35話 彼氏
空見と一緒にご飯を食べに行く事になった。
来たのはお蕎麦屋さん。
チェーン店ではなく個人店のようで少し入り辛い空気もあったが、
グイグイ空見が入っていくのでついて行く。
店内は少し薄暗く、竹や囲炉裏のような内装が施されていて、少し高級店の雰囲気で値段に身構えたが、メニューを見ると確かに少しだけ高いがなんとかはなる値段だった。
手慣れれた所作で席の横に空見がリュックを置いて、リュックの中を漁り大きめの財布を取り出す。
一瞬リュックの中に香水のような容器が見えた。
香水なんかつけるのか。
何だか空見らしくないけど、つけるときはつけるんだろうな。
というか空見は告白をオッケーしてくれたけど、そういえば彼氏が今いるとかそういう話を一切きいていなかったのを思い出す。
何だか勝手に彼氏がいないと決めつけていたがいたら絶対気まずいし、しかもそのあと書道部には通い辛くなる二重苦だっただろう。
改めて今安心する。
というか、僕は空見と付き合ってるんだ。
何だか実感がわかない。
「忘れた」
財布を見ながら空見がつぶやく。
「マイ箸でも持ってきたの?」
茜と付き合った時はその前の積み重ねがあったからなぁ。
でもこうやって時間を積み重ねていけば徐々に実感もわいてくるだろう。
「ポイントカードがあったのよ。あと一回で貯まると思ったから来たのに」
ポイントカード?
「はは、そういうの集めるタイプなんだ。貯まったら結構お得になるの?」
「全然。集め切った時の勝ち切った気持ちで蕎麦を食べたかっただけ」
何だそら。
ていうここに結構来てるんだな。
「勝利は持ち越しだね」
「ん」
空見が少し不満そうにする。
小柄な事もあり失礼かもしれないが、子供がいじけたようにも見える。
顔がかわいらしいからというのもあるんだろう。
これは僕が彼女に惚れているからって理由からの感情ってだけじゃない無いと思う。
「あーあ。人に奢って貰ったので最後は達成したかったのに」
「・・・え、奢り?」
というか、ここは僕の奢りなのか?
僕はもう一度メニューを見直した。
♢
空見が温かい醤油ベースの甘めの匂いがするお蕎麦に、一味唐辛子を盛りだくさんにして大きな口を開けて美味しそうに食べている。
汁は一味の色で真っ赤になっているが、蕎麦の味はするんだろうか。
「ここの蕎麦は、駅中の立ち食い蕎麦の次に美味いわね」
褒めてるのか貶してるのか、
よくわからない例えをしている彼女と向いあわせで麺を啜る。
食べてみると、確かに。
美味しい。
汁は甘しょっぱくて、少し太い麺だ。
最近夜は肌寒いので余計に美味しく感じる。
「空見は色んなお店知ってるんだね」
「ん」
麺をもぐもぐして、飲み込んでから空見が話し出す。
「別に。家に帰っても誰もいないから、いつも外で食べてるってだけ」
「え」
聞いちゃいけない事を聞いちゃったのかな。
ほんの少しだけ空見がいつも見せない表情をした。
表情の変化が少ない凛花と住んでいる事もあり、
表情から、感情を読み取る技術は日々鍛えられている自信がある。
凛花は今日は遅くなるとの事で、晩御飯を済ますと連絡済だ。
折角ならゆっくりしてもらいたいし、泊まっていけばいいのに。
凛花・・・。空見の事をどう説明しよう。
「おい何をぼーっとしてんねん」
我に返って空見を見ると、少しムッとしていた。
「食べてる時に忙しい奴ね。あの妹の事でも考えてた?」
「ご、ごめん」
「否定しないとはね。モテる男はつらいねぇ。わかるわかる」
茶化される。
でも、なんていうか今ままでのような、いやそれでも初めて会った時と比べるとだいぶ、雰囲気は柔らかくなったけど、それ以上に柔らかいとがめられ方だ。
「今は私がいるんだから他の女の事考えるんじゃないわよ」
「え」
「アンタは私と付き合ってるんでしょ。だったらその責任は持ちなさい。男でしょ」
僕の空になったコップに水を注ぎながら、いつもより、だいぶ優しく諭される。
まるで母親や姉さんのような。
空見が面倒見がいいのは知っていたけどこんな一面があったのか。
・・・・もっと空見の事が知りたいな。
「ねぇ空見は休みの日何してるの?」
空見の事を知りたくて質問してみた。
「なんでそんな事教えなきゃいけないのさ」
プイっとされる。
・・・・何だか距離感がわからないなぁ。
「教えてくれないと、遊びに誘えないじゃん」
僕たちは付き合ってるんだ。
だったら土日に出かけるのは自然だよね。
「ふふ、そんなに私と一緒にいたいのか坊主」
「まぁね。空見は可愛いから」
僕らしくもない、浮ついたセリフだ。
下らないという表情で、鼻で笑われると思ったが。
「イタリア男みたいな事言ってんじゃないわよ。似合わない。いじめられっ子のくせに」
少し顔を赤くして目を逸らされる。
・・・・・
なんだか気まずい。
でも心地よい、新しい感覚だなとも思った。
♢
「じゃここで」
「ん」
分かれ道。
名残惜しいけど。
帰り道も会話はあったが、途中、空見がスマホを取り出して難しい顔をしていた。
何かあったのかを尋ねても教えてくれなかったので、それ以上は聞かなかったので自然と無言の時間が多かった。
「じゃあね今日はありがと」
「ん」
挨拶をしても空見は動こうとしない。
あれ?
「おい」
「え、なに」
「え、なに?じゃないやろ舐めてんのか」
今日初めて、ギロっと力強い目で睨まれる。
「んと」
心当たりがないので戸惑うしかない。
なんだっけ。必死に今までした会話をさかのぼる
「休みの約束、まだしてないでしょ」
「え」
・・・・あー。
さっきの休みの出かける話か。
そういえば流れてしまっていた。
こういう真面目な所は本当に彼女らしいな。
「ごめんよ、じゃあ決めよう。土曜か日曜のお昼前に駅前に集合でどうかな。もちろん空見の都合にあわせるけど」
「あと、それやめろ」
「え」
「おのれは私と付き合ってるんちゃうんか、名前で呼べ」
「あ、うん。そ、そだね」
突然の提案だ
そうだよな下の名前で呼ぶのが自然だよな。
「・・・・・」
う、何だろう、緊張で足がすくみそうになる。
高校1年生の頃に音楽の試験で一人ずつ前に出て歌うテストがあったが、あの時に近い緊張感がある。
緊張のあまり幻覚でもみたのか、一瞬曲がり角で誰かが覗いているように見えたが、誰もいなかった。
「な、夏希」
「おのれ如きが呼び捨てとは生意気やな」
真顔で言われる。
ひどい。
「そ、そっちが呼べって言ったんじゃん!」
「ふ、一々取り乱すな坊主」
「坊主って夏希のが年下だろ?」
「高レベルの者が低レベルをガキ扱いするのは自然やろ」
「その低レベルの告白を受けたのは誰だよ」
「うっさいわねぇ。私も好きだからに決まっとるやろ」
「え」
結局僕らは、立ち止まって30分も会話していた。
この時間が永遠に続けば良いと、心から思った。




