第30章 選抜戦 都市とハンター・其ノ一
第二回選抜試合が始まる前。
闘技場の内部は依然として熱気に包まれていた。観客席ではあちこちで議論の声が飛び交い、第一試合の余韻はいまだ消えていない。多くの観客が、あのフラックの衝撃的な逆転劇について語り合っていた。
しかし――騎士団の駐屯地外れの森の中では、まったく異なる光景が広がっていた。
ここには喧騒がない。
空気は冷たく、静まり返っている。
昨夜の霧はまだ完全には晴れておらず、灰白色の薄霧が森の間をゆっくりと漂っていた。木の葉には露が残り、時折ぽたりと地面へ落ちて、かすかな音を立てる。
その林地の中を、小規模な調査隊が進んでいた。
隊を率いているのは――ヴィエル・ツィベリン。
彼は隊列の先頭を歩いていた。歩調は決して速くないが、一定のリズムを崩さない。ヴィエルの視線は絶えず周囲の地形を観察し、まるで一つ一つの細部を静かに記録しているかのようだった。
この調査隊の任務は明確だ。
昨夜、ジャックを襲撃した犯人を調べること。
隊はやがて、やや開けた林地に足を止めた。
カロル・マティルダは一本の木にもたれ、薄い記録帳を手にしていた。
彼女はちょうど情報の整理を終えたところだった。
「私の社交関係を通じて、いくつか聞き込みをしてみたの」
カロルは手帳を閉じ、隊員たちを見渡した。
その口調には、わずかな諦めの色が混じっていた。
「騎士団の内部だけど……実は、かなりの人がある意見に賛成しているわ」
ヴィエルが少しだけ顔を向けた。
「どんな意見だ?」
カロルは肩をすくめた。
「ジャックは処刑されるべきだって」
空気がわずかに沈んだ。
カロルは続ける。
「多くの人にとって、吸血鬼が騎士団に紛れ込むこと自体が、騎士の誇りへの侮辱なの」
「だから……敵意は、私たちが思っている以上に大きい」
しばしの沈黙が流れた。
カロルはすぐに付け加えた。
「でも、全員がそう思っているわけじゃない」
「ごく少数だけど……彼が審判を通過した以上、ハンターになる資格はあるって考える人もいる」
ヴィエルは何も言わなかった。
ただ静かに耳を傾けていた。
その少し離れた場所で、フェニス・ローラが平たい岩の前にしゃがみこんでいた。
彼女の前には数枚の紙が広げられている。
紙にはびっしりと情報が書き込まれていた。
巡回時間、目撃報告、巡回ルート、昨夜の警備交代記録。
フィンネスはペンを走らせ、紙の上にいくつもの線を引いていく。
一見無関係に見える情報同士を、次々と結びつけていく。
彼女は眼鏡を軽く押し上げた。
レンズが淡い光を反射する。
「これらの情報を単独で見ると」
彼女は静かに言った。
「ただの断片的な情報に過ぎません」
「ですが……これらを一つにまとめると」
彼女は一瞬言葉を切った。
周囲の視線が自然と彼女に集まる。
フィンネスは続けた。
「とても明確な結論が導き出されます」
彼女は指先で一枚の紙を叩いた。
「昨夜の襲撃は、誰か一人の思いつきではありません」
「組織的な行動です」
「しかも――」
彼女は顔を上げた。
「事前に計画されたものです」
その頃、ケントは一人で別の場所を調べていた。
彼は雑草に覆われた小さな空き地にしゃがみこんでいた。
一見すれば、ただの普通の地面だ。
しかしケントが触れてみると、すぐに違和感に気づいた。
地表の土がわずかに掘り返されている。
乱暴な埋め方ではない。
むしろ非常に簡素で、しかし効果的な隠し方だ。
ほとんどの人間なら見逃してしまうだろう。
「足跡だ」
ケントは呟いた。
「しかも一人じゃない」
彼は指先で表面の土を払った。
下の層から、よりはっきりとした痕跡が浮かび上がる。
ケントはふと眉をひそめた。
彼は手を上げ、空中を軽く払う。
何かを感じ取るように。
そして表情が変わった。
「ここ……魔術の残滓がある」
ケントは立ち上がった。
「残滓があるなら、話は早い」
彼は手首を軽く回した。
「次は――」
魔力が彼の掌から静かに広がる。
空中に淡い青色の紋様が浮かび上がった。
ケントは低く呟く。
「《疑案遡源》」
次の瞬間。
肉眼ではほとんど見えない魔術の残骸が、次々と活性化していく。
細かな光の粒子が空中に集まり始めた。
まるで時間が巻き戻るかのように。
散らばっていた魔力が再び組み合わされていく。
やがて、一つの人影が浮かび上がった。
光と霧で形作られた、ぼんやりとした輪郭。
その人影は動き始める。
当時の軌跡をなぞるように、森の中を進んでいく。
小道を抜け、
岩を越え、
そして――
一つの草むらの前で止まった。
人影は一瞬だけ静止した。
次の瞬間。
完全に消え去った。
ケントはその草むらを見つめた。
思わず口元が引きつる。
「……なんで僕が吸血鬼のために捜査してるんだよ」
彼は不満そうにぼやいた。
「カルラさんもほんと……」
「面倒くさいんだよな」
そう言って草むらへ近づいた。
腰を落とし、調べようとした――その瞬間。
瞳孔が一気に収縮する。
「まずい」
「これは――」
轟音が森を裂いた。
草むらの中で爆発が起きた。
炎と衝撃波が一気に広がり、森全体が激しく揺れる。
遠くの調査隊員たちも爆発音を聞いた。
最初に反応したのはヴィエルだった。
彼はほとんど反射的に駆け出していた。
煙がゆっくりと晴れていく。
ケントは地面に片膝をついていた。
彼の周囲には、即座に展開された魔力障壁が残っている。
服の一部は焦げていた。
だが生きている。
ヴィエルが駆け寄り、肩を支えた。
「ケント!」
ケントは唇を噛みしめていた。
視線はさっきの草むらに釘付けだ。
拳がゆっくり握り締められる。
「やられた……!」
低い声だった。
「あの残留魔力は手がかりじゃない」
「罠だ」
「調査系魔術を狙った罠だ」
彼は地面を拳で叩いた。
「くそっ!」
「さっき“シャーロック”さんが守ってくれなかったら……」
言葉が止まる。
そして突然叫んだ。
「くそっ!ムカつく!!」
ヴィエルは静かに言った。
「落ち着け」
その声には、不思議と人を冷静にさせる力があった。
ケントは深く息を吐く。
ゆっくり立ち上がる。
服の埃を払った。
そしてコートを脱ぎ捨てる。
その目が鋭く光る。
「いいだろう」
歯を食いしばる。
「相手が推理ゲームをしたいなら」
「僕が付き合ってやる」
彼は低く言った。
「推理の時間だ――」
「始めよう」
次の瞬間。
莫大な魔力が彼の体から噴き出した。
魔力は嵐のように彼の身体を包み込み、
そして一気に脳へと集中していく。
少し離れた場所でヴィエルはそれを見ていた。
口元がわずかに上がる。
「憑霊か……」
彼は小さく呟いた。
「本当に怒らせたみたいだな」
他の調査隊員たちも駆けつけてきた。
全員が静まり返る。
なぜなら彼らは知っているからだ。
ケント・アーサーの憑霊対象が、
騎士団の中でも特に異質な存在であることを。
その時、ヴィエルの脳裏に数日前の光景がよみがえった。
ジャックが降霊儀式を行った夜。
カルラが彼に尋ねた。
「もしジャックが降霊に成功したら、英霊は誰だと思う?」
ヴィエルは首を振った。
「分からない」
カルラは微笑んだ。
「遺物で英霊を指定しない場合、降霊は相性が一番近い英霊を引き寄せるの」
「成功すれば、その英霊の力を借りられる」
彼女は少し間を置いた。
「正直言うと」
「あなたの英霊には驚かされたわ」
遠くを見ながら言う。
「ジャックの英霊が誰になるのか……」
「ちょっと楽しみね」
ヴィエルは現実へ思考を戻した。
魔力に包まれたケントを見つめる。
そして小さく呟いた。
「どんな驚きでも……」
口元に微かな笑み。
「この人には敵わない」
場面は再び闘技場へ戻る。
観客席は沸き立っていた。
第二試合の選手たちが入場する。
山林の老ハンター――
ジェフリー・アスカトリア。
対するは、
元都市エリート――
オスカー・オリー。
新たな戦いが、
今、始まろうとしていた。




