10話目「残響」
朝日が差し込む頃、啓太と裕太郎がうっすらと目を開けた。
「……あれ、俺、なんで外に……?」
啓太が寝ぼけたような声を出す。裕太郎も同じように、ここ数日の記憶がひどく曖昧なようだった。
耳の出血はいつの間にか止まっていて、傷跡すら残っていなかった。
「とにかく、下りるぞ」
誠の一声で、俺たちは急いで荷物をまとめた。
啓太と裕太郎はまだふらついていたが、誠と俺とで支えながら、なんとか歩かせることができた。
不思議なことに、車を停めた場所までの道のりは、来た時よりもずっと短く感じられた。
車のところまで戻ると、あれだけかからなかったエンジンが、キーを回しただけであっさりとかかった。
誰も、多くを語らなかった。ただ、早くこの山を離れたい一心だった。
道の駅黒滝まで戻ってくると、ようやく皆の顔に生気が戻ってきた。
「なあ……あれ、全部夢とちゃうよな」
裕太郎がぽつりと言うと、誠は苦笑いした。
「夢やったらええけどな。土地、もうキャンセルできへんし」
「お前、まだそんなこと言うてんのか」
軽口を叩き合う皆を見て、俺も少しほっとした。
啓太が黙って自分の耳を触っていた。
「啓太、どうした?」
「いや……なんか、まだ耳の奥に、あの鈴の音、残ってる気がして」
「気のせいやろ」
誠がそう言ったが、俺には、それが単なる気のせいではないような気がしてならなかった。
念のため、病院で四人とも検査を受けたが、耳にも体にも異常は見つからなかった。啓太と裕太郎は、あの数日間の記憶をほとんど失っていた。医者は「疲労と軽い脱水による一時的な症状だろう」と診断した。それ以上、説明のしようがなかったからだ。
***
数ヶ月後、俺たちはいつも通り仕事に戻り、日常を取り戻していた。
啓太も裕太郎も、あの数日間のことをほとんど覚えていないようだった。時折、飲み会で「あの時、実は色々あったらしいな」と誠に聞かれても、二人とも曖昧に笑うだけだった。
誠だけは、あの土地をどうするか今でも真剣に悩んでいるらしい。
「今度は業者連れて、ちゃんと調べてから行くわ」と笑っていたが、俺は素直に頷けなかった。
「もう行かん方がええんちゃうか」
「せやなぁ……いや、でもな、ちゃんと供養してから、っていう手もあるんちゃうか」
誠の言葉に、俺はそれ以上何も言えなかった。
ただ――俺だけは、今でも時々、あの音を聞く。
静かな夜、ふとした瞬間に、チリン、と小さな鈴の音が耳の奥で鳴るのだ。
それが幻聴なのか、本当に何かが残っているのか、俺にはわからない。
老婆が言っていた言葉を、俺は今でも覚えている。
「悲しんでも、同情してもあかん」
――あの時、心のどこかで、死んでいった村人たちに同情していたのは、俺も同じだったかもしれない。
だとすれば、この耳の奥の音は、いつか俺のことも呼びに来るのだろうか。
先日、ふと窓の外、遠くの山並みに目をやったとき、
確かに――チリン、と、あの音が聞こえた気がした。
俺は鈴の音がした方角を、しばらくの間、じっと見つめていた。
●完●
10話目、そして最終話まで、お読みいただき本当にありがとうございました。
下山して日常に戻っていく過程で、あえて劇的な「解決」は描きませんでした。医者にも原因不明とされ、啓太と裕太郎の記憶も曖昧なまま――現実の怪異譚というのは、こういう風に「なんとなく終わる」ことが多いのではないか、という考えからです。
そして最後に残ったのが、北斗の耳の奥に鳴り続ける、あの鈴の音です。
老婆の「同情してもあかん」という言葉を、北斗自身も破ってしまっていたのではないか――そう匂わせる形で幕を閉じました。彼が今後どうなるかは、あえて明言せず、読者の方の想像に委ねたいと思います。
お付き合いいただき、本当にありがとうございました。また別の作品でもお会いできれば幸いです。




