13本目
* * *
「……その後、サラは切れた二人の赤い糸を何度も結び直したみたい。だけど結果はいつも同じ。どんなに強く結んでもすぐに解けてしまうんですって。サラの努力も虚しく、しばらくして二人は離縁したわ。あの男は実家とも縁を切って、いえ、勘当されたが正しいかしら。例の男爵令嬢と出て行ったそうよ。我が家への借金と慰謝料は自ら払うっていう約束はしたみたいだけどね。きっと平民になったんでしょうけど、それからどうなったのかは分からないわ。知りたくもない。だけど、不幸になってるに違いないわ」
じとりと額に汗が滲んだ。キーラ様の話は色々と衝撃的で、胸に何か突き刺さるような痛みを感じた。
「姉のヒビだらけの心は限界を迎え、壊れてしまったんでしょうね……。すっかり気力を失った姉は呼び掛けにも応じず、一日中ただぼーっとするだけになってしまって。噂通り領地に戻って借りた邸で療養することになったの。サラは……サラは極力人と関わるのを避けるようになった。友達も一切作らなくなって、家では家族にも使用人にも必要最低限の事しか話さなくなった。ギクシャクした雰囲気のまま学園の寮に入って、そのままずっと会ってないの。……サラは今でも自分を責め続けてる。だから人を寄せ付けない。傷付けてしまわないように予防線を張ってるんだわ。でも、優しい子だから。赤い糸で苦しんでる人を見ると手助けしちゃうのね。自分が悪者になるのも構わずに。……いいえ、むしろ悪者になるように振る舞って」
沈黙した空気が痛い。じわり、と口の中で鉄の味がした。いつの間にか唇を強く噛んでいたらしい。俺はゆっくりとその力を緩めた。
「……失礼を承知で申し上げます」
「ええ、どうぞ」
「……貴女たちは、卑怯だ。自分勝手の愚か者だ。父親も母親も、貴女も。小さな子供一人にそんな責を背負わせて。彼女を更に傷付けるようなことばかりして」
俺の脳裏には彼女の寂しそうな横顔と、何かを我慢するように強く握られた小さな手が浮かんでいた。……ああ。俺は今怒っているのだ。目の前の女性と、彼女の両親に。
「……返す言葉もないわ」
キーラ様の顔を見なければ、俺はもっと怒りをぶつけていただろう。彼女の顔は苦渋に満ちていた。後悔や罪悪感でいっぱいの彼女を責めることは出来ない。
「そう。サラは悪くない。悪いのはすべてあの男。あの男は覚悟が足りなかったのよ。全てを捨てる覚悟も、全てを受け入れる覚悟もなかったくせに姉と結婚した。そのせいで大勢の人を傷付けた。姉を、サラを傷付けた。……あの男も苦しかったんでしょうけど、そんな言い訳通用しないわ。私はあの男を絶対に許さない」
そう言って、キーラ様は深い溜息をついた。
「そして、それは姉とわたくしも同じ。姉はすべてサラのせいにした。わたくしはそんなあの子を守ってあげられなかった。それどころか距離を置いてしまって……正直に言ってしまうと、怖かったのです。わたくしの糸も切られてしまうのではないか、と。あの子がそんな事をするはずがないのに。あの時だって姉を……母を思っての行動だったのに。……わたくしは間違ったのです。あの子を助けるべきだった。傷付いたあの子に寄り添ってあげるべきだった。それなのに……わたくしは本当に最低ですわ。サラがこんなわたくし達と会いたくないのは当然のこと。謝っても謝りきれない」
堪えきれなくなったのか、キーラ様はハンカチで目元を拭う。
「それなら……何故今頃になって会いに来たんですか」
「実は姉が……サラの母親が入院したの」
「えっ!?」
「あれからだいぶ時間が経って、姉は領地の仕事を手伝えるくらいに回復したわ。精神的にも肉体的にもね。立ち直った姉は……ずっとサラのことを気にしてた。実の娘にした仕打ちを思い出しては泣いて後悔して。でも、謝りたくても合わせる顔がないから。姉は償うように仕事に没頭したわ。そしたらこないだ倒れちゃって。王都の病院で診てもらうことになったの。幸いなことに重い病気ではないみたいだけど、しばらくは薬の投与が必要なんですって」
重い病気ではないと聞いて、俺はひとまず安堵した。
「入院した事をサラにも伝えようと思って手紙を送ったんだけど、返事がなかったから直接学園に行ったの。そしたら勇敢な騎士見習いさんに連れて行かれてしまって。結局伝えられなかったわ」
その言葉にハッとして目を見開く。……心当たりがありすぎるのだ。
「も、申し訳ありませんでした。あの時は何かトラブルがあったのかと思って必死で……」
「謝らないでちょうだい。あれがなくてもサラとは話せなかったと思うから。それに、あの時の貴方とてもカッコよかったわよ」
キーラ様はクスリと笑う。
「このままではいけないってずっと思ってたの。もちろん姉もわたくしも許してほしいなんてそんな恥知らずな事は思ってないわ。でも、自己満足だってことは分かってるけど……ちゃんと謝りたいの。姉が倒れたのがきっかけっていのも情けない話だけれどね」
カップの中の紅茶はもうすっかり冷めきっていた。
「あの……どうして俺にその話をしたんですか?」
「言ったでしょう? サラは貴方を信頼しているって。きっと貴方はサラにとって特別な存在なのよ」
〝サラにとって、特別な存在〟
その言葉に、何故か俺の胸がドクンと高鳴った。いや、いやいやいやいや。特別だと言ってもキーラ様がそう思っているだけで。俺がサラ嬢の特別だなんてそんなこと……あるわけがない。
「だからね、貴方がサラの恋人だったらいいなって思ったの。ほら、あの子糸のせいでまともに恋愛したことないから。もしかしたら人を好きになる気持ちを知れたのかなって。そうだったら嬉しいなって」
俺はあっちこっちに目を泳がせながら眉間に力を入れるというなんとも複雑な表情をして、ようやく言葉を発した。
「……さっきも言いましたが、俺とサラ嬢はそんな関係ではないですよ」
「ふふっ。そうね、わたくしの勘違い。ごめんなさいね」
なんだか何もかもを見透かされているようで参ってしまう。これが淑女の余裕というやつだろうか。
「アレックス・ロンバート様」
「はい」
「今日はわたくしの話を聞いてくれてありがとう。それから……あの子、素直じゃないけど根は悪い子じゃないから。……こんな事わたくしが言える立場じゃないけど、あの子の事、支えてあげてほしいの」
「……はい」
「ありがとう。これからもよろしくお願いします」
キーラ様の言葉に、俺は静かに、だが力強く頷いた。




