第103話:返却の暗号、あるいは10年前のロースト
「……僕たちの『失われた過去』を返しに行く、か」
朝の賑わいが一段落し、差し込む陽光が優しくテーブルを照らす喫茶『夜鴉』の店内。
千影の端末に届いた謎の暗号メッセージを囲み、俺たちはカウンターに集まっていた。
画面の奥で明滅する古いプログラムの羅列を見つめながら、千影が灰色の瞳をわずかに細める。
「千影、この差出人に心当たりはあるの?」
リザが珈琲カップをトレーに載せながら、不安と警戒の混ざった碧眼で問いかけた。
カフェエプロン姿の彼女は、すでに給仕としての気品と店を守る指揮官としての鋭さを同居させている。
どんな脅威が迫ろうとも俺の隣を離れないという、その静かな意志が背中越しに伝わってきた。
「僕の父と、カイトの親父さん。そして店主さん……三人が10年前に共有していた『非公開のバックアップサーバー』からだよ」
千影の指先がキーボードの上で滑らかに跳ねる。
「このメッセージは第三者の攻撃じゃない。二つの街が完全に融合し、地下5階の基板が正常稼働した瞬間だけに解凍されるよう、10年前に仕込まれていたタイマー式の手紙だ」
「親父たちが……10年前に?」
俺は胸のポケットに収めた、あの『最初の焙煎匙』をそっと指でなぞった。
「カイト、あいつから懐かしい匂いがするニャ……!」
ミアが本物の猫耳をピクッと動かし、画面に顔を近づけてクンクンと鼻を鳴らした。
「バグの焦げた匂いじゃないニャ。昔、カイトの親父さんが店で豆を炒っていた時の、あの香ばしくて温かい煙の匂いだニャ!」
愛らしい猫耳を揺らしながらも、野性的な直感で本質を打ち抜くミア。
彼女のその言葉に、ピリついていた店内の空気が一気に和らぐ。
「ふむ……失われた過去、か。主よ、お前が料理人としての歩みを始める前の記憶に関わることだな」
シルヴィアが愛刀の柄に手を添え、静かに、だが力強く口を開いた。
完治した右腕で完璧な佇まいを保つ彼女は、まさに無敵の騎士そのものだ。
「いかなる記憶の影が立ちはだかろうと、我が刃はお前の背中を守る。恐れることは何もないぞ」
「シルヴィアさんの言う通りだよ! 伏線なら僕と阿良多で全部解析してみせる!」
ルカとリィナの兄妹が胸を張ると、阿良多も眼鏡を押し上げて力強く頷いた。
「そうさ! 10年前、カイトくんの親父さんが突然店から姿を消した本当の理由……その真相が、この暗号の先にあるんだ!」
10年前、なぜ親父は俺の前から消えたのか。
なぜ店主さんは一人でこの店と街のシステムを守り続けていたのか。
すべての伏線が、10年前のあの「最後の焙煎」の日へと繋がっていく。
千影がエンターキーを強く叩くと、画面の暗号が弾け、一枚の古い地図が表示された。
それは世界や海外などという大層な場所ではない。
この商店街の裏路地、かつて親父が小さかった俺を連れてよく通っていた、あの古びた『旧・焙煎小屋』の座標だった。
「カイトさん、行きましょう」
キョウコが静かにトレンチコートを羽織る。
「父たちが本当に遺したかったのは、兵器でも怪物でもない。あなたへ手渡したかった『最初のレシピ』の続きのはずよ」
「ああ……行こう。俺たちの過去を、確かめに!」
俺たちは真鍮の鍵を握り締め、暖かな日差しが包む商店街の路地へと踏み出した。
10年の時を超えて明かされる、親父の想いと喫茶『夜鴉』の真の始まり。
俺たちの愛おしい日常は、思い出の扉を開き、さらなる深みへと進み始めていた。




