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「昔の君の方が好きだった」と言われたので婚約を解消しました  作者: 黒猫と珈琲


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【番外編】妹の婚約者が気に入らなかったので見守っていたら、案の定婚約解消になった話(ヴィンセント視点)

 妹の婚約者が気に入らなかった。


 もちろん最初からではない。


 最初に会った時の印象は悪くなかった。


 明るくて、人懐っこくて、よく笑う青年だった。


 男爵家次男のルーカス・バレット。


 当時の妹――シャルロットは、彼に夢中だった。


 だから私は何も言わなかった。


 初恋だったのだ。


 兄としては複雑だったが、妹が幸せそうならそれで良いと思った。


 思ったのだが。


「兄様、見てください!」


 十七歳のシャルロットが嬉しそうに駆けてくる。


 手には花束。


「ルーカスがくれたの!」

「そうか」

「綺麗でしょう?」

「綺麗だね」


 花束を見る。


 確かに綺麗だった。


 ただ。


「ロッテ」

「なあに?」

「君が花粉でくしゃみをする花ばかりだ」


 妹の笑顔が固まった。


「あ」

「あ」


 二人で花束を見つめる。


 見事に苦手な花ばかりだった。


「……まあ、気持ちが大事だもの」


 シャルロットは笑った。


 私は少しだけ不安になった。


 だが、この時はまだ気のせいだと思っていた。


 人は誰だって失敗する。

 一度や二度なら問題ない。


 問題は、それが一度や二度ではなかったことだ。


 例えば。


「兄様」


 ある日、妹が困った顔でやって来た。


「どうした?」

「ルーカスに本を貸したの」

「うん」

「返ってきたら、お茶をこぼした跡があったの」

「……」

「別に怒ってないのよ?」


 怒っている。


 私は分かった。


 妹は怒る時ほど笑う。


「でも謝られなかったの」


 なるほど。


 私は天井を見上げた。


 嫌な予感しかしない。


 さらに例えば。


「兄様」

「うん」

「ルーカスがね」

「うん」

「私の誕生日を間違えたの」


 私は紅茶を吹きそうになった。


「何を?」

「誕生日」

「何を?」

「誕生日」


 大事なことなので二回聞いた。


 聞き間違いであってほしかった。


 しかし現実だった。


「いや待て」

「うん」

「婚約者だよね?」

「婚約者ですよ?」

「そうか」


 私は遠い目をした。


 なぜ婚約者が妹の誕生日を間違えるのだろう。


 妹は優しい。

 優しすぎる。


 だから自分を後回しにする。


 そしてルーカスは、その優しさに甘えていた。


 そんな気がしていた。


 決定打になったのは十八歳の誕生日だった。


 ブラックチェリー事件である。


 その日の夜。


 帰宅したシャルロットは元気がなかった。


 理由を聞くと、誕生日ケーキの話になった。


 高級店。

 特製ケーキ。

 ブラックチェリー。


 そして。


「私、苦手なのだけれど」

「うん」

「覚えていないって」

「うん」


 私は静かに聞いていた。


 聞いていたのだが。


 内心では頭を抱えていた。


 なぜだ。


 なぜよりによってブラックチェリーなのだ。


 ロッテが七歳の時、


『もう一生食べません』


 と宣言した果物である。


 エバンス家では有名な話だった。


 使用人でも知っている。

 犬でも知っている。

 たぶん庭の鳩も知っている。


 なぜ婚約者だけ知らないのか。


「兄様?」

「いや」


 私は笑顔を作った。


「何でもないよ」


 本当は何でもあった。


 だが妹を傷つけたくなかった。


 だから黙った。


 そして一年後。


 案の定だった。


「俺は昔のお前の方が好きだった」


 夜会の帰り。


 シャルロットからその話を聞いた時。


 私は思った。


 ああ。


 やっぱり。


 そういうことだったのか、と。


 ルーカスは昔の妹が好きだった。


 自信がなくて。

 頼ってくれて。

 自分を見上げてくれる妹が。


 でも妹は成長した。


 悩んで。

 努力して。

 自分の考えを持つようになった。


 それは当たり前のことだ。


 人は変わる。

 成長する。


 それなのに。


 彼は昔の妹を求めた。


 私はその時、初めて確信した。


 この婚約は長く続かない。


 そして。


「兄様」

「うん」

「婚約を解消したいです」


 妹は静かにそう言った。


 泣いてはいなかった。

 迷いもなかった。


 だから私は頷いた。


「分かった」


 それだけだった。


 本当は、少しだけ安心した。


 ずっと感じていた違和感があったからだ。


 花束のこと。

 本のこと。

 誕生日のこと。

 ブラックチェリーのこと。


 小さな違和感は何度もあった。


 そのたびに、気のせいかもしれないと思ってきた。


 けれど違った。


 だから安心した。


 妹が自分を選んだから。

 自分を大切にする選択をしたから。


 ただ、それを口にするつもりはなかった。


 兄として少し格好悪いからだ。


 婚約解消後。


 ルーカスは何度か会いに来た。


 話したい。

 やり直したい。


 そう言って。


 だが妹の答えは変わらなかった。


 そしてある日。


 私はとうとう口を挟んだ。


「ルーカス殿」

「ヴィンセント様」

「ロッテは十分に答えたと思う」


 彼は黙った。


「だからもう困らせないでほしい」


 長い沈黙。


 やがてルーカスは小さく頷いた。


 悪い人ではない。


 本当に。


 ただ、妹には合わなかった。


 それだけだ。


 その後。


 妹は孤児院へ通うようになった。


 花壇を作り。

 子どもたちと遊び。

 楽しそうに笑うようになった。


 そして。


「兄様」

「うん」

「アルベール様がね」


 始まった。


「桃の花を勧めてくださって」

「うん」

「ミルクティーの好みを覚えていて」

「うん」

「焼き菓子の好みも」

「うん」


 私は頷き続けた。


 そして確信した。


 今度は大丈夫だ。


 なぜなら。


 その男は妹を見ている。


 伯爵令嬢ではなく。


 シャルロット・エバンスを。


「兄様?」

「何かな」

「その顔をやめてください」

「どの顔だろう」

「面白がっている顔です」


 私は笑った。


 否定はしない。


 だって嬉しかったのだ。


 妹が幸せそうだから。


 そして心の中で思う。


 アルベール・ノーウッド。


 私は君を気に入っている。


 だが、もしロッテを泣かせたら――。


 その時は覚悟しておいてほしい。


 私はかなり妹に甘い兄なのだから。


 もっとも。


 彼なら大丈夫だろう。


 そう思える相手だった。


 だから私は今日も見守る。


 可愛い妹の幸せを。


 少しだけ過保護な兄として。


【完】


ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。

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