プロローグ
「ぐっ……あ、ああああああああっ!!」
胸の奥から何かを引き剝がされるような感覚に、俺――ツナマルは絶叫した。
「ツナマル様……っ! もう、もう十分です……! どうか、おやめください……!」
女王陛下が、掠れた声で懇願する。
普段なら、王国を統べる者にふさわしい威厳を備えているはずの女性だ。しかし、今の彼女にそんな余裕はなかった。
ベッドに横たわる身体は痩せ細り、額には脂汗が浮かんでいる。呼吸をするだけでも苦しいのだろう。言葉を発するたびに喉が震え、途切れ途切れの声しか出せていない。
隣の若き王女も同じだった。
「や……めろ……っ。そこまで、するな……!」
命令するような口調を崩さないものの、その声は弱々しい。起き上がることすらできず、シーツを握り締める指先だけが必死に動いていた。
二人とも、もはや普通に会話することさえ難しい状態だった。
王宮の医師たちは、すでに治療を諦めかけている。
どんな薬を使っても、どんな治癒魔法を施しても、二人の病状は改善しなかった。むしろ日を追うごとに衰弱し、今ではいつ命を落としてもおかしくない。そりゃそうだ、彼女たちは病気じゃないのだから。
そんな二人を前にして、俺は両手を伸ばしていた。
女王陛下の身体から、王女殿下の身体から、黒い靄が立ち上っている。
それは病の正体であり、二人の命を脅かしている呪いだった。
「ご安心ください……。必ず、お二人を……お救いします……!」
「なりません……! 私たちのために、あなたまで犠牲になる必要は……!」
「そうだ……! 私の命令を無視する……な……! 今すぐ、手を……離せ……!」
王女は言葉を続けようとしたが、苦しげに咳き込んだ。女王も、もう声を出すことすらつらそうだった。
それでも二人は、俺を止めようとしている。
自分たちの命が尽きかけているというのに、俺の身を案じているのだ。
……なんて尊い光景だろう。これが王族のプライドってやつか。そこは本当にすげぇと思うよ、マジで。
ただし俺がここまで頑張っている理由は、感動的な自己犠牲を演じるためだった。
「うぐっ……! あああああっ!!」
俺はさらに声を張り上げた。
黒い靄が、俺の両腕を伝って胸元へと流れ込んでくる。
呪いを払う。それが俺の持つ能力だ。
普通の治癒師が病を治そうとするのに対し、俺は呪いを消し去る治癒師。だから、ほかの誰にも治せなかった病であっても、俺なら治すことができる。
ただし、代償が一つある。
呪いを払うと、猛烈に眠くなるのだ。
どれほど軽い呪いであっても、払い終えたあとは眠気が襲ってくる。強大な呪いなら、その眠気はさらに激しくなる。
今回の呪いは、女王と王女を死の淵に追いやるほどのものだ。
さすがの俺も、かなり眠い。
瞼が重い。頭がぼんやりする。今すぐベッドに倒れ込んで、十時間でも二十時間でも眠っていたい。
……いや、ちょうどいいではないか。
俺はこの眠気を利用することにした。
「陛下……、殿下……。どうか……お二人だけは……!」
声を震わせ、足をふらつかせる。
「私のことは……お気になさらず……!」
「ツナマル様……!」
女王が涙を浮かべた。
「どうして……そこまで、私たちのために……!」
「お前……、馬鹿なのか……!」
王女も、涙を滲ませながら俺を睨んだ。
「自分の身体を……大切にしろ……! 私たちを助けるために……お前が死んだら……、王族の恥だ……!」
命令口調のまま、声が震えている。
俺は胸を打たれた。
同時に、心の中で計算もしていた。
ここまで心配してくれるなら、報酬への期待も大きくなるだろう。金貨1万枚に加えて、何か特別な褒賞を用意してくれる可能性だってある。
よし。もう少しだ。
「……私のことはよいの、です……。お2人を……救えれば……」
俺は最後の力を振り絞るように、両手に力を込めた。
黒い靄が激しく渦巻く。
女王の身体を蝕んでいた呪いが、根元から剝がれ落ちていく。王女の身体に絡みついていた呪いも、次々と俺の手へと引き寄せられていった。
その呪いは、何百年も前に刻まれたものだった。
かつて魔王を討ち果たした勇者。その血を引く王族に、魔王が死の間際に残した呪い。世代を超えて受け継がれ、王族の身体を内側から蝕んできたと思われる。
治癒師たちは、治療法のない難病だと考えていた。誰も、呪いが原因だとは気づかなかったのだ。
けれど、俺には関係ない。どれほど長い年月を経た呪いであろうと、俺の能力で払えないものはない。
「これで……最後……!」
最後の黒い靄が、俺の身体に流れ込んだ。
そして、消えた。
女王の呼吸が、穏やかになった。王女の顔色にも、少しずつ血の気が戻っていく。先ほどまで息をするだけでも苦しんでいた二人が、ゆっくりと自分の身体を確かめていた。
「あ……」
女王が胸元に手を当てる。
「苦しくありません……。あれほど苦しかったのに……。今は、呼吸が……」
「本当だ……」
王女は何度も息を吸い、吐いた。
「痛くない……。身体が軽い……!」
その声には、先ほどまでの苦痛が嘘のように消えていた。
治癒師たちが騒然となる。
「陛下の脈が安定しています!」
「殿下もです! 衰弱が止まったどころか、明らかに回復している……!」
「いったい、何がどうなってるんだ……!?」
驚きの声が飛び交う。
だが、俺にとってはここからが大切だった。
「よかっ、た……」
俺は掠れた声で呟いた。
「お二人が……ご無事で……、本当に……よかった……」
そして、膝から崩れ落ちた。
「ツナマル様!」
女王が叫んだ。王女もベッドから手を伸ばす。
「おい! しっかりしろ! 死ぬな……!」
俺は床に片手をつき、苦しそうに呼吸を繰り返した。実際には、ただ眠いだけだ。今すぐ横になりたい。柔らかいベッドに潜り込んで、誰にも邪魔されず眠りたい。
しかし、ここで普通に寝てしまっては意味がない。
俺は最後の演技に取りかかった。
「陛下……殿下……、どうか……これからは……お健やかに……」
「ツナマル様! 誰か、このお方を助けなさい!」
俺は弱々しく笑った。
「王国に、幸あれ……」
言い終えると同時に、俺は床に倒れ込んだ。
「ツナマル様あああっ!」
女王の悲鳴が響いた。
「おい! 目を開けろ! これは命令だ!」
王女が叫んでいる。だが、もう限界だった。呪いを払ったあとの眠気が、俺の意識を深い闇へと引きずり込んでいく。
最後に見えたのは、泣きながら俺の手を握る女王と、必死に何かを叫んでいる王女の姿だった。
……金貨1万枚。
それだけあれば、もう働かなくていい。
俺は心の中で、その幸せな未来を思い描いた。
そして、眠りに落ちた。
そもそも、なぜ俺がこんなことをしているのか。
話は三日前に遡る。
冒険者ギルドの依頼掲示板に、一枚の依頼書が貼られていた。王宮からの特別依頼。女王陛下および王女殿下の治療。
報酬、金貨1万枚。
「……金貨1万」
俺は、その文字をじっと見つめていた。それだけあれば、一生働かずに暮らせる。
朝は好きなだけ眠る。昼になったら起きて、美味い飯を食べる。食後は昼寝。気が向いたら散歩でもして、疲れたらまた寝る。誰にも命令されず、誰にも急かされず、誰の顔色も窺わない。そんな生活が手に入るのだ。
「……受けるしかないだろ」
俺は依頼書を剝がし、受付へと向かった。
「ツナマルさん。本気?」
受付嬢が、呆れた顔で俺を見た。
「本気だけど」
「これは王宮からの依頼よ。女王陛下と王女殿下は、何人もの名医や治癒師に診てもらったのに、誰も治せなかったの。下手をすれば、もう助からないかもしれないと言われているのよ」
「だから俺が行くんだろ」
「あなた、自分がどんな評判なのか分かっている?」
「分かってるよ。怪我も治せない自称治癒師だろ」
俺は肩をすくめた。
「でも、俺ならできる」
前世では、日本の会社で働いていた。
朝早くから出勤し、夜遅くまで残業し、休日まで仕事に追われる毎日。上司の無茶な要求にも逆らえず、疲れ果てても休めなかった。
そして、過労で死んだ。
死ぬ直前、俺は心の底から誓った。
――来世では、絶対に働かない。
そうして異世界に転生した俺には、呪いを払う能力が備わっていた。ただし、普通の治癒魔法は使えない。切り傷を治すことも、骨折を治すことも、火傷を治すこともできない。
そのせいで、俺は治癒師として最低の評価を受けていた。
「お前、治癒師なのに傷一つ治せないのか?」
「役立たずじゃないか」
「治療できたと言っても、どうせ偶然だろう」
そんな言葉を浴びせられたことは、一度や二度ではない。
俺が治療してきたのは、ほかの治癒師たちが匙を投げた患者ばかりだった。原因不明の高熱。何年も続く衰弱。薬も治癒魔法も効かない難病。俺はそれらを治してきたが、世間の評価は変わらなかった。
そもそも、誰も呪いがあるとは知らないのだ。この世界の奇病と呼ばれる病は、呪いによって引き起こされている。軽い呪いなら、一般的な治癒師でも症状を抑えられる。しかし根本にある呪いが残っている限り、病は治らない。
俺は、その呪いを祓うことができる。
ただし、呪いを払うたびに眠気が襲ってくる。今回の女王と王女のように、強大な呪いを祓えば、立っていられないほど眠くなることもある。
それでも、命に別状はない。眠れば回復する。
「ねえ、ツナマルさん。もう一回きくけど、本当に受けるの?」
受付嬢が念を押してきた。
「王宮の依頼に失敗したら、責任を問われる可能性だってあるのよ」
「大丈夫だって。俺なら治せる」
「……はぁ」
応急の治癒師が治せない時点で、十中八九呪いで確定だ。つまり俺の勝ちは揺るがない。問題は、普通に呪いを払って帰るだけでは、報酬が約束どおり支払われるか怪しいところだ。なぜなら、呪い自体は10秒くらいで祓えてしまう。であるがゆえに、俺は世間から怪しまれているわけで。
ならば、印象を強く残せばいい。
命懸けで王族二人を救った英雄。自分の身を顧みず、王族のために力を尽くした献身的な治癒師。そう思ってもらえれば、なんなら報酬に色をつけてもらえる可能性だってある。
俺はそう考え、王宮へ向かったのである。
目を覚ますと、柔らかな感触が身体を包んでいた。
「……ん?」
俺はゆっくりと目を開けた。
天井が見える。見覚えのない、豪華な天井だ。白を基調とした壁。金細工の施された調度品。大きな窓から差し込む柔らかな光。
確か、女王と王女を治療して、そのあと眠ってしまったはずだ。
俺は身体を起こそうとした。
「……あれ?」
右腕が動かない。いや、正確には、右腕の上に何かが乗っている。そちらへ視線を向けた俺は、固まった。
「…………」
女王陛下が、俺の右隣で眠っていた。しかも、俺の右腕を両手で抱き締めるようにしている。長い髪が枕に広がり、穏やかな寝息を立てていた。
なぜ?
俺はゆっくりと左を向いた。
「…………は?」
王女殿下が、俺の左隣で眠っていた。こちらも俺の左腕を抱き締めている。しかも、俺の肩に頭を寄せ、絶対に離さないというような格好だった。
夢だろうか、と思いつつ左右を確認する。
右に女王陛下。
左に王女殿下。
俺は二人に挟まれていた。
「……どうしてこうなった?」
思わず声が漏れた。その声に反応して、女王が目を開けた。
「……ツナマル様?」
女王は、俺が起きていることに気づくと、ほっとしたように微笑んだ。
「お目覚めになられたのですね……。本当によかったです」
「あ、あの……陛下。これは……?」
「申し訳ございません。あなたが目を覚まされるまで、どうしてもそばを離れることができなかったのです」
女王は丁寧な口調で答えた。
「あなたは、私たちの命を救ってくださいました。その代わりに、ご自身のお身体をひどく損なわれたのではないかと、ずっと心配しておりました」
「……損なった?」
「はい。あれほどの病を特殊なやり方で治療したのです。医師たちは、命に別状はなくとも、あなたが以前のように動けるようになるとは思えないと申しておりました」
……え?
俺は瞬きをした。
確かに、呪いを払ったあとは眠くなった。けれど、それだけだ。眠れば普通に元気になる。実際、今だって身体に異常はない。どこにも痛みはない。
なのに、ほとんど動けないと思われているのか?
「ツナマル!」
左側から、王女の声が響いた。王女が目を覚ましたらしい。彼女は俺の顔を見るなり、勢いよく身を起こした。
「起きたのか! おい、身体はどうだ! 痛むところはないか! 手は動くのか! 足は動くのか! ちゃんと私の声が聞こえているのか!?」
「で、殿下。聞こえてます。落ち着いてください」
「落ち着いていられるか!」
王女は俺の顔を覗き込んだ。
「お前は私たちを救うために、あれほど苦しんだのだぞ! 倒れたあと、どれだけ呼びかけても目を覚まさなかった! 医師たちも、もしかしたら一生目が覚めないかもしれないと言っていたのだ!」
「……そうですか」
「なのに、どうしてそんなに平然としている! どこか痛むなら痛むと言え! 無理をして笑うな! 私たちに心配をかけまいとする必要などないのだぞ!」
命令口調のまま、王女の瞳に涙が浮かんだ。
「……私は問題ありません」
「そうか。本当だな?」
「……はい」
「お前は、命がけで私たちを救ってくれた。だからこそ、これ以上、自分を犠牲にするな。いいな!」
「……はい」
俺は曖昧に頷いた。
どうやら、二人は本気で俺の身体が壊れたと思っているらしい。女王も、王女も、俺がもう以前のようには動けないと信じている。そして、俺が二人を救うために自分の身体を犠牲にしたのだと考えている。
……これは、やりすぎたか?
二人の恩義は相当なものになっているようだ。
女王が、俺の手を優しく握った。
「ツナマル様、どうかご安心ください。これからは私たちが、あなたのお世話をさせていただきます」
「……はい?」
「あなたは私たちの命の恩人です。あなたがどれほどのものを犠牲にされたのか、私たちは決して忘れません」
女王は、穏やかな笑顔を浮かべた。
「ですから、これから先の生活については何も心配なさらないでください。食事も、衣服も、すべて王宮で用意いたします。治療や療養に必要なものも、可能な限り揃えましょう」
「いえ、そこまでしていただかなくても……」
「遠慮なさらないでください。王族として、あなたに不自由な思いはさせませんから」
女王は俺の手を両手で包み込んだ。
「一生、私たちのそばにいてくださいね」
「…………え?」
今、何と言った?
一生?
聞き間違いではないだろうか。
「お前は今日から、私たちの家族同然だ!」
王女が勢いよく宣言した。
「私たちを救うために、そこまでの犠牲を払ったのだ! ならば、これからは私たちがお前を守る! 生活の心配などさせない! 誰にもお前を傷つけさせない!」
「殿下、私はそこまで……」
「黙れ! 遠慮するなと言っているのだ!」
「…………」
「それに、お前はもう無理をして働く必要などない! 身体が元に戻るかも分からないのだぞ! これからは私たちが面倒を見る! お前は何もせず、安心して暮らしていればよい!」
王女は、俺の腕をぎゅっと抱き締めた。
女王も、反対側から俺の手を握っている。
左右から挟まれたまま、俺は天井を見上げた。
……金貨1万枚をもらって、さっさと帰るつもりだった。そのために命懸けに見せかけた自己犠牲を演じた。
もしかして、演技してたのバレたら、処刑されるんじゃね?
どうにかして金貰だけもらって帰らないと、やばいぞ。
「あの、陛下。報酬の件ですが……」
「もちろんです。金貨1万枚は必ずお支払いいたします。さらに、あなたがこれから王宮で安心して暮らせるよう、十分な支援を用意いたします」
女王は、にこやかに答えた。
……うん。やっぱり、まずい。
「ツナマル様?」
女王が俺の顔を覗き込んだ。
「どうかなさいましたか? どこか苦しいのでしょうか?」
「いえ、そういうわけでは……」
「無理をするな! 苦しいなら、すぐに治癒師を――」
王女が叫んだ。
「本当に大丈夫です。ありがとうございます」
俺は遮って笑顔を作った。
治癒師が今の俺を診れば、何の異常もないとさすがに気づくだろう。俺が目覚めないかもしれないとか、動けないかもしれないとか、そんなのはただの思い込みだ。今の俺は超健康体である。
二人は、本気で俺を心配している。俺が自分たちを救うために身体を壊したと信じ、その責任を感じている。
金だけもらって帰ります、などと言える雰囲気ではない。
「……しばらく、お世話になります」
そう答えると、女王は嬉しそうに微笑んだ。
「一生、です」
「そうだぞツナマル、一生だ」
王女も満足そうに頷いた。
その日から、王国では噂が広まり始めた。
女王と王女を救った、奇跡の治癒師。
自らの身体を犠牲にして王族を救った、若き英雄。
かつて怪我一つ治せない怪しい治癒師と蔑まれていた男が、今や国中から称賛される存在になろうとしていたのである。
そして当の本人は、左右から女王と王女に腕を抱き締められながら、ひたすら頭を抱えていた。
演技がバレたら、処刑……。




