少なくとも、俺は
「このっ、ロリコンが!!!!」
ぐわんぐわんと頭の中を先ほどのルーシーの声が木霊する。ロリコン……ルーシーとナンシーの年齢はちょうど同じ。つまり俺は今、彼女に振られたのだろうか。
『レイヴン様、あの方は今、なんと言ったのでしょうか?』
『え!?あ、今の苑語だったのか。いや、なんというか……』
ナンシーにはどうやら意味が伝わらなかったらしく、俺はその意味をどう説明するべきか迷う。失礼ながら、そっと彼女の容姿を盗み見た。
身長は低めで、顔立ちも確かに16歳にしては幼く見える。しかし、胸はルーシーぐらいあるし立派な大人ではないか……と考えて俺は首を振って雑念を振り払った。
そこは問題ではない。
問題はやはりルーシーとしては10歳差はなしだったのだ。もしかして俺のことを、ずっとロリコンだとか思ってたのだろうか。いや、そんな露骨な視線を向けたことはないし……。
考えれば考えるほど、俺の心の中はルーシーに嫌われたという不安で押しつぶされそうになる。この国に単身で来てあの少女にどれ程依存していたのかを身を以て知ることとなった。
離れどき、だろうか……。
『レイヴン様は、あの方のことを好いておいでなのですね』
悶々と考え込んでいた俺に唐突にナンシーが放った言葉は、俺の脳内に思いの外すんなりと入ってきた。
『俺がルーシーを好いている、か。……そんなに俺は分かりやすかっただろうか』
思わず困った顔で頬を掻くと、ナンシーはくすくすと笑った。
『あなたがあの人を見る眼はとても優しいものでしたから』
ルーシーの顔を思い浮かべると不思議と自然に笑顔になる。きっと、俺にとって彼女は初めて会った時からそういう存在だった。
『ああ。少なくとも、俺は彼女が好きだ』
そうはっきりと認めた瞬間、ヒビが割れ渇ききっていた大地に浸透していくように俺の心が潤っていく。
気づけば、俺の眼からは一筋の涙が溢れでていた。
『綺麗な眼……もう、大丈夫そうですね』
『眼?』
ナンシーは俺の眼に人差し指を向けた。
『その眼を使いこなすには、心が満たされていることが重要なんです。レイヴン様は愛を見つけられ、今とても心が満たされている』
『心が……』
苑に来る前、俺の心はどこか空っぽだった。特別にやりたいこともなく、ただひたすらに生きていくだけの日々。
だが、ここにきてからはどうだろう。毎日が必死に風呂掃除をして、様々な人に出会い、たくさんの経験をした。風呂掃除なんてハステルにいたら一生することなどなかっただろう。
どれもこれも、彼女に出会ったからだ。
『俺は彼女を守りたい。だが、こんな心持ちで世界など本当に救えるのだろうか』
『大丈夫ですよ。ヒロインとヒーローは結ばれるものですから。世界を救うなんて所詮はおまけのイベントです』
自信満々に答えたナンシーに俺はどこか肩の荷がおりたようだった。彼女の言葉はよく意味がわからなかったが、なぜだかなんとかなるような気がしてきたからだ。
◇
お昼頃、俺はやっと今日の分の牛乳を配り終えた。俺の仕事は牛乳の配達ではあるが、王都全体を担当しているせいで早朝から今まで働いてやっと配達が終了するのだ。
最後の届け先の店から出た後、腕を伸ばして軽く伸びをする。すると、唐突に肩を叩かれて俺は慌てて振り返った。
「よっ、リーシュ紅!仕事帰り?」
「なんだ、アリーか……その珍妙な呼び方やめろっていってるだろ」
「失礼な!これは敬称なの。むしろ君のことを敬ってるんだけど!」
そこには茶髪に灰色の眼をした少女、アリエッタ・リーシュ・モルグリアがいた。アリーと呼ばれる彼女は俺とルーシーの幼馴染で腐れ縁なのだが、時々俺をおかしなあだ名で呼ぶので苦手でもある。
「アリーは買い出しか?」
「そうだよ。やだー、持ってくれるの?」
「まだ持つって言ってないだろうが」
そう言いつつも、俺は彼女の両手に抱えた荷物を奪い取った。言われなくても持ってやるっていうのに本当に一言余計なやつ。
なんとなく、そのまま久しぶりに二人並んで歩く。ふと隣にいるアリーの背が思ったよりも小さいことに驚いた。俺とルーシーは背がぐんぐんと伸びていったが、アリーは今も昔のまま身長は俺の胸元までしかなかった。
それに顔も手も驚くほどに小さい。
「あ、煌架抄みっけ」
そんな子供っぽいアリーが弾んだ声をあげて道端に咲いた煌架抄を見つけた。しゃがみこんで楽しそうに花を見つめているので俺も立ったままアリーの肩越しに花を見ようと覗き込む。
「大分赤くなってきたか。まだ紫だけど」
煌架抄は春に向けてだんだんと赤くなっていく。そして精霊祭の最終日、煌架抄の花はまるで魔法のように一斉に真っ赤に染まるのだ。しかし今の煌架抄もこれはこれで赤紫色の綺麗な色をしていた。
「……紅、見てこれ」
しかし、先ほど違ってアリーの声はなぜか暗い。その手がそっと一枚の花びらに触れると、こちらに見えるように少しだけ持ち上げた。
「なっ……黒?」
俺の口からは自然と驚愕の声が漏れ出た。なぜか、その花びらが黒く変色していたのだ。
「 煌架抄の精霊を怒らせてはいけない、やがて花は枯れ、季節が巡ることはなくなるだろう 」
「え?」
ポツリとアリーが呟いたのは、俺も爺ちゃんに聞いたことがある言葉だ。
二人の間をふわりと生暖かい風が通り抜け、煌架抄の花を揺らす。黒い花びらがバラバラになり、ちりとなって風に攫われていった。
ぎゅっと服の裾が下に引っ張られる。
その光景を、俺たちはまるで不吉なものを見るようにただじっと見つめていた。




