15章「開かれた扉と、前代未聞の遭遇」
正面大門の小さなスライドドアを抜けた勇者一行の前を、番犬のバロンがぽてぽてとお尻を揺らしながら歩いていた。
「こっちだよ〜。ついてきてね〜」
のんびりとした声に導かれ、手入れの行き届いた中庭を抜け、豪華な本館の廊下を進んでいく。
しかし、案内役のあまりの気の抜けた態度とは裏腹に、勇者一行の緊張は限界を迎えつつあった。
「……ねえ、私たち、本当に大丈夫かしら……」
カレンが星の聖杖をぎゅっと胸の前で抱きしめ、青ざめた顔で囁く。
「だ、大丈夫だって……俺たちには選ばれし伝説の武器があるし、ドワーフの村や教会で覚悟を決めてきたんだ……」
タクミが炎の聖大剣の柄に手をかけたまま、自分に言い聞かせるように呟く。背中には冷や汗がびっしりと滲んでいた。
「神よ、我らに勝利と加護を……」
ソウタも光の聖書を握りしめ、喉の渇きを堪えながら祈りを捧げる。
これから向かうのは、世界を恐怖に陥れる最恐の魔王が待つ決戦の場。
どんな禍々しい玉座で、どんな凶悪な魔獣を引き連れて待ち構えているのか。一歩足を踏み入れれば、血で血を洗う死闘が幕を開けるに違いない――。
そんな張り詰めた空気の中、リオだけはまったく別の方向を向いていた。
「へへっ、魔王ってどんな人なんだろうな! すっげえ強そうだけど、会えるの楽しみだなー!」
首を前後に振りながら、遠足に向かう子どものように目をキラキラと輝かせている。
「「「あんたねぇ……!!!」」」
タクミ、カレン、ソウタの三人は同時にリオを睨みつけ、盛大に呆れ果てた溜息をついた。死地に赴く自覚が欠片も存在しない。
そうこうしているうちに、バロンの足がピタッと止まった。
「着いたよー! ここだよ〜」
一行の目の前にそびえ立っていたのは、見上げるほどに巨大で豪壮な両開きの扉だった。
金と紫の豪奢な装飾が施され、いかにも「大広間」といった威容を誇っている。
「ここか……」
リオ以外の三人が、ゴクリと唾を飲み込み、息を詰めた。
タクミが大剣を握る手に力を込め、カレンがいつでも防御魔法を展開できるよう魔力を練り上げる。
その緊迫した空気など知ったことではないバロンは、トテトテと扉に近寄ると、前足でドンドンと軽快に扉を叩いた。
「来たよー! 開けてー!」
雑すぎるノック。
すると、扉の向こうからタタタッと慌ただしい無数の足音と、ガサゴソと何かが擦れ合うような物音が聞こえてきた。
(来るぞ……ッ!)
タクミが息を殺した、その瞬間――。
バーーーンッ!!!
勢いよく両開きの扉が内側から開け放たれた。
「「「魔王様、お誕生日おめでとうございまーーーすッッッ!!!!」」」
パーン! パパパーンッ!!
クラッカーが派手に炸裂し、色とりどりの紙吹雪とリボンが宙を舞った。
視界いっぱいに広がったのは、色鮮やかな花々で飾られたきらびやかな大広間と、クラッカーの筒を構えて満面の笑みを浮かべる魔王軍の幹部や魔族たちの姿だった。
だが。
飛び出してきた紙吹雪を浴びながら、タクミ、カレン、ソウタの三人は完全に白目を剥いて固まっていた。
武器を半ば引き抜いた、戦闘態勢の格好のまま。
「……え?」
一方の扉の前に立つリオだけは、舞い散るリボンを掴んで「わぁーっ!」と一人でニコニコと笑っている。
「…………え?」
クラッカーを鳴らし終えた魔族たちも、そこに立っていたのが自分たちの主である魔王ではなく、全身に重装備を纏った見知らぬ少年少女たちであることに気づき、笑顔のままピキピキと固まった。
静まり返る大広間。
誰もが息を止め、時間の流れすら凍りついたような沈黙の中、ぽつりぽつりと声が漏れる。
「たんじょ……うび……?」
「ん……?」
「え……?」
「わぁ! なんか奥からすっごい美味しそうな匂いがするー!」
リオの屈託のない声だけが、虚しく大広間に響き渡る。
魔族たちの視線が、リオの腰の「太陽の聖剣」、タクミの「炎の聖大剣」、ソウタの「光の聖書」、カレンの「星の聖杖」へと注がれる。
『……ゆ、勇者……?』
『え?』
『ちょっ……どういうこと!?』
次の瞬間、大広間の天井を突き破らんばかりの絶叫が、双方から同時に爆発した。
「「「「「えええええええええええええええええッッッッ!?!?!?!」」」」」
勇者一行は、眼前に広がる大広間に何十体もの異形の魔族や幹部たちが勢揃いしている光景に腰を抜かしかけ、
魔族一同は、絶対に侵入できないはずの魔王城の中枢に、伝説の武器を構えた「人間の勇者一行」が平然と立っているという悪夢のような事態にパニックを起こして飛び退いた。
阿鼻叫喚と大混乱が渦巻く中、紙吹雪を頭から被った赤髪の女性幹部――四天王のユリアが、額に青筋をビキビキと浮かび上がらせて一歩前へ踏み出した。
そして、勇者一行の前で呑気に尻尾を振っている番犬を指差し、怒髪天を衝く勢いで怒鳴りつけた。
「バロンッッ!! これ、一体どういうことなのよォォォォッッッ!!!!」
「バロンッッ!! これ、一体どういうことなのよォォォォッッッ!!!!」
ユリアの怒声が大広間にビリビリと木霊した。
だが、怒鳴られた当の本犬であるバロンは、ぽてぽてと首を傾げ、まったく悪びれる様子もなくキョトンと目を丸くした。
「えー? お客さん連れてきたんだけど? ……え? お客さんじゃないの?」
「どう見たって勇者でしょ!!」
ユリアが赤髪を逆立て、リオたちが腰に下げる神々しい聖なる武器をビシッと指差す。
その言葉を聞いた瞬間、バロンの垂れ耳がピーンと跳ね上がり、丸い目がこれ以上ないほど見開かれた。
「えーそうなの!? ってことは、ぼく倒されちゃうの!? ヤダヤダーーッ!!」
バロンはその場でゴロンと仰向けにひっくり返り、四本の短い足をジタバタとジタバタさせて全力で駄々を捏ね始めた。
「「「「「今更それ言う!?」」」」」
あまりの緊張感のなさに、構えていたタクミたち勇者一行も、息を呑んでいた魔族一同も、全員揃って盛大に肩を落とし、呆れ果てたツッコミをハモらせた。敵味方の垣根を越えて、場内に深い脱力感が充満する。
しかし、ユリアはゴホンとひとつ咳払いをすると、キリッとした表情に戻って腰の剣に手をかけた。
「と、とにかく! 戦いに来たのでしょ!? 私たちがお相手するわよ!」
四天王としての鋭い闘気がパッと広がり、周囲の魔族たちもハッと我に返って戦闘態勢を取ろうとざわめき立つ。
「いきなり戦闘かよ!」
タクミが慌てて炎の聖大剣を構え直す。
「こんな多い魔族たちに敵うわけないわ……!」
カレンが星の聖杖を握りしめ、冷や汗を流しながら後退りする。
「おぉ神よ……我らの魂をお救いください……」
ソウタは光の聖書を胸に抱き、早くも天を仰いで祈り始めた。
そんな極限の緊迫状態の中、一人だけ空気を読まない声がぽつりと落ちる。
「俺、お腹すいたんだけど」
「リオォォォッ!!」
カレンの怒声とタクミの悲鳴が重なり、大扉の前が完全にカオスと化してギャーギャーと騒がしくなった――その時。
勇者一行の真後ろから、ふわりと穏やかで、けれど腹の底に心地よく響くような重厚な声が降ってきた。
「君たち、何を騒いでいるのかな?」
「「「えっ?」」」
ビクッと背筋を凍らせたリオたちが、恐る恐る振り返る。
そこに立っていたのは――見上げるほどに巨大な体躯に、頭から生える堂々たる深紅の角、そして漆黒のマントを纏った威厳あふれる存在。
まごうことなき、この城の主――魔王ゼファルドだった。
だが、その恐るべき姿とは裏腹に、彼が両手で大事そうに抱えていたのは――
ツヤツヤと輝く採れたてのトマトやみずみずしいレタス、そして大粒のブドウや真っ赤なリンゴが山盛りに詰め込まれた、編み込みの大きな手編みカゴだった。




