37話 お風呂
凛花に伝えた。
はは、何でこんな言いづらいんだろう。
そりゃ言い辛く感じて当然だ。
彼女は僕の事を一番に優先して考えてくれている訳で、なのに僕はどの面さげて彼女なんて作ってるんだって感じだし。
きっと凛花をガッカリさせて、怒らせるかもしれない。
でもそれも承知で言ってるんだ。
「恋人?」
「う、うん」
言ってて違和感。
自分に恋人ができたという事の実感がまだわかないからだ。
「そうですか。お相手はどなたですか?」
動揺すると思ったがそんな素振りはみせない。
・・・・あれ?
「実はさ、はは・・・凛花には反対されてた部活の子で、凛花も会った事あるでしょ」
「・・・・ああ、あの小柄な方ですか?」
「うん、そうそう!あの時は乱暴そうに見えて悪い印象かもしれないけど、実際はいい子なんだ。今度紹介するから」
「ありがとうございます。楽しみにしていますね」
それだけ言うと凛花はいつも通りの表情。
凛花はあまり気にしてはいないようだった。
♦
夕食を終え、ソファに座る。
テレビではバラエティ番組が流れているが、内容は頭に入ってこない。
凛花は食器を片付け終え、キッチンから戻ってきた。
カップに紅茶を注ぎ、その香りが部屋に広がる。
「どうぞ」
差し出されたカップを受け取り、一口飲む。
温かく、少し甘めの紅茶が喉を通る。
「ありがとう。美味しいよ」
「良かったです。お茶菓子もございますので是非お召しになられてください」
凛花は静かに微笑んで言う。
晩御飯の後にお茶を出してくれる事はあるが食べ物を出してくる事は普段ないので、少し驚くがさっきがさっきなので、提案を受けることにした。
「お口にあうでしょうか」
「うん。凛花が作ったの?」
琥珀糖、というのだろうか。
宝石のような色のキラキラした色でとても綺麗だ。
「はい、日持ちもするので、お茶菓子には最適かと」
テレビをつけて、談笑もしているが部屋は妙な静けさがあり、
時折、時計の針が時を刻む音だけが響いていた。
凛花の方を見ると目が合い微笑んでくる。
ただこれは僕が勝手に感じているだけなのかもしれないが、
彼女の視線が僕に絡みつくように注がれているような気がした。
その瞳は透き通っているのに、底知れない暗さを感じる。
僕は何も言えず、再びカップに口をつける。
熱い紅茶が喉を通るたびに、心がざわついていく。
ふと、凛花がソファに座り直した。
距離が、少しだけ縮まった気がする。
「兄さん」
「ん?」
「私、兄さんがいてくれて本当に良かったと思っています」
「あ、ありがと」
「はい。だって、兄さんがいるから私は頑張れるんです」
言葉が、妙に重くのしかかる。
「その事だけどさ。無理は、しなくていいよ。僕も彼女ができたしさ、そのなんていうか・・・」
これは凛花のためでもあるんだ。
「もうなるべくさ、色々しなくても良いよ。その朝とかも自分で起きるし、それにあんまり凛花と仲が良いと、その、彼女を困らせちゃうしさ。はは」
中々目を見て言えない。
恐る恐る目を見ると凛花はにこやかな顔をしていた。
「承知いたしました」
そういって、凛花がキッチンの方に立ち去る。
・・・・もしかして悲しませてい待ったかな。
凛花の善意から来ている行為や苦労を僕は突き放してしまったんだ。
そう思うと、胸が締め付けられるような感覚に襲われる。
「兄さん」
再び彼女が僕の名前を呼ぶ。
「お風呂、沸いていますよ」
「ああ、そうか……ありがとう」
「温かいうちに入ってください。風邪を引いてしまったら大変ですから」
そう言うと、凛花は僕の手からカップを受け取り、キッチンへと向かった。
その後ろ姿を見送る間も、僕の心は落ち着かなかった。
キッチンから響く食器の触れ合う音。
水の流れる音。
それが、妙に大きく聞こえる。
何かがおかしい気がする。
けれど、それが何なのか、僕は言葉にすることができなかった。
ただの気のせいだとは思う。
そう自分に言い聞かせ、僕は立ち上がった。
けれど、一歩を踏み出すたびに、背中に冷たい汗が滲む。
浴室のドアに手をかけると、微かに震えている自分の手に気づいた。
♥
「はぁ」
僕のため息が浴室に響く。
ご飯を食べて、お風呂に入って。
いつも通りの日常。
正直肩透かしだ。
リアクションがあっけなかったけど・・・いやいや、きっとこれからだ!
うん。
たとえば凛花が僕に尽くしてくれようとするのを、
恋人がいる事を口実に、断って凛花の負担を軽くする。
そうしていこう。
だけど今回のことで益々凛花がわからなくなった。
凛花は僕が他の女の子と仲良くするのを嫌がる。
直接は言ってこないけど、明らかに不機嫌になるので、
「彼女ができた」なんて言ったら、絶対に怒ると思ったのに全くそんな素振りはなかった。
「兄さん」
ドア越しに呼ばれる。
ん?なんだろ。
もしかして、またポケットにティッシュがある状態で洗濯にだしてしまったりしたかな。お風呂中に声をかけられる事は余りないので少し驚く。
「ああ、凛花どうしたの」
「失礼してもよろしいでしょうか」
「失礼?」
凛花は僕の返事を待たずに浴槽のドアを開ける。
彼女はバスタオルを巻いた裸体だった。
「ど、どうしたの?」
突然の事で、浴槽の中の体をこわばらせる。
お風呂に突撃された事など今まで一度もない。
右手にはトンカチのような工具が握られていた。
「お話の続きをしましょう」
「つ、続き?」
「はい。恋人ができたと言うのは、どういう事ですか?」
「え、あ」
「・・・一度立ちましょうか、兄さん」
凛花が浴槽の僕を優しい力で引っ張り上げる。
突然やってきた非日常感に戸惑いながらも、とりあえず従うように僕は立ち上がる。
ただ僕は全裸な訳で、情けなく股間を隠した状態だけど。
「では兄さん、どういう事ですか?」
「だから・・・」
「先ほどのお食事で喋り辛いでしょうか、少し量を多く作ってしまいました」
そう言うと凛花は右手を振り上げる。
「え」
その右手に握られたトンカチは僕のみぞおちに勢よく叩きつけられた。
「お、おぇぇえぇぇぇええええぇぇえええぇぇええぇぇえええ」
浴槽に先ほど食べた夕食を撒き散らした。