第31章 選抜戦 都市とハンター・其ノ二
歓声が未だ収まりきらない闘技場。
先ほどの試合がもたらした衝撃は、なおも観客たちの熱狂の中に残っていた。
フラークが最後に放ったあの一撃について語り合う者もいれば、次の試合でも同じような大逆転が起こるのではないかと期待する者もいる。
上空に浮かぶ巨大スクリーンが、ゆっくりと表示を切り替えた。
青白い文字列が再び並び替えられていく。
【第二回選抜試合】
【ジェフリー・アスカトリア】
VS
【オスカー・オーリー】
新たな名前が映し出された瞬間、観客席から再びざわめきが広がった。
「ジェフリー? 聞いたことねぇな」
「待て……オスカーって、中央都市学院出身のエリートか?」
「ルール系だって!? マジかよ!」
貴賓席では、数人の団長たちがわずかに視線を上げる。
どうやら――
この試合から、ようやく本格的な“特殊体系”の戦いが始まるらしい。
その頃、闘技場中央。
二人の選手はすでに対峙していた。
ジェフリーは使い古された狩人用のコートを羽織り、肩には濃茶色の獣皮を掛けている。腰には短銃身の猟銃と狩猟ナイフ。背中には一本の長弓。
その佇まいは、他のハンターたちとはまるで違っていた。
騎士というより――
深山に生きる狩人。
寡黙で、危険。
まるで獲物の喉をいつでも噛み千切れる狼のようだった。
対するオスカーは、まったく別の空気を纏っている。
黒いロングコートには一切の汚れがなく、革靴は鏡のように磨かれ、髪型も完璧に整えられていた。
まるで上流都市からそのまま歩いてきたエリート。
その目は冷静で理知的。
仕事の会議でも分析するかのような視線だった。
審判がゆっくりと手を掲げる。
「第二回選抜試合――」
「開始!!」
轟ッ!!
開始の声と同時。
ジェフリーは一切迷うことなく、瞬時に後方へ距離を取った。
森を駆ける獣のような速度。
オスカーの目が鋭く細まる。
次の瞬間。
「シュッ――!!」
矢が空気を裂いた。
オスカーは咄嗟に身体を捻る。
矢の切っ先が頬を掠め、そのまま背後の壁へ突き刺さった。
轟!!
石壁が砕け、破片が飛び散る。
観客席から一斉に驚愕の声が上がった。
「速ぇ!!」
「今の、当たってたら終わってたぞ!?」
だがジェフリーは止まらない。
二射目。
三射目。
四射目。
連続で放たれる矢。
それらはまるで標的を追尾するかのように、執拗にオスカーへ迫っていく。
オスカーは回避を続けながらも、徐々に表情を険しくしていった。
この矢――
追尾している。
避けてもなお、空中で軌道を微妙に変化させてくる。
「チッ……」
オスカーは舌打ちした。
これが《追跡魔法》。
決して珍しい体系ではない。
だが極めて実用性が高い。
そして本当に厄介なのは――
この男は体系に頼らずとも、矢の精度そのものが異常なほど高いという点だった。
オスカーは突如前方へ踏み込む。
強引に近距離へ持ち込むつもりだ。
しかし。
ジェフリーはそれを予測していたかのように、再び後退。
常に中遠距離を維持し続ける。
遠距離からの制圧。
その徹底ぶりに、観客席のハンターたちも気づき始めていた。
「あの山の狩人、わざと距離を取ってるぞ……!」
「近接が苦手なのか?」
オスカーもまた同じ結論へ辿り着いていた。
「なるほど……この男は完全な遠距離型か」
「近接戦は弱点、というわけだな」
だが問題は、ジェフリーの遠距離攻撃があまりにも鬱陶しいことだった。
追尾する矢が絶え間なく行動を封じてくる。
少しでも油断すれば命中する。
その時。
オスカーの口元がゆっくりと吊り上がった。
彼はポケットから円筒状の物体を数本取り出す。
「そこまで距離が好きなら――」
「視界ごと潰してやる」
轟!!
数発のスモークグレネードが同時に炸裂。
大量の白煙が一気に闘技場を覆い尽くした。
観客席がざわめく。
オスカーは即座に魔力を集中し、視神経を強化した。
煙に閉ざされた空間の中。
淡い青色の魔力回路が次々と浮かび上がる。
人体を流れる魔力の経路。
視覚強化状態の彼には、魔力の流れそのものが見えていた。
「見つけた」
オスカーが静かに笑う。
煙幕の向こう側。
ジェフリーは片膝をついていた。
動かない。
焦りもない。
むしろ――
彼は目を閉じていた。
静かに引き絞られた弓弦。
空気が異様なほど静まり返る。
ジェフリーの耳が微かに震えた。
呼吸音。
風の流れ。
小石を踏む音。
あらゆる情報が、極限まで増幅されていく。
ジェフリーにとって。
視覚など最初から絶対ではない。
本当に信用できるもの。
それは――音だ。
煙の中。
オスカーは不用意に動かなかった。
彼は足元の石片を拾い上げる。
それは先ほどジェフリーの矢が砕いた地面の破片だった。
オスカーは狙いを定め、横方向へ投げつける。
パシッ。
石が地面に落ちた瞬間――
シュッ!!
矢光が煙を裂いた。
矢は正確に石を撃ち抜き、砕け散った破片が弾け飛ぶ。
この男は聴覚で戦っている。
オスカーは確信した。
そして再び石を拾う。
今度は全身の力を腕へ込めた。
勢いよく投擲。
石は鋭い風切り音を上げながら、ジェフリーの頭部へ一直線に飛ぶ。
だが――
命中寸前。
キィン!!
澄んだ金属音。
ジェフリーは目を開けることすらなく、わずかに弓を傾けただけで石を弾いた。
火花が煙の中で散る。
そしてその瞬間。
オスカーの身体が弾丸のように飛び出した。
その速度に、観客席から悲鳴にも似た声が漏れる。
「速っ!?」
ジェフリーが目を見開く。
だがもう遅い。
オスカーは煙を突破し、一瞬で目前へ到達していた。
ジェフリーは咄嗟に腕を上げる。
しかし――
ドゴォッ!!
重い拳が腹部へ叩き込まれた。
衝撃で身体が浮き上がる。
ジェフリーは苦悶の声を漏らしながら数メートル吹き飛び、最後は片膝をついて止まった。
胃が捻じれるような激痛。
内臓が揺さぶられ、呼吸ができない。
「ぐっ……!」
口端から血が流れ落ちる。
それでもジェフリーは倒れなかった。
歯を食いしばり、オスカーを睨みつける。
「お前……」
「今の速度……ずっと隠してたのか?」
オスカーは肩の埃を払った。
「いや」
「少し買っただけさ」
ジェフリーが眉をひそめる。
オスカーはゆっくりと手を上げた。
「僕の体系は《ルール系》」
「接触によって契約を成立させる」
「簡単に言えば――」
「代償なしで、いくつかの“権利”を買えるんだ」
彼はジェフリーを見据える。
「僕が買ったのは――」
「お前の速度だ」
ジェフリーの瞳が揺れた。
「接触……? だが、お前は俺に触れてない!」
オスカーは静かに笑う。
「誰が“本体だけ”だと言った?」
彼は地面を見下ろした。
ジェフリーも反射的に視線を落とす。
そこに映るのは――自分の影。
オスカーは淡々と語る。
「影もまた、お前自身の一部だ」
「最初、お前は距離を取ることに集中していた」
「確かにそれは僕に不利だった」
「だが――太陽がある」
オスカーが空を見上げる。
「光がある限り、影は生まれる」
「そして僕は、その影に触れた」
ジェフリーの表情がわずかに歪む。
オスカーは続けた。
「もっとも、影経由の契約は効率が悪い」
「もし直接お前の身体に触れていたら――」
「今頃、お前の速度は完全に僕のものだった」
「だが残念ながら、触れたのは影だけだ」
「だからお前自身が何かを失うことはない」
オスカーは拳をゆっくりと握る。
「だが――」
「さっきの一撃は、本当に触れた」
青い光が浮かび上がる。
淡い蒼光を放つ契約書が彼の手に現れた。
オスカーは内容へ目を通し、口元を吊り上げる。
契約書は光となって消えた。
「これで――」
「お前の体系は、僕のものだ」
観客席が一気にどよめいた。
その瞬間だった。
ジェフリーが腰から黒い球体を取り出す。
勢いよく地面へ叩きつけた。
轟!!
さらに濃密な煙が爆発的に広がる。
だがそれは、オスカーの煙幕とは違った。
刺激臭。
辛味。
目が焼けるような痛み。
「ぐっ……!」
オスカーが顔をしかめる。
「これは……獣避け煙か!?」
大型獣を追い払うため、山林の狩人が使う特殊煙幕。
ジェフリーはその隙に後方へ飛び退いた。
再び距離を取る。
だが腹部のダメージは消えない。
内臓が軋み、吐き気が込み上げる。
弓を持つ手すら震え始めていた。
「……当てられるか」
ジェフリーが小さく呟く。
その時。
彼の脳裏に、父の言葉が蘇った。
――「迷いがある時は、矢を放つな」
――「獲物は苦しませずに仕留めろ。速く、鋭く、確実にな」
ジェフリーは静かに目を閉じる。
父の声を思い出しながら。
一方その頃。
オスカーもようやく呼吸を整えていた。
煙がゆっくりと晴れていく。
再び現れる二人の姿。
オスカーは数本の銀製ナイフを取り出した。
刃には《追跡魔法》の紋様が浮かび上がっている。
ジェフリーの体系。
オスカーは笑った。
「この距離なら――」
「お前の能力を使った方が勝てそうだ」
「あとで卑怯だなんて言うなよ?」
ジェフリーは答えない。
ただ、弓を握る手にさらに力を込めた。
二人は睨み合う。
まるで西部劇のガンマン同士。
空気が凍りつく。
誰も呼吸をしない。
その瞬間を待っていた。
そして――
観客席で。
一本の飲料ボトルが床へ落ちた。
カタン。
その音は、まるで開始の合図。
二人が同時に動いた。
飛刀と矢が同時に空気を裂く。
次の瞬間。
ブシュッ――!
鮮血が舞った。
オスカーの飛刀がジェフリーの腹部へ突き刺さる。
同時に。
ジェフリーの矢もまた、オスカーの腹部を貫いていた。
場内が静まり返る。
誰もが息を呑んだ。
双方同時命中。
観客席が爆発したようにざわめく。
「相打ちか!?」
「どっちが勝った!?」
貴賓席。
団長たちも目を細める。
その時だった。
ジャックが小さく呟く。
「ジェフリーの矢の方が……速かった」
カルラがわずかに視線を向ける。
そして静かに笑った。
「いい目をしてるわね」
次の瞬間。
会場のスローモーション映像が再生される。
映像の中。
確かに。
ジェフリーの矢は、飛刀よりほんのわずかに早く命中していた。
差は――
コンマ数秒。
だが。
勝敗は決した。
審判が深く息を吸う。
そして高らかに宣言した。
「第二回選抜試合――」
「勝者!!」
「ジェフリー・アスカトリア!!」
轟ォォォォ――ッ!!
観客席から凄まじい歓声が巻き起こる。
ジェフリーは腹を押さえていた。
指の隙間から血が流れ落ちる。
彼はゆっくりと顔を上げた。
遠くそびえる闘技場を見つめる。
掠れた声で。
「都市は……」
「自然の犠牲の上に成り立っている……」
「森は……負けない……」
そう言い残し。
彼はついに力尽き、ゆっくりと倒れ込んだ。




