レアリム流医術
「うーん、戦場でよほどの衝撃を受けてしまったのかな? たまにいるんだ割り切れずに行方知れずになろうとするやつが」
手の中で弄んでいた肉片を背後に放り投げ、オルトは溜息交じりに瀬良に話しかける。ぼたぼたとそれが落ちる音が三人に届くが、発生源でもある一人は聞きなれた音であるから気にも止めず、もう一人は音源が視界にあったにも関わらず眉間にしわを寄せ、最後の一人は小さく喉から空気だけの悲鳴を漏らした。
「それを探し差し出す身にもなってほしい、不眠不休にさせられるからあれは本当にご勘弁願いたい。複数人がバラバラの方向に同時多発的に逃亡となると最悪だ。判断が鈍り手元は狂いグサリなんてヘマをしでかしてみろ。取り逃がしたらただでさえ木っ端な尊厳は無くなり、引き渡しが条件なら当然だが尊厳は無くなり、相討ちならやはり尊厳は無くなる。全てにおいて不幸だ」
オルトは一息で言うと同意を求めるように少女を見た。未だ槍を構える彼女は同意も異議も表さなかった。その頑なな態度に彼は「まいった」というように緩く首を振り、わずかに端が持ち上がった口を再び開いた。
「逃亡する勇気があるなら一人で自殺してくれと俺は乞い願うね。それなら俺の管轄外だ。……あぁ山の奥深くや貯水池の奥底はやめて欲しいな。それだと結局駆り出されてしまう。それなりに目立つ場所で、善良で清らかだが運の悪い一般市民が見つけてくれるような、そんなところで死んでくれたら記憶処理の対象は少なくて済むのに、と思わないか?」
親に怒られた幼児が、必死に泣くまいとしながら無言の反抗しているのを眺める第三者のような目で、オルトは目の前の獲物を見ていた。表面上は愚痴の独演だが、本質は観察だ。
「……俺の手……」
「うん?」
「返せよ……戻して……」
オルトより頭半分と少し大きい男――瀬良はまるで国の端から端まで強制的に走らされた後のような呼吸をし、空であろう口の中のものを飲み込み、三度息をしてから顔をわずかに上げて視線だけで彼を睨んだ。だがその頭はすぐに下がり、痛みに呻いた。切断面を決して見ようとはせず、本能かそれとも偶然か、膝と胴で肘を圧迫して止血を行っていた。
少女——リレイ=オーガスタはそんな哀れな獲物の様子こそが警戒の全てであるかのようにしている。
「おぉ、わずかだが話せるようになったな。よしよし、今度こそお前を教えてくれよ」
オルトは質問を与えることで獲物の思考力を繋ぎとめようとしていた。
返ってきたのは答えではなく非難の混ざった懇願だったが、少なくとも発狂はしておらず、今すぐパニックに陥る心配はない。物事の主張はできる。そして「死亡」判定は未だされず、意識を失うようなこともない。
そう判断したオルトは、和解とそれ以上に上下関係の徹底を宣言する声色で語りかけた。
「……あぁ、手続きを重視するならそれを踏んでやろう。本職の医者には一億歩は劣るが、基礎と応用そして実用を頭に叩き込むよう命じられているからな。
知っているか? 俺達は医術を救うためではなく、壊し方を見極めるために学ぶんだ。アイリーンが今生きていたらきっと顔を覆って泣き出すだろう。救うための方程式は苦しめ続けるための方程式にもなるとは、俺もこれになるまではその発想すらなかったからな。始祖ならなおのことだろう。
少なくとも今俺は『殺せ』という命は受けていないし、『手当てするな』と禁じられてもいない。だから安心してくれ、今回は『救う』だけだ」
オルトはまるで目の前には百万の聴衆がいるかのような動作で、自身の左手を胸の高さまで持ち上げた。ほんの一瞬、瞬きより少しだけ長い間をおいて彼らの背後に散らばる肉片が集まって来る。
集まってきた肉片をオルトは粘土をそうするかのように捏ねていく。肉片の最も外側は淡いオレンジ色の光を帯びていた。かつて繋がっていたそれと出会うと、仮足を出すアメーバを連想させる動きでに求め合い、水気の混じった音と共に元の形へと戻り始める。
少なくとも肉片は全てが固定され、最後の切断面が再会を求めオルトの手の上で瀬良に向かってうぞうぞと動いている。オルトが左手の人差し指を立てると、地に染み込んでいた赤黒い液体が宙に浮かび、ぱらぱらと不純物を落としながらその指先に向かっていく。彼の人差し指の先、ビー玉一つ分の間をあけて球状にあつまったその液体は、指示がされると同時にその手に飲み込まれていく。
「うん……」
オルトが呟く。彼の口は相変わらず弧を描いているが、前髪の奥の瞳は真剣だった。先ほどの言葉の通り、彼の――《ロザ》の精鋭部隊の人間にとって「医術」は対象の精神を破壊し、有益な情報を得るために学ぶものだ。応急処置として用いられることも限定的である。なぜならそれを、特に救いの手段として使用する者の情報はその目的も含め中枢が全てを把握しており、換言すれば国が知らずにそれを行う者はスパイだと、あるいはそれ以上に警戒すべきものだと高らかに宣言するようなものだからだ。
オルトがそれを使えることは、精鋭部隊所属のため知られている。だが、彼が救いの手段として用いるのは初めてのことだった。架空の戦場であり、これが解除されれば意味の無かったことになるが、それでもオルトは真剣に取り組む。
「うん……うん、これでいいはずだ。渇きは最低限、砂粒は取り除いた、純度の高い血液を体内から持ってきて流し込み、地に触れた血液を押し流して接合。うん……手順通りだ、あぁ問題ない。あとはこのあたりだとクロッシェン……は果実酒だから駄目だな、かなり遠いがクリマック第一令嬢の嫁ぎ先の酒でも盗んで浸せばなんとかなるだろう」
彼はまるで恋人とするかのように瀬良の左手と手を繋ぎ、動きを確かめていた。そして瀬良の前に跪くと、傍らに浮いていた肉片を瀬良の右手があった場所に押し付けた。
「い゛っ、ヒぁ゛ッうぁあ゛あ゛ッ、ぐぅぅ……ッ」
瀬良の傷口がオレンジ色の光を帯びた瞬間、永く別れていた細胞が再会を求めてそれを伸ばす。痛みと、それ以上に彼の人生で経験したことがなく例えようのない不快感が瀬良を襲う。踵で地を蹴り、悲鳴を上げまいと噛んだ唇の端からは鮮血が一筋落ちていく。
「大袈裟な貧農だ」
オーガスタが吐き捨てるように言う。彼女の中では瀬良は現段階では、あくまで戦場を生きてきた「ナンミン」だ。彼自身が医術を受けるような機会がなかったとしても、それを受けることができた幸運な人間を多少なりとも見ることができたという前提でいる。
その前提のもと、彼女はできるだけ適切な言葉を選んでいた。ワミサ所属兵であったと自称する突然の乱入者、しかし分かりやすい誘導に疑いもせず乗り両手を破壊され、自分で応急処置すらできずあろうことか壊した者に縋る。感心には値せず、またクロッシェンの警備隊長という地位を悟られないためにも観察も堂々とすることはできない。あくまである程度の力を持つ人間が、地位こそあるが半人前の者の体を乗っ取っているだけだと、オルト=ベークには表面上だけでも思ってもらわなければならないのだ。
「おいおい、彼が貧農だという印象を俺に押し付けないでくれ」
「それはすまないな。だが、それ以上に何があるんだ? あぁ、泳げるから漁民の可能性も捨てられないか」
「そうそう。俺は色々考えねばならないのだよ。……呼吸が不安定だな、はい吸ってー、吐いてー……。吸ってー、吐いてー、吸ってー――」
身体を巡らせるには不適な血液を押し出し、まずは瀬良の右手の処置を終えたオルトは相手の様子を見て苦笑する。瀬良の顔色は蒼白、接合した右手に体温は戻らない。つい先ほど加害してきた人物に呼吸を委ね従う。そもそも目を合わせ観察をしようとせず、むしろ悲鳴や弱音を出さないことに注力している。
(俺を舐めているのか? ここまであからさまに油断を誘おうとしているのか? それほどまでに俺は警戒に値せず、遊ぶことしかできないか?)
オルト=ベークは本来であれば退役している人間だ。それが兄からの強制で精鋭部隊に所属し、それを堂々と明かしている。それで警戒されるのであればまだしも、縋られるのは単純に不快だったのだ。
敵対するのは賢明ではないと理解しているから彼の表情筋は笑顔を作るが、その笑顔には中身が伴っていない。瀬良の呼吸をガイドしながら、彼の目は温度を無くしていく。
「吐いて……吸って、吐いて……そうそう、うまいうまい。はい吸って……吐いて……吸って……」
「はぁ……は、ぁあ……はッあ、⁈ あ待、ぃギッ……ふ、ふぅう、ックひゅッ……!」
「だめかぁ。だがこのまま進めるぞ。君に付き合っていたのではいつまでたってもこの手を付けられない」
「あ゛、ひゅふっ、ぅ゛、ひッッ、ァッ⁈ ヒュゥッヒュ⁈ はゅ、ハッあっヒャぅッ⁈」
瀬良の呼吸が乱れる。右手で喉を押え、反射的に引きかけた左手からは激痛の信号が脳にダイレクトに発信される。その経験をしたことがない痛みがやはり経験のしたことのない接合の不快感を伝える。彼の常識にはない感覚に脳は混乱し、その混乱は呼吸をも乱した。
「あーあーこれはまた本格的に……。まあ余程不運でもない限り死にはしないから」
オルトの表情はもちろん雰囲気からも笑みが消える。彼は瀬良の状態を意識の範囲外とし、左手の接合に集中した。この状態から脱すればどうせ戻るのに、という彼の、そしてレアリムの常識は頭から追い出した。
完全に切断された左手首の接合には五分以上かかった。日本をはじめとした地球基準で見ればそれは驚くべき速さだが、レアリムからすれば資格を剥奪どころか命を持って償わなければならない遅さだ。医術を、とくに戦場医としてそれ極めた者にかかればこれは数十秒の間で全てを終わらせなければいけないほど簡単な技術だからだ。
「はい、おーわーり」
オルトはたった今最後の血液が零れ落ち、オレンジ色の光が飲み込まれていった瀬良の手首を叩くと伸びをした。繋がりを失った瀬良の体は後方に倒れ、彼は左手で喉を掻き、右手の中指を喉に押し込んだ。
「手続きを重視するのは結構だがもうやりたくないな……この上なく疲れたぞ」
絞扼反射に跳ねる瀬良のことを見ながら、オルトが呆れと軽蔑交じりにオーガスタに語りかける。
「それはご苦労」
「労りのお言葉感謝いたします上官殿。……もういいから、分かったから」
オルトはオーガスタに対しての敬礼を解き、もはや吐くことすらできなくなったらしい男を見下ろし吐き捨てた。
「ひゅン、けっえ゛……ヒュふっ、ハ、ひっ、ヒュひっふゥ゛っ、フぅう゛」
「吐こうとするのはあまり意味がないはずだが? 余計に呼吸が乱れて苦しむ時間が長くなるぞ」
自分のアドバイスを聞かず、いやすでに聞くことができず再び指を口に押し込んでいる瀬良を見ようともせずに彼は汚れた両手を軽く振る。こびりついていたはずの汚れが、まるで手を洗った直後に振って払った水のようにどこかに消えていった。
「おい」
オーガスタが槍を放棄し、それが形を失っていく際に発する青白い光を気にせず歩み寄る。
「うん?」
「薄々分かっているだろう。これは演技ではなさそうだ」
オーガスタは顎で瀬良を示す。瀬良の呼吸は多少はマシになっているが、それでも平常と言えるものには程遠い。彼なりの足掻きが意識を失わないだけの酸素を取り込んでしまい、乱れた呼吸は彼の混乱をそのまま表していた。
「君もそう思うか」
「演技だとするならくどい。これを信じるくらいなら、博打狂いの『次は勝てる』という言葉に全財産を預ける方がまだいい」
「ふ、ふふっ、なかなか言うな……。だが確かに、俺も一つを除いて同じ意見だ。違う所はというとな、俺は自分の全財産ではなくクソゲロゴミカスの全財産を預けるのさ」
自信満々に宣言したオルトに対面するオーガスタの眉間にしわが寄る。彼女はこの空気を嫌と言うほど知っているからだ。手首を触り何かを求めているかと思えば、苛立たし気に地を蹴りまた喉と胸を押えて咳き込んでいる瀬良に内心同情しながら、彼女は左足に重心を預けた。
「俺に財産はないんだ。どんなに働き尊厳を明け渡し精神をすり減らしたとしても、全部全部持っていかれる。横暴で奔放な兄を持った理性的な弟の悲しい宿命だ。だが今回の賭けはすごいぞ、ただの勝ちじゃない、約束された大勝だ。三倍にはなっているだろうな……元がゼロじゃなければの話なんだが。そもそもあのクソカスドブゲロゴミボケ野郎は借金補償金賠償金がまだまだある、俺が必死に払ってるのにヤツは自分勝手に気ままに飯だ女だなんだと見境なく買いまくり、結果完済しないとか酷いと思わないかい? つまり賭ける金すらさらに借金だ。あぁ嫌だ、いっそのこと相手方を皆殺しにしてしまおう。そうしたら俺も晴れてクソゲロゴミカスドブボケの仲間入りだ。嫌だ。そんなのは絶対に嫌だ。
というわけで俺は人間でありたいからな。少しだけだが助けてやろう。君は一応、周囲の警戒をしてくれ」
オルトはそう言うと瀬良の傍らに屈み、瀬良のことを抱え起こした。今の瀬良は全速力でフルマラソンを完走した直後だと言われたら納得させられてしまうような、そんな状態だ。呼吸のリズムは異常に速く不定だ。彼自身、口を押え無理矢理呼吸を止めようとしたり、なんとか深呼吸をして正常に戻そうとしたりしているがどれも無駄に終わっている。
「ひゅ、ハッ……ぅウふう゛、アッはっひぃィッ」
「はいはい大丈夫、大丈夫。俺の声は聞こえているか? 俺の呼吸は?」
オルトの耳元での問いに瀬良が頷き、咳き込んだ。
「た、ぅけェゲホッ、ひゅはッ、あ、う゛ウ゛」
「あぁ、助けるよ。だから俺の呼吸を真似するんだ。大丈夫俺がいる、俺が案内する」
「ひっ、ひ、はふ、ぅう、しぃイ、し、ッハぁあ、死、ゥ、ふぅヒュッ」
「死にそうだな。分かるよ。何人もそうなる人を見て来たから。でも大丈夫、俺が間に合った人は全員それでは死んでいない、大丈夫だ」
瀬良は再び頷く。彼は縋るようにオルトの背に腕を回した。
オルトはオーガスタの方に顔を向けた。彼の口の端は持ち上がり、前髪は重力に従いその奥に隠れていた目を見せていた。その目は今愉悦を感じていると告げている。
(精鋭部隊……)
オーガスタは一人思う。《ロザ》の精鋭部隊は確かに脅威だが、それは単純な強さだけではないと彼女は伝え聞いている。
「……」
「……」
周囲の警戒、とオルトが口だけを動かした。オーガスタもわかった、と同じように返す。
(私の周囲ならお前も含むぞ。理解しているだろうがな)
彼女はそう、心の中だけで付け足した。




