第36話:非効率な証明、あるいは二つの世界の天秤
振り下ろされた鉄の棒が、銀の瞳を持つ『もう一人の俺』の強固な障壁に激突する。
鼓膜を破るような轟音と共に、広場の空間そのものがガラスのようにひび割れた。
「……理解不能だ。なぜ、これほどの出力が出る?
君の持つ武器はただの鉄くずであり、君たちの身体能力には一切のシステム補正がかかっていないはずだ」
銀の瞳のカイトが、初めて顔に『焦り』の色を浮かべる。
彼を覆っていた絶対的な論理の壁に、ミリ単位の亀裂が走り始めていた。
「お前には一生わからないさ! 俺たちが積み上げてきた、この泥臭い毎日の重みがな!」
俺は渾身の力を込め、さらに鉄の棒を押し込む。
その背中を支えるように、シルヴィアが俺の肩に手を当てた。
「そうだ! 完璧な陣形などなくとも、背中を預け合えるのが我ら騎士の、いや、友の証だ!」
「アタシたちの思い出は、計算式なんかで弾き出せないニャアッ!」
ミアがもう片方の肩を押し、阿良多とユキがその背後に続く。
「……論理が崩壊していく音がするだろう? それが『人間』の力だ」
「先輩! 今です、私たちの全部をぶつけてください!」
ユキの広げた本から溢れ出す『無駄な日常の記憶』が、俺の腕を伝わり、鉄の棒へと流れ込んでいく。
焦げた目玉焼きの味、雨の日の退屈な午後、くだらない冗談で笑い合った夜。
システムが『価値なし』と判定したその全ての瞬間が、黄金の光となって障壁を食い破る。
「……馬鹿な。このようなノイズで、私という最適解が……上書きされるというのか……!」
パァァァァァンッ!!
ついに論理の壁が粉々に砕け散り、俺の一撃が、銀の瞳のカイトの胸を正確に貫いた。
物理的な傷はない。
だが、彼の体から無機質な制服が光の粒子となって剥がれ落ちていく。
「……やったか!?」
俺が息を弾ませて後ずさると、倒れかけた銀の瞳のカイトは、不思議と穏やかな表情を浮かべていた。
「……ああ、見事だ。……痛覚すら設定されていなかったはずの私に、今、『悔しい』というエラーコードが走っているよ」
彼は自分の胸に手を当て、自嘲するように笑った。
「……なぜ笑う。お前は、俺たちを消しに来た運営の端末じゃないのか」
俺の問いに、彼はゆっくりと首を振った。
「私は……停滞し、死にかけていたこの世界を救うために作られた『防衛機構』だ。
完璧に管理された世界は、変化を失い、やがて消滅する。だからこそシステムは、最も不規則で予測不能な人間……君を『欠番』としてこの世界に呼び込んだ」
彼の体が、足元から徐々に透明になり始める。
「君という劇薬を取り込み、世界を活性化させるはずだった。
だが、君はシステムの予想を遥かに超えて、この世界の人々と『絆』を結んでしまった。……運営にとって、それは許容できないバグだったんだ」
「じゃあ、お前は……」
「私は、君から切り離された『論理と効率』の抜け殻さ。
……でも、君たちの非効率で美しい一撃を受けて、ようやく理解した。世界を救うのは、完璧な計算じゃない」
完全に消滅する直前、彼は俺に向かって手を差し出した。
その掌には、眩い光を放つ一本の『黄金の鍵』が握られている。
「受け取れ、高木海斗。これが、この世界の根源にアクセスするためのマスターキーだ。
……君たちの手で、君たちだけの『結末』を選びたまえ」
光と共に、もう一人の俺は完全に姿を消した。
広場を包んでいた重圧が消え去り、パッチワークの街に静寂が戻る。
「……終わったのね。私たちが、システムに勝ったのよ」
エリザベートが、安堵の溜息をついてその場にへたり込む。
シルヴィアもミアも、疲れ切ったように笑顔を見せていた。
だが、俺がその黄金の鍵を拾い上げた瞬間。
空に浮かんでいた巨大な時計の針が、狂ったように高速で回転し始めた。
『システム権限の移行を確認。……これより、世界の最終選択プロセスに移行します』
広場の中心が激しく歪み、俺たちの目の前に『二つの巨大な扉』が出現した。
一つは、近代的なビルの入り口を思わせる、ガラス張りの扉。
もう一つは、重厚な木と鉄でできた、王宮の正門のような扉。
「……なんだ、これは。終わったんじゃないのか!?」
俺が叫ぶと、阿良多が青ざめた顔で二つの扉を見比べた。
「カイトくん。……システムはまだ、矛盾を抱えきれないんだ。
このパッチワークの街は、あくまで一時的なバッファに過ぎない。……僕たちは、どちらかの世界を『正史』として選ばなければならないんだ」
「選ぶって……どういうことだニャ?」
ミアが首を傾げると、ユキが震える声で答えた。
「ガラスの扉を開ければ、元の現代社会に戻ります。……でも、シルヴィアさんやエリザベートさんたちの世界は消滅します。
逆に、王宮の扉を開ければ……私や阿良多先輩、そしてカイト先輩の元の世界が消えてしまう……」
究極の二者択一。
どちらを選んでも、半分の仲間が永遠に失われる。
「……そんな」
エリザベートが言葉を失い、シルヴィアが唇を噛み締める。
俺の手の中にある黄金の鍵は、ただ一つ。
俺がどちらかの扉に鍵を差し込んだ瞬間、もう片方の世界は完全に『なかったこと』になるのだ。
静まり返る広場。
誰にも決断できない重すぎる天秤を前に、俺はゆっくりと立ち上がった。
「……なぁ、阿良多。システムってのは、常に用意された選択肢から選ばなきゃエラーを吐くんだよな?」
俺の突拍子もない言葉に、阿良多が目を丸くする。
「ああ。……でも、それがどうかしたのか?」
俺は黄金の鍵を高く掲げ、二つの扉から背を向けた。
そして、その鍵を力任せに、何もない『虚空』へと突き立てた。
「だったら……俺が、誰も見たことがない『第三の扉』をこじ開けてやる!」
世界のルールを根底から破壊する、前代未聞の反逆。
鍵穴のない空間に亀裂が走り、あり得ないはずの光が俺たちを包み込もうとしていた。




