3.終末(上)
「ニアックを傷つけるというより、ニアックから力を引きはがしたいんです。四分力を失えば、彼はただの哀れな人間になるだけ」
紀更は目を閉じた。頭の中にニアックの姿を思い描く。そのイメージが、ユルゲンに伝わりますようにと。
「ニアックの魂は、きっと胸の中心にある。四分力はその中。だから、ニアックの胸元を攻撃してください。朱色の光、縹色の光……魂水晶と呼ばれる、それはきっと輝く結晶のようなもの。それがあるはずです」
紀更のひたいに浮かんでいる縹色の三日月形が、輝きを増していく。それに合わせるように、ユルゲンのひたいの朱色のひし形も輝いた。
二人の身体を、色の違う二種類の光の線が幾重にもとりまく。それらは二重螺旋を形作りながら地面と水平に広がり、二人の周囲を明るく照らしていく。
その光景を、ニアックは険しい表情のまま食い入るように見つめた。
「なんだ!? そこの二人、何をしている!」
紀更とユルゲンの異変に気が付いたカギソが怒鳴った。
「光と闇の四分力! そうか、初代言従士の生まれ変わりがユルゲン君で、君たちも力を持っているんだったな! だがそれは、闇神様が持つべきものだ! 寄越したまえ!」
カギソは操言の力を使い、空中にふたつの鉄製の剣を出現させた。
【鋼鉄の剣に貫かれし哀れな二人の肉の器よ、その活動を停止させ、魂に宿す四分力を速やかに解放したまえ!】
「紀更、ユルゲンくん!」
王黎が焦りの表情で二人の名前を呼ぶ。しかし、紀更もユルゲンも目の前のニアックに集中していてカギソの攻撃に気付かない。
【我が鋼鉄の剣よ! 光と闇の四分力を彼らの魂から切り離せ!】
鋭く光る二振りの剣の切っ先が、放たれた矢のごとく宙を疾走し、紀更とユルゲンをまっすぐに狙う。
「紀更!」
「我が君!」
王黎が駆け出した。その王黎のあとを追うように、傷だらけの最美も。
カギソの剣の進行方向に、二人が飛び出す。
――どんっ!
だが、王黎と最美の身体は何者かの手によって弾き飛ばされ、地面に転がった。
「くっ!」
地面に転んだ痛みを無視して、王黎は急いで身を起こした。そして、目の前の光景に驚愕し、大きく目を見開く。
「コリン団長……レイモンド王子?」
王黎の身体を突き飛ばし、代わりにカギソの剣に貫かれたのはレイモンドだった。そしてレイモンドと同じく、最美の身体を突き飛ばして彼女の代わりに全身で剣を受け止めたのはコリンだった。
「王子! どうして!」
「コリン様!」
最美も王黎同様に激しく動揺して、剣に胸を刺し貫かれたコリンの名前を呼ぶ。
もしもレイモンドがいなければ紀更が、そしてコリンがいなければユルゲンが、それぞれ二振りの剣の餌食になっていたことだろう。
「はっ……ははっ……やっと……やっとだ」
足が震えているレイモンドはちらりと紀更を見やった。
二重螺旋を描く朱色と縹色の光の線に包まれている紀更は、ユルゲンの隣に立ったまま瞬きひとつしていない。まるで、紀更とユルゲンだけ時間が止まっているかのようだ。カギソも王黎も、そしてすぐ傍で身を挺したレイモンドのことさえも、目に留める必要のない外野だと言わんばかりに。
「はっ……やっぱ、お前は……俺を見ない……のな」
「レイモンド王子!」
レイモンドの両膝が曲がり、芝生の上に崩れ落ちる。
王黎が急いでレイモンドに駆け寄ったが、彼の胸を貫いている剣はまだ消えない。カギソの操言の力がまだ有効なのだ。
「レイモンド王子? 家臣たちは怪魔と戦っているというのに、逃げ隠れていた卑怯な王子か! アハハ! ライアン王から光の四分力を引きはがす際に、万が一王子のどちらかに継承されてはいけないから、あなた方の抹殺はアーサーに任せたつもりだった。だが、すでに四分力は闇神様のものだ! もう遅い!」
「はっ……何、ワケ、わかんねぇこと……言って……やがる」
高らかに笑うカギソを視界の端にとらえて、レイモンドは馬鹿にしたように小さく笑った。
「俺、は」
遅くなんかない。これでよかった。この瞬間でよかった。この瞬間のために自分はに生まれ、そして生きてきたのだ。
レイモンドは紀更へと手を伸ばそうとしたが、その腕にはもう力が入らなかった。
「あ、あ、あ? あれ……あれ……どうして……あれぇ」
その時、ニアックの様子が一変した。
鮮やかな二重螺旋に包まれていく紀更とユルゲンを食い入るように見つめていたニアックだったが、急に呂律が回らなくなり、かきむしるように自身の身体を手の指でひっかき始めた。先ほどまでの正常さは消え、落ち着きのない言動をとり始める。
「あっ……あ……な、んだ……なんだっ!?」
「闇神様っ!?」
急変したニアックに、カギソは慌てて近付いた。
(あれは?)
レイモンドからニアックへと視線を移した王黎は、異様な光景を目にした。
いつの間にか、ニアックの周囲をとりまいていた朱色と縹色の光の輪はすっかり薄くなり、代わりに、彼の上半身から頭上にかけて、真っ白な湯気のようなものがゆっくりと立ち込めていたのだ。そしてその白さは、真っ暗な天へゆっくり昇っていく。
「い、やだっ……だめっ、だ」
ニアックは己の身をかきむしる指先で、今度は白い湯気をかき集めようと頭上に手を伸ばした。
「だっ……だめっ……らめ、らっ……ああっ」
「闇神様! これはいつもの症状ではないっ!? 具月石! 具月石を!」
「ふん……バカ、野郎が」
芝生の上に横たわるレイモンドが吐き捨てる。
「ぁっ……っ!」
そのレイモンドの存在に気が付いたニアックは、ぎょろりと眼球を飛び出させて口を縦に開けて騒いだ。
「おまっ……! おまえ、おま、えだ、な! お前が! こんな! こんな!」
「うるっ、せぇ」
「な、んで! お前が! お前がああ! ボクだ! ボクはボ、クだ! ボ、クだ!」
「きさ、ら……早く……そいつを……やっちまえ」
ユルゲンのすぐ傍に立ってニアックを見据える紀更の姿をレイモンドは見上げた。しかしレイモンドの目には、もうぼんやりとしかその姿は映らない。
(ああ……俺はやっと……できた)
レイモンドはこらえた。手足の感覚はないのに、剣で刺し貫かれた胸の激痛だけははっきりと感じる。一瞬でも気を抜けば、この意識は霧散するだろう。
けれど、まだもう少し待ってほしい。まだ逝きたくない。最後に彼女の――スキナオンナノコの勇姿を見届けたい。
好きだから愛して、愛しているから憎むのではなく。自分にないものを持っているからといって一方的に妬み、その気持ちでまた憎しみを増長させるのではなく。
愛しているからこそ純粋に、何かしてあげたかった。やっとそう思えて、そしてそれを実行できた。この命を懸けて守れた彼女の姿をまだ――。
(――見て……おきたいんだ)
「ニアック、あなたが持つ三つの闇の四分力と光の四分力……全部返してもらいます」
「ゃだっ……い、や、だっ」
据わった目の紀更に睨まれてニアックは慌てた。頭上から白い湯気が抜けていくにつれて、ニアックの身体はまるで干からびたようにしおれて細くなっていく。
「闇神様! 闇神様!」
そんなニアックの傍で、カギソが顔をしわくちゃにして慌てふためいている。
【ニアック、その身を引き裂く我が言従士の刃。その力を防ぐ術はなく、その魂は形を失う!】
「無駄だ紀更くん! 君の操言の力は闇神様が奪った! 君に操言の力はもうない!」
カギソは、手にした具月石をニアックの胸に当てながら叫んだ。いつもならそうすることでニアックの持つ闇の四分力が安定するのだが、その処置も今は効果がない。
カギソはせめて紀更に何かさせないようにと、紀更の意識を乱そうと試みる。しかしカギソの声は、言葉は、もう紀更には届かない。
「終わりだ、ニアック!」
ユルゲンが両刀の柄を握りしめ、ニアックに向かって走り出そうと踏み込む。
「させるかっ!」
不気味なほどに瞳孔が小さく丸くなり、カギソは憤怒の表情を浮かべた。
◆◇◆◇◆
「観念しろ、ピラーオルドの女」
セカンディアのヒノウエ集落付近で、セカンディアの騎士と操言士たちは一人の女を取り囲んでいた。
徹底的な見回りと警戒によって発見した不審人物。眼鏡をかけたお団子ヘアの女は、およそ人間とは思えない怪しげな人物とあまたの怪魔を統率していた。
その女が次から次へと怪魔を出現させ、息を吐くだけの怪しげな人物が怪魔を巧みに操って攻撃をしてくる。しかしセカンディアの騎士と操言士たちは数に押されることなく怪魔を斃し、女の方の体力が底をついた。そして、ついに女は包囲されたのだった。
「は……ははっ」
荒々しい呼吸に混じって、渇いた笑いが思わずもれる。
(そう……これがあたしの最期なのね。長く生きたわりには、とても普通ね)
「ピラーオルドの幹部で、元オリジーアの操言士だな?」
アンジャリの目の前に立った一人の騎士が、厳然とした態度で尋ねた。
彼らにかつての所属を名乗った覚えはないが、さすが聡明と評判のステファニーが率いるセカンディア軍だ。ピラーオルドがどのようなメンバーで構成されているのか、すでに下調べはすんでいるらしい。いや、「特別な操言士」の一行が教えたのかもしれない。
「抵抗しなければ殺しはしない。おとなしく投降しろ」
騎士が最後通牒を突き付ける。
「あたしは誰の言いなりにもならない。他人のことなんて優先しない……もう――」
しかし騎士の命令を耳に入れるつもりなど、アンジャリには毛頭ない。
いつだって自分のことを後回しにして、国と人々に尽くしてきたオリジーアの操言士。そうして過ごした時間が――そうして過ごすように強制された時間が、どれだけアンジャリの心身を削ったことか。誰かのため、誰かの求めることのために――それに応えることに必死で自分自身を蔑ろにしていたのだと気付くのに、ずいぶんと時間がかかった。その悔しさが、自分の置かれた境遇への悲しさが、そしてそのことに気付いてくれなかった祖国とそこに住まう人間への憎しみが、今日この日までアンジャリを突き動かしたのだ。
「――もう二度とっ!」
残った力を振り絞ると、アンジャリは具月石をかかげて怪魔を呼び出す。そして自分を生け捕ろうと狙う騎士や操言士たちに向かって、操言の力を解き放った。
◆◇◆◇◆




