不屈の古豪 飛燕の新鋭
感想ありがとうございます。
暇潰しにでも見てってくれたら幸いです。
宵闇に激しい雨音が響いている。耳は泥濘の跳ねる音と共に蹂躙され、豪雨が身を打ち体温を奪う。
恥辱、比する程無く。
憤怒、唯荒ぶり。
自責、尚深い。
慟哭しては慨嘆し嗚咽を漏らす。しかし歩みは止めず。
張飛は走る。誇り無き野盗の如く船馬を奪い唯走る。
今生に於いて是迄に無く以後無かろう恥辱に駆り立てられて。
張飛は走る。寄る城の悉くに翻る呂の大旗を睨み唯走る。
今にも溢れ出そうな激流の如く暴れる憤怒に駆り立てられて。
張飛は走る。己の招いた絶望的状況を義兄に伝える為唯走る。
底無し沼に溺れ呑み込まれる様な自責の念に駆り立てられて。
馬が泡を吹いて崩れ落ちた。大地に其の巨体が投げ出される。
握り締めた手に掴めるは湿った砂利だけ。
過去の栄光など有りもし無い。
泥に塗れ、川を泳ぎ、荒野をかけて三日三晩、荒寥とした心を照らす劉の旗翻る城を見つけた。
己が決めた終わりに向けて歩みを進め、城門をくぐり義兄の顔を探す。近くにいた兵の胸倉を掴んで問う。
「い、今、お二人は徐州牧の私室にておられます」
「場所ぁ!!」
「此の三つ先の部屋に」
兵を放り捨て走る。倒れる様に突っ込んだ。兄達の顔見た途端に濁流の如き安堵と後悔が押し寄せる。其れを押し込め張飛は行った。
「徐州を取られた!!俺の不覚で!!」
「よし、徐州は捨てる」
張飛から敗北を伝え聞いた劉備の第一声である。叱責、少なくとも罵声が飛ぶと考えていた張飛を絶句させた。
関羽は閉目して髭を撫で付ける。
「曹豹の下に叛徒を集めさせたのが不味かったな兄上」
目を見開いた張飛を無視して劉備は頷いた。
「そう言うこった張飛。
散々言われてたってのに俺のせいで面倒かけたな」
「待て、待ってくれ!!
兄貴、兄貴、此の敗北の責は俺にある!!
此の首を掻っ捌いて償いをさせてくれ!!!」
必死であった。義兄達に任された徐州を奪われると言う前代未聞の大失態。其れを償わずに居るのは張飛と言う武侠にとって耐え難い事だった。
「張飛」
名を呼ばれた。唯、それだけ。
しかし張飛は初めて劉備に気圧され口を噤む。其の張飛が怯む程の覇気を途端、霧散させると朗らかに笑った。
「くだらねぇ事を言うもんじゃぁねぇぜ。
桃園で誓っただろ?
同年同月同日に生まれた訳じゃぁねぇ、だが同年同月同日に死のうってよ。
ならオメェ、此処で死ぬ事が償いか?」
張飛は何も言えずにいた。様々な評する事さえ儘ならぬ勢いで感情が荒れ狂う。
返事のない事に劉備は笑み浮かべたまま己が耳朶を摘み言った。
「うーん、仕方ねぇ」
言い終えると雌雄一対の剣を抜き、己の首を挟む。続いて関羽もまた冷艶鋸の刃を首に当てる。
「お前が今此処で死ぬのなら、俺も関羽も誓いの通り死ぬとしよう。なぁ?」
問われ関羽は迷い無く頷く。
「そうだな兄上。此の関羽、誓いを破るつもりは無い」
「待てっっ!!」
張飛は其の言葉を最後に号哭をあげる。
恥辱も憤怒も自責も飲み込み吼える様に。
劉備は言い聞かせる様に言った。
「死ぬ何んて死んでも言うもんじゃねぇよ張飛。人なんざ死んで当たり前だ。其れが責任を取る事じゃぁねぇだろ。
そもそも俺の弟だってんだ。
何もかんも飲み込んで、大笑しながら逃げちまえば良いんだよ。
逃げた先に有るのが希望か絶望か知れねぇが生きてりゃぁ次があんだ。なら、寿命分ぐらいは生きてからでも死ぬのは遅くはねぇよ」
「張飛、兄上もこう言っている。馬鹿な事はするな」
義兄達の言葉に張飛は泣きながら頷く。
「さぁ、そうと決まったら、さっさと逃げるぜ二人共!」
劉備は朗らかな笑顔の下で再起の道を模索する。
未だだ。未だ己の命脈は尽きておらず両の腕は健在。幾多の危機も、窮地も、関羽張飛と言う弟達と超えてきた。
不屈、劉玄徳は欠片の諦念も抱かない。
評定の間で袁敏は驚愕した。沛国で一進一退の攻防を繰り広げていた劉備軍が、一夜の内に消えていた。
陣幕も旗もそのまま。鎧さえ残して忽然と消えていたのだ。
その事に気付いた数刻後に良からの伝令にて作戦の成功を知った荀攸が言う。
「袁中郎将。軽騎歩兵を使い広陵へ向かう劉備に追撃を」
袁敏は頷くと諸将に下知を降す。
「紀将軍、夏侯都尉。貴公お二人は私と共に追撃へ。
卞将軍、荀軍師は併合した沛国占領をお願いします。
両許将軍、沙水の水軍全てをお任せします。淮水を下って下さい!!」
皆が雄々しく唱和する。
袁敏が駆け行けば皆、其々の兵の元へ向かう。紀霊と夏侯尚が揃えば淮水に向かって進軍を開始した。
各県では劉備に物資を持って行かれた民に歓呼を持って迎えられる。そうした彼らに劉備の向かった方向を訪ね、後続の部隊が兵糧を運ぶことを伝えて直ぐに発つ。
車輪と蹄の跡を追いながら袁敏は焦燥に駆られた。劉備の移動速度が余りにも早すぎる。
一昼夜駆けて穀陽で一つ、賭けに出た。
「全軍、止まれ!!」
袁敏はそう言って騎馬を止める。即座に驚いた紀霊と夏侯尚が馬を寄せてきた。
「どうしたのです袁長史」
夏侯尚が問う。
「千の騎兵を半数にします。各隊の最も馬術優れた者へ馬を貸すように伝えて下さい。二頭の馬に交互に乗り換え劉備を追います」
「危険を承知の上でですか?」
「はい、紀将軍。劉備を取り逃し広陵で再起を図られては、豫州の全軍は動けません。そうなれば兗州は袁紹に奪われてしまいます」
副将二人は頷くと直ぐに動いた。騎馬がダメになった時の保証を約束し、即座に軍を再編する。
その甲斐あってか氵交県を過ぎた所で砂塵を見つけた。
「見つけたぞ!劉備を討った物は望むがままの褒美を与える!!」
袁敏はそう叫ぶと一気に馬足を上げた。背後の兵も我れ先にと馬に合図を送り、弓を握る。
突如、敵軍から咆哮。唯一騎の騎馬が向かってくる。兵は一瞬にして気をとられた。
紀霊が三尖刀を掲げて吼える。
「弓騎兵、放てっ!!」
精兵たる彼等はそれだけで一挙、鋭い雨を降らせた。しかし、しかしである。其の雨は長大な蛇矛に尽く弾かれた。
紀霊はそれを見ると袁敏に騎馬を寄せる。
「アレは剛の者。何があったか不退転の構え。お任せ下さい」
袁敏は草原の中央に立つ敵を見た。単騎故に敵の方が小回りが効き道を塞がれる。なれば豪勇紀霊を当てるのも一つの手。
「お願いします」
「ハハッ!我が麾下の兵よ皆、聞けい!!
これより私は敵将を抑える。袁将軍の指示を仰げ!!!」
そう言うと紀霊は直下の数十の共だけを連れて敵将へ向かった。罵声と甲高い刃の交差する音が響く。
袁敏は振り返る事もなく進む。港のある虹県に着く前に劉備を討つ必要があった。
百五十騎で先駆した夏侯尚の部隊が敵の最後尾に追いつく。しかし、息も絶え絶えな其の歩兵達を無視して更に奥の騎兵めがけて矢を放つ。
狙い通り数十の兵馬が崩れ落ち後続を巻き込んだ。巻き込まれなかったのは追撃の騎兵を見て心折れた兵と最後尾の者だけだ。
「よし、いいぞ!だが、矢を無駄にするな!!」
夏侯尚は功に焦って第二射を放とうとした兵達に言う。老兵は好相を崩した。
「オ前は、白虎ノ頭目ヨリ慎重だな」
若い将軍は照れて言った。
「私は馬上で弓を射る事が出来ません。白虎殿の様に敵を討ちながら指揮をするなどとても出来ませんよ」
兵が爆笑する。訝しんだ夏侯尚に老兵は言った。
「確カニ、白虎殿は馬上デなんでも出来た。白虎ノ子に頭ヲ齧らレながら奇声ヲ上げたりナ」
明確に思い出してゲラゲラ笑う騎兵。
夏侯尚も又、良と始めて会った時を思い出し、笑いを堪えきれずブフォと変な音を出す。幾ばくか逸った気持ちを抑え、疲れを忘れさせるには丁度良いやり取り。
そんな話が聞こえる訳が無い劉備軍の兵は恐怖する。
遂に追いついた敵が揃って爆笑しているのだ。三日三晩走り逃げ漸く逃れたと思えば真横に爆笑する呂布軍騎兵。
心胆寒からしめるなどと言う言葉では言い表せない。
一人の兵がポツリ呟く。
「まさか……呂布?」
耳が痛くなる様な静寂の後に、兵達は足を止めた。兵の群れが置き去りにされると騎兵と馬車の一団を目にする。
「あの先頭に劉備がいるぞ!手柄を上げろぉ!!」
その場は一挙、屠殺場となった。
背後側面を取られ逃げる騎馬は揃って迎撃する事儘ならず、夏侯尚の率いる弓騎兵に蹂躙される。
先頭の一騎が馬足をあげた。粗着の身着のままの騎兵の中で、魚鱗の様な鎧を纏っているのが遠目に見える。鉄鎧を纏う雑兵などそうはいない。
敵に突っ込んだ夏侯尚に変わって、追いついた袁敏が追う。
突如、逃げる騎兵の前。猛禽類の羽飾りを付けた騎兵団が此方に顔を向ける。
「皆、避けろ!!」
袁敏が言うやいなや矢の雨が降った。
逃げ損ねた数人の騎兵が崩れる。目にも留まらぬ速さで五本の矢を払った袁敏は叫ぶ。
「敵の烏丸騎兵だ!!やり返せ!!!」
剣を振り下ろす。
「撃て!!!!」
ザアァッと背から空を割く鏃が揃って放たれた。
逃げる一騎を守る為に囲った後方幾人かを絶命させる。だが、大半の矢は敵にかすりもしない。
先頭の騎馬数十騎が反転して此方に向かってくる。距離も縮まり敵の大声が耳に入る程だ。
「牽招推参っ!小僧、劉備は殺らせんぞぉっ!!」
そう言って牽招と名乗る男は剣を抜いた。彼に続く騎兵も曲刀と握って突撃の構え。
「抜刀!!」
袁敏が号令を下せば皆弓を袋に入れもせずに、素早く腰に掛けて刀剣を握った。
二つの馬群が交差する。先頭を走る二人の将軍。
崩れたのは牽招だった。一瞬の交差の後に首と腹と腿の三ヶ所から赤い霧を勢いよく噴出させて地に落ちる。
「ずま“ん。劉備っ」
見向きもせず、数旬の内に三度も敵を切る技巧を為した袁敏は尚も駆けた。
左右から迫る刃を鞍から手を離し、もう一本の剣を抜いて捌く。
馬上の良を猛虎の暴虐と例えるなら袁敏は飛燕の舞。まるで空を舞う燕の様に切っ先が円を描いて敵を斬りつける。
十前後も剣を振るえば迎撃を敢行した敵部隊を木っ端微塵に砕く。
しかし、しかしである。袁敏の目には小さいながら城壁と門だけが鎮座していた。
更に淮水へ出る船。
「ハァ、ハァ…畜生。良羽と軍師殿に何て言やぁいいんだ」
そう言うと袁敏は頭を振って残敵掃討を始めた。反転しようとした騎兵の悉くを討ち取り、歩兵達を降伏させる。
捕虜は数百、討った敵は数知れず。
この追撃の結果、袁敏は飛燕の渾名を持って兵達に呼ばれる事になる。
因みに重い気持ちで帰った袁敏を迎えたのは良のアホ面ウェーイと荀攸郭嘉の絶賛であった。
「劉備を討て無かったのは惜しいが、牽招を討った事で袁紹の元へは逃げられん。
更に幽州から付き従う劉備の騎兵を討ったのは、下手に劉備を討つ以上の価値がある。
孫策の降伏を許す代わりに劉備の首を要求しよう」
郭嘉の言葉に荀攸は頷く。
「万一を考え劉備の悪評でも流しますか。精鋭騎兵無き劉備を誰が戦力として見るか甚だ疑問ですが、潰せる内に徹底しておきましょう」
最後に満面の笑み……を変顔バリに変えてニヤニヤと袁敏に向ける良。前に良が一騎打ちした時に揶揄われた事を思い出したのだ。
「お疲れさん、飛燕将軍閣下。一騎打ちのご感想を聞かせてくれよ」
「はは、飛燕てすげぇ恥ずかしい。いや、悪かったって。」
「ふふ、だろ?」
まぁ、仲のいい事である。
後の憂いは無くなった。ようやく兗州に攻め込んだ袁紹軍へと注力出来るのだ。
寧ろ此れからが本番であった。




