3.終末(下)
「油断するな。怪魔はまだ残っている。必ず殲滅せよ」
女の遺体を見下ろしていたステファニーは、すっと顔を上げると周囲に檄を飛ばした。騎士と操言士たちは松明や明灯器で周囲を照らし、怪魔の姿を探して歩き回る。暗闇の中ではどこから怪魔が出現するか見えないので、緊張感がずっと続いていた。
「オリジーアやサーディアは、どうなっているでしょうか」
ステファニーの背中に操言士ビリーが声をかけた。ステファニーは静かに目を閉じると、自分の魂に宿る光の四分力に集中する。
「まだ、終わってはいないな」
ステファニーのひたいがうっすらと光り、輝紋がステファニーに短く告げる。いわく、オリジーアとサーディアのそれぞれの場所で繰り広げられている戦闘は、まだ終わっていないと。
「夜明けの気配がないな」
星が消えて真っ黒に塗りつぶされた空を、ステファニーは見上げた。
完全な夜になった頃はまだ星明かりがあったはずだが、気付けば天上は、まるで黒い何かで覆われたかのように真っ暗だった。松明や明灯器の灯りが消えれば、人々は互いの姿が見えなくなってしまうだろう。
「まるで闇そのものの中にいるようですね」
ビリーも東の空を見上げて、険しい表情を浮かべる。
今夜は時間がとてもゆっくりと流れている気がしたが、夜は確実に更けてきていたはずだ。体感では、もうそろそろ東の空に太陽が昇り、一年の中でもかなり早く始まる夏の朝がスタートしてもいい頃合いだ。しかし、空が白む気配はない。
「ステファニー女王、まさか光の神様カオディリヒスは――」
――ビリーが不安を口にしたその時だった。ステファニーのひたいの輝紋が、これまでに見たことがないほどに激しく、朱色の光を放った。
「くっ」
「ステファニー女王!?」
いつもなら感じない熱をひたいに感じ、ステファニーは苦悶に顔をゆがめた。
ビリーが駆け寄り、ステファニーの肩を抱く。その瞬間、輝紋は脱兎のごとくステファニーのひたいを離れ、北の空を目指して駆けていった。
「輝紋が!」
ビリーは空を走っていく朱色の輝きに目を奪われたが、ほどなくしてステファニーに視線を戻した。そして、ステファニーのひたいから輝紋が消えていることに気付き、驚愕の表情を浮かべた。
「カオディリヒスが、オリジーアに向かったようだ」
「カオディリヒス……光の神様が?」
ステファニーは自分の肩に置かれたビリーの手をどかしながら答えた。
「私の役目は……セカンディア王家が代々つないできた役目は、無事に果たせたようだ。いまこの瞬間まで、悪しき者たちから光の四分力を守り抜くという役目をな」
「カオディリヒスはオリジーアで何を? それに朝は……夜明けはくるのですか」
ビリーに尋ねられて、ステファニーは沈黙した。光の四分力が魂から放たれたいま、もはやカオディリヒスからのメッセージを感じ取ることはできない。
「彼の者たち次第だろうな」
ステファニーは輝紋が向かった先の暗い空を見つめる。
その時、少し離れたところから怪魔の叫び声が聞こえてきた。
ピラーオルドの悪しき残滓は殲滅しきっていない。
夜明けはまだ、当分こないだろう。
◆◇◆◇◆
(これをどうするか)
紀更は手のひらの上の四分力を見つめた。
紀更のひたいには、縹色の光を放つ暗紋がまだ輝いている。つまり、今まさに紀更こそが、すべての闇の四分力を手に入れた人間だ。
「ヤオディミスを呼んでみるか?」
ユルゲンが少しばかり冗談交じりに言う。
そんなことができるのだろうか、と紀更がふと考えたその瞬間――。
――ヒュゥーーーン、パッ!
南の空の暗闇を、一筋の光が裂いた。
流れ星のように、だが流れ星にしてはあり得ない速度で、その光はまっすぐにオリジーアの王城の広場をめがけて飛んできて、そして――。
「きゃあ!」
――紀更とユルゲンの間に割って入り、思わず目を閉じてしまうほどの閃光を放った。
(なにっ……何がっ……)
紀更は手の中の四分力を落とさないようにぎゅっと拳を握り、もう片方の手で自分の目を覆う。だが眩しさはしばらくおさまらず、なかなか目が開けられない。しばらくすると、周囲は不自然なほどに静まり返り、足元に妙な覚束なさを感じ始めた。
「な、に」
紀更は恐る恐る目を開けた。
王城前の広場は、操言士たちが作り出した光球のわずかな灯りしかない暗闇だったが、紀更が目を開けると景色は一変していた。
王城がない。芝生もない。それどころか、地面も空も、何もない。先ほどまでの暗闇とは打って変わって、明るく真っ白な空間が上下左右前後に広がっている。空間内には様々なパステルカラーの半透明の波がゆったりと流れており、それらは重なったりぶつかったりしながらも、それぞれが好きな方向にただよっていた。
「っ……ユルゲンさん……王黎師匠!」
傍にいたはずの人たちの姿も見えないことに気が付き、紀更は不安になって名前を呼んだ。
「最美さんっ……コリン団長……誰か!」
ユルゲンたちからの返答はない。紀更は急激に心細さを覚える。
その時、不思議なイントネーションの声が聞こえた。
[大丈夫や。ちょぉ待ってや。今な、順番に接続しとるとこやから]
紀更は驚いて背後に振り向いた。その拍子に身体がふわりと浮かび、流れてきた薄桃色の波とぶつかってしまう。だが、波はまるで紀更など存在していないかのように、すっと紀更の身体を通り抜けて別の方向へ流れていった。
「あなたは……角羽さん」
[ん~……もうちょいマシな名前がよかったわ~。ま、えぇけど]
それは、操言院修了試験合格後、俊の墓前で出会った不思議な人物だった。
男性の中でもかなり長身なユルゲンよりも、頭ひとつ分高い身長。男性にも女性にも見えるような顔立ちに、赤い隈取。耳の位置に生えているのは耳ではなく小さな羽で、背中からは大きな羽が生えている。そして、前髪の生え際からは二本の螺旋状の角。角と羽があるから角羽さん、と名付けたのは王黎だ。
「紀更!」
しばし角羽を見つめていた紀更は、ふいに名前を呼ばれて視線を少し上に上げた。すると、まるで舞い下りてくるようにユルゲンがこちらに手を伸ばしていた。
「ユルゲンさん!」
紀更は迷うことなく、その手に自分の手を伸ばす。紀更の身体はふわりと浮かんでユルゲンに引っ張られて、ぎゅっとその腕の中に閉じ込められた。
「よかった、無事か」
「はい、ユルゲンさんも」
離れていたのはほんのわずかな時間にすぎないだろうに、ユルゲンの深い声音には「無事に再会できて心底安心した」というユルゲンの思いを強く感じる。その声を通して感じるユルゲンからの愛情深さに、紀更は破顔した。
「こら。なに笑ってんだ。心配したんだぞ」
「ふふっ……私もですよ。突然眩しくなって」
「いや~。ほんと何かと思ったけど、なんだろうね~ここ~」
間延びした声が聞こえて紀更は驚き、声がした方を向いた。
「王黎師匠!」
「ねえねえ、水の中みたいじゃない? 浮いてるっていうかなんていうか」
王黎はのんきに手を振ると、右足に力を入れて何もない空間を蹴った。王黎の身体はふわりと浮かび、王黎が手足を少しばたつかせるとゆっくりと空中で回転する。
「あはっ、なにこれ楽しい~。飛んでるみたい。でも、浮遊感っぽいものはそんなに感じないし……最美、どう思う?」
「わたくしがニジドリ型で空を飛ぶ時の感覚とはだいぶ違いますわ、我が君」
「最美さんも……いつの間に」
あぐらをかいたままの状態でゆっくりと水平方向に回転している王黎の背後には、いつの間にか最美の姿があった。その最美が手を伸ばすと、王黎は体勢を正して最美の手を取り、二人ですっと立ち並ぶ。
「コリン団長はいないのでしょうか」
[あ~。おらんよ。君ら四人だけや]
紀更がきょろきょろと周囲を見渡していると、角羽がくすくすと笑った。
「紀更、もしかして彼かな? 墓地で見かけたっていう、不思議な人物の角羽さんは」
「あ、はい、そうです」
紀更はゆっくりと頷いた。それから、ユルゲンの腕をほどこうとしてみるが、ユルゲンは無言のまま、紀更の腰に回している腕に力を入れた。
「あの、ユルゲンさん」
「ん?」
「ん、じゃなくて、離してください」
「断る。こんな得体の知れない場所で君を離せるか」
[あははっ! 傭兵くん、安心したってや。ココに君らを傷つけるものはあらへんから。まあ、でも、お熱いようで何よりやわ]
紀更を離すつもりのないユルゲンがおかしくて、角羽は口を開けて笑った。そんな角羽を、紀更を抱いたままのユルゲンは冷静に観察する。
「あんた、光の神様カオディリヒスか」
「えっ」
ユルゲンの問いかけに驚き、紀更は角羽を見つめた。
[ちゃうよ。でもカオディリヒスやったら、君の魂が持ってる光の四分力を渡してくれればココに呼べるで?]
角羽は細長い指で、ユルゲンの心臓を指差した。
「ああ、やるよ。遠慮なく持ってけ」
[ほな、そうさせてもらいましょか]
ユルゲンの心臓を指差していた角羽の指が、くいっと曲げられる。その一瞬、ユルゲンは胸元に痛みを感じて顔をしかめた。するとユルゲンの胸の中から、朱色の光を淡く放つ魂水晶が出てきて、それは角羽の導きで白い空間のどこかへと飛ばされてしまった。
「光の四分力……」
紀更はそこで、自分も四分力を持っていたことを思い出して、握りっぱなしだった手のひらを開いた。
[特別な操言士、君の持つその魂水晶と君の魂に宿る闇の四分力をくれたらヤオディミスも呼べるねんけど、どないする?]
「あっ、はい。どうぞお返しします」
[ん~……素直やなあ。少しは惜しんでもえぇんとちゃうの?]
ユルゲンと同じ方法で、紀更の胸の中から闇の魂水晶が取り出される。
角羽が左右の人差し指をぴっと振ると、紀更が持ってた四つの魂水晶と合わせて、それらは白い空間のどこかへ飛んでいった。
「神様の力は、人が持つべきものではないですから」
魂水晶のなくなった手のひらを見つめて、紀更はぼんやりと呟いた。
[神様がそれを望むんやったら、人間が神様の力を持っていてもええと思うんやけどね~]
それは、角羽という人物が確実に人間ではないから言える台詞だろう。ピラーオルドや怪魔のことを考えると、紀更はとてもそうは思えなかった。




