最悪の男と天の使い【他者視点】
コーネリアの家の力が徐々に衰退するとともに、彼との婚約は一方的に解消され、家同士で提携していた事業なども全て、裏社会の危険な会社に売られるなどして裏切られたものだから、両家の間は殺伐としていて、よく話しかけられたものだなといっそ感心する。
「久しぶりだなぁ、コーネリア。元気そうで何よりだよ」
「…ええ、お陰様で私も私の家族も元気よ」
皮肉げに笑って返答するも、ダニエルは機嫌がいいのか笑って会話を続ける。
「君はAクラスなんだってな、昔から頭が良かったから納得だ」
「それがどうしたと言うの。あなたには関係ないわ」
こんなに無愛想な態度を取ってもなお、ニコニコと笑っているダニエルは珍しく、気味が悪い。
「いや、そうでもない。関係はこれからまた作っていけばいいだろう?」
「どういう意味?私を馬鹿にしているのかしら」
今さら何を言うのだ。作れる関係などもうとっくに破綻しているというのに。
「君に提案があるんだ。悪くないどころか、願ったり叶ったりだと思うんだけど、聞きたくはないのか?」
「………聞かないわ」
正直、この男が珍しくこれだけ機嫌がいい理由も、余裕の表情をしている理由も少しは気になってしまうが、人間としての矜持だけは捨てられない。
「はは、相変わらず素直じゃないなぁ。昔は仲良く…───」
「話がないのならもう行くわ。あなたごときに構っている時間はないの」
言葉を遮ったことで苛ついたのか、ダニエルはピクッと眉根を寄せるが、すぐにまた笑みを戻す。
「無礼だけど今は機嫌がいいから許してあげるよ。気の短い君のために、手短に、言うとね。君の家の復興を手伝ってあげようと思って」
「……は?何のつもり?」
私を、私達を裏切っておいて何を今さら。とダニエルには見えない位置でスカートを握りしめる。
「そう警戒せずともいい。簡単な取り引きだよ」
「すぐに裏切るような奴と取引?冗談も大概にしてちょうだい。…私達からまた何を奪う気なのよ?」
「また、なんて人聞きの悪い言い方はやめてくれ。こっちは救ってやろうって言ってるんだけど」
「あはっ、馬鹿だとは知っていたけど、救いようのない馬鹿に修正しなきゃね。信用できるわけないでしょ?」
しかしダニエルは笑みを消す様子もない。
「別に信用はしなくてもいい。今回は特別に魔法契約書を書いてやろう」
(魔法契約書…?)
魔法契約書は互いに命をかけて血で結ぶ契約で、双方が命を落とすまで、決して相手を裏切ることはできないものだ。大きな危険性も伴うため今では廃れている文化なのだが。
「そんなことしてまで、私達に何を望むの?」
「私達、ではなくお前にだよコーネリア。この取引は俺とお前の物だ」
「私?」
ダニエルが笑みを気味の悪いものに変える。
「そう、俺が家の復興を手伝う代わりに、お前は俺に終身隷属してもらう」
「終身隷属!?あなたの奴隷になれと言うの!?仮にも幼馴染によくもそんな侮辱をッ!」
「よく考えてみろ。悪い話ではないだろう?お前ひとりの犠牲で家族は元の栄光が戻り、領民も喜ぶんだ。もっとも俺の命令は絶対だから、俺が望めば、お前は体の関係を拒むことも、死ねと言われて迷うことも許されなくはなるが」
(私ひとりの犠牲…)
コーネリアだって自分の身が一番かわいい。長生きしたいしこんな男に抱かれるなどもってのほかだ。
しかし自分は半端と言えど貴族。領民のことを一番に考えなければならない立場。おいそれと答えを出すことはできない。
「ほら、首を縦に振れば良いだろう。最近父上が財務部との繋がりを持ったんだ。復興のことは心配しなくてもいい」
そしてダニエルがこちらに近づき、腕を掴んできた。
(───ッ!?)
混乱していて反応が遅れた。
「な、離しなさいッ」
しかし、相手は騎士としての教育を受けてきた、体格も自分より大きい男だ。力では敵わない。
「元々俺達は婚約していた。結婚すればそういう事もするようになる関係だったんだ。遅いか早いかの違いだろ!」
「やめなさいッ、汚らわしい!」
寮への近道を通るため、人通りの少ないこの道を選ばなければよかった。
どんなに大声を出しても、ここまで来ている者はいないだろう。
服を思い切り掴まれ、胸元のボタンがいくつか弾ける。
(もう…最悪の状況は避けられないわね、どうせなら契約を…結───)
「───おにいさぁん、無理強いは良くないですよ」
鈴の鳴るような、水のように澄んだ、愛らしい声が聞こえた。
大きな声を出したわけでも、感情的に発された声でもないのに、その言葉には謎の強制力があって、唐突な沈黙が場を支配する。
ダニエルもつい勢いをなくしたのか、掴んだ手の力が緩んでしまっていた。
最近、というより先程までに、聞いたことがある声だと思って振り返ると、想像通りの人物が立っていた。
「…え、……ヘレン様?」
ピンク髪の天使…否、少女は、この場に似つかわしくない柔らかい笑顔を浮かべている。
「はい、ヘレンと申します。覚えていただいているなんて光栄です。たしか、コーネリア様…ですよね?同じクラスの。ご助力いたしましょうか?」
助力。ダニエルへの抵抗へ、だろうか。だがこの華奢な美少女にそれができるとも思えない。
「───…助けて、くれますか?」
しかし、そんな心の内とは裏腹に、縋る言葉が口をついて出た。
「もちろんですとも」
そして少女は安心させるように微笑み、───消えた。
(え……!?消えた?)
数瞬置いて、ダニエルが横に吹っ飛ぶ。
(え!?え!?)
土煙が落ち着いて、崩れるようにして倒れるダニエルと、それに馬乗りになっているヘレンが見えた。
もうすでに気絶しているダニエルの胸ぐらを掴んで持ち上げ、ヘレンは容赦なく殴り続ける。
ボコッ、ボコッ、ボキッ
ボキッ、ボコッ、ブチッ
華奢な腕からは想像できないような重い拳とともに、首が変な方向に曲がるような、聞いてはいけない音が聞こえた気がした。
「あの、ヘレン…様?」
しかし何故か、この少女が恐ろしいとは微塵も感じられない。
「あ、うら若きご令嬢に、お見苦しいものをお見せしましたっ。大丈夫でしたか?お怪我は?」
桃髪の天使はこちらを振り返って「いっけね」と立ち上がり、グチャグチャになったダニエルをぽいっと雑に捨てた。
「いえ、…その、私は大丈夫です。……助けていただいて、本当にありがとうございます」
そこで天使は、汚い男の血が飛んだ美しい顔に満面の笑みを浮かべる。
「お怪我がなさそうでよかったです!」
(───…お美しい…)
色々と衝撃はあったが、やはりこの美少女は人外の何かを持った、素晴らしい天の使いなのだと思った。




