10.魔法使い解放テスト
長距離間魔法発動装置。
オリバー・セルフリッジがチニックから聞かされた、その装置の大よその原理はこのようなものだった。
普通ならば、魔力はある程度の距離を進めば拡散し、雲散霧消してしまう。だから、長距離先で、強力な魔法を使う事はできない。しかし、それは逆を言えば、魔力の拡散を防げれば、長距離先でも魔法を発動させられるという事でもある。そしてチニックは、それを可能にする為に“魔力を集める仮想的な魔法道具”を自動生成する装置を作ったのだ。そしてそれこそが、長距離間魔法発動装置だった。
この装置を使うと、術者の魔力によって“魔力を集める仮想的な魔法道具”が数十メートル先に発生する。それで集めた魔力で、また同じ様に数十メートル先にその仮想的な魔法道具を作る。これを繰り返す事で、長距離先にまで魔力を届けられ、目的の場所で魔法を発動させられるのだ。
この仮想的な魔法道具は、魔力によって形成されたもので、物質ではない。だから普通は見る事も触る事もできないし、しばらくすれば消えてしまう。つまり、証拠は残らない。破壊行為などの犯罪には、だからとても適している事になる。しかもまだあまり世間に知られてはいない。
シャロム・シャイローが、この装置を悪用しようと考えたのはその為だろう。
セルフリッジはそのように考えていた。
ただし、もちろん、距離を伸ばせば伸ばす程、魔力の減耗は激しくなる。“魔力を集める仮想的な魔法道具”を発生させるのにも魔力が必要だからだ。それに、長距離間魔法発動装置を使うのにはかなり時間がかかる。
装置を使う時、だからアンナ・アンリには時間ができる事になる。或いは、その時間をアンナ・アンリは何かに利用するかもしれない。そう、セルフリッジは考えていた。
セルティア共和国で、魔法使いによる同時多発無差別テロ事件が起きた。ただし、犯人もその目的も不明。規模としては、個人でも充分に実行が可能な範囲内なので、組織的犯行ではないという見方が大勢を占めている。目的が分からない事から、悪戯目的の犯行か或いは精神異常者の可能性も考えられたが、いずれにせよその事件は、魔法使いの解放に対して不安を投げかけ、多くの議論を巻き起こしてもいた。
オリバー・セルフリッジは、その事件の発生を知るなり、申請を出して直ぐにセルティア共和国への出張を決めた。
彼は特殊捜査権限を持っているので、極稀にではあるが、捜査の為に出掛ける事があるのだ。ただし、他国にまで行くケースは、これが初めてだったが。
彼はセルティア共和国に向かう為に、インヒレイン山岳地帯を通るルートを選択した。その目的は、ランカ・ライカ及びに山賊団の面々と会って、協力を依頼する事だった。アンナが捕まっていると知れば、彼女達はほぼ間違いなく自分に協力してくれるだろうと彼は考えていたのだ。
が、山賊団のアジトに着いて、セルフリッジは驚愕の事実を知ったのだった。
「ランカさんが失踪している?」
ナイアマンとナゼル・リメルとダノの三人の前で彼は目を丸くした。
「俄かには信じ難いですが、あなた達がそんな悪い冗談を言うとも思えませんしね」
そう言うと、彼は考え始める。そして、それから直ぐにこう言った。
「ならば、もしかしたら、ランカさんは廃村にあるシャロム・シャイローの倉庫に捕えられているかもしれません」
その言葉に三人は驚く。もちろん、それが正解だったからだ。アンナからランカの居場所を聞いた彼らは、直ぐに団員に探りに行かせたのだが、それでランカがそこにいる事を確認している。
「どうして、そう思ったのですか?」
それを訊いたのはナゼルだった。彼女は本当は彼がアンナと通じている可能性を疑っていた。
「簡単な推理ですよ。まず、ランカさんがあなた達を見捨てて出て行く可能性は皆無です。なら、さらわれたと考えるしかありませんが、彼女をさらえる人間など、この世にはほとんどいません。そして、彼女に関わりそうな人間でそれが可能なのは、僕の考え付く限りでは、シロアキ君だけです。ランカさんは、子供にだけは弱いですからね。
そして、シロアキ君には、ランカさんをさらう動機があるのですよ」
それを聞くと、ダノが尋ねた。
「もしかして、復讐ですか?」
セルフリッジは否定する。
「違います。もっと打算的な事です。早い話が彼女は金になるのですよ」
それに疑問を述べたのはナイアマンだった。
「どうして、母さんをさらうと金になるのですか?」
セルフリッジは淀みなく答える。
「ランカさんは、先の事件で王子達にとって大切な存在になりました。王子達はランカさんに恩を感じている。しかし、ランカさんは法律上は山賊で犯罪者なのですよ。つまり捕まえても罪にはならない。そのまま警察に突き出す事も可能でしょうし、偽装すれば殺す事だってできる。
だから、彼女は王族と交渉する際の貴重なカードになるのですよ。欲しがる組織は必ずいます。ならば売れますよ」
ダノはそれを聞いて大きく頷く。“流石、旦那だ”とそう思った。ナゼルが尋ねる。
「母さんが、そのシャロム・シャイローって人の、廃村にある倉庫に捕まっていると考えた理由は何ですか?」
「それも簡単です。王族との交渉が可能で、しかも大金を出せる組織は限られています。そして、その中でもっともランカさんを欲しがりそうな組織は、シャロム・シャイローの組織なんですよ。
シャロム・シャイローは熱心な魔法使い差別主義者でしてね。今、魔法使いの解放が進んでいる最中ですから、対抗する為のカードは欲しいはずです。もしも僕がシロアキ君の立場なら、シャロム・シャイローにランカさんを売ろうと考えるでしょう。
そしてランカさんの特性を考えるのなら、人気のある場所で捕まえておくのは得策じゃありません。ほら、子供が周囲にいる場所だと少しでも泣き声が聞こえれば、彼女は絶対に暴れますから。今まで大人しくしていたというのなら、廃村の倉庫辺りに捕まっていると考える方が自然です」
その彼の説明に、ナイアマンは感心した声を上げた。
「なるほど。納得ができました。相変わらず凄いですね、セルフリッジさんは」
「いえいえ、情報量を僕は多く持っていますからね。ナイアマンさんでも、僕と同じ情報があれば、直ぐに同様の結論を導き出せたと思いますよ」
そうセルフリッジは言ったが、ナイアマンはアンナから聞くまで、シロアキがランカをさらった可能性すら考えていなかったのだ。多少、彼はそれに悔しさを感じた。
それからセルフリッジは続ける。
「しかし、もし僕のこの推理が正しいとするのなら、ランカさんはアンナさんと会っている可能性もありますね。今、アンナさんは実はシャロムの組織に捕まっているのですよ。
それにまだ疑問があります。シロアキ君はどうして、ランカさんをさらえると考えたのでしょうか? ランカさんの方は、シロアキ君の為なら、大人しく捕まる振りだってしそうですけどね」
そう言い終えると、セルフリッジは三人の顔を見回した。三人は気まずそうに互いの顔を覗き込む。それで彼は察した。
「なるほど。アンナさんが、ここに来ましたか」
三人はそれを聞いて、再び驚いた顔を見せる。
「驚く必要はありません。なんでもない事ですから。先日、セルティア共和国で、魔法使いによる無差別テロが発生しましたが、それは長距離間魔法発動装置というもので、アンナさんが無理にやらされたものなのですよ。その時に彼女には時間があったはずですから、誰かにメッセージを届けたりするかもしれないと僕はそう思っていたのです。
そして、ランカさんがあの倉庫に捕まっていて、アンナさんが会っているのなら、ここに伝えに来るのは当然でしょう」
言い終えると、彼は一呼吸の間の後でこう続けた。
「あなた達が、僕にそれを伝えなかったという事は、アンナさんが僕に伝えるなと口止めをしたのでしょうね」
その彼の言葉に、まずはダノが降参した。
「もう黙っていても無意味だな。
旦那、許してください。どんな事情があるのか知らなかったものだから、伝えて良いものかどうか分からなくて」
「いえ、構いませんよ。という事は、シロアキ君がどうしてランカさんをさらえると考えたのか、その理由も分かっているのですね?」
「はい。信じられない話ですが、母さんのあの凄い身体能力は魔法の効果だったらしくて」
それを聞くと、セルフリッジは何故か少し笑った。
「なるほど。シロアキ君はそれに気付いていましたか。僕もかなり前から疑っていましたがね。それで魔力抑制の首輪を使えば、捕まえられると彼は考えたのですね」
「旦那は前から気付いていたのですか? そうらしいです」とそれにダノ。その後でナイアマンが続けた。
「ただ、母さんがその倉庫から移動させられている可能性も考えられますよね? それが僕は心配で……」
「いえ、それは大丈夫でしょう。先にも同じ事を言いましたが、もし、他の人気のある場所に移動したら、彼女は子供の泣き声に反応して逃げ出してしまうはずです」
「でも、母さんは魔力が抑制させられているのですよね?」
「そうですよ。けど、彼女の子供好きまでは抑制できませんよ」
「いえ、子供好きがそのままでも、意味がないのじゃ……」
その言葉を無視して、セルフリッジは言った。
「ランカさん達に、シャロム潰しとアンナさん救出を手伝ってもらうつもりでここに寄りましたが、どうやら頼む手間が省けたようです。あなた達も既にこの件に関わっているのなら話が早い。協力してもらいますよ」
しかし、それを聞くとナゼルが言い難そうにこう口を開いた。
「それが、そういう訳にも行かないんですよ、セルフリッジさん」
「何故ですか?」
「実はトロルなんとかって奴の山賊団が、ここにいつ攻め込んで来るかも分からない状況なんです。だからわたし達はそれに備えなくちゃいけなくて、そんなに多くの人員を母さん救出に割けないんですよ」
それを聞いて、セルフリッジは確か前にアンナがそんな事を言っていたと思い出した。
「なるほど。それもシロアキ君の策……、と考えるのは考え過ぎでしょうから、単に運が悪いだけでしょうね」
一呼吸の間の後で、それから彼はこう言った。
「分かりました。
ランカさんがいる事だけでも、充分な戦力になります。ただ、最低限の人間だけは貸してください。麻酔の弓を使える人が、一人は欲しいです。それと、ライドさんとメリルさんのコンビの助力も欲しい。ライドさんとメリルさんに関しては、ちょっと手伝ってもらったら、直ぐに戻ってもらって構いませんから」
その言葉に三人は顔を見合わせた。ナイアマンが言う。
「それくらい貸すのは別に構いませんが、母さんは首輪でその力を抑えられているのですよね? なら、戦力にはならないのじゃ?」
「いえ、まぁ、そこは多分、大丈夫です。何しろ、ランカさんですからね」
「はぁ」
やはり、よく意味が分からない。これが普通の人間なら、頭がおかしくなったと思っているところだが、相手はあのセルフリッジだ。それを聞いて三人は、彼がまた自分達を騙しているのではないかとそう疑った。
「とにかく、僕はこれからセルティア共和国に行かなければいけません。シロアキ君の事も少し調べたいので、タンゲア帝国も回って来て、それからまたここに立ち寄りますが、その時に詳細を詰めましょう」
それからセルフリッジはそう言うと、セルティア共和国に向かって去ってしまった。どうしてなのかは分からないが、彼はランカが廃村の倉庫に捕まっていると聞いて、少しだけ元気になったように思える。それにナイアマン達三人は不可解な気持ちになったが、同時にこれで後少しでランカが戻って来るだろうというある種の予感のようなものも感じていたのだった。もっとも、根拠はまったくなかったのだが。
――セルティア共和国での社の販売実績報告を聞いたセルビア・クリムソンは、「なんとか、間に合った」とそう安堵をした。
マカレトシア王国では、彼女の会社『ベルゼーブ・マジック・アイテム・カンパニー』は、市場で圧倒的優位に立っているが、セルティア共和国では強豪の一角に過ぎない。順位的には三番手といったところだ。だが、それが今回の事で変わるかもしれない。
セルティア共和国で魔法使いによる同時多発テロが起こると、当然、魔法使いに対する不信感と恐怖心が人々にぶり返した。そして、ほぼ同じタイミングで、彼女の会社は一般客向けの抗魔力道具の販売規模を拡大したのだ。新商品も多数投入した。当然、それら商品はかなり売れた。大ヒットと言っても良い。
魔法使いの解放が本格化する前という事もあり、他社はまだそこまで準備を進めてはいなかった。結果として、一般客向けの抗魔力道具のシェアにおいては、ほぼ彼女の会社の独走態勢となった。まだ始まったばかりで、一週間から二週間後には他社も販売規模を拡大するだろうが、それでもこの優位は心強い。
そして、彼女の会社の製品の確かな抗魔力道具の効果が世の中に認められていくと、逆説的だが、魔法使いへの恐怖は和らいでいったのだった。安心できる対抗方法があるのなら、魔法使いを闇雲に恐怖する必要もないのは当然の話だ。
セルビアは今回の成功を受けて、マカレトシア王国でも一般客向けの抗魔力道具の販売を計画していた。シャロムは彼女の動きに気付いてはいるだろう。シャロムはセルビアとセルフリッジの面会内容を知っていた。それは社内に内通者がいる事を示している。しかし、シャロムは自分の計画を巧みに利用されたと思っているだけで、セルビアが敵対しているとまでは考えていないはずだ。そしてだからこそ、彼女がマカレトシア王国で抗魔力道具を売ろうという計画を立てた理由が“魔法使いへの恐怖心”だけではない事に気が付いてはない。
“シャロム・シャイロー。あの男の反魔法使い解放運動は、必ず失敗するわ。そうなれば、一気に魔法使い解放は進むはず。なら、抗魔力道具やその他の魔法道具も売れる”
実は彼女はそう踏んでいたのだ。もちろんそれはシャロムの浅はか過ぎる部分を知ったからだ。彼のリスク評価能力の低さは致命的だ。セルフリッジは彼に対抗しようとしているようだが、だからセルフリッジが勝つだろうとそう彼女は判断していた。
権力も財力も必要ない。ただ単に、シャロムの犯罪の証拠さえ、白日の下にさらけ出せば、それでセルフリッジの勝ちなのだ。それくらい彼にならできるはずだ。
彼女は恩を売っておいた方が良いと考え、セルフリッジに少しだけ協力もした。シャロム達に売った抗魔力道具の一部は、実は不良品で、その事はセルフリッジにも伝えてある。彼なら、それを有効活用できるだろう。
もちろん、セルフリッジがシャロム達に殺されてしまう可能性もあるにはある。だが、仮にそうなってもシャロムはいつかは大きな失敗をするはずだ。だから心配はないと、彼女はそう考えていた。もっとも、
“正直、人間的にもシャロムなんかより、セルフリッジさんの方が何倍も好きよ。だから、彼に勝って欲しいけど”
と、彼女はそうも思っていたのだが。
シャロムは、これからマカレトシア王国でも長距離間魔法発動装置を使って、セルティア共和国で行った事と同様の事をするつもりでいるのだろう。そして、セルビアの抗魔力道具の販売計画によって、魔法使い達への不安が和らいでしまう事を考慮に入れても、それを最も人々の魔法使いへの不安を煽れる“魔法使い解放テスト”の日に合わせて来るだろう事は、ほぼ確かだと思えた。
魔法使いを解放しても問題がない事をテストする為に、何名か魔法使い達を選抜して魔力を解放する計画が、いよいよ近日に実行されるのだ。その日に、もし魔力を解放された魔法使いが問題を起こせば、相当に魔法使い解放運動を抑えられるはずだ。シャロムがそれを狙わないはずがない。
“恐らく、セルフリッジさんも、それに合わせて、何かをするつもりでしょうね”
そうセルビアは考えていた。そして彼女はまるでお祭りの日を心待ちにする子供のように、不謹慎にも、その日をとても楽しみにしていたのだった。
警察の捜査一課で課長職を担っているノットナット・バナーは、その日自分の職場の席で、セルティア共和国から来た手紙を前に、首を捻っていた。その手紙の内容はとても短く、こんなものだった。
『廃村が犯罪者の隠れ家になっているケースがあるので、できれば定期的にパトロールを実施していただきたい。また、行方不明者が廃村で見つかった事例もある』
この手紙の内容自体は、取り分け変わった内容ではない。廃村が犯罪者に利用されていると、他国にも迷惑をかける場合があるので、国際的な犯罪の防止策として注意喚起される事があるのだ。ただ、どうして今この時期に自分の所にそんなものが届いたのか、彼にはまったく心当たりがなかった。国際間にまたがるような大事件はここ最近は発生していないはずだ。
手紙の送り主のセルティア共和国のトナーという男とは、以前協力し合って捜査した事があり、ある程度は気心が知れた間柄ではある。気さくで、とても人のいい男だ。ただ、交友があるのはバナーだけではない。他の警察の知合いに送っても良かったはずだ。いや、もしかしたら、他の知合いにも送っているのかもしれないのだが。
そこまでを考えたところで、耳障りな鼻歌が彼の耳に響いてきた。
「フンフンフフン、フンフンフン」
セピア・ローニーだ。
席に座っているが、身体を揺らしてリズムを取っている。
彼女はここ最近浮かれている。理由は分かっていた。“魔法使い解放テスト”の日が、迫って来ているからだ。彼女は魔力解放のテストメンバーの一人に選ばれているのだ。
彼女は“魔人”を自称する身体能力強化魔法が得意な魔法使いで、身体を動かす事が大好きなのだ。魔力抑制が効きにくい彼女は、普段から高い身体能力を発揮するが、完全に解放してやれば恐らくそれは尋常ではないレベルに達するだろう。セピアはそれを早く試してみたくて仕方ないのだ。
「おい、セピア。あんまり浮かれるな。お前の魔力が解放されても、何も事件が起きない可能性の方が大きいんだからな」
バナーがそう言うと、セピアは「分かってるよ、オッサン!」とそう返した。だが、彼女は恐らくは分かっていない。バナーはそう思っていた。
“頭では分かっていても、気持ちが追いついていないって感じだな。当日、何かやらかさないか大いに不安だ”
彼は悪い想像をして頭を抱える。
例えば、大した事件でもないのに全速力で街を駆け抜けて触れた誰かに怪我をさせるとか、破落戸に喧嘩をふっかけるとか、迷子を探す為だけにビルを駆け上がるとか、色々なパターンが想定できる。
彼の課は一応は捜査課という事になっているが、実質的にはなんでもやらされている。セピアが強引に暴れる理由を見つけようとする可能性は大いにあったのだ。
そしてその時彼は、それからオリバー・セルフリッジの事を思い出した。そもそもセピアが魔力解放のテストメンバーに選ばれたのは、セルフリッジが彼女を推薦した所為だったからだ。セルフリッジの管理している魔女が失踪してしまうという失態の後も、それは取り消されなかった。もっとも、失踪しただけでは致命的とは言えないから、分からなくもないのだが。
“いっそ、奴の魔女が何か大問題でも起こしていれば、セピアをテストメンバーから外す良い口実になったのに”
そんな事をバナーは思う。
それから彼はそこから連想して“魔法使い解放テスト”に関して、腑に落ちない点がある事を思い出した。
セルフリッジの魔女が失踪しただけではない。魔法使いに関しての悪い事件ならまだ他にもここ最近に起こっているのだ。しかも、大きな事件が。なんでもセルティア共和国で魔法使いが無差別テロを起こしたらしいのだ。それで魔法使いへの不安は高まってしまった。ならば魔法使い差別主義者達が、“魔法使い解放テスト”の実施取り消しを求めても良いはずだ。だが、そういった主張は極わずかだったのだ。まるで、魔法使い差別主義者達は、“魔法使い解放テスト”が行われる事を望んでいるようにすら彼には思えていた。
「絶対におかしい」
彼はそこで思わずそう小さく独り言を呟いた。するとセピアが「なんだ? オッサンの頭がおかしいって話か?」とそう言って来た。彼女は目も鼻も耳も良いのだ。
「お前に言われたくはないわい!」
バナーがそう怒鳴ると、セピアはケラケラとおかしそうに笑う。セピアは捜査課に身を置いてはいるが、あまり捜査も推理もしない。犯人との戦闘がメインで、はっきり言ってしまえば頭はそんなに良くないのだ。それからバナーは笑っているセピアを見て、また“魔法使い解放テスト”の日に不安を覚えた。そしてセルティア共和国から来た廃村パトロールを促す手紙を思い出し、「ったく、いっそ当日は、こいつに廃村を走り回らせてやろうか。犯罪者はともかく行方不明者くらいは見つかるかもしれない」とそう呟く。セルティア共和国からの手紙には、廃村から行方不明者が見つかった事が書かれてあったからだ。
が、そこでふと彼はある事に気が付いたのだった。
“ん? 待てよ。行方不明者? そういえば、どうしてこの手紙にはそんな事が書かれてあったのだ? 行方不明者っていえば、セルフリッジの魔女もそうだな。それに、確か、あのオリバー・セルフリッジの野郎は、今、セルティア共和国に出張していたよな?”
セルフリッジは、現在、彼が特殊捜査権限を持っている事もあって、セルティア共和国で起こった無差別テロ事件を調べているはずだったのだ。しかも彼は自ら希望して調査に向かったらしい。地位は低いが、王族側の政治家や官僚と通じている彼には、それくらいの我侭を言える力がある。
そう思ってみると、バナーは、今回のセルティア共和国からの手紙の送り主であるトナーという男のことを、セルフリッジに話していたような気がしてきた。曖昧な記憶だが、もしかしたら話していたかもしれない。
そしてそこからの連想で、更に彼はセルフリッジから、長距離間魔法発動装置の存在について知らされていた事を思い出したのだった。遠く離れた場所で魔法が発動できる上に証拠も残らないので、犯罪に利用可能だから警戒しておいた方が良いと、セルフリッジは以前に彼に言っていたのだ。
バナーはそれを聞いたその時は、それほどその装置を気にしなかった。確かに犯罪に利用されたなら厄介だが、その装置の金額は高過ぎたからだ。犯罪に成功して大金を稼げたとしても、まず割に合わない。それに、強力な魔力を持つ魔法使いも手に入れなくてはそれは使えない。犯罪に利用される可能性は低いだろうと考えたのだ。
“だが、もし、それを買った連中がいたとしたらどうだ? それに、セルフリッジの所の魔女は失踪している……”
そう考えると、それから彼は、マカレトシア王国の地図を引っ張り出して来て、セルティア共和国に近い位置に廃村がないか探した。そして、インヒレイン山岳地帯の麓に一つあるのを見つける。かなり怪しい。
彼は腕組みをする。
“くそう、またこのパターンか……”
そう思う。
既視感。
この感覚…… オリバー・セルフリッジが関わっている数々の事々を介して、事件のパーツが一つずつ埋まっていき、ある行動へと自分が導かれてしまうという体験を、彼は今までに何度か味わっているのだ。
“魔法使い解放テスト”のメンバーにセピアを推薦したのはセルフリッジ。セルティア共和国から送って来た“廃村をパトロールしろ”という手紙の本当の送り主も恐らくは彼。そして、彼が情報提供した長距離間魔法発動装置を使うのに適した廃村がそこにある。
バナーは憤った。
頭を抱える。
“くそっ! セルフリッジの奴め! またこのワシを利用する気でいるな!”
情報を与える、条件を整える等の布石を打っておき、その状況が来たなら、自然とセルフリッジが望む行動に導かれてしまう。そんな人の利用方法を、オリバー・セルフリッジという男は得意としているのだ。今までに何度もバナーは彼の術中に嵌っている。そして、彼はセルフリッジの意のままに利用されてしまう事を、いつも悔しく感じているのだった。
――しかし、
“しかし、今回、あの野郎は自分の恋人を救出したいのだろう。その気持ちは分からなくもない。それに、あいつの恋人の魔女はうちの部下の、セピアの友人でもある……。それに、それにだ……”
そう思ってから、バナーはセピアに話しかけた。
「おい、セピア。あの失踪しているお前の友人の魔女は心配か?」
「友人の魔女? ああ、アンナの事か? 別にあいつは友人じゃないよ。まぁ、女の死体が見つかったって話も聞かないし、どっかで元気にやっているんじゃないか?」
それを聞くと、バナーは思う。
“こいつがそんなニュースを気にする事は滅多にない。そういえば、こいつはアングラの魔法使いについて聞き込みをしていたな”
そして、こう言った。
「そうか、やっぱりお前もそれなりに心配しているのだな」
「おい、オッサン。アタシの話をちゃんと聞けよ。心配なんかしてないって」
その言葉を無視して、広げていた地図の廃村を指し示しながらバナーは言う。
「セピア。お前は、この廃村の場所が分かるか?」
「なんだよ、オッサン。なんか今日はいきなりだな。うーん。行った事がないから、ちょっと自信がないかもな」
「そうか。なら、今から行くぞ。場所を確かめておくんだ」
「は?」
「どうせ今日は暇だろう? セルティア共和国から、廃村のパトロールをするよう促されているんだよ。犯罪者共が利用している可能性があるからな。今から行けば、ギリギリで今日中に行って帰って来られる距離だ」
「いや、別に良いけど、本当に今日はいきなりだなぁ……」
それからバナーとセピアは、その廃村に向かったのだった。
バナーは思っていた。
“それに、もしこれで、犯罪組織の一つでも潰せたら金一封くらいは貰えるだろう。そうしたら、うちのかみさんの機嫌が良くなる!”
二人は廃村に辿り着いて、しばらく歩いた。何も変わったものは見つからなかったが、ただ廃村であるにもかかわらず、馬車の通った跡が残っている道があった。その道を進んでいくとその先には倉庫が見える。しかしその近くまで来たところで、彼らは突然に話しかけられたのだった。
「おい、なんだお前らは?」
見ると、柄の悪そうな男二人が、こちらに向かって近づいて来ている。バナーがセピアよりも一歩前に出てこう言う。
「ワシらは警察だ。この廃村をパトロールしているんだよ。廃村に犯罪者がいつく可能性もあるからな、定期的にパトロールするように言われているんだ」
すると、疑わしそうな表情で一人がこう言った。
「警察だぁ? 怪しいな。捜査令状を見せてみろよ」
「だから、捜査じゃないよ。パトロールだって言っているじゃないか……」
その柄の悪そうな男達は、どうやら悪ふざけをしているようだった。バナーをからかって遊んでいるのだ。見かねたセピアは「おい」と彼らに話しかける。
男の一人が言った。
「なんだよ、ねえちゃん? 俺らと遊んでくれるのか? だったら……」
そう男が言っている間で、セピアは棍を回し始めた。初めはゆっくりと、しかし瞬く間に急速にスピードを増していく。それは滑るように空気をかき回し、ブーンという音を鳴らしていた。その芸術的とも言える彼女の技を見せられて、その男達二人は完全に気圧された。
セピアは言う。
「これ以上、絡んで来るようなら、公務執行妨害及びに脅迫罪でお前らを現行犯逮捕するぞ? 良いのか?」
男達はこう返す。
「いや、冗談だよ、勘弁してくれ。ここはほら、廃村だからさ、やっぱり何かと用心しなくちゃならなくてさ」
それを聞くとバナーが言う。
「分かった。もういい。警戒したくなる気持ちも分かる。ただ、一応確認しておくが、あの倉庫は、お前らの会社が使っているのだな?」
男達二人は直ぐに頷く。それで彼はあっさりと今来た道を引き返し始めた。セピアは尋ねる。
「おい、オッサン。もういいのか?」
「ああ、もう充分だ。それと、セピア。助かった。感謝する。ただ、断っておくが、あれくらいの連中は、ワシ一人でもなんとかなったからな?」
その強がりに、呆れた様子で彼女は返す。
「ヘイヘイ」
それからもう少し進むと、バナーはセピアに向かってこう小声で言った。
「“魔法使い解放テスト”の日は、お前はこの廃村をパトロールするんだ」
「へ? どうしてだよ?」
「お前は暴れたいのだろう? なら、ワシを信用しろ。根拠は言えんが、お前は絶対に暴れられる」
根拠が“セルフリッジ”だとは、立場上もプライドを守る為にも、バナーは言う訳にはいかなかったのだ。
「――警官が二人、あの倉庫にやって来たって?」
シャロム・シャイローの手下の一人に向けて、シロアキがそう言った。
街にあるシャロムの組織のアジトの一つ。暗黒街の一角にあるその場所にシロアキ達はここ最近は潜伏しているのだ。決して上等な部屋ではないが、贅沢は言ってられない。その手下は何でもない事のように、それにこう返す。
「ああ。だが、心配はいらない。ただの見回りだったそうだ。廃村に犯罪者がいないか確かめに来ただけらしい」
「見回り? そんな廃村の見回りなんか真面目にやるもんなのか? なんか怪しいな。そういえば、セルフリッジは何をしている? 奴をちゃんと監視しているんだろう? あいつは警察にコネがあったりしないのか?」
「心配ないだろう。セルフリッジは、セルティア共和国に行ってるってよ。笑えるよな、あの無差別テロの調査だってさ。長距離間魔法発動装置を使っているから、証拠なんか残っているはずがないのに。まぁ、向こうで何をやっているかまでは確認しちゃいないが」
それを聞くと、しばらく考えた後でシロアキは言った。
「いや、それも何か怪しいな。あいつはベルゼーブ社の製品に詳しいんだよ。前に教えただろう? あそこの技術者と通じているんだ。長距離間魔法発動装置の事だって知っているはずだ。もしかしたら、証拠が残っていないって事を、確認しに行ったのかもしれない。証拠がないんだったら、それは逆に装置を使ったって証拠になるだろう?」
それに手下は肩を竦めてこう返す。
「だとしたって、大きな問題はないだろう?」
「そうも思えるんだが、やっぱり何か気になる。それに、もし、ランカ山賊団の連中に協力を要請しているんだったら、警戒が必要かもしれない。それと、やっぱりあいつがベルゼーブ社の製品に詳しいって点も不安なんだよ。
なぁ、ベルゼーブ社の製品以外を使う訳にはいかないのか? 特にアンナ・アンリに嵌めている首輪…… ボクはランカ・ライカにはタンゲア帝国の会社の首輪を使っているんだが」
「そういうのはボスに直接言ってくれよ。俺らに言っても仕方ない。まぁ、誰が言ってもボスは聞かないと思うがな。
大体、まだベルゼーブ社しか、遠隔操作型の首輪を開発していないし」
それを聞くとシロアキは腕組みをした。こう考える。
“何か不安だ。セルフリッジの動きが静か過ぎる……。もし、シャロムの奴が失敗したら、ボクもそれに巻き込まれかねないぞ。さっさと手を切りたいところだが、ランカ・ライカの分の金も貰ってないし……”
それからふと思い付くと、彼はこう尋ねた。
「ところで、お前の所のボスは、まだアンナ・アンリを酷く扱っているのか?」
「ああ、昨晩も彼女は叩かれて顔を腫らしていたな。可哀そうに。女をいじめる趣味は俺には分からんよ。ほら、セルビアって女に見事にボスの計画を利用されただろう? それが気に食わなくて、彼女に八つ当たりをしているらしい」
昨晩、この手下は用事があってシャロム・シャイローの屋敷を訪ねたのだが、そこでアンナはシャロムに叩かれたり蹴られたりしていたのだ。よく聞いてみると、シャロムが酒を勧めたのに、彼女はそれを頑なに拒んだらしい。
「わたしはお酒が飲めないんです。だから仕方なくて……」
と、そう彼女は涙声で訴えていた。もちろん、酒を飲まなかった事がその暴行の本当の理由ではない。ただのこじ付けだろう。本当はシャロムはセルビアに利用されたのが悔しくて、その憂さ晴らしにアンナに暴行を加えていただけだ。
シロアキが呆れたように言う。
「ハハハ……。いつか、あいつはアンナ・アンリに殺されるぞ。あいつはあの魔女が、あいつにとってどれだけ重要な存在か分かっているのかね?」
シロアキの引きつった顔を見ると、その手下はこう言った。
「ボスは夜の相手をしてやっているから、大丈夫だみたいな事を言っていたけどな。ああ見えても、ベッドの上だと彼女は乱れるんだとよ」
「また、それか……。あいつはただ単に願望と現実の区別がついていないだけだよ。こりゃ、いよいよ不安だな」
それを隣でずっと黙ってデンプタリンが聞いていたのだが、そこで彼はシロアキに向かってこう尋ねた。
「不安だったら、どうするんだよ? シロアキ?」
「決まってるだろう? ランカ・ライカを回収して他に売るんだよ。で、さっさと奴とは手を切る。もっとも簡単にはいきそうにないけどな」
それを聞いたシャロムの手下はこう言う。
「シロアキ。今回は、聞かなかった事にしてやるから、俺らの前ではそういう話はするなよな。立場上、困るんだよ」
「ああ、分かったよ。こっそり計画する」と、シロアキはそれにそう答えた。その一瞬、デンプタリンが顔を歪めたように思えたが、シロアキは特にそれを気にしなかった。
インヒレイン山岳地帯。
その山中。用件を済ませ終えて他国から戻って来たセルフリッジが、ランカ山賊団を再び訪れていた。行きよりも彼は満足そうな表情を見せている。アンナ・アンリ及び、ランカ・ライカ救出について具体的に話す為、彼はここに来ているのだ。予告なく現れたので、相手をしているのはナイアマン一人だった。しかも、場所は畑の真ん中だ。
「タンゲア帝国に寄って来たんですがね、シロアキ君について、色々と面白い事が分かりましたよ」
そんな事を彼は言った。
「何が分かったんですか?」
ナイアマンが尋ねると、セルフリッジはこう返した。
「シロアキ君は、けっこうまずい立場に立たされてしまっているようです。彼はきっと仲間に裏切られていますね。そして、それにまだ気付いていない」
ナイアマンはこう返す。
「それは確かに面白い情報ですが、それが何か母さん救出に役立つのですか?」
「はい。大いに役立ちます。これで随分とランカさんの協力を得やすくなった」
それにナイアマンは首を傾げる。
「いや、どういう事なのか、僕にはよく分からないのですが」
「まぁ、気にしないでください。ただ、もしかしたら、シロアキ君がランカ山賊団の仲間になる可能性もあるので、その点だけは確り把握しておいてください。皆にも伝えて心の準備をしておいてもらえると、ランカさんが助かると思います」
その言葉の意味は、なんとなくナイアマンにも分かった。
危険な状況に陥っているシロアキを、ランカが助けて、ランカ山賊団であずかる事になるかもしれないというのだろう。
「それはちょっと自信がないですね。皆があいつを許せるかどうか……」
そうナイアマンが言うのを聞くと、セルフリッジはこう言った。
「なら、こう言ってみてください。皆がシロアキ君を受け入れるのなら、ランカさんは直ぐにでも帰って来ると」
それにまたナイアマンは首を傾げる。
「セルフリッジさん。母さんは捕まっているのですよね? なのに、どうしてシロアキを受け入れると、帰って来るのですか?」
何でもない事のように、彼はそれにこう返した。
「それは、ランカさんが捕まっている原因がシロアキ君にあるからですよ。まぁ、いずれ分かると思います」
「はぁ……」
腑に落ちない様子のナイアマンを無視して、彼は言った。
「それよりも、アンナさんとランカさん救出の為に、僕に貸してくれる団員達を教えてくださいよ」
曇った表情のままで、ナイアマンはこう応える。
「弓使いのハットと、石投げが得意なヌーカに決まりました。セルフリッジさんは麻酔の矢が使えるメンバーが欲しいと言っていましたが、弓矢がなくなった時は、石投げが必要でしょうから。それとダノが、金棒と矢の補充を届けます。母さんが戦うのなら、やっぱり金棒があった方が良いでしょう」
「おっと、そんな実力者達を貸してくれるのですか? 何か悪いですね」
「いえ、僕はこれでも少ないと思っているくらいなんですが…… 本当にこんなに少人数で平気なんですかね?」
「はい。後はライドさんとメリルさんのコンビが少し協力してくれれば大丈夫です。僕も色々と策を準備していましてね。気付かれないように近付かなくてはならないので、大人数だと却って具合が悪いんです」
それを聞くと、不安そうな様子でナイアマンはこう尋ねた。
「ライドとメリルの件なんですが、メリルの魔法は戦闘にはあまり役に立ちませんよ? 大丈夫ですか?」
「知っていますよ。彼女に魔導書をプレゼントしたのは僕ですし」
そう言うと、一呼吸の間の後で、彼はこう続けた。
「とにかく、当日の具体的な計画を話しておきたいので、協力してくれるメンバーを呼んでもらえるとありがたいのですが。それと、パテタさんとタテトさんの双子コンビにも会っておきたいです」
「パテタとタテト? どうして会いたいんですか?」
「彼らの持っている“唐辛子の粉末の袋”が欲しいんです。できる限り大量に。売ってもらおうと思いましてね。僕の護身用ですよ」
「なるほど。分かりました」
それからパテタとタテトがやって来るとセルフリッジは、彼らから“唐辛子の粉末の袋”を大量に買った。「まだまだあるから、気にしないで、セルフリッジさん」と彼らは声を揃えて言う。そしてそれから、当日に協力してくれるメンバーが全員集まったところで、その計画内容を彼は説明したのだった。
「ハット君とヌーカ君は僕と一緒にここから、廃村の倉庫に早朝に出発します。そこで僕の指示に従って行動してください。ライドさんとメリルさんは、午後の二時過ぎにはグライダーで倉庫の上空を飛んで、しばらく旋回していてください。僕らが合図を送るので、そうしたら“好奇心旺盛な木々”の魔法を倉庫周辺に使ってください。上手くいったらもう戻ってもらって大丈夫です。あ、先に魔法を使ってしまうと、計画が狂うので気を付けてくださいね。ダノ君は、それよりも少し遅いくらいのタイミングで倉庫に金棒を届けてください……」
更にそこでセルフリッジは、メリルの魔法を使って効率良くグライダーを飛ばす方法のアイデアについても説明した。ライドとメリルはまったく気が付いていなかったのだが、メリルが魔法をかけて木にグライダーを高い所まで運ばせれば、わざわざ高い所まで昇らなくてもグライダーを飛ばせるのだ。この方法が上手くいくのなら、グライダーで山を昇る事だって可能なはずだ。そして、実際にそれから試してみると、確かにその方法は上手くいったのだった。
「凄い、凄い。セルフリッジさん! これ、凄いかも! さっすがぁ!」
ライドとメリルは、その方法で空を飛びながらはしゃいでそんな声を上げていた。
「よし。この時期はそんなに強い風も吹きませんし、これで僕の用件が終わったら、直ぐに二人は山に戻る事が可能ですね」
その成功を見ると、セルフリッジはそんな事を言った。そして、全ての説明をし終えた後で、最後に彼はこう言ったのだった。
「決行はマカレトシア王国で魔法使い解放テストが行われる日です。二日後ですね。皆さん、頼りにしています! 絶対にアンナさんとランカさんを取り戻しましょう!」
シャロム邸の奥の方にある一室。本来はメイドの為のものだったらしいその部屋は、改造されて今ではまるで監獄のような態になっていた。窓には分厚い木の板の枠が打ちつけられてあり 嵌め殺しに変えられたそこからは、ほんのわずかな光しか入って来なかったし、部屋のドアには金属製の丈夫な鍵が取り付けられていて自由に出入りできない。その上、中は寒くて湿気も強く、不潔で酷く居心地が悪かった。古くてかび臭かったが、辛うじてベッドと布団が用意されてあったことだけが救いだ。そしてこの部屋には、強力な抗魔力処置の結界が施されてもいた。
アンナ・アンリはその部屋のそのベッドの上で、まるで助けを求めるように、布団を強く抱きしめていた。
彼女の為に用意されたその部屋は、ただいるだけで気が滅入るような場所だが、それでもこの屋敷の中で、彼女の気が一番休まる場所だった。
「今回は、人を殺せよ。罪は他の魔法使いに擦り付けるから問題ない」
ついさっき、シャロム・シャイローから、アンナはそんな命令を受けた。
明日の“魔法使い解放テスト”の日、彼女は長距離間魔法発動装置を使って、また魔法使いのテロ行為を偽装しなくてはならない。そして、今回はどうやら“人殺し”命令は避けて通れそうにはなかったのだった。だから彼女は「人を殺せ」というシャロムの命令に「分かりました」とそう素直に応えた。反対しても、彼女が頷くまでシャロムが彼女に暴力を加え続ける事は分かり切っていたからだ。
ただし、彼女にはその命令に従うつもりはなかった。失敗したとでも言って、できる限り誰も傷つけないつもりでいる。もっとも、そうすれば彼女は無事では済まないだろうが。
「もしかしたら、わたしは殺されてしまうかもしれない……」
アンナは布団を抱きしめながら、そう呟いた。
その可能性は大いにある。少なくとも彼女自身はそう思っていた。シャロム達にとってアンナ・アンリは犯罪の証拠なのだ。証拠隠滅の為にいつ殺されても不思議ではない(もっとも、利用価値の高い彼女はそう簡単には殺されないだろうが)。それに、理性の効かないシャロム・シャイローがアンナの命令違反に激怒して、彼女が死ぬまで暴行を加え続ける事だって考えられる。
しかし、それでも彼女にはここを逃げ出す訳にはいかない事情があった。以前よりももっと、今は逃げ出せない。逃げ出せば恐らくは……
「セルフリッジさん……」
そう呟いてから、アンナは涙を流して枕を濡らした。




