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異世界転生港区おぢ ── 金なし、地位なし、戦闘力ゼロ。武器は口だけ。──  作者: 八乙女モモ
第2章

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第19話 異世界万博——レンドール商業祭(後編)

 レンドール商業祭の初日が始まった。


 夜明けの空が、二つの太陽でゆっくり明るくなっていく。


 隆之介りゅうのすけは、レンドール中央広場の片隅で、設営の最終確認を進めていた。


 色とりどりののぼり。屋台の屋根に並ぶ色違いの布。中央の巨大看板には「レンドール商業祭」の七文字が、リーナの几帳面な筆跡で書かれている。


 いつの間にかリーナが、帳簿を抱えて隣に立っていた。


「準備、間に合いそうですね」


「ぎりぎりだけどね」


「板五十枚、全部間に合いました。出店者の前払い割引も二百名全員から回収済み。八万Gの穴は、ヴァイス経理事務所が埋めました」


「リーナさん、夜寝てる?」


「経理事務所の社長は、繁忙期に寝る権利を放棄します」


「絶対、寝てください。今日終わったら三日間ぐらい」


「報酬は前払いで頂いてるので、三日寝ても問題ないです」


 リーナはそう言って、一度、伸びをした。早朝の風が、彼女の髪を揺らした。


  ◇ ◇ ◇


 午前八時。万博、開場。


 中央広場の入口で、隆之介とヴェルクが並んでいた。ドルフが冒険者ギルドから連れてきた若手たちが、整列して周辺警備を担当している。


「金城殿。準備は出来ているのか?」


「整いました。ヴェルクさんの方は」


「規則の範囲内で、すべて完了している」


 ヴェルクは硬い表情のまま、ほんの少しだけ視線を緩めた。


「金城殿。一つ、礼を言いたい」


「え?」


「規則を破らずに、ここまで来てくれた。秩序を守る側として、感謝する」


「いや、規則破ったら祭り潰されるから——」


「それでも、礼は言わせてくれ」


 隆之介は黙った。


 港区時代に、こういう男から礼を言われたことは一度もなかった。あの世界には、こういう男はいなかった。いや、いたのかもしれないな。自分が見ていなかっただけで。


 パルムが肩の上で目を擦った。


「リュウ、人、来てるよ」


「もう?」


「見て、入口」


 隆之介は門の方を見た。


 まだ開場の合図も出していないのに、入口の前には既に長い列ができていた。下層区の住人、上層区の老婆、子供連れの家族、冒険者風の若者、商人らしき身なりの男たち、そして、フォルセンとカストリアから来た商人たちの集団。


 ゴルドがツテを使って呼んでくれた他都市の商人だ。手を振ってくる者もいた。


 隆之介は、ヴェルクに目で合図した。


 ヴェルクが鐘を鳴らした。


 祭りが、始まった合図だ。


  ◇ ◇ ◇


 午前中の中央広場は、想像を超える賑わいだった。


 バルドの炙り亭は、店舗営業と並行で出店ブースを開いていた。炭火の煙が立ち上り、行列が三十人を超えている。バルドが汗だくで肉を焼きながら、隆之介を一瞥した。


「お前。来たのか」


「混んでますね」


「混んでる。お前も手伝え」


「俺、主催者なんだけど」


「主催者なら、なおさらだ」


 バルドはトングを隆之介に押し付けた。隆之介は仕方なく肉を焼く手伝いを始めた。


 パルムが肩の上でクスクス笑った。


「リュウ、主催者なのに屋台で肉焼いてる」


「うるさい」


「これがリュウのやり方なんだね」


「やり方じゃないよ。バルドのおっちゃんに押し付けられただけだよ」


 炙り肉の脂が、炭の上でじゅう、と音を立てた。いつもと同じ味のはずなのに、今日はなぜか、もっと旨そうに見えた。


  ◇ ◇ ◇


 昼前。中央広場の路地。


 密集した屋台が、視覚的にむしろ盛り上がりを演出していた。下層区の小商人たちが、初めて上層区の客に商品を売っている。狭い通路を客がぎゅうぎゅうに詰まり、笑い声と値切りの声が交差する。


 隆之介は、どこからか聞こえてきた声に振り返った。


「あら、お祝いの席?」


 フローラだった。エルフ社交クラブの経営者。いつも美味しいタイミングで現れて、不味いタイミングで去っていく。


 今日はどう見ても、美味しいタイミングの方だった。


「フローラさん。今日は何しに」


「VIP接待に決まってるじゃない、あなた」


「VIP?」


「フォルセンの大商人のご一行。私のクラブから、特別席にご案内中よ。ゴルドさんから事前に依頼を受けてたの」


 隆之介はゴルドの方を見た。広場の隅で、ゴルドがいつものエールを飲んでいる。フォルセンから来た商人の老人と並んで、何か楽しそうに話していた。


 ゴルドが隆之介に気づいて、杯を軽く掲げた。「予定通りだ」という顔だった。


 フローラが優雅に微笑んだ。


「あなた、今日は本当に絵になるわね」


「俺、肉焼いてただけですけど」


「絵になるって言ってるのよ。素直に受け取りなさい」


 言うだけ言って、フローラはまたVIPの方へ戻っていった。


 成功時に現れて、失敗時に去る。今日は、彼女が現れたままでいる。それが何よりの指標だった。


 嬉しいことに祭りは順調みたいだ。


  ◇ ◇ ◇


 午後二時。中央広場の混雑がピークに達した。


 リーナが事務所のテントから飛び出してきた。手に帳簿を抱えている。


「あんた。客の数、当初予定の三倍です」


「三倍?」


「千人の予定が、三千人。フォルセンとカストリアから来た商人も、予定の二倍。出店者の売上、初日だけで予想の二倍を超えてます」


「……それ、いいニュースだよね?」


「いいニュースです。ただし、宿泊の手配が足りません。他都市から来た客のうち、四百人が今夜の宿を探してます」


「四百人」


「ヴェルクさんに相談したら、商業ギルドの研修棟を一時開放できるそうです。ただし、一泊二百Gの素泊まり費用が必要です」


「いくら必要?」


「八万G」


「……また八万Gかよ」


「商業祭、八万Gが好きみたいですね」


「好きじゃないよ」


 リーナは続けた。


「私の経理事務所が立て替えます。後日、宿泊した商人から個別に回収します。ただし、立替金は——」


「俺の赤字に積みあがる、と」


「正解です。マイナス四万Gが、たぶん明日にはマイナス十二万Gになります」


「……淡々と言うね」


「事実ですから」


 パルムが肩の上で言った。


「リュウ、また借金増えるね」


「うるさい」


「でもみんな笑ってるよ。広場の人、全員が」


「……うん。それは、いいことだ」


  ◇ ◇ ◇


 夕方。隆之介は中央広場を一周した。


 下層区の屋台にも、上層区の老舗にも、行列ができていた。冒険者ギルドの若手たちが、笑顔で道を案内している。子供たちが、初めて見る他都市の商品に目を輝かせている。


 ゴルドが隅で、フォルセンの老商人と杯を交わしている。ヴェルクが書類を片手に、規則違反がないか巡回している。バルドは汗だくで、店舗営業と出店の両方を回している。ドルフは入口で、屋台の煙を浴びながら警備を統括している。フローラはVIPに笑顔を振りまいている。リーナは事務所のテントで、帳簿に飛び込んでくる数字と格闘している。


 全員が、自分の場所で、自分の仕事をしていた。


 隆之介は中央広場の真ん中で、ふと立ち止まった。


 港区時代に何度も大規模イベントを仕切った。展示会、商談会、発表会。一億単位の予算、運営会社三社、警備、ケータリング、PR代理店、金で全部買えていた。


 でも、こんな景色は、見たことがなかった。全員が、自分の意志で、ここにいる。誰も、隆之介に雇われていない。


「……港区のイベントより、いいじゃん」


 声に出して呟いた。それから、慌てて口を押さえた。


 パルムが肩の上で笑った。


「リュウ、聞いたよ」


「聞いてない」


「聞いた」


「何も聞いてない。気のせいだ」


「ボク、鑑定眼の精霊だよ。聞き逃さないよ」


「鑑定眼関係ないだろ」


 パルムは、それから、急に真面目な顔をした。


「リュウ。ボク、今日の街の空気、ぜんぶ鑑定したい」


「全部?」


「うん。全員の満足度。来てくれた人、全部」


「魔力、足りる?」


「足りないかも。でも、やりたい」


 パルムは肩の上で、両手を広げた。


 青い光が広がった。


 光がまばゆくなり、肩の上の小さなパルムが伸びた。


 手のひらサイズから、子供の身長へ。子供の身長から、少女の身長へ。


 光が収まったとき、隆之介の隣には、青い髪の少女が立っていた。手のひらサイズではない。歳の頃なら、十六か十七。膝丈のローブを纏い、足を地面につけて、隆之介を見上げていた。


 パルム。擬人化モード。


 この姿は、選挙コンサルの夜以来、二度目だ。


 パルムは肩で息をしていた。


  ◇ ◇ ◇


「リュウ」


 パルムは、目を閉じた。


 風が止まったように感じられた。


 中央広場の喧騒が、一瞬だけ、遠くなった。


 パルムが、深く呼吸した。それから、目を開けた。


「……ねえ、リュウ」


「うん」


「この街の空気が……笑ってる」


「……」


「鑑定の数字とか、満足度の点数とか、そういうの全部超えて、街そのものが、笑ってるよ」


 隆之介は、パルムを見た。


 パルムは、街を見ていた。中央広場の人混み、屋台の煙、子供たちの笑い声、商人たちの値切りの声、その全部を、聞いていた。


「リュウ。ありがとう」


「え?」


「ボクが見てきた中で、いちばん、いい街だよ。今日のレンドール」


 パルムの体が、ふっと、軽くなり始めた。


 擬人化の魔力が、切れる。隆之介は気づいて、パルムを支えようと手を伸ばした。


「パルム——」


「だいじょうぶ」


 パルムは、笑った。


 光がまた広がり、青髪の少女は、また手のひらサイズの妖精に戻った。


 元の姿になったパルムは、隆之介の肩にぽとりと着地して、そのまま眠ってしまった。


 深い、満足そうな寝息だった。


  ◇ ◇ ◇


 夕暮れ。


 初日が、終わろうとしていた。


 商人たちが屋台を片付け、出店者たちが今日の売上を数えている。リーナの事務所のテントには、嬉しそうな顔の出店者が次々と訪れていた。


 ヴェルクが書類を抱えて隆之介の前に来た。


「金城殿。初日の集計だ」


「……読んでください」


「来場者数、約三千。出店者の総売上、約十二万G。ヴァイス経理事務所の前払い割引キャンペーンを差し引いて、純粋な経済波及効果は百万Gを超える可能性がある」


「百万」


「あくまで初日だ。残り九日間でどうなるか、まだわからん」


 隆之介は天井を見上げた。


 いや、屋根はない。空を見上げた。


 二つの太陽が、ゆっくり沈んでいく。星が、一つ、また一つ、灯り始めていた。


「ヴェルクさん」


「はい」


「俺、今、めちゃくちゃ赤字なんですけど」


「知っている」


「……でも、街は黒字、なんですよね?」


「圧倒的に、黒字だ」


「……じゃあ、それで、いいや」


 ヴェルクの口元が、ほんの少しだけ動いた。笑ったのかもしれない。


 その時、エレナが、ヴェルクのすぐ後ろから現れた。


「あら、ヴェルク殿。書類のサインを、また忘れていらっしゃるわ」


「……失念しておりました」


 エレナは隆之介に微笑んだ。


「リュウノスケさん。本日の街の盛況、見事ですわね」


「エレナ支部長」


「規則の範囲内で、見事にやってくださって。私、嬉しいんですのよ」


 隆之介は微笑み返した。


「規則の範囲内で、ですか」


「ええ。当然でしょう?」


 エレナはそう言うと、ヴェルクの腕を引いて、書類を渡した。ヴェルクが慌てて受け取り、サインしている。


 二人が並んで歩いていく姿を、隆之介は見送った。


 ……何だろう、あの妙に息の合った感じは。


 パルムが肩の上で、寝ぼけながら呟いた。


「リュウ、あのふたり、なんかいい感じ」


「気のせいじゃない?」


「気のせいじゃないよ。ボク、鑑定眼の精霊だよ」


「またそれ言うのか」


 二人の背中は、夕陽の中に消えていった。


  ◇ ◇ ◇


 夜遅く。


 竜宮城のカウンターで、ゴルドがいつものエールを飲んでおり、隆之介が隣に座った。


「ゴルドさん」


「なんだ」


「初日、終わりました」


「ふん。よくやった」


「ゴルドさん、褒めてくれます?」


「半分はな」


「もう半分は」


「明日も、明後日も、まだ祭りはあるだろ」


「……そうですね」


 ゴルドは杯を干して、もう一杯、頼んだ。今夜は、いつもより遅い時間まで、飲むつもりらしい。


「リュウ」


「はい」


「お前、今日、街の真ん中で、何か呟いてただろう」


「……聞こえてました?」


「広場の半分には聞こえてたかもな」


「……マジか」


「『港区のイベントより、いいじゃん』、だったか」


「……忘れてください」


「忘れん。お前の言葉の中で、一番マシだったぞ」


 ゴルドはエールを飲んだ。その横顔は、長年の商売人の顔だった。だがその目には、三十年ぶりに商人の祭りを見た男の、子供のような輝きが、ほんの少しだけ混ざっていた。


  ◇ ◇ ◇


 万博は、十日間続いた。


 最終日の閉幕後、リーナが帳簿を持って隆之介の前に立った。


「最終集計です」


「読んで」


「来場者数、累計約三万。経済波及効果、約一千万G。あんたの収支はマイナス十六万G」


「……マイナス十六万」


「街の経済が一千万G動いて、あんた一人が十六万Gの赤字です。コスパは最悪ですが、街への貢献度は最高でした」


「……はあ、それで、いいや」


「二回目ですね、それ」


「事実は何度言っても事実だよ」


 リーナの口元が、ほんの少しだけ緩んだ。


 隆之介は、空を見上げた。


 二つの太陽が沈んだ後の、星だけの夜空。


 港区おぢの戦いは、まだ続く。


 今日のレンドールは、確かに笑っていた。

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