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・・・マジで?

古い酒屋、そこで網金に酒代をもらい伝を作ろうと適当に話しかける良。


「おーい。誰か語らおうぜぃ。」


礼儀を知ればいいのに・・・。何コイツ。みたいな空気に気づかないのか気にしないのか、話してる途中と気にせず入っていく良。

まぁ、案の定、避けられてはいるが。


「なれば、どうぞ語らいましょう。」


哀れんだのだろうか、一人で飲んでいた見た目の年齢のワリに、身長のデカい奴が話しかけてきた。


「おぅワリぃな俺は、武良羽15だ。

コイツは白よろしくな。」


「私は、諸葛孔明。

14歳です。」


「・・・・・!!!!!」


「・・・どうしました?」


*諸葛孔明・・・諸葛亮 孔明 (しょかつりょう こうめい)

・・・いる?説明

・・・正史では、政治がんばりすぎた人。演技、超能力者。

司馬徽の師ホウ統の従父のホウ徳公に、臥竜と名付けられた。

演技と史実で変わるが色々あって、荊州に移り住む。

臥龍・伏龍とか呼ばれた

荊州に行ったあたりから自分の事を管仲(スゲー政治家)・楽毅(スゲー軍人)に比してたそうで・・・。

因にそのころは、徐庶と崔州平くらいしか認めてなかったらしいが・・・。

三顧の礼と、孔明の嫁選び、天下三分の計で有名。

徐庶に紹介され劉備に仕える。

ゲームとかになると、もう雷降らしたりレーザーぶっ放したり・・・。

身長180そこそこあったらしく、なかなかの偉丈夫だった様である。

以下略


「スマン今諸葛孔明っつった?」


「はい。」


「・・・マジで?」


「・・・?ハイ。」


三国志を知っている人間なら誰でも知っている人間。

諸葛亮孔明、あまりのビッグネームに一瞬固まる良。


「・・・。」


「・・・?」


訂正、完璧にそれこそカチコチに固まる良。


「・・・大丈夫ですか?」


「あぁ・・・スマン、ちょっと大物でびっくりした。」


「それは、叔父上ではありませんか?」


「あーうん、そうだな。

まぁお前さんもなんかヤバくなるかもよ。荊州とか行って頑張れば・・・。」


「・・・?私は、今荊州で水鏡先生に師事していただいていますよ。」


水鏡・・・司馬徽 徳操 (しばき とくそう)

荊州に移り住みホウ統の従父であるホウ徳公を兄として仕える。

水鏡は号でホウ徳公が名付けた(因に諸葛亮を臥龍、ホウ統を鳳雛と読んだのはホウ徳公)。

劉備に諸葛亮とホウ統の事を教えた。

「よしよし」が口癖。それこそ友人が自分の息子の死を伝えにきたときも「よしよし」と答え、それを妻が咎めると「お前の言う事も、よしよし」と答えた。

荊州に移り住んだが、荊州で力を持っていた劉表には仕えず、また劉表も司馬徽の登用を勧められても「どいつもこいつもいい加減な事言ってるけど、ただの書生じゃねぇか」と断った。

司馬徽も劉表の事を凡人と思ってたらしい上、政争に巻き込まれないように政治談義に手を出さなかったらしい。

「好好先生」定見を持たず悪と戦う勇気がないという故事成語がある

年齢は史実上は不詳だが、ホウ統より五歳上という記述が三国志演義にある。


「おぉマジでか。なんかスゴい学友とかいる?」


「はい。親しくさせていただいている、孟健殿と石広元殿そして徐福殿、彼らは刺史か郡太守くらいになるほど才気を感じます。

皆さんは、学問を精密に理解し、勤勉。人当たりも良い、出世も易いでしょう。

後は、崔州平殿などもよい方です。

そして、水鏡先生の義兄であるホウ子魚様の甥ホウ士元殿もすばらしい方ですよ。」


*孟健・・・孟健 公威 (もうけん こうい)

諸葛亮・除庶・石韜の学友

諸葛亮曰く、州刺史か郡太守くらいなれるって言われたそうです。

魏の臣下。


*石広元・・・石韜 広元 (せきとう こうげん)

除庶と同郷。諸葛亮・除庶・孟健の学友

諸葛亮曰く、州刺史か郡太守くらいなれるって言われたそうです。

魏の臣下。


*徐福・・・徐福 元直 (じょふく げんちょく)

徐庶さんです。

諸葛亮曰く、州刺史か郡太守くらいなれるって言われた。

諸葛亮・孟健・石韜などの学友

撃剣の使い手で義侠心に厚く友人の敵討ちを引き受け役人に捕まる。後日、友人に助けられ感じるところがあったらしく学問に励む。

出身地が同じ石韜と荊州に移住、司馬徽の門下になった。

諸葛亮・孟健と特に親しかった。

始めは劉備に仕えたが曹操軍に母が捕まり曹操に仕える。ちなみにその時諸葛亮を劉備に紹介した。

徐庶って名乗りだしたのは、彼の人生で意外に後半。

演技などでは、単家出身でそこから単福と名乗っていたみたいな話がある。


*崔州平・・・崔? 州平 (さい? しゅうへい)

諸葛亮の学友

諸葛亮に欠点があれば指摘した、また諸葛亮もよく聞いたそうである。

正直よく情報がない、なんか諸葛亮伝かなんかにチョロっと出るだけらしい。

名前もよくわからない・・・地味。


*ホウ子魚・・・ホウ徳公 子魚 (ほうとくこう しぎょ)

襄陽の名士、人物鑑定の大家。

民間伝承では字を子魚としているが宋書・四庫全書[巵林]では尚長となっている

子が諸葛亮の姉と結婚していて、従子にホウ統がいる。

司馬徽を水鏡・諸葛亮を臥龍・ホウ統を鳳雛と名付けたのはこの人。


*ホウ士元・・・ホウ統 士元 (ほうとう しげん)

名士ホウ徳公の従子。

臥龍・伏龍と呼ばれた諸葛亮に対して鳳雛と呼ばれた。

叔父と同じく人物鑑定・評価を好んで行ったが、その場合はその人物を過大評価していた。理由としては、「糞みたいな時代なんだからコレくらい言っとかないとまともな事する奴なんかいなくなっちまうわ。」的な事。

鎖の方の、連環の計で有名。

劉備に仕えた当初クビにされるが魯粛が手紙で「ホウ統は大役くれてやらんとアカンやん」とすすめ諸葛亮も取りなしたので、また仕え諸葛亮と同じ役職になる。

演義では、特に見た目で損した人。また、進軍中に軍馬が暴れ気を遣った劉備に白馬を貸される・・・アレ劉備の馬って的路(乗った奴に不幸を運ぶ)じゃね?

まぁ、案の定劉備と間違えらて射殺されてしまう。

呉の陸績・全ソウ・顧ショウとは懇意だった。曰く、陸績を駿馬、顧ショウを足が遅いが力のある牛、全ソウを汝南の樊子昭(どんな人か解ら無かったです)に例えた。


「まじかよ・・・。」


「フフフ、すばらしい方ですよ。」


おそらくだが、除庶そしてホウ統の話まで出てきて驚く良。

時々フリーズしながら、諸葛亮と始めるのだった。

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