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異世界転生港区おぢ ── 金なし、地位なし、戦闘力ゼロ。武器は口だけ。──  作者: 八乙女モモ
第1章

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第6話 異世界キャバクラ「竜宮城」(中編)

フローラの提案を受け入れるまで、三日かかった。


 正確に言えば、三日「しか」かからなかった。リーナは一週間は悩むと踏んでいたが、隆之介の中で港区の回路が鳴り始めたら、もうブレーキは利かない。


「決めた。フローラさんに女の子を回してもらう」


「やっぱりそうなるんですね」


「ビジネスとして合理的だよ。今の竜宮城の客単価は3,000G。でも上層区の社交サロンは客単価10,000G以上。違いは空間でも酒でもない。『もてなし』の質だ。会話のできるスタッフを置くだけで、客単価が三倍になる」


「それ、フローラさんの受け売りですよね」


「受け売りだろうが何だろうが、正しいものは正しい」


 フローラが紹介したのは三人の女性だった。いずれも「紫水晶の間」で接客の訓練を受けた経験者。人間の娘が二人と、獣耳の娘が一人。全員が会話の技術を持ち、酒の知識があり、客を楽しませるプロだ。


 人件費は一人あたり日給3,000G。三人で9,000G。これに加えて、フローラへの紹介料として売上の一割五分。


 リーナが帳簿を見ながら言った。


「今の粗利が日に20,000G。そこから人件費9,000G、フローラさんへの上納が売上の一割五分。仮に売上が今と同じ60,000Gなら上納は9,000G。残りは——2,000G」


「売上が今と同じわけないでしょ。客単価が三倍になれば売上は180,000G。人件費と上納を引いても——」


「『なれば』の話をしないでください。数字は『今』で計算するものです」


「リーナさん、それは守りの経営だよ。攻めなきゃ——」


「攻めるのと無謀は違います」


 隆之介は聞いていなかった。



◇ ◇ ◇



 竜宮城が「変わった」のは、女性スタッフが入った初日からだった。


 薄暗い蝋燭の灯りの中で、訓練された女の子たちが客の隣に座り、酒を注ぎ、話を聞く。冒険の武勇伝に目を輝かせ、商談の愚痴にうなずき、時おり笑い声を立てる。


 それだけで——客の滞在時間が倍になった。


 滞在時間が倍になれば、注文も倍になる。ワインのボトルが一本から二本になり、料理の追加が入る。


 一週間後。客単価は3,000Gから8,000Gに跳ね上がった。


 客数も増えた。「竜宮城に可愛い子がいる」という噂はレンドール中に広がり、上層区の商人や冒険者ギルドの幹部クラスまで顔を出すようになった。


 毎晩の売上は150,000Gを超えた。


 隆之介は有頂天だった。


「ほら見ろ。月商450万G。年商に換算したら五千万G超え。リーナさん、これが攻めの経営ってやつだよ」


「……売上は確かに伸びてます。でも——」


「でもじゃないよ。数字が全てだ。数字が正しいって言ってる」


 リーナは帳簿のページをめくった。何かを言いかけて、やめた。


 代わりに、小さくため息をついた。



◇ ◇ ◇



 問題は、隆之介自身が竜宮城の「客」になり始めたことだった。


 閉店後、スタッフの女の子たちと一杯飲む。それが二杯になり、三杯になった。自分の店の酒を自分で飲んでいる。原価で計算すれば大した額ではないが、そういう問題ではなかった。


「リュウさんって、本当に面白いですね。港区ってどんなところなんですか?」


「え? 港区? いやー、すごいところだよ。ビルが空まで届いてて、夜になると街全体が光るんだ。そこで俺は——」


 隆之介は語った。タワマンの夜景。フェラーリ。シャンパンタワー。インスタライブの視聴者三千人。


 語りながら、港区時代の自分に戻っていた。


 VIP席に座って、綺麗な女の子に囲まれて、武勇伝を語る。聞いてもらえる。すごいと言ってもらえる。  この感覚だ。港区で一番気持ちよかったのは、金でも地位でもなく、「すごいですね」と言ってもらえるこの瞬間だったのかもしれない。


 そしてそれは、経営者として最も危険な状態だった。


 自分の店で、自分が一番いい客になっている。


 リーナは閉店作業をしながら、その光景を見ていた。何も言わなかった。


 言っても聞かないことは、もう分かっていた。



◇ ◇ ◇



 竜宮城が絶好調に見えていた、その裏側で数字は静かに壊れていた。


 まず、内装費。フローラの助言で「格を上げろ」と言われ、隆之介は上層区の家具職人に調度品を発注した。テーブル四脚、椅子十六脚、カウンターの改装。掛け払いで総額120,000G。支払いは翌月末。


 次に、酒の仕入れ。上層区の客が来るようになって、安いエールでは満足されなくなった。高級ワインの比率が増え、仕入れ額は当初の三倍に膨らんだ。これも掛け売り。


 さらに、スタッフの衣装代。フローラが「うちの水準に合わせなさい」と言うので、三人ぶんのドレスを仕立てた。45,000G。


 帳簿の上では、売上は絶好調だった。毎晩150,000G。


 だが——入ってくる現金と、出ていく現金のタイミングが、決定的にズレていた。


 売上は毎晩入る。しかし、掛けで仕入れた酒代、掛けで発注した家具代、フローラへの上納金、スタッフの日給——これらの支払いが来月にまとめて来る。


 リーナがある夜、帳簿を隆之介の前に広げた。


「リュウさん。一回、これを見てください」


「ん? 売上好調じゃん。何が問題なの」


「売上じゃなくて、キャッシュフローを見てください」


「キャッシュフロー?」


「手元の現金の動きです。今月の売上は約350万G。でも、来月頭に支払いが集中します。酒の仕入れ代の未払い分が280,000G。家具の掛け代が120,000G。フローラさんへの上納金が525,000G。スタッフ給与は払い済みですが、来月分の前払いが——」


「ちょっと待って。合計いくら?」


「来月頭の支払い総額が、約980,000G。対して、手元の現金は——」


 リーナが数字を指で示した。


「——310,000G」


 隆之介の表情が固まった。


「……67万G足りない?」


「はい。売上は確かに好調です。でも、売上が入るより先に支払いが来る。これが続くと——」


「いや、来月も同じペースで売上が出れば——」


「出なかったら?」


 沈黙。


「それと、もう一つ」


 リーナの声が、一段低くなった。


「あんたが閉店後に飲んでる酒。原価で計算しても、今月だけで38,000G分です。自分の店の在庫を自分で消費してる。帳簿上は売上に計上されてない。つまり——」


「…………」


「経費の私的流用です。これ、商業ギルドの監査が入ったら一発でアウトですよ」


 隆之介は天井を見上げた。竜宮城のアーチ型の天井が、蝋燭の影で揺れている。


 キャッシュフロー。売上と利益と手元資金は、全部別の数字だ。


 そんなことは知っていた。港区時代、何十社ものベンチャーが「売上好調なのに資金ショートで倒産」するのを見てきた。いわゆる黒字倒産。経営者なら誰でも知っている罠だ。


 なのに今、自分がその罠にはまっている。


「……リーナさん、対策は」


「支払いの延期交渉をするか、どこかから短期の借入をするか。あるいは——」


 リーナが言い終わる前に、竜宮城の扉が叩かれた。


 営業時間外の訪問。嫌な予感がする。


 扉を開けると、二人の男が立っていた。


 一人は商業ギルドの紋章入りの制服を着た役人。もう一人は——


 若い男だった。二十代後半。銀縁の眼鏡に、整った顔立ち。仕立ての良いコートを着て、背筋がまっすぐに伸びている。手には書類の束。


 隆之介の【鑑定眼かんていがん】が起動した。


 『ヴェルク

  商業ギルド監査部主席審査官

  推定権限レベル:レンドール支部において幹部級

  人脈価値:商業ギルド本部に直結

  備考:この人物を敵に回した場合のリスク——極めて高い』


「金城隆之介殿ですね」


 ヴェルクの声は丁寧だが、温度がなかった。


「レンドール商業ギルド監査部です。当店の営業実態について、いくつか確認させていただきます」


「は、はあ。どうぞ」


「まず、当店の営業届出は『酒場』として登録されています。しかし現在の営業形態は、接客を伴う社交サービスに該当します。これは届出カテゴリの変更が必要であり、現状は無届営業です」


 これは、炙り亭で「干し肉の販売」が「加工食品」に該当すると言われたときと、まったく同じ構造。


「次に、仕入れ代金の未払い報告が卸商から二件。支払い遅延は商業ギルドの信用規約に抵触します」


 ヴェルクは書類を一枚ずつめくりながら、淡々と事実を並べていった。


「さらに、フローラ・エーデルシュタイン氏の『紫水晶の間』から派遣された接客スタッフについて。派遣労働に関する届出がなされていません。これも規約違反です」


 隆之介は一つ一つに反論する言葉を探したが、見つからなかった。全部事実だ。


「——以上の理由により、当店には本日付で営業停止命令を発出します。停止期間は、全ての届出と未払い金の精算が完了するまで」


 ヴェルクは書類を差し出した。その目が、初めて隆之介を直接見た。


「……金城殿。一つだけ、個人的に言わせてもらいます」


「なんですか」


「あなたのアイデアは認めます。冒険者ギルドの掲示板の件、聞いています。この店の空間演出も悪くない。だが——」


 ヴェルクの目が鋭くなった。


「秩序を無視して勝手にやるな。この街の商売には、何十年もかけて作られたルールがある。それを一人の余所者が踏み荒らしていい理由はない」


 隆之介は黙った。


 港区では規制なんてものは「うまく回避するもの」だった。グレーゾーンを攻めて、先に実績を作って、後から帳尻を合わせる。それがスタートアップの流儀だった。


 だが、ここは港区ではない。


 ヴェルクはもう一度小さく頭を下げて、去っていった。


 竜宮城の扉が閉まる。蝋燭の炎が揺れた。


 隆之介は閉じた扉を見つめたまま、動けなかった。


お読みいただきありがとうございます!


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作者が港区おぢ並みに調子に乗って更新速度が上がります。


誤字報告も大歓迎です。

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