夢の様な時間
良の目の前で人が飛ぶ。
既視感を覚える光景であり其れが何かと問われれば、もう遠い昔の様に感じられる交通安全教室である。事故が起こるとどうなるかと言うのを分からせる為に、人形を吹き飛ばすのに酷似していた。
こう、何と言うか。ポーンと飛んで行く感じなど筆舌にし難い程だ。
「なぁ、郭嘉アレどう思う?」
「非現実的」
悟った様な顔の良と郭嘉のやりとり。横一列に並んだ武剛車の上から戦場を見た感想としては相応だろう。
そのままを言えば西陵に向かう道に武剛車を並べ弓兵を配し、其の簡易砦兼陣営を攻撃する劉表軍を重騎兵が吹っ飛ばす。そんなトコだ。
だが、しっかりと言えば鎧も支給されて無い雑兵とは言え、弧を描いて空を舞うし、率いる将周辺に至っては敵兵がポップコーンで有る。
正に非現実的。そう表現せざるおえない光景を作り出している男は侯成。魏続の片腕にして変な姿勢を好む片割れだ。彼はガチガチに鎧を着込み、跨る馬も鉄騎と呼ばれる鎧を纏ったムキムキ馬。
そう、人馬一体ムッキムキ。
そして其れは彼に続く騎兵も然り、
見た目としては鎧の上から矢を防ぐ為の人馬を覆う様な布を纏っているせいで、鎖帷子では無いもののカタクラフトの如くである。其れだけ纏っていれば当たり前だが、こう。全体的にゴツい。
同じく戦車を使う高順の部隊の戦車を引く馬は大柄だが、どちらかと言えば高いと表現できた。では侯成軍はどうかと問われれば太い。
高順の戦車運用は速さを持って電撃的奇襲を行い、強弩や弩を撃ちながら敵の陣形を崩しての突撃を主体にしている。対して侯成の戦車運用は武剛車という盾戦車で即興の堅陣を築いて防衛拠点とし、手間取った敵目掛けて重騎兵突撃で粉砕していくスタイルだからだ。
人間で言えば長距離走の選手と重量挙げの選手と言えば、此の二つの部隊の馬の違いが分かりやすいのではなかろうか。
閑話休題。
候成の部隊のどの馬も、鎧の下でアンニュイなカンガルー見てーな面して荊州兵を轢き殺す。
馬上の兵は布の下、白い歯を輝かせ満面の笑みを浮かべて腕を振るい、掬い取る様に長物を振るって雑兵を飛ばした。
なんか一周回って笑えてくる光景。
劉表水軍が武剛車の盾に取り付こうとする度に、我先にと突っ込んでいって敵兵を弾き飛ばす此の絵に、常識人が納得できるかと言われれば否。
ブルドーザーが土砂を削るかの如くだ。
大量のポップコーンを量産した候成は得物を掲げた。
「あぁ、そろそろ交代だ。白虎殿」
「おう。やっぱアレだけ着込んでっと暑いよな」
「いや、どう言う認識だ其れは。
よくもまぁ三度に渡って突撃出来たと驚くべきだろう。…呂将軍の軍しか知らない弊害か?」
「……否定できねぇ」
妙に納得してしまった良は郭嘉の言葉に頭を掻くと苦笑いを浮かべた。
「まぁ、強いこたぁ良い事だ。郭嘉、後は任せたぜ」
良はそう言うと弓を掲げて突撃の号令をかける。戦場を貫き敵の耳にさえ若々しくも雄々しい命令が届いた。
候成が強力な一撃で敵を大きく後退させると同時、五百騎の騎兵が駆け出す。
彼等は良が句陽県令の時代から仕えている異民族騎兵集団の者達である。
自身の飢餓を救い民族間の諍いを鎮め、自分達と同等以上の武勇を誇る良を慕い、共に訓練に励んだ者達だ。
馬に乗りながら前後左右に悠々と矢を放つことの出来る者達で、刀槍を持たせれば倍の敵をも恐れる事なく蹴散らす。
正に良肝煎りの精兵。
良がこうして戦えている理由の三割を占めると言っても過言では無い。
大将が弓矢を構えると騎兵達も揃って矢をつがえ弦を引く。
引き絞られた弓は弧を深くし、馬上にあって微動だにしない。ただ溜められた力を発する其の時を黙して待つ。
馬の蹄が土を抉る音だけが戦場を支配した。敵の横腹に切り込む様に進む。
駆け行く騎馬隊に劉表軍の兵士達は魅入った。足を止める者さえ出る始末。
力強く整然と疾駆するその姿は何処か幻想的で有ったが故に。
突如、風を裂く鋭い音が兵の耳を撫で、何かが高い位置から落ちた。
足を止めた兵士が音の方へ目を向けると、身体中から無数の矢を生やした上司が絶命している。
何処か幻想的な騎馬の群れから余りに惨く惨めな死。
「いやだあああああああああ!!!」
兵は恐慌し、恐慌は伝染し、伝染した恐慌は軍を混乱へと導く。
結果、統制というものを消し去った。
混乱を鎮めるべき将は良の一矢で死に、追撃の五百本の矢が降れば、軍という群から兵という個に成り下がる。
後は唯の蹂躙だ。
弧を描き戻ってきた騎馬隊は得物を振るい、逃げ遅れた兵を踏み潰す。
戦場で円を描く様に突撃と射撃を繰り返し数回の突撃を繰り返せば敵の陣形はメチャクチャだ。
先ず左翼一陣が崩れ、次いで二陣が崩れる。中央まで被害がおよび、陣営を攻撃するどころでは無い。
其の様を丘の陣屋から見ていた劉表軍の将は持っていた竹簡を地面に叩きつけた。
「何なんだあの化け物共は!!」
ヒステリックに顔を赤くし目の前の理不尽に憤る。
そりゃそうだ。彼の目の前で起きてる事はフツーにおかしい事なのだから。
「従兄、アレが北方の騎兵という物なのでしょう。人が空を飛ぶと言うのは些か筆舌にし難いですが」
「そんな訳あるか!あってたまるか!!
俺はあんなのを認めんぞ!?
人が空を舞うのは論ずるに及ばん!
あの騎兵の正確な射撃も大概の事だ!!
何故、声も出さずにああも揃って矢を放てる!?
おかしいっ!
あの軍は絶対におかしい!!」
さて、常識人故に目の前の現実を受け入れられない男を蔡瑁、字名を徳桂という。
劉表の義弟で呂布に於ける陳宮の様な存在だ。彼と言う地元協力者が居たからこそ劉表は荊州を如才無く治められている。
そんな人物を送り出すほどに西陵城を取られたくないという事だろう。
まぁ、正直なところ此のヒステリック大爆発している様を見ると人選ミスなのだろうが。
蔡瑁よりも随分と若いが故に、目の前の光景を現実と受け止める事の出来た、年の離れた従兄弟の蔡瓚が言った。
「諦めましょう」
蔡瑁は身を震わせると大きく溜息を吐く。
「・・・・・そうだな。事実は事実として受け止めねば」
余りに大きな衝撃故、飲み込むのに苦労はしたが蔡瑁は現実を受け止めた。
荊州の名士筆頭の立場を維持し続けている男の胆力は伊達ではないと言う事だろう。
ヒステリックフェイスを辞めて尚、神経質な顔をしているのは彼の生き様を表していたが。
さて、落ち着いたと言えども、敵を退ける名案が有るかと言われれば否だ。
正直な話、現状は蔡瑁の裁量を超えている。
荊州の南部という紛争地帯は張羨と言う武人であるが故に収められた物だった。更に文聘は豫州の蓋、黄祖は揚州の蓋で、三将は正に荊州の三本柱。
彼等は劉表の元で数少ない地方を任せられる将軍であり、最も優れた将であった。
荊州は文人が多く、武人は少ない。
武官的人材の欠如から総大将として出張っているが、劉表の側近で劉表代わりに指揮を取っている蒯越は兎も角も、蒯良や自分では兵や下級士官の質を覆せない。
更に急行した筈が敵は堅牢な防衛陣地を貼っており越える事が出来ないのだ。
正直言って詰んでる。
「さて、退くにも義兄がな‥‥。
劉琮も武官としての能が有ればとこのような時は思ってしまうものだ」
そう呟いた蔡瑁は溜息と共に空を見上げる。やはり特に良案が降ってくる事も無かった。
蔡瑁は姉が劉表の後妻で、姪を劉表の次子劉琮に嫁がせている。
病弱な割に武官気質な兄劉琦に比べ、文官気質な劉琮は、蔡瑁にとって丁度いい上司となり得た。
軍人としては並みの才能しかないが名士故の軍事力のある蔡瑁は、上記の将軍不足という理由から軍人としての立場迄も急速に増大しているので有る。
劉琮が荊州を継げばその立場故に政治軍事も思うがままとなるであろう。
故に此の荊州の趨勢を決める戦いで有る程度蔡瑁自身が活躍し、劉琮の後継者としての立場を盤石なものにしたかったのだ。軍を半壊させられるだろうが城は取り返せるだろうと思っていたが正直、舐めていたと後悔している。
「うーむ。水軍を使って邾県を叩き分断してみてはどうかな?」
その劉琮の妻の兄に当たる張允が言うも蔡瑁は首を振る。熟考して無言な為、代わりに蔡瓚が言った。
「西陵城を敵が奪取した時点で一年近くは城に篭る事が出来る。その間邾県を守るのは至難でしょう」
「むぅ、確かにな」
三人は揃って溜息をついた。荊州存亡の危機に慌てて、思考が鈍くなっている自覚がある故に。
「何故そこまで思考できて、その前を思いつかん」
顰めっ面で蔡瑁達に問う若い男の声。三人は視線を向けた。
この場に居る誰よりも将軍と言う形をしているが劉表配下の将軍では無い。文聘が違和感を感じて兵と兵糧を送るために協力を要請した、南陽の東部を根城とする男であった。
独立勢力とも言いにくいが気に食わねば劉表の命令をも無視し、水賊や山賊に異民族といった劉表がその存在を認めない者達の頭である。
政権と対等の関係を維持するスラムの頭と言えば近いかもしれない。
彼は魏延、字名を文長という。
齢十七と若くも理知的で有り、見目は勇壮で鋭い眼差しをしている。傷一つない日に焼けた褐色の肌に屈強な肉体。武人の中の武人と言えた。
職には付いていないが戦となれば常に先頭に立って戦う様は正に猛将。唯一の欠点と言えば能力相応に誇り高く傲慢に見られがちな所。
魏延は形の良い顎に手を添え、顎に親指を添え、唇の下部分を人差し指で擦りながら続けた。
「西陵を取ったはずが敵の水軍は少ない。水軍を鹵獲していないのならば未だ城の統制が取れていないのだろう。ならば狙うべきは西陵だ。
西陵の港は広く門も大きい。此処を上陸地点として確保した上で一隊で西陵を、もう一隊で奪い小兵の白虎を挟撃すれば良いだろう」
「魏文長。敵は城を掌握したから此処に居るのではないか。其れに我等には城や港を攻める様な船は無いぞ?」
「それに上陸する為の桟橋を断たれています。其れでは港にも入れません」
「逆だ。西陵に行かせたく無いから此処でお前達を迎え撃っているのだ。
桟橋については少々困難であるが、三隻の中型の櫓艦を捨て桟橋にでもすれば良い。何も黄河の様な急流でも有るまいし、浅瀬で船底に穴を開ければ上陸する間くらいは持つ。
その後、強攻すれば取ったばかりの城など一刻もかからずに落ちる。白虎を討った後に黄太守を救えばいいのだ」
「うぅむ。しかし、アレ一隻に幾らかかっていると思う」
蔡瑁は必要性を理解し、其れしか無いと思いつつもいじけて言った。魏延は若さ故に顰めて答える。
「郡を奪い返すのに百も在ろう船の内の数隻を惜しむな」
吐き捨てると魏延は目を瞑り黙り込む。既に言葉を交わす気は無いと言う雰囲気だ。蔡瑁は策というには暴力的だが現状を鑑みて魏延の言う通りにしようと伝令を呼ぶ。
しかし其れを伝令の声で止められた。
「蔡校尉!朝廷から勅使が参っております!!」
「此処までか」
蔡瑁は小さく呟く。
朝廷は呂布と懇意、敵には余裕が有る。先見の明無くとも内容は察せられた。




