怒ったっていいじゃない人間だもの。袁紹
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遼東の奥地で軍がぶつかり合う。と言っても帯状に兵を配した軍が、もう一方の軍の弓騎兵部隊に射かけられ続けられると言う一方的なものだ。
「ッチ!」
奇襲をしたはずが全く混乱する様子がない様子に弓騎兵の長が舌打ちをする。空を覆わんがばかりに矢を放つも、まるで堅牢な城壁に小石を投げるようだった。
「進軍中ヲ狙ッタト言ウノニ、混乱スル素振リモ無イワ!!
撤退ダッ!!」
敵の弓騎兵が撤退するのを軍の中央で騎馬に跨り見ていた肥壮の総大将はニッコリと笑みを浮かべて己が腹太鼓の様な鎧を叩き言った。
「さて顔良殿、文醜殿。貴方達の時間だ」
第一軍の大将旗が大きな音を立てて翻り、大銅鑼が連打され、軍太鼓が力強く叩かれる。
総大将は左右部隊を進軍させて敵を両翼包囲しつつ敵騎兵の隠れ潜んでいた二つの丘に視線をやった。
「流石は西園八校尉に名を連ねたお方だ」
「淳于監軍の言うた通りじゃぁ!!」
道を挟む丘の左右に潜む二人の将士が図らずも同時に言った。右側にいるのは獬豸の様な面長で鼻筋の通った顔をした文醜、左側にいるのは狛犬と対になる獅子の様な丸くゴツゴツとした顔の顔良である。
双方共に身の丈八尺をも超えんばかりの大男。
獬豸顔の文醜は面長な顔に生える細い髭を撫でてからギラリと目を光らせ従者四人から武器を受け取る。
遠い昔に武功を立てた先祖が賜った超重量の斬馬剣である。刀身だけで平均的な人の身長を超える無骨重厚に作られたそれを軽々と肩に乗せた。
対面を見れば人の頭一つ半は在ろう鉄球を極太で長い柄から生やした錘を肩に担ぐ顔良が見え、彼も気付いた様で視線が合うと同時に獅子顏を歪める。
それは獰猛な笑み。
敵騎兵が二人の間を縫う様に通過し、同時に大重量武器と大男を載せているとは思えない速度で馬が駆け出す。
彼等の乗る馬の蹄の音は単騎で地を抉らんばかりに響き、風は轟音と共に割けた。
「オリャァアアアアアアアア!!!!!」
「ゼァアアアアアアアアアア!!!!!」
顔良文醜の二騎とそれらに続く軍が咆哮を上げて敵左右側面に対して突撃、交差すると敵の軍は捻子切れ弾け飛んだ。
交差地点で狙われた遼東公孫氏に単于とされた大将。
彼は鉄槌によって臓物と肋骨背骨を粉砕され、斬馬剣によって馬諸共に自身の足を断ち切られた。
それは凄惨で断末魔さえ上げられぬ最後。
肉塊が地に落ちるのを見向きもせず、馬を駆けさせ武器を振りながら、戦場往々に通る声で二人は雑談を交える。
「顔良!此度は私の勝ちだなっ!!」
「おうさ文醜!戦勝の宴酒は俺の奢りだ!!朝まで呑み明かそうぞ!!!」
「フハハ!戦が終わるのが楽しみだ!!」
「ならば斯様な雑事早急に終わらせなばなぁ!!」
「同感だぁぁあ!!」
錘本来の用途である鎧の上からの打撃と言うよりは馬丸ごと挽肉に変え、斬馬刀本来の用途である馬の脚を切り落とすと言うよりは人の胴と馬の首を丸まま切り落とす。
敵大将を討ち取り周囲の敵を殲滅した二人は逃げ惑う敵の流れを押し返さんばかりに二部隊揃って突っ込む。まるで二匹の獣が龍を食い殺そうとまとわりつく様に。
この時点で聡く。そして何より運良く戦線離脱出来た者以外は彼等の超重量武器によって食い破られた。
後ろには奇襲した筈の歩兵部隊が盾と槍を構えて逃げ道を塞ぎ、左右は急勾配の丘から逃げようとすれば矢と石で絶命する。
逃げ場無き彼等の正面は化け物が二匹。悲鳴と絶望に逃げ惑う敵に食らい付き腑を散らせ、数十数百を討ち取り屍山血河を作り出した。
控えめに言って二匹の猛獣が獲物を弄んでいる様。
その獣らしい顔立ちから軍内で袁紹軍の瑞獣に称される二人だが血塗れの彼等は友軍にとっては正に瑞兆、敵にとっては凶兆であった。
袁紹軍至高の武、顔良と文醜の戦いとはこの様に甚だ豪快で剛強なものである。
彼等が血を落とし陣へ帰ると第一軍の総大将淳于瓊が二つの鼎を持って出迎えた。
太鼓腹に丸太の様な四肢の大兵肥満の男、温和な垂れ目に立派な鼻が特徴的で、どちらと言えば将たる苛烈さよりも慈悲深さを彷彿させる。
若い頃は袁紹と共に賊徒を屠っていた潁川淳于氏の出で、経歴も袁紹と同僚の西園八校尉。将才もさることながら軍事に於ける物資や工作などの能力が突出して優れた存在が此の淳于瓊という人物だった。
彼は今は青州監軍として顔良文醜をはじめとして十数の将兵を率いている。
敵の奇襲地点を予測し危険な丘陵地帯を敢えて進んで敵の奇襲を誘い、同時に別働隊の顔良文醜を敵の後に回して機動力に富む敵を一挙に殲滅したのだ。
そんな彼はニコニコと笑みを浮かべて二つの鼎を差し出す。
「御二人共、取り敢えずは一杯だけだが体を温められよ」
「おお!有り難く」
「頂きまする」
顔良と文醜は陣幕を潜ると同時に差し出された湯気を立てる酒を一気に煽る。戦地で出る物としては中々の物で汗で冷えた身体も温まった。
淳于瓊はこっそりと酒徒監軍と呼ばれている。良い仕事をした将兵に必ずと言って良いほど酒を奢る故で、好意の現れとしての渾名だ。
「文醜、折角じゃぁ!監軍殿も誘おうではないか!」
「そうじゃな顔良!
監軍殿、監軍殿の策を聞いて後、此度の戦で賭けをしましてな」
「ほう、如何様な?」
「敵大将を何方が討つかに御座います。文醜に先を越されましてな!
宴の酒代は儂が出す事になり申した。つきましては監軍もご一緒にどうでしょうか!!」
「それは良い!是非御一緒させてもらいましょう」
「がぁーははは!より一層奮起せねば成りませぬなぁ!!」
勝ち戦を祝う宴の予定を語らい笑う。豪快な彼等相応の陣屋での話だった。しかしその宴は随分と先の話となる。
厳しい齢四十前後の男が絹の布に描かれた地図を見ながら呟いた。
眼光は鋭く鷹のようで深謀遠慮を伺わせ、渋味のある顔は鼻筋が通っており衆目美麗、頭髪と髭は黒く獅子の鬣の如くで背筋は断崖の様に聳えたち雄大豪壮。
肌は白く、肉は厚く、骨は太い。青銅の無骨な鎧に身を包み、左右の腰に吊るされた鞘に収められているのは其々が厚めの双剣で、合わせて四つの剣。
実際の背丈は常人の域を出るものでは無いが、彼の存在感の大きさ故か殊更大きく幻視してしまう者が後を絶たない。
その存在のみで他を圧倒する彼は沮授という。
よく見れば彼の周囲には数人の人物がいた。三十程の冷静沈着そうな屈強な将の張郃と五十程の強情普遍を絵に描いたような田豊。彼等を筆頭に元は韓服の部下であった文官武官十余名。
しかし張郃、田豊をもってして沮授の添え物にしかならない。
「張将軍」
「はっ、麴将の知らせでは曹操軍は匈奴の烏丸一部族を味方に引き入れた模様」
張郃の報告に沮授は頷く。
溜息と共に嗄れ声で呟いたのは田豊だ。
「うぅむ。青州監軍も凡人では無いが差は歴然かの」
「私もそう思います。一部族を殲滅するよりも一部族を味方に引き入れる方が遥かに難しく、又遥かに利がある」
「幽州監軍の御旗があると言えど如何ともしがたい。儂等でもこうはいくまいな。
この出征には曹太守も反対しておった。何とか連携を強固にできぬものか」
これを皮切りに議論とも言えぬ愚痴大会が始まった。
「田軍師の言う通りだ。袁紹は我らを使い潰す気だろう」
「うむ。そこは相違ないが、下手に動きこれ以上曹操に近づきすぎても睨まれるだけではないか?」
「一理ありますな。沮監軍が御嫡男の婚姻を用いて曹操との橋渡しをして下さった。
あまりに近づけば猜疑心の強い袁紹のこと。郭図に至っては何をしでかすか」
「然り。猜疑心と言えば袁紹に仕えなかった者達の扱いが悪くなったそうだ。
何でも財の接収までされかけたとか」
「何と、奴等め!外から来た者は何時も冀州に禍をもたらす。
韓馥の臆病者然り袁紹の傲岸者然り、碌な者では無い」
「いっそ反乱でも起こしてやるか?顔良文醜とは戦ってみたい」
「阿呆め。冗談にしてもタチが悪いわ」
「まぁ、韓馥の頃に比べれば軍事力はございますから。それよりも話がずれていますよ」
「これはいかん。皆、荒れておる。
・・・今は平穏を求めるべきであろう」
「そですね。我等がこの様では部下達など本気で反乱を企てかねません。
我等は内輪揉めをしたい訳ではないのだから、此処は腰を据えるべきだろう」
張郃が無意味な不満暴露大会を終わらせようと言う思いでそう言うと皆がまばらに頷く。
「雑談は終わったようじゃな。本題に入るとするかの」
田豊が仕切り直す。沮授が手を振って指示を出すと従者達が各員に巻物を捧げ渡す。
それらが行き渡ると地図から視線を切り全員を眼力の荒々しい眼で一瞥した。
先程まで息巻いていた者達は恐れ慄き姿勢を正す。
「策とも言えぬ荒技で、この不毛の地での戦を終わらせる。
目下のところ幽州監軍が内陸地を交渉しながら進み、青州監軍が沿岸部を制圧しながら進んでいるのは諸兄らも知る通りだ。
動かしている兵は三万に登るが当初より殿が設けていた三年と言う期間、私が願った一年と言う期間を大いに過ぎるであろう。
故に我らは黄河を船団を持って下り渤海から遼東へ乗り込む。
幸いにも青州監軍の軍が勝った事によって中間血の港は我等に降り、敵水軍は先の海戦も有って大多数を失い渤海湊に張り付く以外の手立てがない。
第三軍として我らが進発し遼東背後より襄平に攻め込めば敵は降伏せざる終えなくなる。
私はこの策を次の軍議で上奏するつもりだ」
沮授の策は渤海を直進する物だ。故に少々危険が伴う。
しかし泥沼と化すことが予想されるこの戦を早期に終わらせるには良い策だと言えただろう。事実、話を聞いた者は皆、被害を最小限に出来ると思えた。
だがその翌日の軍議での袁紹の反応は否定的な物であった。審配、許攸が続けて言う。
「沮授、危険が過ぎる。貴公らしくも無い愚直な策だ」
「ふっふっふ、全くですな。淳于監軍は順調に進み北方を平定している。今、渤海に出て態々戦もせずに兵を損なうのは愚行ですぞ?」
二人の発言に袁紹は頷く。
「沮授、悪い策では無い。しかし予想出来る被害も馬鹿にならん。此処は当初の予定通り事を進める」
さて、沮授の策は突っぱねられた訳だが何故かと問われれば冀州外名士の思惑から外れてしまうからだ。
今回の戦いを強硬に推し進めたのは冀州に於いて他所者の郭図や許攸で有る。
公孫瓚討伐で名をあげるつもりが曹操が掻っ攫ったので中途半端となったものを、もう一度戦さを起こす事で補填しようと言うのである。即ち冀州以外の者が活躍せねばならないと考えていた。
勿論、名目上とは言え遼東公孫氏の独占している交易を奪い、遼東から逃げ出した名士達を救うと言う利益と大義も有るが大軍を出す意義としては薄い。それでも出征したのだ。
しかし沮授の策は元から冀州に住み、ある程度の船舶と船員を要する名士達でしか成し得ない物。沮授としてはそれ故に損害を受けるのは鄴の名士で、私情が介入していない事を表し、最短化が出来ると考えて献策した。
だがそんな事は自分達の立場を欲する者にとっては如何でもいい事だ。成功してしまえば冀州名士の発言力を伸ばすもので郭図達の思惑を後退させる。
沮授は反論を述べるが何としても策の採用をさせるべきでは無いと言う思いで許攸は言う。
「しかし貴方方の水軍では練度が足りぬでしょう?長江周辺の優れた水軍でも有れば別でしょうが」
許攸は続けて長江周辺の優れた水軍と言うところを殊更に強調する。袁紹がもし汝南を起点として入れば自分達でその策を成せただろうと言わんばかりに。
嫌らしく笑うと、さも今気付いたと言わんばかりに目を開き続けた。
「もしや殿への当て付けですかな?」
沮授は顔を顰めると呆れた様に溜息をついて言う。
「邪推が過ぎるぞ俗物」
許攸は沮授の眼光に慄くが、禿げネズミの様な顔に笑顔の仮面を貼り付け引き下がる。既に目標は達したからだ。
袁紹の機嫌が露骨に悪くなった。
袁紹にとって汝南とは傷である。袁紹の事を良く知る許攸は敢えてそこを掘り返す。
自分が嫌われてでも相手の策を受け入れさせないと言うやり方。
それを理解して尚、袁紹は言った。
「不快だ。皆下がれ」
君主に有るまじき行い。これについては袁紹の兄弟の事から話すべきだろう。
先ずは異母の袁術。
袁術には幼い頃より妾腹と何の罪もない母と共に侮辱してきた。青年期になっては互いに取り繕ってはいたが兄弟仲は最悪で、袁紹にとって袁術は無い物として考えていた。
そんな弟と袁紹が連合時まで表面上は仲良くしていたのは異母兄、袁基と言う袁術の同母兄がいたからであった。
袁基は父譲りの立派な人物で、鄭泰や紀霊に袁術の助力を頼み、袁紹が董卓の居る洛陽から逃げた時は汝南への道を塞がれた袁紹に北方への逃走と根回しをしてくれた人物。
連合結成時には父と共に都で集めた財と兵を袁紹へ譲り、私達のことは顧みず今こそ兄弟として南北から逆賊を誅殺せよとの激励を贈られた。
だが、それ即ち父も袁基も死に臨んで汝南と言う袁家の本領は袁術に渡すと決めていたわけで有り、袁紹にとって理解は出来ても父兄のその判断には心身が張り裂けそうな程の複雑な思いがあったのだ。
冀州幽州青州の三州を収める男とは言え人である。この負の意味で複雑な思いを鮮明に思い出した袁紹は、不快感のままに椅子に腰掛け出て行く其々を睥睨する。
許攸は笑みを浮かべて評定の間を後にした。
「待たれい袁紹殿!
今、成すべき事を違え、進むべき道から離れていると言うことがわからぬのか!?
今ならまだ間に合うのだ。皇帝を手中に収め、天下を大義と共に平定すべきは今なのじゃぞ!!」
田豊が焦り言うも袁紹は唯、冷然に出て行けと繰り返すのみ。
数日後、袁紹は二万に及ぶ大軍と冀州監軍沮授を連れて遼西に出立すると陣触れを出す。
沮授は唯、閉目してそれを聞いたと言う。




