての良い黒いスーツを纏いながらも、首から上が完全に「金色の時計の歯車」で構成された異形の集団だった。
彼らの胸元には、鈍い光を放つ『五つの星』のバッジがピンで留められている。
「……阿良多、あいつらは何者だ。運営の生き残りか?」
「……いや、違う。彼らは運営なんていう現場の端末じゃない。
システムが世界の均一化を保つために派遣する、最終監査部隊……通称『五星の監査官』だ」
阿良多が、震える手でタブレットのキーを叩く。
画面には、彼らの出現によって街の空間座標が「強制書き換え」のプロセスに入ったことを示す数式が、滝のように流れ落ちていた。
「彼らの目的は、バグによって生まれたこの『パッチワークの街』を解体し、僕たちを元いた『退屈で、互いに関わりのない正史の日常』へ無理やり送り返すことだ。
……僕たちの記憶を、完全に消去した上でね」
「記憶を消して、元に戻す……? そんなの、せっかくユキやルカを救った意味がねぇだろ!」
俺が叫ぶと、先頭に立つ最も大きな歯車頭の監査官が、チクタクと規則的な機械音を響かせながら一歩前に出た。
「……個体名カイト。君たちの抵抗は、局所的なエラーとしては実に見事だった。
しかし、大いなる調和の観点から見れば、この街はただの癌細胞に過ぎない。速やかに元のタイムラインへ収束させる」
「大層な理屈を並べて語るんじゃねぇよ! 俺たちはここで生きてるんだ!」
俺は地面を蹴り、監査官の顔面――歯車の中心に向けて鉄の棒を振り下ろした。
だが、鉄の棒が彼に触れる直前、カチリ、と不吉な時計の音が響く。
「……時間凍結。君の運動エネルギーを、三秒前に巻き戻します」
「なっ……!?」
次の瞬間、俺の体は突如として、自分が地面を蹴る前の位置へと「引き戻されて」いた。
攻撃を放ったという事実そのものが、歴史から抹消されたかのような奇妙な感覚。
「カイト殿! ――ハァァァッ!」
シルヴィアが疾風の如き踏み込みで、木刀を監査官の横腹へと叩きつける。
だが、それすらもカチリという音と共に、彼女が踏み込む前の位置へと強制的に巻き戻された。
「……無駄です。我々は『正史のルール』そのもの。
この空間の時間を支配し、あらゆる不合理なイレギュラーを『なかったこと』にできる」
監査官の静かな宣言とともに、他の歯車頭たちが一斉に右手を掲げた。
彼らの手のひらから放たれた灰色の光が、時計塔を、広場を、そして新しく敷き詰められたレンガの道を、じわじわと「無機質なオフィスの床」のような景色へと変貌させていく。
「いや……! せっかく、みんなで新しいページを使い始めたのに……!」
ユキが、白銀色に輝く日記帳を胸に抱きしめながら叫ぶ。
その日記帳の表紙にある、ルカの鍵と融合したエンブレムが、灰色の光に抗うように激しく明滅していた。
「……カイト、諦めないで」
リザが、俺の左手をそっと握りしめた。
彼女の細い指先から、驚くほど強い体温が伝わってくる。
「彼らは歴史の正しさを口にするけれど、そんなものに意味はないわ。
私が国を追われ、あなたに出会い、この街でみんなと不器用に生きてきた。
この泥臭い毎日のどこが、癌細胞だというの? ……私たちの歴史を、勝手に決めさせない!」
リザの瞳に宿る、気高くも激しい「王女の意地」。
その強い意志に呼応するように、ユキの日記帳から、これまでにない純白の光が扇状に広がった。
純白の光が灰色の侵食を押し留め、監査官たちの「巻き戻し」の領域を激しく押し返していく。
「……演算エラー。なぜ『正史の重力』に抗えるデータが存在する?
その白い本……一体、何を記録しているというのだ」
初めて、歯車頭の監査官の声に動揺が混ざった。
「教えてやるよ。そこにあるのはな、お前たちが『無駄』だと切り捨てた、俺たちの意地の記録だ!」
俺はリザの手を離し、再び鉄の棒を両手で構えた。
ユキの白銀の光が、俺の体にまとわりつき、監査官たちの時間操作を完全に無効化していく。
「阿良多、ミア、シルヴィア! あいつらの時計の針を、俺たちの手でブチ折るぞ!」
「ニャハッ! 待ってましたニャ!」
俺たちの反撃の咆哮が、静まり返った街に響き渡る。
正史という名の絶対的なルールを相手に、名もなき箱庭の住人たちが、本当の「自分たちの歴史」を刻むための戦いが始まった。




