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ヒオクダルスの二重螺旋  作者: 矢崎未紗
第20話 最初の操言士と王都決戦

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2.過去(下)

「紀更! 大丈夫か!?」


 ユルゲンに名前を呼ばれて、紀更ははっとした。高速回転して入り交じり、ふれ合わないように幾重にも縦に並べられた横向きの糸でできたように見えていた景色が、ありのままに戻る。

 いま、自分は何を見ていたのだろうか。それとも、思い出していたのだろうか。


「奏桜……それが、初代操言士の名前」


 紀更は呟いた。するとニアックは目を細めて口の端をつり上げ、ほほ笑んだ。


「そうだよ。初めて闇の神様ヤオディミスから四分力をもらった人間。ボクが愛した女性(ひと)……ああ、いとしくてたまらない」


 ニアックは右手を天にかかげた。その手のひらの先、星が消えた空は見たことがないほどに深い黒に染まっている。


「ねえ、今度は……今度こそは、ボクを選ぶよね?」


 ニアックは右手を紀更に向けると、細長い指をゆっくりと手のひらの中へ折りたたんだ。


「だって、ボクはこれから、この力を使って新しい世界の柱となる。君がボクを愛する世界を創るんだ。そうしたら、君は必ず、ボクを愛してくれるよね?」

「イヤ……」


 紀更は再び胃の中に気持ち悪さを覚えた。だが、その不快感に気を取られている場合ではない。


「絶対にいやよ。私が愛するのはあなたじゃない。あなたのことは絶対に愛さない」

「ふーん……そうなんだ」


 ニアックはカッと目を見開くと、カギソに向かって指を鳴らした。


「カギソ、そっちの三人を痛めつけて! 殺さない程度にね! 奏桜がボクを愛さない世界ではどんな悲鳴が上がるのか、教えてあげて!」

【薄き葉は鋭利なり、小さき刃も鋭利なり! 無数に交互に無風に交差すべし!】


 カギソが操言の力を使うと、カギソの周囲に無数の葉と、葉によく似た形と大きさの半透明の刃が現れた。そしてそれらがいっせいに、王黎とコリンと最美に向かって飛んでくる。


「ディロスシーガス!」

「薄きは厚く、小さきは大きく、重みを増して地に落ちよ!」


 王黎とコリンが操言の力を使ってカギソの攻撃を防ごうと試みる。しかし、二人がどんなに正確なイメージを描いて結び付く言葉や操文を口にしても、周囲にはなんの変化も現れなかった。


「我が君!」


 防御ができないといち早く判断した最美が、両手を広げて王黎の前に立ちはだかった。カギソが飛ばした鋭利な葉と刃を、背面いっぱいに浴びる。それらは殺傷能力こそ高くないものの、最美の服と肌を薄く細く裂いて、最美は無数の小さな傷を全身に負った。


「最美!」


 最美がかばったので無傷ですんだ王黎は、悲壮な声で最美の名を呼んだ。


「くっ」


 コリンは両腕を眼前に持ってきてガードをしたが、最美と同じように服と肌を細かく裂かれ、その痛みで顔をゆがめた。


「我が君、わたくしは平気ですわ」


 王黎が無傷ですんだことを確認すると、最美はうっすらとほほ笑んだ。まるで、王黎のために傷を負うことが喜びであるかのようだ。


「君たちの操言の力は、先ほど闇神様が奪った! 君たちはもはや操言士ではない! ただの人だ! 力を持たざる者だ!」


 カギソが勝ち誇った笑顔を浮かべ、声高に叫んだ。


「闇神様! こうしてすべての操言士から操言の力を奪い、無力化していけば、この世界で唯一、人ならざる力を持つのはあなただけになりましょう! それこそ、新たな世界の柱に相応しい! 素晴らしい!」

「ふふっ」


 カギソにおだてられて、ニアックはくすりと笑う。

 その時、王黎に背を向けてカギソを睨みつけた最美が、ナイフを手にして勢いよく走り出した。


「最美! 待て!」


 王黎が制止の声をかける。だが最美は止まらなかった。


(操言の力がなくても、我が君はわたくしが守る!)

【向かい風! 彼女の動きを止めよ! さすれば我が薄き葉の標的とならん!】


 ナイフを向けてくる最美に向かって、カギソは強い風を吹き荒らした。正面から吹いてくる風の強さに、最美は目を閉じる。風圧はまるで硬い壁のようで、最美のナイフはカギソに届かない。代わりに、再び鋭利な葉が無数に飛んできて、最美の頬も腕も足も脇も、すべてを細く切りつけた。


「くっ……ああっ!」


 細かな傷から感じる、チクリとした痛み。その痛みのせいで足の踏ん張りがきかず、風圧に耐えきれなくなった最美の身体はうしろに吹き飛ばされた。


「最美さん!」

「最美っ!」


 芝生の上を石ころのように転がる最美に、王黎は駆け寄った。

 ニアックの命令通り、カギソは致命傷にならないように注意したようで、最美の息は普通にある。だが、身体中にできた無数の細い傷口からは丸みを帯びた血がぷくっと浮かび上がっていた。


「ねえ、君はボクに訊いたね。欲しいのは四分力か、ボクが愛する君の心かと。ボクが欲しいのはその両方だよ」


 ニアックは視界の中央に紀更をとらえると、紀更に一歩近付いた。紀更の前に立つユルゲンの姿はまるで見えていないように無視をして、闇の中に佇む紀更の身体の輪郭を両手のひらで上下になぞる真似を、空中で行う。


「君が神様からもらった力も、君自身も、すべてが欲しい。君が君をボクにくれたら、彼らのように傷つく者はいなくなるよ。約束しよう」


 ニアックの卑劣な交換条件に、紀更は唇を噛んだ。


(私が私を差し出せば、誰も傷つかない?)


 ニアックたちが怪魔を作り出して大陸中に散布することも、レプティトゥイールスという恐ろしい術に使用される肉の器として操言士が誘拐されることも、いまここで王黎や最美たちが傷つくことも、すべてが終わる。


(みんなが平和に……穏やかになれる?)


 国と、そこに生きる人々の生活を支え守ること。それができるのなら、操言士として自分はその選択をするべきだろうか。


(私一人が犠牲になれば――)

「紀更、聞くな! そんなうまい話があってたまるか!」


 紀更が一瞬の迷いを見せたその時、ユルゲンが叫んだ。


「君がやるべきことはピラーオルドの殲滅! それだけだ! そのためにここまで来たんだろ! 紅雷とマークの言葉を思い出せ!」

「あっ……」


 ちょっとした旅行かな、と言った王黎によって連れ出されて始まった、操言士としての修行の旅。その過程で操言士として生きる覚悟を決め、王都に戻って操言院修了試験に合格し、そして再開した旅。いつしかその旅の目的は――操言士として紀更が成し遂げたいと思うことは、「ピラーオルドを止める」こと。そう定まっていった。


(私を差し出すとか、そういう話じゃない!)


 相手の言葉や事情に影響されて、目的を誤ってはいけない。紅雷とマークが命を懸けて守ってくれたのは、ニアックにこの身を差し出すためではない。


(私がすべきことはピラーオルドを……ニアックを止めること!)


 それをするためには、自分一人の力では足りない。操言の力を奪われたいま、紀更は非力な十七歳の娘でしかない。エリックやルーカスのように剣が使えるわけでも、メヒュラの紅雷のように爪や牙があるわけでも、マークのように空が飛べるわけでもない。今の紀更にあるのは――。


「ユルゲンさん、お願い! あなたならニアックを葬れる! ニアックの肉の器も魂も、全部斬って斃して!」

「ああ、任せろ!」


――ユルゲンだ。ユルゲンがいてくれる。

 一緒に旅をしてきた仲間。実は、紀更の真の言従士だったユルゲン。けれど、言従士だと発覚する前からずっと、紀更を支えてくれた人。操言の力を奪われたいま、両刀を持つ傭兵のユルゲンだけが、ニアックに対抗できる紀更の武器だ。


「おらぁっ!」

「やめてよ、来ないで」


 ユルゲンは地を蹴ってニアックに飛びかかった。両刀を振り下ろすが、ニアックが空中に手をかざすと縹色の光を放つ半透明の盾が現れて、ユルゲンの攻撃を難なく受け止める。アーサーの時と似た防御手段だった。


「ちっ!」

「ははっ! 闇神様、あなたはなんでもできる! 光と闇、両方の力をお持ちなのだから! さあ! 神の御業を見せてください!」


 ユルゲンの攻撃をたやすく防いでみせたニアックに、カギソは興奮した。


「観察! 観察を! ワタシはすべてを観察しなければ! 闇神様のあの力はなんだ!? 光と闇、両方の力を持って使うと何がどうなる? 世界の何にどう干渉できる!? それは操言の力を超えるものなのか!? いまここに、新たな世界を創り出すことができるのか!? 光と闇は一対三の配分で所持しているが、その個数の影響はあるのか!?」


 やたらとうるさい耳障りなカギソの声にめげずに、どうにかニアックの隙をつこうとユルゲンは次々に角度を変えて攻撃をする。上から、横から、フェイントを挟んで足元へ、左右の手に持った得物を打ち込んでいく。

 軽やかなその立ち回りは素早く、ニアックは余裕の笑みを浮かべなかったが、しかしどの攻撃の手もニアックに届くことはなく、ユルゲンは一度後退した。


「紀更、具体的に教えてくれ。ニアックをどうしたい?」


 ユルゲンは背中で紀更の息遣いを感じながら、ニアックから目をそらさずに尋ねた。


「アイツの全部を斬って斃す。それだけか」


 朱色と縹色の光の輪を身体の周囲にまとうニアックは、決して操言の力を持っているわけではない。それなのに、まるで操言士のような力を使ってユルゲンの攻撃を防ぐ。

 そんなニアックを、どうすれば斃せるだろうか。どうすれば、ユルゲンの両刀がニアックに届くだろうか。


「力を……彼が持つ四分力を返してほしいの」


 紀更はユルゲンの背中に手を添えて、彼の隣に立った。ユルゲンと同じように、正面に立つニアックから目をそらさず、むしろ彼を観察する。


「やだよ。あげないよ、奏桜。これはもう、ボクの力だ」

「いいえ。闇の四分力が三つ、光の四分力がひとつ。それは人が持つべきものじゃない」


 紀更が冷たい目で言うと、ニアックの眉間に皺が寄った。

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