第16章「現れた魔王と美味な食事」
勇者一行の背後にぬっと現れた、二メートルを優に超える筋骨隆々の巨躯。
頭上には威圧感たっぷりの深紅の角が天を突き、羽織った漆黒のマントは床を擦るほど長い。しかし、その凶悪極まりない偉容が両手で大事そうに抱えているのは、どう見てもさっき収穫してきたばかりのみずみずしい野菜と果物がぎっしり詰まった竹カゴだった。
大広間にいた魔族たちが、一斉に目を見開いて叫ぶ。
「ま、魔王様ーーッ!?」
その叫び声を聞いた瞬間、カレンとタクミ、ソウタの全身に電流が走った。
「「「魔王ォォォッ!?」」」
タクミが炎の聖大剣を握り直し、カレンが星の聖杖を構えて息を呑む。
一方、その隣でリオだけは目を丸くして、ケラケラと笑い声を漏らした。
「うわぁ、背デカイなー! あはは!」
「リオォッ!!」
仲間が卒倒しかける中、ゼファルドは琥珀色の瞳を細め、太い眉を下げて朗らかに破顔した。
「おお! 勇者一行か! よく来たな!」
屈託のない、まるで親戚の少年を迎えるような歓迎の言葉に、ユリアが額に青筋を浮かべて食ってかかる。
「よ、よく来たって魔王様!? これ、どういう状況か分かってるんですか!?」
「そうです閣下! 彼らは乗り込んできたのですよ!?」
駆け寄ってきたヴァルターも血相を変えて叫ぶ。
「乗り込んできたというか、案内されて来ただけなんだけどな……」
タクミが喉の奥でボソッと呟いた。
「まあまあ、そう興奮するな」
ゼファルドは大きな手で部下たちをなだめるように振ると、大広間に飾られた華やかな飾り付けやクラッカーの紙吹雪を見回して小首を傾げた。
「……あれ? 何かやっているのか?」
すると、足元にいたバロンが嬉しそうにしっぽをブンブンと振って見上げた。
「今日、魔王様の誕生日だよ〜?」
「おお! そうか! すっかり忘れていたよ、ありがとな!」
ゼファルドは破顔すると、大きな手のひらでバロンの頭をわしゃわしゃと優しく撫でた。バロンは「えへへ〜」と気持ちよさそうに目を細める。
そして魔王は、カゴを持ち直して全員を見渡すと、当たり前のように告げた。
「よし! じゃあ食事にしよう!」
「「「「「えええええええええええッ!?」」」」」
勇者一行も魔族一同も、見事なまでに声を揃えてハモった。
世界をかけた決戦の場で、開口一番「飯にしよう」と言い出す魔王など前代未聞である。
そんな一同のパニックなど気にする風もなく、ゼファルドは側近を呼んだ。
「ヴァルター! これをオルガに渡してきてくれ。取れたてのトマトや果物だ、宴の足しになるだろう」
「あ、はい!」
主の言葉には逆らえないヴァルターは、反射的にカゴを受け取ると、困惑顔のままスタスタと厨房へ向かって駆けていった。
「さて、席はどこに座ればいいかな?」
ゼファルドが尋ねると、ユリアは毒気を抜かれたように目を白黒させながらも、幹部としての役目を果たすべく歩き出した。
「こ、こちらです……!」
ユリアに案内され、主役席である大きな円卓へと向かうゼファルド。
大広間の入り口で、タクミ、カレン、ソウタ、そしてリオの四人は、武器を構えたままぽかんと口を開けて完全にぼーっと立ち尽くしていた。
すると、席の手前で振り返ったゼファルドが、太い腕を上げてクイッと手招きをした。
「ほら、君たちも突っ立っていないで、こっちへ来なさい」
そのあまりにも自然なお誘いに、リオは「はーい!」と真っ先に駆け出し、残された三人は顔を見合わせながら、引きずられるようにして豪華な円卓へと足を踏み出すのだった。
ユリアに案内されるがまま、勇者一行は豪華な円卓の椅子へと腰を下ろした。
ふかふかのクッションと上質なテーブルクロス。その中央には、先ほどまで世界を滅ぼす存在だと信じ切っていた魔王ゼファルドが、どっかりと巨躯を落ち着かせている。
すぐ隣に敵の総大将がいるという極限状況に、リオ以外の三人は青ざめた顔を寄せ合い、声をひそめてパニックを起こしていた。
「ど、ど、どうするのよこれ……っ!?」
カレンが星の聖杖を膝の上でぎゅっと抱きしめ、額に脂汗を浮かべながら震える声で囁く。
「お、俺に分かるわけないだろぉ……っ!」
タクミも大剣を手放せないまま、引きつった笑みを浮かべて小刻みに震えていた。
「魔王とひとつのテーブル囲んで飯食うマニュアルなんて、人間界のどこを探したって載ってねえよ……!」
すると、ソウタが光の聖書を胸の前で掲げ、静かに天を仰いで呟いた。
「神よ……これはいわゆる、命を奪われる前の『最後の晩餐』になるのでしょうか……」
「「最後の晩餐ッ!?!?」」
タクミとカレンの悲鳴がハモり、二人は目を見開いて硬直した。
だが、そんな死の覚悟を決める三人の間から、ひょっこりと顔を出したリオが、目を爛々と輝かせて前方を指差した。
「ねぇねぇ見てあれ! あのジュージュー音立てててソースがかかってるやつ、なんて言う料理!? すっごく美味そうなんだけど!」
「「「あんたは少し黙ってなさいッッ!!!!」」」
死線で一人だけお気楽極まりない幼馴染の頭へ、三人の容赦ないチョップとツッコミが炸裂した。
リオが頭を抱えて唸っている間にも、給仕服を着た魔族の青年が、銀のピッチャーを抱えて恐る恐る円卓へとやってきた。
「あ、あの……お飲み物を……どうぞ……」
ガチガチに震える手。
トトト……と注がれる果実水は、グラスの縁にカチカチと当たって小気味いい金属音を鳴らしている。あまりの緊張ゆえに、最後の一滴を注ぎ終える頃には給仕の額からも滝のような汗が吹き出していた。
テーブルの周囲からも、遠巻きに様子を伺う魔族たちの囁き声がひっきりなしに届いてくる。
『……おい、なんで勇者が魔王様と同じテーブルに座ってんだ……?』
『これからどうするのよ……? 急に剣を抜いたりしないかしら……』
『魔王様、油断しすぎじゃないか……?』
張り詰めた空気の中、タクミたち三人がますます身を固くしていると――
「はいよっ! 通るよ、熱いから気をつけておくれ!」
厨房の方から、どっしりとした足取りで現れたのは白いコック帽を被った大柄な女性、総料理長のオルガだった。
彼女はまずゼファルドの前に立つと、腰に手を当てて快活に笑いかけた。
「魔王様、さっきの採れたて野菜とフルーツ、受け取ったよ! みずみずしくて最高の出来だね。あんな立派なトマト、デザートやサラダにどっさり使わせてもらうよ!」
「うむ! 丹精込めて育てた甲斐があった。よろしく頼むよ、オルガ」
ゼファルドが嬉しそうに目を細める。
するとオルガは、円卓の端で借りてきた猫のように小さくなっている勇者一行にパッと視線を向けた。
「あら? 見慣れない顔だけど、お客さんかい? 遠慮しないで、食べたいものがあったらなんでも言いなよ!」
その豪快で温かい声が響いた瞬間、待ち構えていたかのようにリオがパッと手を挙げた。
「オムライス!」
間髪をいれない、あまりにも元気いっぱいな注文。
「ぶふっ……オムライスかい!」
オルガは一瞬目を丸くしたが、すぐに白い歯を見せて豪快に笑った。
「いいねぇ、若い子はそうでなくっちゃ! わかった、ちょっと待ってな! 卵をとろっとろに仕上げて特製デミグラスソースをたっぷりかけてやるよ!」
「やったー! オムライスだーっ!」
リオが両手を突き上げて歓声を上げる。
「オムライスができるまで、向こうのテーブルにある料理を好きなだけ取って食べな! 残さず腹いっぱい食うんだよ!」
オルガはそう言い残すと、エプロンを翻してスタスタと厨房へ戻っていった。
「よーし! 何食べようかなー!」
リオは席を立つと、トングとお皿を引っ掴み、鼻歌交じりにビュッフェ台へスタスタと行ってしまった。
「ちょ、ちょっとぉ!?」
カレンが引き止める間もなく、その背中はあっという間に料理の並ぶ長テーブルへと吸い込まれていく。
残されたタクミとカレン、ソウタが呆然としていると、真正面のゼファルドがふふっと優しく喉を鳴らした。
「君たちも料理を取ってくるといい。オルガの料理は本当に美味しいぞ?」
「は、はい……」
魔王の底知れない笑み……ではなく、純粋に食事を勧めてくる柔らかな眼差しに気圧され、カレンは引きつった返事を絞り出すのが精一杯だった。
その時、遠くのビュッフェ台から大声が響き渡った。
「おーい! なにやってんだよー! これめっちゃ美味しそう! あれも! こっちの肉もすっげえぞー!」
皿からこぼれ落ちそうなほど山盛りに料理を乗せながら、リオが満面の笑顔でブンブンと手を振っている。周囲の魔族たちがギョッとして道を開けていることなど、本人は露ほども気にしていない。
「おい! 待て一人で行くなよ!」
タクミが慌てて席を蹴り、ソウタとカレンも「まったくもう!」と頭を抱えながら、我先にとリオの背中を追いかけて駆け出していった。




