12本目
「ここからの話は、他言無用でお願い致します」
キーラ様の言葉に、俺は無言で頷いた。
「我がクラーク家の先祖には、東の国から嫁いできた巫女様がいるの。巫女様っていうのはこの国で言う聖女様みたいなものでね、神様の遣いらしいわ。ただ、我が国の聖女様は癒しの力をお持ちだけど、巫女様の力は未来が見えたり他人の心の声が聞こえたりと多岐にわたるそうなの」
確かサラ嬢は赤い糸は東の国の伝説だと言っていた。なるほど。彼女がその話を知っていたのは自分の家に関係があったからなのか。
「巫女様の血を受け継ぐクラークの家系では、時々そういう不思議な力を持って生まれてくる子がいるのよ。最近では、その力の一部がサラに受け継がれた。赤い糸が見えるのはそのせいよ。どんな力を持って生まれくるかは分からないんだけど、サラに現れたのはその力だった。運命の赤い糸なんて最初は信じてなかったけど、言う事すべて当たってるんだもの。信じるしかないわよね。そして、この事は一族以外に話す事を禁じられていたの。誰かに知られれば力を悪用されてしまうかもしれないから。サラも、今まで誰にも話した事はないはずよ。まぁ……変な噂は立てられていたようだけど」
はぁ、とキーラ様の口から溜息が溢れた。
「クラーク家の醜聞は知ってるでしょう?」
それは非常に返答に困る質問だった。しかし、ここで嘘をついても意味はないと思い、俺は躊躇いがちに小さく頷いた。
「サラの父は姉とあの子を捨てて長年想い合っていた相手と出て行った。姉はあの男を愛していたからショックを受けて体調を崩し、領地の隅に家を借りて療養を余儀なくされた。クラーク家は妻を亡くし、引退を考えていた父──サラの祖父母のことね。祖父が当主を続投することになった。そして、将来的には爵位をサラに譲ることに決めた。これが長年社交界で言われ続けているクラーク伯爵家の醜聞。この話は本当よ。……いいえ、事実はもっと酷い」
キーラ様は何かを我慢するように眉間にシワを寄せると、絞り出すよう語り始めた。
* * *
姉のレイラ・クラークとあの男の結婚は、政略結婚だった。当時、あの男の領地は豪雨による川の氾濫で広範囲に水害が起き、領民は苦しんでいた。領地の建て直しを急ぎたくても予算も資材も人材も足りず、借金をしてなんとか作業に当たっていたが復興にはほど遠い。そこに手を差し伸べたのがクラーク家である。クラーク家の長女レイラは伯爵家三男のあの男に惚れていた。妻を早くに亡くしたこともあり、クラーク伯爵は娘にとても甘かった。娘の望む相手と婚約させようと、クラーク家はレイラとの婚姻を条件に借金の返済の肩代わり、支援金の援助と人材の派遣、機材の提供を約束した。それにより、あの男の領地はみるみるうちに復興していった。更に特産品の販路の拡大を手伝ったことにより売上げが伸びた。うまくいけば税収も上がり、領地運営も安定するだろう。
領民も救える上に伯爵家への婿入りで将来は安泰。自分に惚れている妻は社交界の華と呼ばれる美しい令嬢。伯爵家の三男にすればこれ以上ないほどの良縁。跡継ぎ以外の子息ならば誰もが羨む結婚だった。
しかし、あの男には想い人がいた。
幼馴染の、貧乏男爵家の長女。幼い頃から仲が良く、お互い想い合っていた。家のために内職でお金を稼ぎ、使用人も雇わず家事全般をたった一人で行う彼女を、彼はいつも側で支えていた。しかし、男爵家は兄が継ぐことが決まっているため爵位を持たない男と結婚したらただの平民になる。それでは男爵家が保てない。時が来れば、彼女はどこかの金持ちに嫁がされるだろう事は分かっていた。更に自領の水害。お互いの家の事情を考えると、二人が結婚する事は到底不可能だったのだ。
姉は二人の関係を知らなかった。家が貧乏だったため、男爵家の娘は学園に通っていなかったからだ。姉は学園で知り合ったあの男に恋をし、やがて婚約を果たす。相手の弱みに漬け込むような形だったとはいえ当時の貴族の結婚としてはよくある事だ。それに、あの男自身も納得してから結んだ婚約だった。
婚約期間中のあの男は、姉に優しかった。デートを重ね花束を贈り、ドレスやアクセサリーのプレゼントも欠かさず、夜会のエスコートもダンスも完璧だった。あの頃の姉は本当に幸せそうだった。自分の婚約者が他の女に懸想しているなど、夢にも思わなかっただろう。
姉がその事に気付いたのは、結婚式の時だった。招待客の中に居た彼女を見つめるあの男の熱く焦がれた瞳。見つめ合う二人を見て全てを悟ったと言う。それでも気付かないふりをした。彼が彼女を想っていても、隣にいるのは自分だと必死に言い聞かせて。
結婚生活は順調だった。あの男は姉に対して愛はなかったが情はあったのだろう。結婚して二年後には子供も生まれ、それなりに幸せだったと思う。
悲劇が起きたのは、サラに巫女様の力が発現してからだ。運命の赤い糸が見えるという、厄介な力が。
ある日、サラは言った。
「お父様の小指にお母様とは違う赤い糸が結ばれてるわ」と。
おそらくあの頃のサラは自分の言葉がどんな意味を持つのか、それがどんな結果をもたらすのかなんて考えもしなかったんだと思う。あの子はただ見えたものをそのまま言っていただけ。五才にも満たない子どもだもの、当たり前だ。
あの男は顔面蒼白で今にも倒れそうだった。しかし、焦るキーラ達とは対照的に、姉は悲しそうに微笑んでサラの頭を優しく撫でただけ。……キーラはあの時の姉の顔が今でも忘れられない。そして思った。〝知らない〟って怖いわ、と。
姉は結婚してからずっと苦しんでいた。なぜ、どうしてあの女なのか。どうして自分に気持ちを向けてくれないのか。涙を流した日は数知れず、悲しみが怒りに変わる日だってあった。でも、それを全て一人で抱え込み、誰にも言わず、気付かないふりを続けて笑っていた。
しかし、サラの一言であの男の愛が自分に向いてないと改めて突き付けられたのだ。悪意がないのは分かっている。分かってはいるが……事実は時として残酷だ。
キーラはその夜、姉の気持ちを思って部屋で泣いた。
そして──秋の近付いてきたあの日。クラーク伯爵家は壊れてしまったのだ。
*
その日は、サラと買い物に行った帰りだった。最近の姉は少し情緒不安定で体調を崩しがちになっていた。サラも、母が父の事で苦しんでいるのを知ってどうにかしたいとずっと悩んでいた。あまり根を詰めすぎてもよくないので、少しでも気分転換をしようとキーラがサラを街へ連れ出したのだ。ちなみに、この頃になるとあの男は職場である王宮に泊まることが多く、帰ってくることは稀だった。後から知ったのだが、王宮にはあの男爵令嬢がメイドとして働きに来ていたらしい。つまり、二人は職場で堂々と逢瀬を重ねていたわけだ。最低である。
馬車から降りて邸に入ると、そこで感じた違和感。いつもなら帰ってくると使用人と一緒に姉が出迎えてくれるのだが、今日はそれがない。それに、邸全体が水を打ったように静まり返っている。不思議に思いながらも、キーラとサラは邸を進んで行く。姉の部屋のドアが開いていたので、そっと中を覗き込む。
「お姉さま?」
シンプルな深緑色のドレスを着た姉は、部屋の真ん中にぺたりと座り込んでいた。俯いているせいでその表情はわからないが、これは異常だ。
「どうしたんです!? 大丈夫ですかお姉さま!」
キーラが駆け寄って声を掛けるも、レイラはその声が聞こえていないのかこちらを見向きもしない。まるで魂が抜かれてしまったかのようにぼうっとしていて、気力がまったく感じられなかった。とにかく、様子がおかしい。
……どうしよう。そう思ってサラの様子を横目で伺う。サラは大きな赤い瞳でレイラを見つめていた。そのまま動く様子はまったくない。二人ともどうしちゃったのかしら。キーラは途方に暮れた。
「お母様」
サラが小さく口を開いた。
「糸を切ったらお母様は苦しみから解放されるんじゃなかったの?」
キーラはヒュッと息を呑む。この子は何を言っているのか、と彼女の言葉を理解するのが一瞬遅れた。
「だってお父様が言ってたの。お母様と自分の糸を切ったらみんな苦しくなくなるって。お母様を助けてやってくれって。だから私──」
キーラの心臓はばくばくと嫌な音をたてて早まる。喉はカラカラで上手く声が出せない。やめてサラ、もうそれ以上話さないで。キーラの願いも虚しく、サラの口は止まらない。
「私が切ったの。お母様とお父様の赤い糸」
その一言で理解してしまった。あの男は逃げたのだ。責任も罪もこの小さな子どもに押しつけて逃げ出した。わずかにあったレイラへの情を捨て、家族を捨て、子どもを犠牲にし、秘めていた長年の愛を選ぶ決意をした。最も残酷なやり方で、あの男は全てから逃げ出したのだ。
「ふっ、ふふ」
酷く長い沈黙のあと、乾いた笑い声が響いた。姉の肩が小さく震える。
「…………お母様のこと傷付けて楽しい?」
ゾッとするほど冷たい声が響いた。ゆらりと顔を上げた姉の虚な目からは、止まらない涙が静かに流れ落ちている。姉が姉ではないように感じてとても怖かった。
「え?」
「お母様を傷付けて楽しい? って聞いてるの」
「お……かあ、さま?」
サラにとっては寝耳に水だろう。彼女は傷付けているつもりなんてこれっぽっちもないのだから。むしろ、サラは母を助けたいと思っていた。苦しんでほしくなかったのだ。姉は感情を押し殺したように、声を震わせながら告げていく。
「全部あんたのせいよ。……いつも余計なことばかり言って。他の糸が伸びてるって。いつもいつも、あの人の心はあの女のものだって私に突き付けてきて」
「……あ、」
「こっちは必死で気付かないふりしてるのにぜんぶ水の泡。人にはね、いくら真実でも知りたくないことがあるの。知らない幸せっていうのがあるの」
「……ご、ごめ、な」
「わかる? お母様はあんたのせいで泣いてるの。あんたのせいで苦しいの。あんたにそんな力があるからあの人の決心がついちゃった。私たちを捨てる決心が!! ……ねぇ、どうして? どうしてあんたは人を傷付けることしか出来ないの!?」
バン! と力強く叩かれた机の上に置いてあるのは、離縁届けだった。
「全部ぜんぶあんたのせいよ!! 切らなければ……切らなければ……私たちはまだ笑っていられたのに! 一緒に居られたのに!! 今まで私が何のために我慢してきたと思ってるのよ!!」
「……ご、めんな、さ……ごめ、な、さぃ」
サラはひたすら謝っていた。怯えながら、何度も何度も。キーラはサラの謝罪と姉の泣き声を、ただただ聞いていることしか出来なかった。




