女神と天使
《 モブ令嬢視点 》
「――全員席についたな、今日の欠席は2名か…全く、初日から無断欠席などAクラスをナメているのだろうな」
チャイムが鳴って、おそらく教師であろう男性が喋りだした。
「どこの家の者だか知らんが、甘やかされて育つとすぐこうなる。嘆かわしいものだな」
この学園の教師を勤め、ほぼ大貴族の子息子女しかいないこのクラスの生徒を何の抵抗もなく非難している様子からも、この男性の身分と能力が伺える。
初日にしてはこのクラスはあまり騒がしくなかったので、その声が教室に響く。
正直に言うなら少々不快だ。
有名なこの学園に、弱小貴族の出で運良くも入学できた自分の輝かしい一日目の朝を嫌な言葉で汚された気分なのだ。
たしかに無断欠席はその二人の落ち度だが、理由も聞かず一方的に非難するのはいかがなものか。
(まあ、私が気にすることでもないわね…)
ここに入学した以上、顔も知らない誰かのために怒るほど暇を持て余してはいないのだ。
「申し遅れたな、私はこのクラスを担当することになったイカルド教授だ。担任と言っても授業は各選択に分かれるため顔を合わせる機会も少ないだろうから、君たちの名前を覚えるつもりはない」
生徒たちの視線に気づき、教師が名乗りだす。
「イカルドという名を聞いて皆も驚いただろうが、遠慮せずとも勉学や論文に関する質問は気兼ねなく来てくれて構わない。学生は勤勉であるべきだかからな」
誰だよイカルド…、それが生徒たちの総意だが、全員が口を閉ざして教師の話を聞いている。
(くだらない…)
この話に聞く価値などない、と判断して手元にあった授業選択の紙に目を向ける。
(たしか必修の科目は5つだったわね…となると器楽の授業が一番良いかしら……)
本来自分は器楽など興味はないのだが、社交界での人脈作りと学園内での派閥選びにあぶれないためにも、女子生徒は気を使わねばならないのだ。
(本当は剣術と馬術に興味があるのだけど、女の子は大変ね…)
小さくため息をついて、真剣にもっと良い授業がないか集中して紙を見る。
(宗教を剣術に変えられないかしら…)
無理なのだが。
――ガチャ
ふいに教室の扉が開く音がした。
「「遅れてしまい申し訳ございません!」」
(遅刻の二人が来たのね…)
二人分の声に、顔を上げないままにそう推測する。
「君たち、初日から遅刻するとはッ…―――」
さっそくイカルド教授が騒いでいるが、ご愁傷さまねくらいに思って聞き流す。
しかし思いの外、教室内の空気までざわざわと騒がしくなっている。
そこでやっと自分も顔を上げて遅刻者二人の顔を見た。
(――え、っ、………え?)
教室内に、女神と天使がいた。
「――…まずはもう一度、遅れてしまったことお詫び申し上げます。初めてお目にする方も多いので簡単に名乗らせていただきますね。私はクリスティーナと申します。一応公爵家の娘という立場はありますが、この学園の理念である平等の精神を大切に、皆様とも良い関係を築いていきたいと思っております。どうぞお気軽に声をかけていただけると嬉しいです」
黒髪の女神が特上の微笑みを浮かべて喋っている。
「私はヘレンと申します!経験の足りない未熟者ですが、皆さんのクラスメートとして精一杯努力していきます。良ければ仲良くしてくださいっ!」
ピンクブロンドの天使も花が咲くような笑みを浮かべて喋った。
否、女神や天使ではなく自分と同じ人間どころか、同じ学園のクラスメートらしいのだが、その事実でさえ不敬なのではという考えが過ぎってしまう。
ふと思い至って見てみると、先程までうるさかったイカルド教授でさえ口をあんぐりと開けて静止していた。
彼女らの人外の美貌とオーラにあてられたのか、無意識に教壇の前を譲ってしまっている様子は傍から見ていて少々滑稽だ。
そんなことを考えていると、二人は挨拶を終えて自分たちの席に座るべく歩き出していた。
(近くで見ると、また一段と…)
自分の横を通っていった二人は、凄く、良い匂いをしていた。
◇ ◇ ◇
気づけば、もうすでにその日の全ての授業は終わっていた。
周りの生徒たちも、半数以上がもう寮に帰っている。
(………あの二人に気を取られて一日を無駄にしてしまったわね)
自分にはそんな余裕なんてないのに…失態だったわ、と少し気分が沈む。
しかしもう過ぎた失敗を嘆いてばかりもいられないので、明日の授業で使う教材を鞄に詰め込んだ。
(せめて明日の予習だけでも完璧にすれば、取り敢えずは…)
一分一秒も惜しいので足早に教室を出て、廊下を速歩きでグングンと進んでいく。
品行方正点を稼ぐために、すれ違う先輩たちに挨拶をすることも忘れない。
(まずは着替えて先に食事をとってしまいましょう。入浴の時間までに一教科はできるわね…)
物陰に居た目立たない教師風の女性にもキッチリと挨拶をして通り過ぎる。普通の生徒ならば、あの存在感の薄さには気づかないだろうが、そういった一つ一つの観察が大切なのだと知っていた。
抜かりなさでいえば自分の右に出るものはいないと自負している。
(でも睡眠時間を削るわけにはいかないものね、体力が減ってしまえば元も子もないわ…)
よし、各教科40分ずつにしよう、と目標を決めた時、背後に見に覚えのある気配を感じた。
「――あれ、コーネリアじゃないか?」
自分の名を呼ばれたことに少し驚き、ゆっくりと振り返る。
よもや味方のいないこの学園で、名乗る前から名を呼ばれるとは。
この男も同じ学園に通っているということは情報として知ってはいたが、実際目にするのは以外だった。
「………ダニエル」
男の名はダニエル。子爵家の三男で、かつてはコーネリアの婚約者だった男だ。
家の力が衰退するとともに婚約は解消され、裏切られたものだから、両家の間は殺伐としていて、よく話しかけられたものだなといっそ関心する。
「久しぶりだなコーネリア、元気そうで何よりだよ」
「…ええ、お陰様で私も私の家族も元気よ」
皮肉げに笑って返答するも、ダニエルは機嫌がいいのか笑って会話を続ける。
「君はAクラスなんだってな、昔から頭が良かったから納得できる」
「それがどうしたと言うの。あなたには関係ないわ」
これでもなおニコニコと笑っているダニエルは珍しく、気味が悪い。
「いや、そうでもない。関係はこれからまた作っていけばいいだろう?」
「どういう意味?私を馬鹿にしているのかしら」
今さら何を言うのだ。作れる関係などもうとっくに破綻しているというのに。
「君に提案があるんだ。悪くないどころか願ったり叶ったりだと思うんだけど聞きたくはないのか?」
「………聞くだけよ」
正直、この男が珍しくこれだけ機嫌がいい理由も、余裕の表情を浮かべている理由も気になってしまう。
「はは、相変わらず素直じゃないなぁ。昔は仲良く…――」
「手短にしてちょうだい、あなたごときに構っている時間はないの」
言葉を遮ったことで苛ついたのか、ダニエルはピクッと眉根を寄せるが、すぐにまた笑みを戻す。
「無礼だけど今は機嫌がいいから許してあげるよ。手短に、言うとね、君の家の復興を手伝ってあげようと思って」
「……は?何のつもり?」
私を、私達を裏切っておいて何を今さら。とダニエルには見えない位置でスカートを握りしめる。
「そう警戒せずともいい。簡単な取引きだよ」
「すぐに裏切るような奴と取引?…私達からまた何を奪う気なのよ?」
「またって人聞き悪い言い方はやめてくれ、こっちは救ってやろうって言ってるんだけど」
「はっ、思ってたより馬鹿なのね。信用できるわけないでしょ?」
しかしダニエルは笑みを消す様子はない。
「別に信用はしなくてもいい。今回は特別に魔法契約書を書いてやろう」
(魔法契約書…?)
魔法契約書は互いに命をかけて血で結ぶ契約で、決して相手を裏切ることはできないものだ。大きな危険性も伴うため今では廃れている文化なのだが。
「そこまでしてまで私達に何を望むの?」
「私達、ではなくお前にだよコーネリア。この取引は俺と君の物だ」
「私?」
ダニエルが笑みを気味の悪いものに変える。
「そう、俺が家の復興を手伝う代わりに、君は俺に終身隷属してもらう」
「終身隷属!?あなたの奴隷になれと言うの!?侮辱も大概にしなさいッ!」
「よく考えてみろ、悪い話ではないだろう?君一人の犠牲で君の家族も元の栄光が戻り、領民も喜ぶんだ。もっとも俺の命令は絶対だから、俺が望めば君は体の関係を拒むことも、死ねと言われて迷うことも許されなくはなるが」
(私一人の犠牲…)
コーネリアだって自分の身が一番かわいい。長生きしたいしこんな男に抱かれるなど以ての外だ。
しかし自分は領民のことを一番に考えなければならない立場。おいそれと答えをだすことはできない。
「ほら、首を縦に振れば良いだろう。最近父上が財務部との繋がりを持ったんだ。復興のことは心配しなくてもいい」
そしてダニエルがこちらに近づき、腕を掴んできた。
(――ッ!?)
混乱していて反応が遅れた。
「な、離しなさいッ」
しかし相手は騎士としての教育を受けてきた、体格も自分より大きい男だ。力では勝てない。
「元々俺達は婚約していた。結婚すればそういう事もするようになる関係だったんだ。遅いか早いかの違いだろ!」
「やめなさいッ汚らわしい!」
寮への近道を通るため、人通りの少ないこの道を選ばなければよかった。
どんなに大声を出しても、ここまで来ている者はいないだろう。
服を思い切り掴まれ、胸元が少し破ける。
(もう…最悪の状況は避けられないわね、どうせなら契約…結―――)
「――お兄さん、無理強いは良くないですよ」
鈴の鳴るような、澄んだ愛らしい声が聞こえた。
大きな声を出したわけでも、感情的に発された声でもないのに、その言葉には謎の強制力があって、沈黙が場を支配する。
ダニエルもつい勢いを失くしたのか手の力が緩んでしまっている。
最近、というより先程までに、聞いたことがある声だと思って振り返ると想像通りの人物が立っていた。
「…ヘレン様?」
ピンク髪の天使…否、少女は、この場に似つかわしくない柔らかい笑顔を浮かべている。
「はい、たしかコーネリア様…ですよね?同じクラスの。ご助力致しましょうか?」
助力。ダニエルへの抵抗へ、だろうか。だがこの華奢な美少女にそれができるとも思えない。
「――…助けて、くれますか?」
しかし心の内とは裏腹に、そんな言葉が口をついて出た。
「もちろんです」
そして少女は安心させるように微笑み、――消えた。
(え……!?消えた?)
数瞬置いて、ダニエルが吹っ飛ぶ。
(え!?え!?)
土煙が落ち着いて、崩れるようにして倒れるダニエルと、それに馬乗りになっているヘレンが見えた。
もうすでに気絶しているダニエルを、ヘレンは容赦なく殴り続ける。
ボコッ、ボコッ、ボキッ
ボキッ、ボコッ、ブチッ
首が変な方向に曲がるような、聞いてはいけない音が聞こえた気がする。
「ヘレン…様?」
しかし何故かこの少女が恐ろしいとは感じない。
「あ、お見苦しいものお見せしましたっ」
ヘレンは我に返ったのか、立ち上がり、グチャグチャになったダニエルをぽいっと捨てた。
「いえ、助けていただいてありがとうございます…?」
そこでヘレンは返り血に濡れた美しい顔に満面の笑みを浮かべる。
「お怪我がなさそうでよかったです!」
(――…お美しい…)
色々と衝撃はあったが、やはりこの美少女は人外の何かを持った天使なのだと思った。




