第104話:最後の焙煎小屋、あるいは父のレシピ
「……ここが、10年前のあの場所ニャのか?」
商店街の最果て、雑草に埋もれた古いレンガ造りの『旧・焙煎小屋』の前。
ミアが鼻をひくひくさせ、本物の猫耳を微かに揺らしながら、錆びついた鉄扉を見上げた。
千影の端末が示した座標が指し示すのは、俺が幼い頃、親父の背中を追いかけて毎日のように通っていた思い出の場所だった。
「ええ。10年前、私の父が狂気に走り、店主さんとあなたのお父様がシステムを封印した……すべての事件の本当の発端となった場所よ」
キョウコが静かな声で言い、トレンチコートのポケットから真鍮の鍵を取り出した。
その隣で、リザがそっと俺の手を握りしめる。
「大丈夫よ、カイト。どんな過去が待っていようと、今のあなたには私たちがいるわ」
真っ白なカフェエプロン姿のままついてきたリザが、凛とした碧眼で俺を見つめる。
元王女としての誇り高く美しい気品と、俺に寄り添う一途な優しさ。
その温もりだけで、胸の奥にあった僅かな迷いが吹き飛んでいくようだった。
「我が主。中からの邪気やバグの反応は皆無。……だが、言葉にできぬ重厚な『想い』が満ちているな」
シルヴィアが完治した右腕で愛刀の柄をパチリと鳴らし、静かに路地の周囲を警戒する。
彼女の放つ、一隙もない無敵の騎士の戦闘美。
ルカとリィナの兄妹も、彼女の背中に隠れながらしっかりと前を見据えていた。
ギィィ……と重い音を立てて鉄扉が開くと、埃の舞う小屋の奥から、懐かしい『漆黒の焙煎機』が姿を現した。
店主さんが使っていたものと同型の、かつて親父が愛用していた手動式の焙煎機だ。
「カイトくん、見てくれ! 焙煎機のドラムの中に、物理的なメモリー素子がセットされている!」
阿良多がノートPCを抱えて駆け寄り、千影が灰色の瞳を光らせて素早く端末を接続する。
画面に浮かび上がったのは、10年前のあの日、俺の前から姿を消す直前に親父が録音した、くぐもった音声データだった。
『カイト、これを聞いているということは……お前は立派な料理人になり、仲間たちとこの街の日常を守り抜いてくれたんだな』
親父の声だ。
懐かしい、少し掠れた、温かい声が小屋の中に響き渡る。
『あの時、俺が姿を消したのはメビウスの暴走を食い止めるためじゃない。
暴走するシステムを相殺するために、俺の記憶と人生のデータを“人柱”としてシステムの根底に溶かし込む必要があったからだ。
……だが、泣くなよカイト。俺はお前の淹れた珈琲の匂いと共に、この街の風の中にずっと生きていたんだからな』
「親父……っ」
俺の目から、溢れ出る涙が止まらなくなった。
行方不明になったと思っていた親父は、10年間ずっと、この街の風となって俺たちを見守り続けてくれていたのだ。
『カイト、お前に最後のレシピを遺す。
地下5階のシステムに、この焙煎小屋に残された“親父の最後の珈琲豆”を投げ込め。
そうすれば、システムは完全に永遠の『ただの日常』へと変化し、二度と街を脅かすバグを生み出さなくなる。
……これが、俺からお前と、お前の大切な仲間たちへの、本当の最後の贈り物だ』
音声が途切れ、焙煎機の冷却盤から、コロンと一粒の、琥珀色に輝く『最後の珈琲豆』が転がり出た。
「カイトさん……お父様は、あなたにこの街の未来を完全に託されたのね」
キョウコが目元を拭う。
「カイト、泣かないでニャ! お父さんの想い、アタシたちが地下へ届けるニャ!」
ミアが俺の膝に飛びつき、涙目で俺の顔を見つめた。
次回、第105話。
100話以上にわたって紡がれてきた、喫茶『夜鴉』の物語が、ついに最高にして永遠の最終回を迎える。
俺たちは親父の遺した最後の珈琲豆を手に、全ての始まりであり終わりの場所、あの地下へと一歩を踏み出した。




