第2話 金貨1万枚よりも、大切なもの
「ツナマル! 今日は私と一緒にお風呂に入ろう!」
夕食を終えた俺は、エスタ王女殿下から、とんでもないことを言われた。
「……はい?」
「お風呂だ! 一緒に入ろう!」
「いや、聞こえてますけど……」
「じゃあ決まりだな!」
決まってない。何も決まってない。
「エスタ殿下。お風呂くらいは、一人で入れますので」
「駄目だ!」
即答だった。
「ツナマルは歩けないんだぞ! 転んだらどうするんだ!」
……そうでした。俺、歩けない設定でした。実際には元気いっぱいだ。今すぐ走れと言われたら走れるし、風呂に入るなんて余裕だ。
ただ、そんなことを言ったら、これまでの嘘が全部バレてしまう。
「侍従の方にお願いすれば……」
「私が手伝いたいんだ!」
エスタは俺の手を握った。
「ツナマルは私たちを助けてくれたんだから、今度は私がツナマルを助けたい!」
……参ったな。そんな真剣な顔で言われたら、断りにくいじゃないか。
「……わかりました」
「本当か?」
「はい。ただし、あまり近づかないでくださいね」
「なんでだ?」
「……心臓に悪いので」
「心臓!?」
しまった。
「ツナマル! 心臓まで悪くなったのか!?」
「違います! そういう意味じゃありません!」
「じゃあ、どういう意味だ?」
「……いや、その」
説明できるわけがない。王女殿下が可愛すぎて、心臓が持ちそうにないなんて。
王宮の浴室は、俺が想像していたものよりずっと広かった。白い石で作られた大きな浴槽。湯気の向こうには、美しい花の飾りが並んでいる。
俺は侍従に手伝ってもらい、浴槽に入った。……歩けないふりって、本当に面倒くさい。
「ツナマル!」
声の方を見る。そして、俺は固まった。エスタ殿下がいた。長い髪をまとめ、白い湯浴み着を身につけている。いつもの王女らしい服とは違い、細い肩や首筋が見えていた。湯気で頬がほんのり赤くなっている。
……可愛い。
「どうした? そんなにじっと見て」
「な、何でもありません!」
慌てて顔をそらした。まずい。非常にまずい。相手は王女殿下だぞ。それも、俺が命を救った相手だ。変なことを考えるな。
「ツナマル?」
「はい?」
「こっちを向いてくれ」
「……はい」
顔を向けると、エスタが嬉しそうに笑った。
「えへへ。一緒だな」
「……そうですね」
「私、ずっとこうしてみたかったんだ」
そう言って、エスタが俺の隣に入ってきた。近い。肩が触れそうなくらい近い。
「エ、エスタ殿下。もう少し離れても……」
「嫌だ!」
「即答ですか……」
「だって、ツナマルと一緒にいたいんだもん」
エスタは俺の腕を抱きしめた。柔らかな温もりが伝わってくる。
「…………っ」
心臓が跳ねた。
落ち着け。落ち着くんだ、俺。前世では仕事ばかりしていた童貞だから、こういうことに慣れていないだけだ。
「ツナマル、顔が赤いぞ?」
「お湯が熱いんですよ」
「そうか?」
エスタは首を傾げた。そして、俺の顔に自分の顔を近づけてきた。
「熱があるのか?」
「ありません!」
「本当か?」
「本当です!」
「じゃあ、どうしてそんなに赤いんだ?」
「エスタ殿下が、可愛いからです」
つい、口が滑った。
「…………」
エスタが固まった。
あ。言ってしまった。
「……か、可愛い?」
「……はい」
「私が?」
「……はい」
エスタの顔が、みるみる赤くなった。
「そ、そうか……」
急に声が小さくなる。
「ツナマルは、私のこと、可愛いと思ってくれてるんだな……」
「……はい」
エスタは照れくさそうに笑った。そして、俺の肩にそっと頭を預けた。
「……嬉しい」
小さな声だった。さっきまで元気いっぱいだった王女殿下が、急におとなしくなった。
……ずるい。こんなの、反則だろ。
「ツナマル」
「はい?」
「私、ツナマルのことが好きだぞ」
「…………」
「大好きだ」
エスタは俺の手を握った。
「だから、ずっと一緒にいてほしい」
その顔は、真剣だった。俺は何も言えなくなった。
……この子は、本当に俺のことが好きなのか?。
俺が歩けなくなったと思っているから、同情してくれているだけなのかもしれない。でも、その目には、嘘がなかった。
「……ありがとうございます」
俺は、そう答えることしかできなかった。
本当のことを話すべきなのかもしれない。でも、今さら嘘を打ち明ける勇気なんてなかった。
翌朝。
俺はセレーネ女王陛下に呼び出されていた。豪華な応接室。目の前には、銀髪の美しい女王陛下。その隣には、エスタ王女殿下がいる。
二人とも、なぜか真剣な顔をしていた。
「ツナマル様。大切なお話があります」
「……はい」
なんだろう。昨日の風呂の件だろうか。王女と一緒に入浴した罪で処刑とか? いや、誘ったのは向こうだぞ。
「あなたには、これからも王宮で暮らしていただきたいのです」
「……はい」
「ですが、ただのお客様としてお迎えするだけでは、十分ではないと考えました」
「……はあ」
陛下は俺の手を取った。
「ツナマル様。私と結婚してくださいませんか?」
「…………」
……ん? 今、何て?
「結婚、と申されましたか?」
「ええ」
陛下は頬を少し赤くした。
「私は、あなたを一人の男性としてお慕いしています」
……待て。待て待て待て。女王陛下が? 俺を?
「そして、私もだ!」
エスタが勢いよく立ち上がった。
「私もツナマルと結婚したい!」
「…………」
は?
「お母様だけずるいぞ! 私だってツナマルが好きなんだからな!」
「ふふっ。わかっていますよ、エスタ」
陛下は穏やかに微笑んだ。
「ですから、二人で相談したのです」
「……相談?」
「はい」
陛下は俺を見つめた。
「あなたがよろしければ、私とエスタ、二人を妻として迎えていただきたいのです」
「…………」
何を言っているんだ、この親子。
「い、いや、でも、お二人は親子ですよね?」
「ええ」
「それに、女王陛下と王女殿下ですよね?」
「そうですね」
「私は、ただの治癒師なんですが……」
「私たちの命を救ってくださった、大切な方です」
そういう問題じゃない。
「それに、この国では王族である私たちの意見が全てです。王族で同じ配偶者を迎えることも認められています」
陛下が微笑んだ。
「あなたさえよろしければ、何も問題はありませんよ」
問題しかないと思う。
「ツナマル!」
エスタが俺の腕を抱きしめた。
「私、絶対に幸せにするからな!」
……強い。この子、押しが強すぎる。
「ツナマル様」
今度は陛下が俺の反対側に座った。
「あなたは、私たちのために大きなものを失いました」
……失ってません。
「ですから、これからは私たちが、あなたの人生を幸せなものにしたいのです」
陛下は俺の手を握った。
「私の隣に、いてくださいませんか?」
その声は、少し震えていた。
……ずるい。そんな顔をされたら、断れないじゃないか。
俺は二人を見た。セレーネ陛下は、優しく微笑んでいる。エスタは、期待に満ちた目で俺を見つめている。二人とも、本気だった。俺のことを、本当に大切に思ってくれている。
参ったな。俺は金貨一万枚が欲しかっただけなのに。
「……その前に、お話ししなければならないことがあります」
陛下が首を傾げた。
「何でしょう?」
俺は深く息を吸った。
「……実は、俺」
「はい」
「歩けるんです」
「…………」
陛下の目が見開かれた。エスタも、ぽかんと口を開けた。
「……歩ける?」
「はい」
俺は椅子の肘掛けに手を置いた。そして、ゆっくりと立ち上がった。二人が息をのむ。俺は一歩、前に出た。そして、もう一歩。
「……このとおりです」
「…………」
長い沈黙が流れた。俺は頭を下げた。
「すみません。今まで嘘をついていました」
そして、すべて話した。金貨一万枚が欲しかったこと。大きな代償を払ったように演技したこと。本当は、呪いを解除して眠くなるだけだったこと。そして、歩けなくなったふりをしていたこと。
「……本当に、申し訳ありませんでした」
俺は深く頭を下げた。
……終わった。俺の人生、終わった。金貨一万枚どころか、牢屋行きかもしれない。
そう思ったとき。
「……本当に?」
エスタが小さな声で聞いた。
「本当に、歩けるのか?」
「……はい」
「痛いところもない?」
「ありません」
「苦しくもない?」
「はい」
「……本当に、元気なのか?」
「元気です」
エスタの目に、涙が浮かんだ。
「……よかった」
「……え?」
「よかったぁ……!」
エスタが俺に抱きついてきた。
「ツナマル! よかった!」
「え、エスタ殿下!?」
「私、ずっと怖かったんだぞ!」
エスタは泣いていた。
「ツナマルが、もう二度と歩けないんだって……。私たちのせいで、ずっと苦しむんだって……!」
「…………」
「でも、違うんだな? 本当に元気なんだな?」
「……はい」
「よかった……本当によかった……!」
エスタは何度もそう言った。俺は、その背中をそっと撫でた。
……怒らないのか。俺、嘘をついたんだぞ。
「……エスタ殿下」
「なんだ?」
「怒ってないんですか?」
エスタは涙を拭った。そして、俺を見つめた。
「ちょっと怒ってる」
「……ですよね」
「だって、ずっと心配してたんだぞ!」
「はい。ごめんなさい」
「でも……」
エスタは俺の手をぎゅっと握った。
「ツナマルが元気なら、それでいい!」
……ああ。この子には、かなわないな。
「ツナマル様」
セレーネ陛下が、ゆっくりと立ち上がった。その目には、涙が浮かんでいた。陛下は俺の前まで歩いてきた。
ぎゅっ。俺を抱きしめた。
「……よかった」
「……陛下?」
「本当に……よかった……」
声が震えていた。陛下の腕に力がこもる。
「……陛下。怒っていないんですか?」
陛下はゆっくり顔を上げた。その目には涙が浮かんでいた。
「……少しだけ、怒っていますよ」
「……ですよね」
「ですが、それ以上に嬉しいのです」
陛下は微笑んだ。
「あなたが元気なら、それだけで私は十分に幸せです」
「…………」
「それに……」
陛下は俺の頬に触れた。
「あなたが私たちを救ってくださったことは、嘘ではありませんもの」
まあ、それはそうなんですが。
「……ツナマル様」
「はい」
「もう一つだけ、教えてください」
「何でしょう?」
陛下は少し頬を赤くした。
「……私へのお気持ちも、嘘だったのでしょうか?」
「…………」
俺は陛下を見つめた。銀色の髪。優しい瞳。いつも俺を心配してくれる、美しい女王陛下。
……嘘じゃない。この人と一緒にいると、落ち着かない。でも、嫌じゃない。むしろ、もっと一緒にいたいと思ってしまう。
「嘘じゃありません」
陛下の目が見開かれた。
「……本当ですか?」
「はい」
「……嬉しい」
陛下は幸せそうに微笑んだ。そして、俺の頬にそっと口づけた。
「では、改めてお願いします」
「……はい?」
「私と、結婚してくださいませんか?」
エスタも俺の腕を抱きしめた。そしてキスをした。
「私もだぞ!」
「…………」
俺は二人を見た。そして、小さく笑った。
「……1つ、条件があります」
陛下が首を傾げた。
「何でしょう?」
「俺は、働きたくありません」
前世では働きすぎて死んだ。もう二の舞は嫌だ。
「のんびり暮らしたいんです」
陛下はしばらく黙っていた。そして、ふふっと笑った。
「そんなことでしたら、何も問題ありませんよ」
「……本当ですか?」
「ええ」
エスタも元気よく頷いた。
「私がいっぱい働くぞ!」
「……エスタは、勉強を頑張ってくださいね」
「わかってる!」
俺は二人を見た。そして、小さく笑った。
「よろしくお願いします」
陛下は俺を抱きしめた。エスタも飛びついてきた。
「やった! ツナマルが私たちのお婿さんだ!」
豪華な王宮。美味しい食事。ふかふかの寝床。そして、俺を本気で愛してくれる二人の女性。
最高じゃないか。
一か月後。
俺は、セレーネ女王陛下とエスタ王女殿下の二人と結婚した。王都は祝福の声に包まれた。俺は自分の足で、二人と並んで式場を歩いた。
もう、嘘をつく必要はない。
「ツナマル様」
セレーネが俺の手を握った。
「今日から、あなたはこの国の王です」
「…………」
……ん?
「王?」
「ええ」
「……へ?」
「ふふっ。ご安心ください。国政はこれまでどおり私が担当いたします。あなたは、私たちのそばにいてくだされば、それで十分です」
エスタが俺の腕に抱きついた。
「ツナマル! これから毎日一緒だな!」
「……そうですね」
「お風呂も一緒だぞ!」
「……それは毎日じゃなくても」
「なんでだ!」
セレーネが優しく微笑んだ。
「あら。では、私もご一緒してよろしいでしょうか?」
「…………」
「ふふっ。冗談ですよ」
陛下は楽しそうに笑った。
……絶対に冗談じゃないだろ。
俺は空を見上げた。
金貨一万枚をもらって、のんびり暮らす。それが、俺の夢だった。
そして今。俺は、この国の王になった。二人の美しい妻に愛されながら、働かずに暮らしている。
「ツナマル様。お疲れではありませんか?」
「ツナマル! 無理するなよ!」
二人は、今でも俺を心配してくれる。
「大丈夫ですよ」
そう答えると、二人は顔を見合わせた。そして、同時に微笑んだ。
「ふふっ。今度は信じてもよろしいのですね?」
「ちゃんと元気なんだな!」
「はい。元気です」
俺は笑った。二人も笑った。もう、嘘はない。俺の第二の人生は、ようやく本当の意味で始まったのだった。
〈完〉




